kurakenyaのつれづれ日記

2016-07-24 政治的無知

民主主義と政治的無知 ―小さな政府の方が賢い理由

民主主義と政治的無知 ―小さな政府の方が賢い理由



さて,今日は「民主主義政治的無知」という本を読んだので,この内容について少し.


1章は,アメリカ国民がどれほど一貫して政治的無知であり続けてきたかの確認.これを受けて2章は,ハバーマス的な「熟慮民主主義」とか,「討論型民主主義」と呼ばれるような,政治的議論はまったく非現実的であることを説明.3章は,経済学ではよく知られている「合理的無知」の議論,4章は,情報ショートカットによってこうした無知を克服することは難しいこと.5章は「足による投票」のほうが,政治的投票よりは実現可能性が高く,現実的であること.そして6章は,違憲立法審査権という制度は,民主主義に基づかないため,民主主義原理とは相反するものだが,にもかかわらず,その正当性有権者無知によって,これまでよりも高いものであるだろうこと,を論じます


経済学者であれば,1章の合理的無知の話については,理解・納得していることでしょう.投票行動が「実際に」影響をあたえる可能性はゼロであるため,「合理的な」人間であれば,政治について知るインセンティブは持っていません.


これを受けて3章の内容では,(ブライアンキャプランなどが主張するように,投票結果ではなく投票行動そのものが単なる自己満になっているために),人びとは(例えば,自由貿易否定など)バイアスの掛かった選択をしがちであるといいます


5章の「足による投票」もまた,経済学ではすでに十分な議論があります.実際に日本でも,子育てにやさしい自治体に引っ越すというのは,よく聞きます日本にはあまりありませんが,ゲート・コミュニティというのはアメリカでは,非常に普通に見られます


というわけで,ここまではむしろこれまでの経済学議論では,常識とも考えるべき内容です.



ソミンの著作の意義と新味は,通常民主主義原理に基づかないと否定的に捉えられることの多い「違憲立法審査権」は,こうした政治的無知現実からもっと肯定的に捉えられるべきだという主張にあります.実際,僕はこうした意見を聞いたことはなかったように思います


これは,ある意味で,ハイエク的「立法 vs 自然法」という視点であり,違憲立法審査権というもの自然法体現したものであり,自ら愚行を犯す傾向を持つ民主主義的な立法行為否定するものだと考えることもできそうです.

政治哲学はいう分野であっても,「有権者現実には無知である」という事実命題理解した上で,論理を展開したほうが説得的です.少なくとも,そうあるはずではないでしょうか? その意味で本書の良さ,意義というのは,現実を踏まえたうえで,オーストリア経済学的と整合的な政治哲学の新しい視点を展開していることでした.


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2016-07-21 愚行権はあるが,,,

皆さん,こんにちは


今日は近所のイオンに行きました.確か20年ほど前にジャスコとしてできたあと,10年ほど前には近所にイオンモールができたので,人気がなくなっていました.このところ行く機会がなかったのです.


久しぶりに行くと,随所にソファが置かれてスペースがゆっくりととられているのは結構でした.しかし,なるほど老人を集めて,ヘルストロンのような健康機械を売りつける常設スペースもあり,20人ほどの高齢者に向かって担当さんが熱弁を振るっていました.なんでも「頭痛肩こり便秘,不眠」なんかに効くんだと.まあ,医者要らずですな,ホントなら...


こういった商品は本当に難しい.まさに詐欺と,ある種のサービスとしてのセラピー,あるいはプラセボの間に位置しているものというべきでしょう.(ちなみに僕の実家でも,これまでに少なくとも2百万以上は騙し取られています.)


なんの意味もない施術でも,「効いたはず」といわれれば,その担当さんが良さ気な人なら,誰でも効いたようなプラセボ効果が生じるものなのでしょう.僕の住んでいる名古屋でも,働いている岐阜でもまったく同じ効果のない詐欺機械を売りつけるスペースが,まさに急速に増殖しているのです.


これを高齢社会の抱える(振り込め詐欺と同じ)問題だと捉えることもできますし,あるいはパチンコと同じように高齢者へのある種のサービス提供だと考えることもできます.おそらく資本主義的な拝金主義唾棄する人たちは,当然に前者だと感じているでしょう.まあ,ぼくも総じて言うなら,そういう風に感じています.


