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苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳

2017-06-27

丸山忠孝先生特別講義「ルターとカルヴァン」

 今日から三日間、恩師丸山忠孝先生特別講義ルターカルヴァン」です。

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 今回の特別講義に先立って、教え子の私に丸山先生の紹介をするようにと指名されましたので、用意したものです。

 丸山忠孝先生東京都のご出身で、青年時代杉並長老教会小畑先生薫陶を受けられ、主に召されて献身し、東京基督神学校に聴講の後、1962年 東京基督神学校より派遣されて、米国、カベナント神学校ウェストミンスター神学校卒業イェール大学神学部卒業プリンストン神学校卒業。その後、ジュネーブ大学神学部宗教改革研究所教会史教理史を研究され、1973年 ジュネーブ大学神学部神学博士号を授与されました。しかし、丸山先生はその後、宗教改革史の気鋭の研究者として将来を嘱望される場を後に捨てて、日本の貧しい教会に仕える神学教育のために帰国されたと小畑先生よりうかがっております帰国後は神学教育に挺身され、東京基督神学校校長、東京基督教短期大学学長東京基督教大学初代学長歴任され、2000年その任を終えて後、現在米国シアトルにお住まいです。

 先生代表的なご著書は、The Ecclesiology of Theodore Beza : the reform of the true Churchです。ある学術文献紹介誌で調べたところ、この本は斯界で最も広く受け入れられているベザ研究の基本文献4冊のうちの1冊です。また、日本ではごく最近教文館からカルヴァン宗教改革教会論―教理研究』を出版されました。

 私が東京基督神学校神学生として、丸山先生のもとで学んだのは、1982年から85年の3年間です。神学校教育は釈義神学組織神学歴史神学実践神学にわたってオールラウンドになされますが、振り返って、私にとって最も力となったのは、丸山先生教会史でした。それは、丸山先生の透徹した教会史観と情熱のこもった講義をとおして、二千年間の教会の主のしもべたちの命をかけときに命を捨てた生涯を学んだことと、「教会国家」という観点をしっかりと据えられたからでした。

 丸山先生のおことばのうち、私の伝道者としての歩みを導いたことばを三つ紹介したいと思います。一つは、「みことば楽観主義」です。聖書福音が正しく説教されるところに教会は生まれ育つという信仰です。一つは「説教から語られることばは目の前の会衆、あるいはプロテスタント教会だけでなく世界教会に向けてのことばである」ということ。もう一つは「負け馬に賭ける」ということです。

 最後に少々丸山先生にまつわる個人的思い出を申し上げます神学校では毎年神学生たちが数チームに分かれて、夏期伝道に出かけました。私は二夏、丸山先生に同行していただきました。茨城県リーベンゼラ下館教会に出かけたときには、一週間のご奉仕最後の晩、みなで銭湯に出かけました。その時、レスリングではありませんが、あっというまに丸山先生にバックを取られまして、「私が先生背中を洗います」と申し上げたにもかかわらず、拒まれて先生が私の背中を流してくださいました。私にとって先生は、主のしもべとして仕えるということに、頑なまでに真剣な方です。

<追記>

 そう、葉隠武士みたいな先生なんです。

こちら参照→  http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091011/p1

2017-06-26

信じる者は・・・

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 このみことば、24年前に小海開拓伝道に立つという志を吉持章先生お話ししに行ったおりに、先生からいただいた瓢箪に記してくださったみことばです。

2017-06-22

視点をもつことの有用性と限界

 人はどうも世界観統一視点というものを持ちたいらしい。そのためには、ある視点もつことが必要であるが、世界を造られたのは神であるから本来的には、神以外にふさわしい視点存在しない。しかし、人は神を認めたくないので、神以外のものすなわち被造物のうちの一側面にすべてを還元して説明しつくせるというふうに主張しがちである。それがもろもろのナントカ主義の正体であるヘルマン・ドーイウエルトがこのように語っていた。

 たとえば、その昔ヘーゲル主義者たちはなんでもかんでも正反合で説明して満足していた。マルクス主義流行したころは、「下部構造経済)が上部構造道徳宗教芸術)を規定する」などということが言われた。あるいは、十数年前には「あの人はAC(アダルトチルドレン)だ」という風なことが流行った。その観点から、人の性格傾向をみな説明できるような気がしたのである。あるいは、悪霊問題に少し経験をもった伝道者が、故障したカギに向かって「悪霊よ出て行け」などという馬鹿らしいことも聞いたことがある。人間には、マスターキーを持ちたいという衝動がある。

 神学聖書学においても、そういうことはありがちで、やはり時代によってナントカ学派というのが登場するのはそのせいであるヘーゲル哲学の影響を色濃く受けたテュービンゲン学派は、新約聖書成立を聖書本文の証言以上に「正反合」の弁証法観点を重んじて新約聖書各巻の成立年代推定するなどという無茶なことをしていた。旧約聖書については宗教進化論を当てはめようとするというこれまた無茶なことをしていた。

 今は「物語」として聖書を見るということが流行しいるようで、誰もかれもが「物語」ということばを口にしているが、しばらくすれば、その限界も見えてくるだろう。また、ユダヤ黙示文学視点から聖書を読もうということが流行しているようである。黙示文学視点で、福音書パウロも全部説明できるという人が出てくるだろう。だが、その視点から見えてくることもあるだろうが、何年かすれば、きっと「あれは言い過ぎだったねえ」ということになる。

 新しい視点を持つと、その視点から今まで見えなかった風景が見えると同時に、見えなくなる景色もあることを忘れてはいけない。視点有用性とその限界をわきまえることが大切である

 

2017-06-17

ファシズムの初期症候

ファシズムの初期症候 / Early Warning Signs of Fascism(日本語訳版)」

(ローレンス・W・ブリット起草/米国ホロコースト博物館展示パネルより)

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 今の日本、危なくなっていますねえ。

インマヌエル その広げた翼

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 このところ、加計問題共謀罪法などをめぐる国会における安倍政権の不誠実きわまりない答弁や官房長官卑劣コメントを聞かされてきて、この国を覆う闇の深さに暗澹たる思いになっていた。しかし、今朝のみことばは、なおも忍耐し翼を広げていてくださる主を見上げようという思いにさせてくださった。

2017-06-15

ライフラインの集い

 苫小牧で、ライフラインの集いを開催しました。今回は原田牧師と、津軽三味線新田昌宏兄でした。ひどい雨にもかからわず、昨年よりもかなり多くの人たちが集ってくださいました。もしかしたら、事前に配った「苫小牧通信」での宣伝効果があったのかもしれません。嬉しかったです。

 新田流二代目はほんとに名手でした。びっくりしました。原田先生は昨年、娘さんを急に天に送られたことを知りました。永遠生命現実について話してくださいました。