Hatena::ブログ(Diary)

苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳

2016-07-25

キリストの道


6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。 6:6 それで、兄弟兄弟告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。 6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。(1コリント6章5-7節)

 コリント教会の中の兄弟信徒)どうしの間でもめごとがあり、その解決をこの世の不信者々の法廷に求めたことについてパウロは憤っている。教会の中に仲裁はいないのか、と。

 さらにパウロは、「俺が正しい。お前が悪い。」「いや、私が正しい。あなたが悪い。」と、善悪を論じて訴えあっていること自体、敗北だという。善悪を論じるのはこの世の神を知らぬ人々の仕事キリスト者自分十字架を背負えばよいのだ。御子の足跡を慕いつつ。

2016-07-23

愚かな誇り

あなたがたの間に不品行があるということが言われていますしかもそれは異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。」1コリント5:1,2

 5章には教会における「戒規(訓練・譴責)」について記されている。コリントという町は、korinthiazestai「コリント風に生きる」という、不道徳快楽的な生き方をするという意味動詞があったほど、享楽的な町だった。コリント形成されていた教会の群れにも、その影響が及んでいたことが、今朝のことばからうかがえる。

 問題は、コリント教会ではこうした不品行を放置し、しかも、それについて誇り高ぶっていたということである。何を誇り高ぶっていたのだろうか?おそらく「救いは律法の行いによらず恵みによる」という教理自分たちは知っているということを誇り高ぶっていたのだろう。人が神の前に義とされるのは、律法の行いによるのではなく、その信仰によるのだから、不品行を行っていても放置していてもよいのだという無律法主義者の愚かな誇りであろう。

 ますますコリント化する現代社会の中にあって、恵みによって神との関係回復していただいた自由の中で、きよい神の民にふさわしく生きる者でありたい。律法主義の罠も、無律法主義の罠ものがれて。

 

2016-07-22

私にならう者と

「ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。」1コリント4:16


 「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」と揺れ動いているというコリント教会騒動の噂を耳にして、パウロは心痛めて手紙を書いている。そして、「私にならう者となるように」と勧める。「キリストイエスにある私の生き方」(4:17)に倣いなさいというのである

 大胆な勧めだなと読むたびに思ってきた。教える立場にある者としては、「私を見ないでキリストを見てください」と逃げたくなるところだ。だが信仰の真理というのは、ことばは大事だが、ことばだけの知識の切り売りですむものではなく、たしかに模範によって伝えられるものなのだ。

 もちろん、パウロ自分が完全な人間であるなどとは思っていない。それどころか「罪人のかしら」である自覚している。しかし、その弱さのうちに働くキリストにある神の力によって、日々悔い改めつつ生かされている、この私に倣って生きよというのだろう。

2016-07-21

憲法に「緊急事態条項」を加えると・・・

 トルコクーデター未遂事件が起こり、3ヶ月の非常事態宣言がなされた。自民党憲法改正草案には「緊急事態条項」があり、大災害時などに備えて、これが必要なのだと説明宣伝しているが、緊急事態を口実に政府独裁を許してしまう相当に危険性のある条項であることが、トルコの状況を見ると実感できる。他山の石

トルコ、3カ月間の非常事態宣言 反乱分子排除大統領が表明

東京新聞2016年7月21日 12時48分

 【アンカラ共同】トルコエルドアン大統領は20日夜、首都アンカラ演説し、クーデター未遂を受けて3カ月間の非常事態宣言すると表明した。大統領は、反乱の黒幕と断定した在米イスラム指導者ギュレン師を念頭に「テロ組織関係者を全て排除する」ことが目的だと訴え、憲法範囲内で民主主義に反する措置ではないと強調した。

 トルコメディアによると、非常事態宣言によって大統領議会に諮らずに法律施行可能になる。既に国家公務員だけで5万人を公職追放した反乱勢力の大規模な粛清が、さらに勢いを増す恐れがある。

以下、憲法学者木村草太さんの「緊急事態条項」に関する見解を再掲載しておく。

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016030100008.html?iref=wr_fbpc

 第一に、緊急事態宣言中、内閣は、「法律と同一の効力を有する政令を制定」できる。つまり、国民代表である国会の十分な議論を経ずに、国民権利制限したり、義務を設定したりすること、あるいは、統治に関わる法律内容を変更することが、内閣権限でできてしまうということだ。例えば、刑事訴訟法逮捕要件内閣限りの判断で変えてしまったり、裁判所法を変える政令を使って、裁判所権限を奪ったりすることもできるだろう。

 第二に、予算裏付けなしに、「財政必要支出その他の処分」を行うことができる。通常ならば、予算の審議を通じて国会行政権が適性に行使されるようチェックしている。この規定の下では、国会監視が及ばない中で不公平復興予算をばらまくといった事態も生じ得るだろう。

