「闇の記憶」
DJ / KNEEDROP つづいてます。
《BOOK REVIEW》
中沢新一の「南方熊楠コレクション」について(2)
by DJ / KNEEDROP
熊楠は生前、無欲だったのと、自分の興味が持てる学問しかやらなかった人でアカデミズムの言い分としては、
熊楠の学問は体系性がなかったため評価されるのが遅かったといわれています。
熊楠の行なった学問や生きた知性は今回、中沢氏のフィルターを通して、巨人的全貌が明るみに出ました。
中沢氏の書かれた著作はこの熊楠の他にも、セオリー(理論や学説)がたくさん詰め込まれていて、読むといつも感心させられてしまう。
では熊楠について触れます。
1867年慶応3年(明治元年の前年)に生まれ。
熊楠は驚くべき暗記力を持っていました。友人の家にある和漢三才図絵(江戸時代の百科辞典)を読み暗記し、3年から4年かけて15歳の時には105巻すべて筆写しました。
少年の頃から植物や粘菌が好きで森で採取を始め、18歳の時、大学予備門(現在の東京大学)に入学。
同級生には、夏目漱石や正岡子規がいた。
枠に縛られるのは嫌いだった熊楠は、学問は大好きでしたが学校が嫌いで(このあたりはアインシュタインやピカソに似ています。)
20歳の時に大学予備門を中途退学後、学問がしたいと渡米。
そしてアメリカのふたつの大学も中退し、交通費を考えてか、サーカス団でアルバイトのかたわら、独学を続け粘菌を採取しながら、フロリダ、キューバ、南米と移動を続けました。この後、語学は10年漂泊の末。
18ヶ国語もマスターする。アメリカの学問は遅れていることを知り、ロンドンに渡る。
ロンドンの科学誌「ネイチャー」(当時、ダーウィンの進化論が掲載されていた)にイギリスの優秀な科学者や教授を抜いて、「東洋の星座」という論文が掲載になりました。
後の中国の革命家、孫文と交友を深めたり、大英博物館の館長の目に止まり東洋図書目録の作成を手伝う。館長から官員にならないかという話をもらうが、安定した収入や地位が得られるにもかかわらず、時間に縛られると自分の好きな研究やしたい学問が出来なくなってしまうと言う理由で断わります。(つづく) またね。☆(*^-^)o゙
いわせだよりNO.108号 1992年7月執筆。
- 作者: 南方熊楠,中沢新一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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"memory of darkness"