人間には誰にも愚行権がある! というのはリバタリアンの口上ですが,おそらくこれは高齢社会問題というよりも,ヨーロッパホメオパシーアフリカヴードゥー医療と同じように,むしろ人間本質なのでしょう.


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2016-07-18 インフレ期待のナゾ

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こんにちは

前述したように,2013年から異次元緩和が始まる前,マネタリーベースは120兆円でしたが,今年7月には400兆円を超えているところからすると,すでに3倍以上のインフレポテンシャルマグマのように溜まっているはずです.とはいえ,マネタリーベース銀行乗数をかけることでマネーサプライになります.このマネーサプライはここ25年の間に1.5倍ほどにしかなっていません.おまけに,異次元緩和とはほとんど無関係に,一定率でしか増加していないのです.よほど有望な融資投資先が見つからないということなのでしょう.


それにしても,インフレ期待がここ3年をとっても1%をゆうに下回っているのはフシギです.マネーサプライが数%以上で増加しているのに,10年もの国債のBEIを見ると0.5%ほどなのです.少なくとも債券ディーラーたちが,今後10年の平均的なインフレ率が0.5%ほどだと考えているのは間違いありません.


これは大きな謎です.僕が大学時代サムエルソン(今はサミュエルソンという表記ふつうのようです)を読んだ時に,すでに貨幣数量説はマネタリズムの標準公理になっていました.どの程度でマネーサプライのすべてがインフレとなるのか?  これは大きな謎ですが,もっとなのはメジャーなマクロ経済学者たちが,それを問題にさえしていないことの方です. 


価格革命は200年以上かけて,ヨーロッパインフレをもたらしました.あるいは元禄時代の改鋳でも,数年から数十年はインフレが続いたようです.そうすると貨幣数量説が成り立つ「長期」という概念は,異次元緩和から3年の現在ではなく,あと数年から(あるいは)数十年というスパンであり得るのかもしれません.


これが物理学とかであれば,公理系の破れというのは大問題になると思いますが,残念ながら,やはり経済学ソフトサイエンスだということなのでしょう.



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2016-07-01 自動運転のリスク

こんにちは


テスラ自動運転フロリダ事故死が起こったとのことです. まあ,絶対安全技術なんてないし,現在はその段階でもあるはずもないので,すぐに事故死が起きて報道されるだろうと思っていました.


もちろん問題事故死が起こったことではなくて,人間が運転する場合と比べて安全なのか,それとも危険なのか? 


テスラモデルSやモデルXは常に会社サーバーと連絡しているので,走行距離モニターできるのが良いところです.テスラの報告によると,すでに2億キロを走っているデータからすると,人間の運転よりも2倍ほど安全だということらしいです.


https://www.technologyreview.com/s/601822/fatal-tesla-autopilot-crash-is-a-reminder-autonomous-cars-will-sometimes-screw-up/


おそらく運転が下手な人よりはすでに安全であり,上手い人に比べれば危険だというほどでしょうか.まだ技術が生まれたばかりの最初期であることからすると,今後は高速道路だけではなくて,一般道でも圧倒的に安全になりそうです.こうした事件自動運転反対のタクシートラック業界に利用されないように願うところです.


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2016-06-29 デフレと資源配分





皆さん こんにちは


デフレインフレの逆でしかないので,ガチガチ合理主義者にとってはほとんど同じようなものです.予期しないデフレは,借り手から貸し手への富の移転を伴いますが,それ以外は,デフレ予測されている限りは特段の問題はないはずです.


ところで,唯一興味深い話題としては,最近八代尚宏さんや原田泰さんなどの市場重視系の経済学者が,デフレ若者を貧しくして,老人へと資源移転させると批判していることです.確かに,


1.デフレ金融資産特に単なるタンス預金銀行預金価値を高め,若者賃金相対的に下がります


2.年金デフレスライドするのが稀なので,現実的には,老人の年金は割増状態になってしまます


3.消費税は年令を問わず富裕層の消費にかかりますが,その実施を遅らせるということは,つまり現在の富裕な高齢者から税を取るのをやめて,若年世代未来に先送りして支払わせようとすることです.


こうしてデフレが続くことで,若者賃金に比べた高齢者資産は上がり,ただでさえシルバー民主主義の悪弊がひどいのに,さらにそれが悪くなるという主張なのです.


