uh,One, Two, uh, One, Two, Three, Four !

♪ Well,it’s

ONE for the money
TWO for the show
THREE to get ready now!

Go! Man Go!
But don'tcha step on my blue suede shoes!
Well,you can do anything but
Lay off my blue suede shoes.♪


カール・パーキンスの名曲、エルヴィス・プレスリーのおハコ)
http://www.lyricsplayground.com/alpha/songs/b/bluesuedeshoes.shtml

なかなか威勢のいいミニマルなマニフェストといえるだろうか。

「1.は、カネのため、2.は、見せるため、3は、さあさあ準備よし!
 行くぞッ、ものども、いい感じだッ!
 けどよ、オイラのブルー・スウェード・シューズを踏むんじぇねゾ
 ああ、おまいら何したってかまわねえけどよ、
 オレさまのブルー・スウェード・シューズ、クサすんじゃねえぜ」

ってところだろうか。


こちとら著作権法的に海賊王になりそうな無法の世界の気配ぷんぷん(当局プンプン?!)と心細いことはなはだしいのですが、、
しかし、おゝ、そこは自由の国、アメーリカよ
かの合衆国憲法に則したいくつかの法律が
この隠れた地下のジュークボックスを保護してくれているのである。*1
そう、Subterranean Juke Box
(タイトル、こっちのほうがよかったかいな)目指して
ロックの名曲ズラリと揃えて、オイラのDJで、たまにはオリジナルも混ぜながら
太陽の周りを回りながら地下の禁煙バーでグングングルグル踊ろうじぇいズ
C’mon Let’s Go!


タイトル表示

      komasafarina's
∮SOMETHIN’CELEBRATION∮
     IS GOIN’ ON


のつもり、ちゃんとできないもんでズレてたらダブいハンキーパンクなパンキッシュ

(ジャッケット写真は2枚づつ×6段のつもりなので、こちらはブラウザーのウインドウ幅を調節して見てくださいねー)


では、よろしく! 

(本番まいりまーす)、
あ、わん、あ、つー、
あ、わん、つー、すりー、ほーーーー!

*1:「合衆国法典」U.S. Code Collenction TITLE 17 > CHAPTER 1 > § 107 参照。

Blue Suede Shoes

Words & Music by Carl Perkins.

(1956年発表)




(原題直訳 「ブルーのスウェードの靴」)




You can listen to Carl Perkins album, "Original Sun Greatest Hits".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆

(カール・パーキンズ)



Also you can listen to the first RCA Elvis Presley album, "Elvis Presley".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

エルヴィス・プレスリー登場」 (エルヴィス・プレスリー



Also you can listen to John Lennon / The Plastic Ono Band album,
"Live Peace in Toronto, 1969".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

「平和の祈りを込めて〜ライヴ・イン・トロント1969〜」
ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド





歌詞は、次のURLから
http://www.geocities.com/SunsetStrip/Alley/8250/lyrics/blue_suede_shoes.html




名曲度 ☆☆☆☆☆





邦題 「ブルー・スエード・シューズ」 (カール・パーキンズ)







Well, it's one for the money,
そう、まず第一にはカネのため
Two for the show,
第二は舞台のため*1
Three to get ready,
第三はとくりゃ、準備はできたぜ
Now go, cat, go.*2
さあ、行こう、おまえもだ、行くぜ




But don't you step on my blue suede shoes.
だがよ、おれのこの青いスウェードの靴は踏むんじゃねえぜ
You can do anything but lay off of my Blue suede shoes.
おまえら何やったってかまわねえけど
おれのこの青いスエードの靴には
ちょっかい出すんじゃねえ




Well, you can knock me down,
まあ、おれのことブッ倒したってかまわない
Step in my face,
おれのツラに泥を塗ったり
Slander my name all over the place.
おれの名前を出して
そこらじゅうで悪口言ったってかまわねえ




Do anything that you want to do,
何だって、おまえらのやりたいことをやりゃあいい
But uh-uh, Honey, lay off of my shoes
けどよ、そこのかわい子ちゃん、おれのこの靴には口出しすんなよ
Don't you step on my blue suede shoes.
おれのこのブルーのスウェードの靴のことをガタガタ言うなよ
You can do anything but lay off of my blue suede shoes.
おまえが何をしたってかまいやしねえが
おれのこのブルーのスウェードの靴のことは とやかく言わせやしねえからな




