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2ペンスの希望

2017-08-05

ゴースト・ライター

暫らくぶりに書く。
浦崎浩實さんの本『歿 映画人忌辰抄』『歿2 映画人墓参抄』【ともにワイズ出版 刊 忌辰抄は2010年12月 墓参抄は2013年3月】を読んだ。
f:id:kobe-yama:20170805193507j:image:rightf:id:kobe-yama:20170805193506j:image:right巻末の著者紹介に「ゴースト・ライター(“代作”の方ではなく、“死魂”ライター)
とあった。雑誌「キネマ旬報」末尾 訃報頁の脇で逝ける映画人に
ついての連載を永く永く続けておられることは知っていた。その都度読んでもきた。それを纏めた二冊。 まぎれなき良著。くまなく資料にあたり、関係者に取材・インタビューを重ね、現場(墓所が多いが‥)に足を運び、自分が見聞きしたことだけを小さく語る。
当たり前のことなのだが、それが出来る器量は並みじゃない。その徹底、その誠実。
俳優や監督スタッフだけでない。映画館の支配人さんや地域で長く自主上映を続けてきた人物など、採り上げる映画人は幅広く自在だ。一冊の本に纏まることで浦崎さんの映画観、映画人観が色濃く出てくる。
それにしてもすこぶるに“目の良い”人だ。死者に届く目、死者から届けられる目。
お盆が近い。近くの図書館にでもリクエストして読んでみられたし。

2017-07-11

「残さない」

2016年に亡くなった二人の演劇人について書かれた本を読んだ。
西堂行人著『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇 』 【2017年6月
作品社 刊】
著者には悪いが、あまり感心しなかった。 それなりに真剣で誠実なのは分かるが、
浅くて軽くて鈍い。志も目の位置も低かった。もっとも蜷川幸雄についてはほとんど興味はない。大昔篠田正浩吉田喜重の映画に出ていた俳優時代を知っているだけだ。
松本雄吉については何度か語ってきたが、オールドファンのはしくれだ。だからこそ申し訳ないが、この本には不満・不足が残る。それでも松本雄吉との対談・インタビューなどには、幾つか書き残しておきたい記述・肉声があった。
忘れないようにメモしておく。
 ○ 野外劇の神髄はバラ
 ○ 「残さない」
 ○ 「あとかたもなく」
 ○ 「塵ひとつ残さず」 維新派名物「釘ひろい」
 ○ いつも手ぶら
 ○ 何も持たない
 ○ つねに両手が空いている
 ○ 出たとこ勝負
 ○ 観客にも体を張らせる そのための大胆と細心
    (観客におもねず正反対のことをやると飢えた観客が喰いついてくる)
                 ‥‥ 噛み締めてみたい言葉群だと思うのだが、 如何?

2017-07-07

〈ものまね〉

ここしばらく映画関連本のあまりの稚拙さ・駄本の連続にうんざりしていたが、
面白い本に出合った。
石井公成著『〈ものまね〉の歴史』【吉川弘文館 歴史文化ライブラリー448 2017年6月1日 刊】f:id:kobe-yama:20170707151030j:image:w360:right石井さんは1950年生の駒澤大学仏教学部教授。
冒頭に「仏教との関係の深さに注意しつつ、日本のものまね芸の源流とその展開を追ってみたい」とあった。
あとがきには
まさか「歴史文化ライブラリー」中の一冊としてものまねの歴史を書く日が来ようとは、思いもかけなかった。」とも。
ほぼ同世代、何を隠そう子供時分からものまね芸が好きだった。(もっとも 自分では全く出来ないが‥)従って、石井先生が接してきた昭和時代のものまね芸には重なる部分が多い。(もっとも 学究・教養の差は歴然だが‥)
中身については直接当たってもらうしかないが、夏の読書にはおススメ。 学者先生のたしなみ・奥行を感じる。思い付きのにわか勉強、付け焼刃じゃこうはいかない。ただ、コロッケ清水アキラクリカンビジーフォーものまね四天王タモリ清水ミチコあたりまでしか記述がないのは残念だ。梅小鉢、みかんとまでは言わないが、ファンとしては、最新 平成のものまね芸の水位まで語ってほしい。もっとそんな期待は石井さん端から承知のようで「今回は仏教芸能との関係に重点を置いたため、幕末以後は簡略な記述にとどめてある。それぞれの時代の思想とものまね芸との関連、昭和と平成のものまねの歴史については、別な機会にまとめてみたい」とあったので、期待して待とう。