なるほど.デフレインフレによって生じる,世代間の豊かさの相対的な変化については納得できる部分が多くあります.もちろん,老人が豊かになって何が悪い!と言う意見もありでしょうが問題年金制度賦課方式であり,その負担若者にのしかかっている政治制度にあります


日本有権者マジョリティ団塊の世代はすでに60代なので,若者ますます搾取されるでしょう.若者といっても,その祖父母(の年金からサポートを受けられる人は良いのでしょうが,そうでない若者悲惨です.

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なお,「インフレにしなければ景気は良くならない」とか断言している,市井評論家サンがたくさんいるようですが,それは単純な誤りです.例えば,1880−1896年のアメリカ好景気は年率3%にも及ぶデフレとともに生じており,この期間にアメリカでは23%ものデフレが起こったことが知られています


論理的に考えれば自明なことですが,デフレという状態が,生産性の向上=テクノロジーの発達と両立しないという理由などはないし,実際にデフレ下の好況は存在しました.(しかしこの時,西部農民借金の増価に苦しみ,東部銀行家に大きな不満を持ったのは事実です.)評論家サンたちは,ただいつのもように無知不勉強直感思い込み放言しているだけです.


とはいえ,インフレによる貨幣錯覚が人びとにエクストラ幸福感・満足感を与えるらしいことは,今や否定できなさそうです.その程度については,もっと経済学者が真面目に推定して,議論しあうべきでしょう.


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2016-06-24 マネタリーベースの急増

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上の図は日銀マネタリーベースの急増のグラフです.



2012年中頃に異次元緩和が始まり,その時点で120兆円だったのが,2016年中頃までに380兆円へと3倍以上に急増しています.これは日銀市場国債をおよそ330兆円ほどまで買い取ったのと,さらに株式債権を買い増しているためです.



マネタリーベースが3倍になった場合銀行乗数が同じなら通貨供給は3倍になるはずです.しか現実には次のように,通貨供給の増加はステディに増加しています.




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この3年ほどの間に,通貨供給日銀用語ではマネーストックとか言うらしい)は1130兆円から1300兆円ほどまでステディに増えていますが,急増という感じではありませんね.これはつまり銀行預金があまり融資に貸出に回っていないということでしょう.銀行投資先がないということと,現金で溜め込んでいる人が多いということなの両方のようです.


ここで仮に黒田総裁の目論見を達成するためには,さらに通貨供給を増やす必要があるとしましょう.自民党伝統を受け継ぐ安倍さんは「国土強靭化」などの公共投資が,当然ながらお好きなようです.しか市場を活かすためには,公共投資よりもヘリコプターマネーで人びとに配るというのが手っ取り早い.



しかしフシギなのは,少なくともこの10年ほどは貨幣数量説が成り立っていないことです.リーマン・ショックのあと,通貨供給が2008年から1050兆円から1300兆円まで増加しています.しかGDPがほとんど同じなので,そろそろインフレがきても良いはずです.しかし,世の中にまったくそうした気配はありません.



なぜなんでしょうか?? 歴史的に類例を見ない高齢化タンス預金のせいだというのも,銀行エコノミスト評論ならありなのでしょうが,マトモな学者意見としてはどうも,,,,  あるいは,近いうちにカンと来るんでしょうか??



予想インフレ率が実際に上がっていないことについては,また次回を乞うご期待.


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2016-06-23 インフレの効用



こんにちは.これから少しインフレについて考えてみましょう.



インフレ主義者は多いのですが,通常,インフレ通貨価値の低下であり,政府ファイナンスを助けるものであるため,リバタリアンインフレ批判するのが定石です.


まずインフレは望ましいのか? インフレ主義者は多いのですが,通常,弱度のインフレが望ましいと考える現代学者は,ケインズの流れを組む制限合理性の信奉者が多いようです.とすると,インフレ反対を唱える人は,通常はガチガチ合理主義者=反ケインズ主義というということになります


インフレコスト存在することは明白です.インフレが起こると,人びとは現金預金)をできるだけ速く商品に交換するためにアタフタするというshoe leather costが発生します.また資金の貸し手から借り手にリソースの予期せぬ再配分が起こります.また経済撹乱要因にもなるでしょう.


