近世・石見の廻船と鑪製鉄(児島俊平著)

 石見地域を支えていた鑪(たたら)製鉄と大田市などを中心に栄えた廻船業を結びつけてとらえ、石見の国の成り立ちと産業構成、人々のなりわいを明らかにしようとする本です。郷土の歴史を俯瞰した視点はさすが石見郷土研究懇話会事務局長の児島氏の手腕でしょう。豊富な資料に基づいた説明は説得力があり、一層の資料的な裏付けが進めば、さらに石見の姿がくっきりと浮かび上がると思います。

 江戸時代の山陰沖の日本海は、千石船が行き交っていました。しかし、千石という大きな船は、北陸などのコメの大産地が中心でした。むしろ、石見の海岸部、特に石見銀山領を中心とした大田市沿岸に藩のコメを輸送したり、たたら用の砂鉄や鉄製品を積んだ小さな「地船」がいたのです。そのことをこの本は、海岸部の問屋さんの客船帳などの資料から次々と明らかにしていきます。石見の産物、砂鉄、銑鉄、瓦、水瓶のほか、生活に必要なものはほとんど船で運びました。いまでは、浜田港などが石見で最も大きな港ですが、当時は温泉津が北前船の寄港地でしたし、温泉津の周りの大浦、和江、仁摩、宅野、久手、波根など大田市内の港が大活躍していたことが分かります。

 またこの本の画期的なのは、石見のたたらの姿のほぼ全容を明らかにしていることです。従来は、矢上盆地の鉄穴流しや、出羽鋼など、邑智郡がほとんどとみられていた石見のたたらが、海岸部にも数多くあることを網羅的に紹介しています。一つ一つの歴史はその地域に知られているのでしょうが、こうして石見のたたらの全体像を分かる形で紹介した意義は大きいと思います。とくに、大田市周辺のたたら製鉄は、山奥で行われた出雲部と違い、海岸部で行われているのです。砂鉄と木炭を船で運び入れ、製品の鉄も船で運び出します。そうなのです。石見の廻船と鑪は相互に連携して発展してきたのです。石見はいまでは、人口が減り、過疎が進む貧しい地域という印象があるように思いますが、中世の石見は苦しい中でも、廻船とたたらで一時代を築いていたことを実感できますし、平地が少ない石見の生活を廻船が支えていたことがよく分かります。

 「石見の廻船と鑪製鉄」は、いまだに石見の鑪や廻船についての行政による調査が進まない中で、石見郷土研究懇話会など在野の研究者がこつこつと研究を続けておられることに敬意を表します。

(石見郷土研究懇話会刊、2010年刊、3500円)