BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

 某証券会社の方に強く進められて読み始めたのだが、非常に面白かった。「国策捜査」というものの一端をかいま見たような気がする。関係ないことだが、著者の佐藤氏は私の高校の先輩に当たることがわかった。佐藤氏も、あの浦和から古河まで走りきるという11月3日「文化の日」に行われる「強歩大会」に出たのかなあと思うと、ちょっと親近感が沸いてしまうが、どうだろ、氏の反骨ぶりからすれば出ていないのかもしれない(笑
 本書の内容で一番面白かったのは、「国策捜査」は「時代のけじめ」であるということ。「ケインズ型」経済(これについてはケインズ型と一概に言ってしまった良いのか、個人的には疑問ではある。私の理解では、ケインズ主義は「大きな政府」という意味では正しいが、地方と中央の予算配分の問題についてはケインズは厳密には言及していないと思う)から「ハイエク型」への移行、及び「国際協調的友愛主義」から「排外主義的ナショナリズム」への移行という「時代のけじめ」を明示するということ。この部分の論説には非常な説得力を感じてしまった。
 私は個人的には「ハイエク自由主義」については比較的親和性を持っているのだが、「排外主義的ナショナリズム」へは、強烈な抵抗感を持っている。ただ日本の潮流が明らかに「ポピュリズム」「劇場型政治」にある以上は、避けられない事態なのかもしれない。
 ただ、我々の業界内でもここ最近ではあるが、ある種の「ナショナリズム」の昂揚を感じることはある。例えば、PCのOSなどは基本的にはMS社の「ウィンドウズ」を使っていることが多いわけで、一国全体の産業構造という意味で言えば、今後は「ソフトウェア」が大きな比率を占めていくことになるのは有る意味明らかであって、その根本的な部分を米国企業に独占させていいのか?というのは、色々な切り口で「?」が投げかけられている(セキュリティの面でもそうだし、その他色々な切り口がある)。私の個人的な立場を言えば、「いいものはいい、悪いものは悪い」ということだ。外国産であろうとよければよいし、国産であったもだめなものはだめで、誰が国内市場を制圧しようと、その国籍はけっこうどうでもいいと思っている。
 さはさりながら、私も一応はそれなりに「愛国者」ではあるので(苦笑)、日本の産業としての「IT」がそれなりに強化されていって、よいものが作れて世界展開でき、日本の国力の向上に少しでも資することができれば、それに越したことはないし、そのためにIT産業の再編劇があるのであれば、(自分の裁量でどこまでできるのかは分からないが)積極的に関与していきたいという思いはないわけではない。
 ただ本書の通り、「時代のけじめ」が週刊誌の記事だのテレビの愚かしいコメンテーターの発言だったりするのが、この国の問題なのだ。このあたりについてはまったくもって同感。

 それはそうと、本書からのぞき見できる氏の硬骨漢ぶりにはすがすがしさとかっこよさを感じてしまった。氏の今後の人生に幸多かれ、と祈りたい。