しかし,インフレにはメリットもあるようです.どうやら人びとは賃金が上がったと誤解して,より働くようになり(フィリップスカーブ),かつ愉快な気持ちにもなるようです.これは錯誤であったとしても,確かに幸せを感じています.この事実をどう取り扱うかが,おそらくケインズ派批判派の学者インフレ評価の分かれ目になります


ケインズ主義者によると,インフレがあれば名目賃金の上昇で人びとが愉快に感じるだけでなく,モラールの低下なしに実質賃金の引き下げも可能になり,首切りではなく,賃金引き下げによるワーク・シェア可能になります.あとは借り手は貸し手よりも貧しい場合が多いので(かならずしも現実にはそうではないでしょうが),弱者保護が好きな大きな政府主義者インフレ政策に賛成することになります.これはケインズ自身がそう考えてもいた社会思想です.彼は「利子生活者安楽死」を標榜していたはずです.こう考えると,インフレ大きな政府社会政策主義者親和的政策になります


ガチガチ合理主義者は,こうした見解を怪訝に感じます.僕は長い間,こうした貨幣錯覚について,どうしても納得できませんでした.しか証拠はすでにあまりに膨大です.人間世界認識現実貨幣錯覚存在するのであれば,錯視やVRが脳内では現実であるように,人びとの効用の増加を認める必要がありそうです.


さて,ここで仮にインフレが望ましいという前提を肯定するとしても,ハイパーインフレは誰も望みません.すると,何%が最適なのか? この答は,上記の錯誤の問題あいまって,難問です.これまで僕は正直,誰ひとりとして,マトモな推定をした論文を見たことがありません.(通常,エコノミスト評論家は軽い感じで,インフレが望ましいとは言いますが,,,)まあ,錯誤の程度,あるいはそれによる効用の増加分や,賃金交渉費用の変化など,すべてまったく金銭的に明確ではないのですから,当然です.


オドロキなのは,本書でクルーグマンは「日本にとって望ましいインフレは2%,8%でなく,4%である」と断言していることです.特段の証拠は挙げていないので,彼自身直感的な数値なのでしょう.まあ,この本自体が単なるインタビューの書き起こしなので,厳密さを求めても仕方がないのでしょう.しか別に否定する気はなくて,もう少し高いかもしれないよ? と感じる程度です.


10%ほどにまでインフレ高まると,貨幣錯覚が「錯覚であること」と強く認識されてきてしまい,逆効果になるということなのでしょう.でも2%じゃ効果が弱い.そこが近視のかけるメガネと同じでトレードオフがあって,落とし所が難しそうです.


ところで僕が実家の母などと話していると,高度成長時代給料の増加や高金利を懐かしむことはとても多いです.やはり名目的なインフレであっても,名目賃金の上昇は嬉しいもののようです.


さて,最後に残された疑問は,「こうした貨幣錯覚現代社会インフレに慣れているからで,デフレ時代が続けば,人びとはデフレによる実質所得の変化に注目するように変化する」というマネタリスト的な・あるいはオーストリア的な主張です.これは本当かもしれないし,そうでないのかもしれません.社会実験不可能からです.


でも,僕はあまりこの意見は賛成できないように感じています特にカーネマンの『ファスト・アンド・スロー』なんかを読むと,どうしても貨幣錯覚普遍的大脳回路の認識作用に基づいているように思えてしまいます


おまえリバタリアンじゃなかったのか!? リバタリアンフリードマンルールオーストリア学派からデフレこそが望ましいと主張するべきだろう! と批判されそうです.あえていうなら,インフレ課税国防予算に当てるべき,現在無意味有害産業振興保護公共事業予算をやめてベーシック・インカムとして配るべき ということになりそうです.


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2016-06-16 検察庁のシナリオ


こんにちは



今日ヤメ検バブル紳士たちの顧問弁護士をしていたところ,石橋産業手形詐欺事件で(本人曰く検察庁の話の捏造に嵌められて)5年服役したという男の人生記です.なるほど,こういうのを読むと,検察庁というのは,筋書きをつくってそれにあった供述をさせるプロ集団なのだということがわかります.



別に本人は懺悔しているというわけではなくて,検察に都合の悪い弁護活動をしていたために彼らににうらまれて,その結果冤罪で投獄されたということになっています.今となっては,この部分は本当なのかもしれないし,彼の妄想なのかもしれません.



