高田文夫は高田保の甥?

http://taikutujin.exblog.jp/7323344/
退屈男さんが、「あるブログのコメント欄で〈高田文夫さんは、確か高田保の甥だったはず〉とあるのを見たが」ということで、色々調べてらしたが・・。

一八九五年に生まれて、一九五二年に亡くなっている人の甥が一九四八年生まれというのは難しい気がする。何かしらの遠縁というならわからなくもないけど、同じ高田姓とはいえ、茨城の旧家の高田家と、東京弁高田文夫の高田家では、うーん、あんまりつながりがあるようにも思えないのだけど。


それで私も検索したら、以下のような記述をみつけた。
http://www.zabutontei.com/blog/uview.cgi?20061217105044OS0.txt

出版社を経営していた父親が、可愛い長男に文雄と名づけた、
父親は文豪丹羽文雄と親交があり、わが子にと直々に拝名したそうだ。


http://moura.jp/scoop-e/seigen/pdf/20060424/sg060424_rock_01.pdf
(これは浜美雪による高田へのインタビュー)

高田文夫は一九四八年六月二十五日、渋谷で生まれ、世田谷で育った。父方は代々. 東京で. 「スクリーン」や「キネマ旬報」などを発行していた出版社を経営し 、母 方も代々渋谷で鳶の頭を務めていた。


なるほど、少し「高田保」に近くなったような。
うーん、しかし、「キネ旬」と「スクリーン」を一緒に出していた出版社があるのだろうか。現在は前者は「キネマ旬報社」後者は「近代映画社」から刊行なのだが。


近代映画社HPでは。

昭和20年10月28日先代・小杉益ニ郎によって設立された弊社は、同年12月に月刊『近代映画』を創刊、表紙は山田五十鈴さん、定価1円60銭、発行部数4万部。巻頭グラビアでは『風と共に去りぬ』が特集されていました。
翌21年5月には月刊『スクリーン』が、表紙にタイロン・パワー、裏表紙に 原節子さんのダブル表紙で創刊されました。 定価は4円80銭、部数2万部でした。
以降、『近代映画 』は邦画、『スクリーン』は洋画の専門誌として全国の映画ファンに愛されております。

とある。高田を名乗る人は全然出てこない。『スクリーン』は高田の勘違いで、『キネ旬』のほうか・・。


うーん、調べて謎が解けるどころか、かえって混乱が広がってしまったよ・・。