ウォトカと通訳と米原万里

一昨年(2006年)に惜しくも亡くなったロシア語同時通訳者にしてエッセイスト・作家の米原万里さんといえば、エッセイの評判は聞いていたもののこれまで縁がなかったのだが…。何気なくその1冊『魔女の1ダース〜正義と常識に冷や水を浴びせる13章〜』(新潮文庫)を読み始めたら、あまりの面白さに止まらず一気読み。『不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)か』(新潮文庫)、『ロシアは今日も荒れ模様』(講談社文庫)も買ってきて、立て続けに読んだ。

ゴルバチョフエリツィンといったトップ、ロストロポービッチなど一流芸術家たちの来日時の同行通訳を含め、通訳経験豊富な米原さんならではの秘話も面白いが、特に興味深かったテーマは2つ。同時通訳という仕事について、そしてロシアの国民酒・ウォトカをめぐる話。

『不実な〜』は一見奇妙なタイトルだが、訳の正確さを「貞淑−不実」、訳文の美しさを「美女−醜女」で表す通訳論に由来する。もちろん「貞淑な美女」がベストだが、そこまで完璧な通訳は現実に難しい。「貞淑な醜女」「不実な美女」のどちらがいいかは、時と場合によるらしい。正確さを要求される国際会議なら当然前者だが、雰囲気が大切なパーティでは後者が求められることもあるそうだ。

同時通訳という仕事の面白さと恐さを、翻訳業とも対比しつつ分かりやすく語ってくれて圧巻。同時通訳者の頭の中では、2つの言語…というより、2つの文化がせめぎあって、複雑な化学反応が起こっている模様。おぼろげながらそのブラックボックスを垣間見られた気がする。

『ロシアは〜』では、本全体の3分の1以上がウォトカの話題。個人的には、ジンと同じくカクテルベースとしての認識しかないのだが、ロシア人にとって、ストレート以外の飲み方は論外!?らしい。ウォトカとジョークをこよなく愛する、人懐こくてちょっとオマヌケなロシア人の姿が活写されていて、総体としてのロシアや旧ソ連の分かりにくさとのあまりの乖離に笑ってしまう。米原さんの友人でギリシャ人医師の女性が発した「最も愛すべきはロシア人、ただし大酒飲みなので結婚相手としては厳しい」という言葉もむべなるかな。その典型であるエリツィンおやじの観察記録も面白すぎる。

3冊でとりあえず一段落したけれど、このあとも米原さんの著作を読みたくなることは間違いないと思う。