それにしてもこういう過酷な取り調べの人権侵害状況を考えると,厚生省の村木さんという人は本当にすごい.すべての筋書きに頑として否認を続けたのですから,たいへんな精神力の持ち主です.おそらく彼女冤罪事件のおかげで,面談の録画がされるようになったのです.官僚組織の自浄作用というのはほとんど存在せず,それなりの制度変更にも実に何十年・何百年という単位必要であることがよく分かります.



また庶民関係するのかははっきりしませんが,さまざまな陰謀というものが,今でもこの世の中に実際に常に存在するということが,よくわかる人生訓話でした.




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2016-06-13 ビットコインに似たマルチ商法

皆さん お久しぶりです.


先日,友人からメールで「エターナルコイン」という,マルチ商法そのもののアルトコインがあることを教えてもらいました.


https://eternallive.jp/


これはひどい!! リップルを利用した単なるマルチです.時々授業を使って学生にも注意しておくべく,覚えておくことにしました.


しばらくムッときていた小生ですが,よく考えてみて,リアル通貨でさえマルチ商法が常に存在してきたのが資本主義なのだから,突然流行り始めた暗号通貨に便乗する詐欺野郎たちがいても不思議はないことを悟りました.あるいはリアルワールド詐欺強盗もいるんだから ネットにいるのも当然です.


残念ながら,人間社会には常に悪人がいるのですね.気をつけることにしましょう. 


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2016-04-05 Tesla Model3 by Elon Musk

皆さん こんにちは


クルマのような商品は,単に発売されて購入者が買って消費するというかエンジョイするものだと感じていました.しかし,マツダロードスターの発表を見た時にも少し感じたのですが,さらに先日テスラ・モータースの Model3 の発表を見ていて,完全にiPhoneと同じように,クルマの発表それ自体が一大イベントになっていることがよく分かりました.


なにせイーロン・マスク現代カリスマの一人です.CO2エミッション問題がそんなに重要なのかは僕にははっきりしませんが,電気自動車にはそれ以外のメリットもあるので,彼が偉大なヴィジョナリーであることは間違いありません.


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クルマを買うことも含めて,コンサートに行くような感覚で,商品の発表を一緒に楽しむのはアップルのやり方と同じです.プレゼンテーション重要なので,日本サラリーマン社長にはなかなかマネのできないショービジネスという感じです.


何はともあれ,クルマでもこうした「体験=感動」を売る時代になったということなのでしょう.ちょうどミュージシャン音楽を聞いてから,そのコンサートに行くのを楽しむ感じでしょうか.コンサートに行ってから音楽を楽しむというのもありですね.


だんだん世界の娯楽のあり方が変わってきたんでしょうね.



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2016-04-04 Philosophy of Liberty by Ken Schoolland

皆さん こんにちは


先日 ハワイKen Schoolland と会って話をする機会を得ました.以前から彼のサイト Philosophy of Liberty のファンだったので,『のんきなジョナサン冒険 The Adventure of Jonathan Gullible』の話とともに,とても楽しい時間になりました.


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現在山梨にお住まい村田稔夫先生とは30年来の付き合いなので,前日に会いに行ったとのことでした.彼いわく,「数年前の東京でのモンペルラン・ソサイエティー(MS)に来たら,Murata Senseiが呼ばれていなかったのは驚いた.なにか派閥問題でもあるのだろうか?」と不思議がっていました.

 

また「MSはもう単なるスノッブの集まる会合になって,もともとハイエク意図していたものとは全く違っている.僕らは別のmeetingを立ち上げてるから,また気が向いたら来いよ」と誘ってもらった.MSについては僕もまったく同感で,まったくもって自由主義というお題目から遠く離れてしまっている.


その後,1980年代日本で誰が自由主義者を語っていたのかをもう一度調べる機会がありました.結果,オーストリア学派自由主義者というのは日本には長らくいなかったことが分かりました.今でも尾近先生経済思想だし,経済学者と呼べるような感じの学者はいないような状況です.


なんでだろ?? オーストリア学派経済循環論なんかは,検証してみる価値があると思うけどな〜〜 まあ,それはアメリカでも同じか.もちろんポスト問題なんだろうと思いますが,自由主義者を論じる経済学者もいないのは残念なことです.



