お婿さんショッピング・お嫁さんショッピング−『愛するということ』

素晴らしい書評は以下↓
エーリヒ・フロム「愛するということ」を読んで:
http://erinita.way-nifty.com/chiberi/2010/05/post-1911.html
エーリッヒ・フロム『愛するということ』:
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/347.htm


翻訳者の『愛するということ』につての記事:
http://shosbar.blog.so-net.ne.jp/2009-12-13


ネットでは理想の結婚相手の男性像について、

「結婚予備校がついにできた! 『希望は年収は1000万円以上で同居しなくてもいい人』」
http://getnews.jp/archives/53615

その予備校のサイトにロイターが取材した動画があるのですが、見たところ、受講者の女性がインタビューに答え、上のニュースのタイトルにある言葉を曰っていました。曰く、

「年収はっ、え〜1千万円以上ある人っ。同居を〜、しなくてもいいという人っ。え〜自分をっ、大切に思ってくれる人っ……。」

なんていう記事が話題になっていた。掲示板でやたら叩かれていた。よく考えると「同居」って相手の親との同居のことかも。まま、主題はそこではなくて、「結婚相手の条件」ということそのものだ。


男性女性に関わらず、こういうふうに結婚相手に条件を求めるというのは、まるで家電を買うかのようだ。スペックで絞り込んで・・・デザインはこっちが好み。価格.comである。お婿どっとこむ。お嫁どっとこむ。


現実的に収入がないとやっていけないのはわかる。例えば子供2人を育て、大学まで行きたいと言われた時に対応してやるためには世帯年収600万は欲しい。でもそういう結婚生活の諸問題は、お互いに話しあって結論を出したい所。条件として出されると、もう条件と結婚してくれ!と言いたくなる気持ちもわかる。


しかし問題は、結婚について「何が得られるか」ばかりがクローズアップされているということだ。本書が言うには、大事なのは「何を与えたいのか」ということ。「無条件に与え合い続けられる二人」であるかどうかということが大事なのだ。

人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。 愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない

上記の条件を出している女性も、「何が得られるか」しか考えていないし、それに対して批判的に糾弾する男性も、自分の方からまず与えるという飛躍を怖がっている。本書の著者に言わせれば、これではいつまでたっても愛のある関係は生まれないと嘆くだろう。


とはいいつつ未だ自分にも著者が言う「愛」をわかりきったと思えない。谷川俊太郎は本書について、「若いころは観念的にしか読んでいなかった。再読してフロムの言葉が大変具体的に胸に響いてくるのに驚いた。読むものの人生経験が深まるにつれて、この本は真価を発揮すると思う。」と言っているそうだ。また何か愛について悩んだときに、答えをくれない本書を読んでみたいと思う。またきっと答えはもらえないが良いヒントをくれそうだ。


本書は恋愛本というカテゴリーでくくられることが多いが、「恋」についてはほとんど書かれていない。書いてあるのはほとんど全て「愛」についてだ。
サン・テグジュペリは結婚について、「それはお互いを見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである。」と言ったが、これは本書のニュアンスで言えば「恋」から「愛」へ変わることを意味しているのだろう。結婚する前に読んでおきたい一冊である。

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版