2017-06-26

生ものと練り物

大衆演劇はきらいじゃない。
とはいうもののここ十年以上はご無沙汰なので、ファンとはとても言えない。それでも昔から現風研の年鑑や鵜飼正樹さん、橋本正樹さんらの本は熱心に読んできた。そんな流れで、木丸みさきさんのコミックエッセイ本『私の舞台は舞台裏 大衆演劇裏方日誌』【2014年7月メディアファクトリー 刊】を手に取った。
木丸さんは大阪大衆演劇場で働く女性スタッフだ。まだ若い。
ひとりしかいなくてもトーリョー。主な仕事は幕の開け閉めや舞台転換。重い大道具を運ぶのでがっつり肉体労働です。」と云う口上から始まる。第2話に「私がつとめている すずめ座は駅前商店街のビルの2階にある」「オープンして3年と少し 劇場になる前は小さな映画館だった」とあった。そこに描かれていた画に見覚えがあった。「1階はパチンコ屋さん」とあって確信した。f:id:kobe-yama:20170627060244j:image:right
やっぱりそうだった。
彼女の仕事場は、大阪高槻千鳥劇場」、元は「高槻セレクトシネマ」という映画館だった。(昔からのファンには「高槻松竹セントラル」という名前の方が馴染み深いかも。改装のたびに小割になって最後は確か座席数は150席くらいだった。f:id:kobe-yama:20170627060239j:image:right
運営してきたのはジョイプラザという地元の興行会社)何を観たかはすっかり忘れたが、懐かしの映画館の一つ。観た映画を忘れることはよくある話だが、出掛けたことのある映画館のことは外観、アプローチから座席の配置まで結構憶えているものだ。
時代の変化で、2011年秋に映画興行から撤退し、大衆演劇の実演場に衣替えした。デジタル化、シネコンとの棲み分け・競争に加えて、パッケージメディア、ネット配信の普及浸透もあり、当時の映画館は世代替わりの渦の中、軒並み苦戦を強いられていた。その事例の一つ。
音楽業界もCD売上げが落ち、ライブ・コンサート人気が高いようだが、映画も同様だ。
わざわざ映画館に足を運んで安くない料金を払う意味・意義が薄くなっている。生もの・ライブの一回生・体感性が売り物になる。爆音上映とかコスプレ・パーティ・イベントも増えてきた。クラッカー・紙吹雪・踊りOKのマサラ上映もある。そこまでいかずとも、監督や出演者を呼んでの客寄せトークショーはどの劇場でも盛んだ。(もっともイベントが終わるとさっと潮が引き、あとは閑古鳥という話もよく聞く。)
確かに、生もの・ライブは強い。
けど、練り物・缶詰も、本物なら負けず劣らず強い、そう思いたい。
映画だけで勝負することを願うのはもはや時代遅れなのだろうか。
追記:
今思い出したのだが、閉館した高槻セレクトシネマから十三に移ったNさんが、不慮の交通事故で亡くなって丸5年が経つ。Nさん享年33 背中に「映画命」の刺青を背負った映画人の一人だった。

2017-06-24

あいのこ

あいのこ:合いの子、間の子、混血児、‥‥。
昔はハーフといった。それが差別的だと、今はダブルと言うようになってきた。
ハイブリッドなんて表現もある。
異種交配。新しい。めずらしい。これまであまり見たことがない。
馴染みがない。今までと違う。よくわからない。そんなものには近づきたくない。
なんだか怖いと遠ざける。遠ざけるとますますわからなくなる。
けど、あいのここそ新しい文化の源泉だと思う。
分類不能、仕分け不可の深み。
何でもかんでもレッテル貼って、標本箱に収めたら一丁上がり。
これで一安心。分かった気になって、そこで思考停止。それって児戯に過ぎない。
あいのこ。間の間の間にこそ小さな神宿る。
名づけえぬもの・あいまいのものを抱えながら前に進むこと、
それが大人の嗜み、楽しみってもんじゃないのかな。