コラム 筆洗(元日弁連会長の土屋公献さん)-東京新聞(2009年9月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2009092802000084.html
http://s04.megalodon.jp/2009-0928-2131-36/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2009092802000084.html

(途中から引用)
この時の少尉候補生が二十五日に八十六歳で亡くなった元日弁連会長の土屋公献さんだ。「私が死ぬ運命だったのに少尉は身代わりになった。一度、死んだものと思い勇気を奮って生きてきた」と土屋さんは本紙に語った。

従軍慰安婦問題の立法による解決に尽力、七三一部隊の細菌戦をめぐる国家賠償訴訟などで弁護団長を務めた。戦後補償問題に全力で取り組んだのは、自らの戦争体験に裏打ちされた加害責任の自覚からだったと思う。

元少年の実名表記したルポ刊行へ 山口県光市の母子殺害事件-東京新聞(2009年9月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009092601000550.html
http://s01.megalodon.jp/2009-0927-0815-03/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009092601000550.html

同書は「国民がA(実名)君の実像をきちんととらえられていない今、彼が死刑になることが本当に社会にとって良いことか」と疑問を提起。増田さんは「匿名でも良いのではと思われるかもしれないが、私が会った人間の存在を感じてもらうため、名前は重要な要素」と述べた。

少年時の事件で家裁の審判を受けたり起訴されたりした人の氏名は少年法61条により報道が禁止され、新聞、テレビなどは光市母子殺害事件の被告を匿名で報じている。