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2ペンスの希望

2017-10-09

ズル

本好き芸人“オードリー若林正恭さんが、懇意小説家たちとf:id:kobe-yama:20171008204911j:image:w360:right語り合った「文筆系トークバラエティ」本
『ご本,出しときますね?』【ポプラ社2017年4月 刊】がばらつきはあるが拾い物だ。
もとはBSジャパン30分の深夜番組らしい。
角田光代×西加奈子×若林正恭の回。
角田小説には意外とズルがあるんです。たとえば、ふたりの人間が出会うシーンで、どうしてそのふたりがその場にいて、出会ったのかを、丁寧に、自分が信じられるようなシチュエーションで書かなきゃいけないんだけど、やっぱり「ズルをしちゃおうかな」というときは、パンとぶつからせて。端折るというのかな。
若林:なるほど。俺は、ネタを書くときにズルしてるな。「ズルしない」というのは、そこで   もう一歩踏み込んで、出会う必然性を考えるってことですね。
角田小説はズルができる
西 :意外とできる。
若林:小説は、突き詰めればキリがないですね。どこまでやるかという問題もあるね。
西 :自分が信じられるということが一番大切かも。こっちが「こんな出会いないやろ」と    思いながら書いたらダメだし。
若林:ズルをして、自分がしんどかったから、もうしないように決めたんですか?
角田そうです。
    やっぱり、書き終えても書き終えても、ズルをした気がするんですよね。

若林:「もうちょっとここ頑張れた」って思いますよね。完璧や百点はないですもんね。
   西さんはどうですか?

西 :ある。二作目の『さくら』という小説で、主人公のお兄ちゃんが自殺するの。当時は   本気で書いたの。でも、後から「死なせることはなかった」ってずっと考えてたの。   事故に遭って死なせるって、駒やん。登場人物を駒にして、それで家族が団結して。  無駄に死なせたというのがずっと苦しくて。だから『サラバ!』という小説を書いたとき   は、もう絶対に神様の起こしたアクシデントではなくて、髪の毛が薄くなってきたとか、  誰にでも起こることで変化させていこうと誓った。当時『さくら』を「よーし殺しちゃえ」と  いうノリで書いたわけでは決してないんだけど。でも、ズルしたらずっと苦しいから。   ズルをしないで苦しむほうが楽しい。
映画だって同じこと。云われなくとも、ズルは自分が一番よく分かってる

2017-10-08

その差 70倍

昨日の続き。
何も手塚治虫ストーリー漫画だけの大家だと言いたいわけじゃない。
ギャグキャラクターも豊富で秀逸なことは、周知の事実、衆目の一致するところだろう。
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手塚ギャグ・スター・オンパレード。
旗持ちは、言わずと知れた超有名人「ヒョウタンツギ」さてあとはどれくらいご存知か?全部判る人は手塚検定上位者と認定されそう。(もっとも管理人は、検定とか認定とかは大嫌いだが)  「おむかえでごんす」の名セリフを持つキャラも混じる。
いずれにしろ、アトムやブラックジャック火の鳥だけが手塚なんじゃない。彼の世界が果てしなく拡がっていることを少しでも知ってほしい、そう思ってきた。そして同じほど知ってほしいのが、杉浦茂をはじめとする漫画家の存在だ。
試みに今、グーグル検索で「手塚治虫」と入力してみたら、約5,590,000件ヒットした。
比べて「杉浦茂」は80,400件。
その差約70倍。あくまで管理人の主観だが、それほどの差があるとは思わない。
もっとも、それが世間というものさ。世の中の実相、社会の評価・反映。そう云われたら返す言葉はない。ぐうの音も出ない。