 第三に、「地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」。つまり、地方自治内閣意思制限できるということだが、これも濫用危険が大きい。

 例えば、どさくさに紛れて、首相の意に沿わない自治体の長に「辞任の指示」を出すような事態も考えられる。実際、ワイマール憲法下のドイツでは、右翼的中央政府が、緊急事態条項を使って社会党系のプロイセン政府指導者罷免したりした。今の日本に例えると、安倍内閣が、辺野古基地問題対立する翁長沖縄県知事罷免するようなものだろうか。

 第四に、緊急事態中は、基本的人権の「保障」は解除され、「尊重」に止まることになる。つまり、内閣は「人権侵害をしてはいけない」という義務から解かれ、内閣が「どうしても必要だ」と判断しさえすれば、人権侵害が許されることになる。

 

 首相緊急事態条項世界中どこの国でももっているものだというが、例のごとくウソか、官僚のレクチャ鵜呑みにしただけのせりふである

 

 つまり、アメリカ憲法は、大統領議会招集権限を与えているだけだし、ドイツ憲法も、議会権限手続き原則修正するだけであって、政府独立立法権限を与えるものではない。また、フランス韓国憲法規定は、確かに一時的立法権限を大統領に与えているものの、その発動要件はかなり厳格で、そう使えるものではない。

 これに対し、先ほど述べたように、自民党草案提案する緊急事態条項は、発動要件曖昧な上に、政府権限不用意に拡大している。

 他の先進国憲法比較して見えてくるのは、自民党草案提案する緊急事態条項は、緊急時独裁権を与えるに等しい内容だということだ。こうした緊急時独裁条項を「多数の国が採用している」というのは、明らかに誇張だろう。

<追記7月23日

 トルコクーデターは、エルドアン大統領自作自演ではないかという推測が出ています。あるいは事前に情報キャッチしていたが、それをあえてやらせて、この機に乗じて、緊急事態宣言を出して、大統領立法権まで掌握して、反対派をすべて処分してしまうつもりではないか、とも言われています大統領立法権を得たので死刑復活まで示唆しています

 1933年ヒトラー国会放火事件を起こして、これは共産主義者のしわざだと断定して、「大統領緊急令」を発して、ヴァイマール憲法の定めた基本的人権を停止して共産主義者を徹底弾圧しました。さらに社会民主主義者も国会から追放しました。・・・なんだか、構図がそっくりに見えますが、真相は藪の中です。

 私たちにとっては他山の石です。現在、公にされている自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」のねらいが、上記のようなことをするためであるかどうかはわかりません。しかし、草案条項のままであれば、容易に上記のような悪用をされうるものであることは事実です。超巨大地震がせまる状況にあって、なんらかの緊急事態条項必要であるとするならば、独裁に陥らないために適切な歯止めをかけておかねばならない。

2016-07-20

目からウロコ・・・筋肉緊張性の腰痛のしくみと改善

 たまたま見つけて目からうろこでした。要点は次のとおり。 

 腰痛の9割は、筋肉が緊張することによって生じているそうです。したがって、筋肉の緊張を緩めることで痛みは解消する。

 筋肉の緊張をゆるめるために、決してしてはならないことは4つ。たたく、強く押す、もむ、引っ張ること。(私はみんなやってました。)

 では、どうやって筋肉の緊張を緩めるか?あまりにも簡単なので、びっくりしました。お試しあれ。

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大切なのは神

3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。(1コリント3:6,7)

 コリント教会パウロ開拓したのち、アポロが訪れて、その成長を助けた教会だった。結果、教会内には、開拓当初から信徒からなるパウロ派、途中からアポロ薫陶を受けたアポロ派といったものが生じていた。それが、ギリシャ的な文化の影響だろうか、知識にかんする誇りというかたちで現れていたようである。「パウロ先生こそこの群れの開拓者でありもともとあの大学者ガマリエル門下の俊才である」とか、「いやいやアポロ先生は学都アレクサンドリア仕込みの名調子の雄弁ではないか」というような争いだったのだろう。

 しかし、植えた者、水をまいて育てた者がいたとしても、育てたのは神ではないかパウロアポロもともに神のしもべにすぎないと使徒は説得する。私たちの名で教会が分裂するなど、神の前の不名誉は甚だしい。また、それを内部で争ってどうするのだ、神殿である教会をそんなことで破壊・分裂させたとしたら、それは神の前に恐るべき罪だ、と警告する(16,17節)。

 パウロ派、アポロ派、ルター派カルヴァン派、ウェスレー派などなど、パウロにせよカルヴァンにせよ、もし彼らが自分の名が冠せられた派が生じたことをもし知りえたならば、「そんなことは止めてくれ。」と嘆くのではなかろうか。たしかに単に区別するために、なんらかの命名は必要なのだろうが、その人の名を誇ったり、けなしたりというのはやめにしてほしい。