『僕らはみんな生きている』新装版(ビッグコミックススペシャル)一色信幸あとがき

おそらく未だネットには流れていないので



僕らはみんな、まだ、生きている 一色信幸


「海外の日本人て、なんか不用心だよね」
新宿の長春館で友だちとこんな雑談をしたのは、1987年暮れだった
日本のパスポートさえ持っていれば大使館がなんとかしてくれる気がするけれど、タイで麻薬に手を出せば25年の懲役か死刑以外の道はない。
「海外でひどいメにあう日本人たち」というコンセプトはこの雑談の中で生まれ、気分のノッた僕は、その夜のうちに2時間ほどでストーリーを書いてしまった。
「僕らはみんな生きている」というタイトルをつけるまでは順調だったが、そこからが難産だった。


苦境にあえぐ日本映画界が、アジアの戦争を舞台にしたカネのかかる、しかも“単なるコメディ”に大金を投じるはずはなく、スポンサーや監督が面白いようにコロコロと変わった。
主役の高橋クンを某アイドルにしてほしいという話もあった。オーストラリア・ロケならタイアップが取れるという、内容を無視したお誘いもあった。
主役が男5人だと淋しいから女優を入れたらどうかという分かりやすい提案もあった。そのうち、「病院へ行こう」などをいっしょに作った監督の滝田洋二郎さんがノッてくれたけど、カネの目処がつかないのでは企画は転がらない。


救いの手を差し伸べてくれたのが、当時スピリッツの編集長だったS氏だ。
「一色クン、このままじゃ映画化は無理だ。いちど劇画にして、ヒットさせて、それを原作にして映画にしたらどうだろう」
僕はワラをも摑む思いで、この提案に乗った。ただし、ひとつだけ条件をつけさせていただいた。作画は、山本直樹さんにお願いしたいと。
山本さんは、一般的には女を描くのが見事だと評価されているようだけど、僕は「きわめてかもしだ」などが大好きで、じつは男のいじましさを描く才も豊かだと、そこに魅力を感じていた。
男たちのぐちゃぐちゃ話を、山本さんに描いてほしいと思ったのだ。しかし山本さんは多忙な方で、身体があくのに2年はかかるだろうと言われた。この上2年だろうが3年だろうが同じことだと、僕は山本さんを待つことにした。


待っている間に、国際情勢がずいぶん変わってきた。「アジアの架空の国タルキスタンで内戦に巻き込まれて右往左往する日本人たち」という話に、当初はだれも現実感を感じてくれなかったのだけど、
天安門があり、フィリピンがあり、イラクがあり、急速に、戦争が身近なものに感じられ始めた。
結果、松竹が映画化に向けて動き出してくれた。製作費7億は、通常の映画の2、3倍の予算だが、とにかく、やると言ったらやるのである。
ちなみに、僕はこの物語の舞台となるタルキスタンの首都タルクを、トルコの東端にあるエルズルムという街をイメージして書いた。山本さんはバングラディシュのダッカを取材し、そのイメージで作画をしている。
初めての海外旅行だったそうで、ダッカは相当、強烈だったようだ。映画のロケでは、機材やスタッフの質を考えてタイで行われた。


山本さんの連載が始まるころ、映画はクランク・インした。映画をご覧いただけば分かるけれど、あれが、僕が書いたすべてである。
劇画の方は長期の連載となったため、山本さんオリジナルの挿話がいくつも加えられ、映画ではむさ苦しいセーナも、山本さんお得意のエロチックな女に変貌している。
偶然、生まれたメディア・ミックス。僕は自分の脚本から派生した映画(滝田版)と劇画(山本版)の違いを堪能した。
映画は3ヶ月のタイ合宿ロケで作られ、その勢いが、なにかマンガを思わせて楽しい。劇画の方は、戦争などの見せ場では映画に及ばない反面、情感をうまく出し、特に最終話など、映画以上の情緒を持っている。
映画が劇画になり、劇画が映画になった。


1983年に連載が完結し、映画が封切られた。長春館の雑談から6年を経て、やっと、みんな揃ってゴールした。


昨98年の秋、佐賀県の古湯映画祭で5年ぶりにこの映画に再会することになった。作品はいつかは色あせる。僕はこの映画が色あせていないことだけを祈りながら、スクリーンを見つめた。
お客は笑い、そして泣いた。画面に写るジャングルの緑や戦争の火柱は、鮮やかだった。この映画はまだ生きていると分かって、嬉しかった。そしていま、劇画も新装版として再出版される。
時の荒波を乗り越えて観客を、読者を楽しませつづけるこの“愛児”は、少なくとも、父親の僕よりは体力がある。


元気な子で、よかった。(原文ママ



僕に関して言うと、一時期、一色信幸を追いかけていた時期がありまして
学生時代に『僕らはみんな生きている』の漫画版を読んで、元の映画版っていうのが凄く気になっていたんですね
当時もう既にDVDが主流になってしまっていて、レンタル店で見かける事もなく探すのに結構苦労したものです
随分後になって視聴できたのですが
『僕らはみんな生きている(の映画)』を今更見た - のらくろぶろぐ
(感想は以前このブログでも書いていますね、ただ見たのは日付よりも随分前なんですよ)
一方で『私をスキーに連れてって』が世代的に、同調できないバブル臭みたいなものを感じてしまってどうも駄目だった
七人のおたく』も見たんですが当時の“おたく”の定義が今と変質しちゃっているので、登場人物が単にマニアの集まりにしか見えなくて、これも共感できない
たまたまピックアップした作品が悪かったのかもしれないけど、この2つで懲りてその後一色作品はご無沙汰という感じでした
そんな中、最近アニメスタイル小黒祐一郎氏のコラムで一色氏が脚本を担当した『宇宙船サジタリウス』が取り上げられていまして、再び気になったのですけど
WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第321回 『宇宙船サジタリウス』
以前ブログで書いた通り、映画の『僕らは』は決してつまらなくはなかったし、過去に『サジタリウス』のファン掲示板で一色氏本人が

>お時間があったら、「僕らはみんな生きている」を見てください。あれは、じつはサジタリウスの実写版のつもりなんです。

このように仰っていて、俄然興味が沸いてきました
ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ(8/27の書き込みより)

そんな訳で僕の中で『宇宙船サジタリウス』はいつか見ておきたいアニメ作品としてストックされましたね
しかし全77話というのは長いな
でも小黒氏も言っているけど、脚本家のカラーが反映される作品というのは個人的には好きですね
よく言われるけどアニメって複合芸術だから、純粋にドラマそのものに没入できる作品(それもオリジナルになると)って実は殆どなくて
近年だと會川昇氏の『天保異聞妖奇士』ぐらいじゃないでしょうか
画面を見なくても台詞で内容が分かってしまう作品は良くないっていうのは確かに分かりますけど、僕は結構そういうのが嬉しかったりしますね
「そういうところがお前は富野信者なんだ」と言われてしまえばそれまでですが;

僕らはみんな生きている 上 (ビッグコミックススペシャル)

僕らはみんな生きている 上 (ビッグコミックススペシャル)

僕らはみんな生きている 下    ビッグコミックススペシャル

僕らはみんな生きている 下  ビッグコミックススペシャル

宇宙船サジタリウス DVD-BOX 1

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宇宙船サジタリウス DVD-BOX 2

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