2017-10-07

系譜 もうひとつ

杉浦茂の漫画については何度も書いてきた。
日本の漫画には、手塚治虫白土三平が描いてきたストーリー漫画系譜だけでなく、もうひとつノンセンス漫画の系譜がある。代表は杉浦茂。物語の展開・ストーリーより、とにかく絵が楽しくてずっと見ていられる漫画の流れ、その丹精、その豊穣四方田犬彦はかねてからそう主張してきた。 “異議なし!”(上記 文章は一部 意訳・改作)
彼の著書『日本の漫画への感謝』【潮出版社 2013年11月 刊】の「偉大なる魔術師 杉浦茂」には、四方田自身が作成した図版が載っている。
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杉浦茂が描いてきた目の描写の変遷だ。源流をたどれば戦前のアメリカン・コミックスに行き着く、と四方田は説く。 ディテール 命。 神は細部に宿る。
杉浦茂の時代とは、漫画が倹(つま)しいながらも記号の一つひとつに丁寧に意味を与え、コマの内側に描きこまれた情報を読者が丁寧に、そして丹念に読み解いてゆくという時代だった。作り手と読み手の間に、こうした暗黙の了解が横たわっていたのである。だが手塚治虫が日本漫画でヘゲモニーを確立し、荒々しい劇画時代の寵児となったとき、その牧歌的な世界は忘れ去られ、ノスタルジアの領域に封印されてしまったという印象をわたしは抱いている。」と嘆く。 (同上の文章から掲載のママ引用)
さらに四方田は続ける。
杉浦茂から赤塚不二夫佐々木マキ、そしてスージー甘金へといたる漫画の系譜を辿っていくとき明らかとなるのは、日本の漫画が大発展の陰で喪失してきたものの大きさである。」う〜ん、ここまでくると、ちょっと路線の違いを感じるが‥。

こんな文章を読むと、日本の映画の系譜も小津だけじゃないよ、
そういわれている気がしてくる。
責任は小津や手塚にあるわけではない。問題はその後の歴史の記述だ。手塚にも
旺盛な遊び心・弾けたギャグ精神があったことはファンなら皆知っている。
小津もまたしかり。
光と影。正典と外典正史と野史(外史・稗史・秘史)手塚の陰に隠れて見えにくい漫画家たち。クロサワ・OZUの向うに横たわる映画人脈・映画山脈。
それぞれの入念・それぞれの芳醇。
それを掬い上げられるかどうか(救い上げられるかどうか)漫画史家、映画史家の責任重大だ。正史の裏にも水脈は流れている。黙々と、悠々と、滔々と。

2017-10-06

カノン

本に、読み捨て・使い捨て本と生涯付き合う愛蔵本があるように、映画にも同様の別がある。その場限りの娯楽・慰安、消耗品・ディスポーザブル商品としての映画と、手元に置いて何度も繰り返し見たくなる映画。消費財映画と生産財映画・永久保存版。
速効性には欠けるが、後々じわじわ効いてくる宝の山。何かに影響を与え、新たな何ものかを生み出す映画。そんな映画をカノンと呼びたい。
Canon Kanon 語源は古代ギリシャ語:κανων、 kanōn ウィキペディアには「棒、定規、基準、規範」を意味するとある。
音楽の世界では「追複曲」。続けられ重ねられる模倣。追っかけっこ。模範・典則。ポリフォニーのひとつ。同じ対位法様式だがフーガ(遁走)とはちょっと違うみたい。(音楽知識に乏しい管理人にはこれ以上の説明は無理)
美術では、「人体部分相互比率を意味する言葉」だそうだ。f:id:kobe-yama:20171004053027j:image:rightレオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』が有名。
キリスト教ではカノン=「聖書正典」。御多分に漏れず、どの文書を正典とするかは教派によって異なる。
カメラ、OA機器メーカー キヤノンは、そもそもはKWANON「観音」由来の命名らしいが、世界に通用するブランドという願いがこもるようだ。ちなみにカタカナの正式表記は小文字のャではなく大文字 キヤノン歴史的仮名遣
他にも、「カノン」の名を冠した日本のアニメや映画も色々あるようだが、
未見ゆえノーコメント。
【オマケ】業務オーディオのジャック「キャノンコネクタ」、「キャノン(カノン)砲」などは、Cannon Kannon 別由来の言葉。「細長い筒状のもの」の意。 ……今日は知識のひけらかしデイ。

2017-10-05

フジセントラル F5

大学の講堂に設置されていたのは、平岡工業製 フジセントラルの35mm映写機 F5。カーボンアーク映写機だ。
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2本の炭素棒を接触放電させ発火、そこで生じた強い光を光源にして映写する仕組みだ。映写機本体の隣には、交流を直流に変換する水銀アーク整流器が置かれていた。  
フィル映写機そのものが消え去ろうとしている現在、カーボンアーク映写機は 更なる絶滅危惧種
大学にあった頃、既に十分煤けていたが、手入れだけは怠らなかった。その昔、映写技師が免許制だったころ、ここで実技試験が行われていた、と先輩に聞いた。 昔々 大昔の話である。
YouTubeで見つけた動画を貼っておく。
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