【桑折の歴史】半田銀山の歴史と五代友厚さん

ホタピー
みんな、朝の連続テレビ小説あさが来たはみてる?
これは、江戸時代から明治時代の歴史をもとにした、ヒロイン「あさ」の一生を描くお話。
それでね、あさが来たの中では、「あさ」と関わる人がたーくさん出てくるんだけど、その中で五代友厚(ごだい ともあつ)っていう人について、ちょこっとお伝えしたいんだ。
あさが来たの中では大阪の発展のために尽くした人として登場して、まだ外国の言葉を知ってる人が少ない時代に、外国のことをたくさん知っていて、「カンパニー」「バンク」なーんていう横文字のセリフもさらっとカッコよく言っているね

え?それでこの人は一体だぁれ?」って思う人もいるよね。
実はこの五代友厚」さん桑折町の歴史とも深くつながりのある人なんだよ
桑折町には昔、半田銀山があったのは知ってるよね。この半田銀山五代さんと深く関係があるんだ。
半田銀山は、江戸時代のほぼ終わり(1864年)まで金や銀を掘って、幕府の財政(つまりお財布)を支えたんだけど、その後は他の人が経営したり、掘ることはお休みしたりしていたんだ。
だけど、1874年五代友厚さん半田銀山を掘ることを再開したんだ!
この五代さんはとってもすごい人で、いろんなことをしちゃうんだ。
たとえばね、半田銀山から銀(ぎん)を取るにはたくさんの応援が必要!ってことで、当時の明治天皇桑折町に呼んで現場をみてもらうこと(行幸 ぎょうこう)を実現させたんだ。
それでね、この行幸の時には一緒に来ていた木戸孝允(きど たかよし)さんっていう人がいたんだ。知ってる人も多いと思うけど、醸芳っていう名は木戸さんからこの時に受けているものだから、五代さんがいなかったら「醸芳」っていう文字も無かったとも言えるよね!
五代さん、すごーい!!
しかも、1884年には半田銀山の銀を掘った量は最大になったんだって。

それからいろーんなことがあって、1944年には五代さんのおうちが半田銀山に関わることは無くなってしまったけど、半田銀山は大阪・日本の発展をかげから支えていたんだね!
朝ドラと桑折町にこんなつながりがあったなんて、まさにびっくりぽん!

あさが来た五代さんをみた時には、桑折町の歴史についてもちょこっと思い出してくれたら嬉しいな