You can burn my house,
おまえら
おれんちに火をつけたってかまわねえ
Steal my car,
おれのクルマを盗んでったっていい
Drink my liquor from an old fruitjar.
おれの大事な広口のフルーツ瓶からおれの酒を飲んだっていい
Do anything that you want to do,
おまえら、何でもやりたいことをやったらいい
But uh-uh, Honey, lay off of my shoes
だがよ、ほいほい、かわい子ちゃん
おれのこの靴には手を出すんじゃないぜ
Don't you step on my blue suede shoes.
おれのこの青いスエードの靴を踏みつけにするんじゃねえぞ
You can do anything but lay off of my blue suede shoes.
おまえら、何したってかまいやしねえが
おれのこのスウェードの青い靴にはガタガタ言わせやしねえからな






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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こういう粋がりというか、ツッパリというか、何というのか、そのものズバリの言葉が思いつかないが、ようするに「オレのこのブルー・スエード・シューズを踏むんじゃねえぜ!」という、この心意気(!)、
これはロックンロールには不可欠の精神だろう。
言ってみれば、結局は(そうだなあ)弱者*3の自尊心とそのシンボルということになるわけだが、
こういう粋がりというか、意気込みというか、
弱者が強く生きることを要請される社会ではごく自然の生き方ではあるだろう。
ツッパリとは、早い話が「背伸び」である、それは若い魂にはごく自然な表面張力である。(だから、それが崩れて、こぼれてしまっては話にならない)。要するに若さゆえの強がりであり、虚勢である、自分を自分以上のものに見せる(ファッション)、自分を自分以上のものに思う(夢やファンタジー)、おそらく、ロックンロールの原動力というのはそこらへんにあるのだと思う。そして、うまくすると、いつしか本当に人は自分以上のものになっているし、そういう自分として自分が他者から「認(め)識(られ)」、「受(け)容(れられ)」ているのを知ることになる。そのときこそ初めて(親に植えつけられたニセの歪んだ)自尊心ではなく、自分で培養した自家製の(それこそ)「プライド」とか「誇り」という言葉で呼ぶにふさわしい本物の(それこそオリジナルな)自尊心が生まれ、(そうなれば当然、その作用、働き、機能からして)他者への愛や理解や認識、(ひとことで言えば)思いやりも生まれてきて、弱者もいつしか強き者となる。強気のチンピラから強き者への成長物語というべき一種の「ビルドゥングスロマン」の側面がロック・スターたちの成功の物語(それはまた成長の物語でもある)には多く見てとれる。

*1:「見せるため」と理解してもいいかもネ。

*2:サム・フィリプスのアイデアで当初の「go, man,go」を「go, cat, go」にチェンジして、カントリーっぽさからブルージーなロックっぽさを出そうとしたと伝えられる。

*3:社会的な自分の居場所を大人としてはもちろん、もはや子供でもなくなってしまい、見出すことのできない当時のティーネージャー(十代の若者)は、アメリカ社会で二級市民扱いの黒人たちと非現実的超越的に連帯感を覚えることのできる感受性をそなえていたのだろう。だからこそ、白人のヒルビリー・ミュージックと黒人のブルースやリズム&ブルース、そしてニューオーリンズならいささかのラテン・ミュージックなどからなるハイブリッドな音楽としてのロックンロールが共有され、普及していくことになったのだと思う。基本的に弱い者の音楽、もっと言えば「弱者の遠吠え」であるというのが、わたしの50年代ロックンロールについてのメモの核心だ。正し、それが嘆きや諦めへと収束してしまわない、力の発現、可燃性、可爆性のあるところがまた翻ってロックンロールの本質的なところ、あるいはコアというべきところとなっている点に最大限に注目、注耳しなければならない。その部分が今日まで聖火のようにして受け継がれてきているのだ。「星火燎原、燃えるぜ、ロックンロール・スター」って歌が書けそう(笑い)