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2016-02-28 エネルギーの高い水

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こんにちは


今日スーパーホテルからもらった水を飲んでいたところ,そこに書いてある能書きをなんとなく読んでみると以下.


霧島国立公園指定された霧島生まれの天然水. 軟水よりミネラル豊富で,しかも飲みやすい硬度127mg/lの「中軟水」.ケイ素サルフェートなども含まれています.「健康深層水」は,さらにMICA加工によって生まれ変わった健康維持やリラクゼーションに貢献する安心で体に優しいお水です.」


MICA加工って  ???


さてその下に別囲みでさらに


MICA加工とは,水を加圧しながら特殊鉱石と接触させることにより,分子活動が活発化したエネルギーの高い水に変化させる技術で,世界8カ国で特許取得されています.」


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スーパーホテルサービスシンプル安価・快適なのはいいけれど,健康を気にするロハスな人の心をつかむために,こうした「体に良い水」を配るのはある種の人間心理必然なのだろうか.それにしても「水の分子活動が活発化する」,「エネルギーの高い水」ってなんだろう?「還元水」の系列で,こうした疑似科学表現がそこかしこ自然に入っているのは,人の心というもの不思議だ.






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2016-02-22 認知症薬の投与


こんにちはちょっと本を読んでみました.福岡県にある宅老所「よりあい」の所長である村瀬さんという人が後述するところを記した本です.これは介護方法に関する本ではありますが,ボクの興味を引いたところとしては,「認知症」という診断自体が,(若年性を除く)高齢者場合現代医療問題であると指摘しているものです.


さてウツクスリを処方するためにうつ病の診断が激増したというのはよく知られています.同じ話では,最近イーラリリーADHDクスリを出したために,妙に「あなたADHDではないですか?」的なパンフレットが目につくようになりました.


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基本的に同じような話が本書として,「認知症」が載っています.それは,次第に認知能力が低下してきた高齢者アリセプト認知症改善薬)などを処方するため,また「介護保険」を適用するために,認知症という診断が乱発されているというものです.


一般論として介護がどうあるべきかは難しい問題ですが,知的能力が下がりつつある人間環境入院なり,子どもの家に呼び寄せたりして激変させれば,それが悪化することは頻発するでしょう.この場合認知症に対する投薬,さらにそれに伴う副作用に対する向精神薬の大量投薬を繰り返すというパターンが多いのですが,これが現代医療問題であると本書は告発しているわけです.

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さて宅老所よりあいのように,「胃ろうはなし,オムツもなし,などというのは,理想論しかない」,「現実にはそういう方法しか介護できない高齢者がたくさんいるのだ」という主張もありそうです.本書が言うように,「ほとんどすべての認知症高齢者は,実はそういった非自立型の介護必要としていないし,ほとんど最後まで自分トイレに行けるし,行きたがっている」という主張が本当なのかどうかは,ボクのような素人にはちょっと判断できません.


ただそれでも感じるのは,本書の村瀬さんが主張するように,被介護者にも尊厳必要だということ. おそらくほとんの人は薬漬け,チューブ胃ろうオムツと一緒に何年も生きていたいとは思っていないように思われます


最後に,経済学視点から一言.もし「宅老所よりあい」のような施設が,通常の老健特養施設よりも人間的に望ましいだけでなく,介護という視点から見ても資源節約であるのなら,もっと素晴らしいことです.より良いグループホーム制度として,ぜひとも宅老所類似施設が全国にあまねく広がってほしいものです.




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2016-01-16 預金契約の任意・自発性



こんにちは


友人から,「おまえの訳したデ・ソトの著作では,銀行預金契約では銀行による寄託金の流用を禁止されるべき,などと主張している.しかし,そもそも自由主義者物理力による強制以外の自由契約はすべて許されるはずではないのか? 矛盾しているだろう」という,スルドイ指摘をいただきました.


ここには,まさに問題があります


ディヴィド・フリードマンやあるいはマレー・ロスバードなどのアナルコ・キャピタリズム合法的政府を認めていませんから政府による禁止というのは,そもそも否定されることになります.また,今回僕が訳したデ・ソトによる「通貨銀行信用・経済循環」の立場のように,オーストリア学派(のほとんど)は最小限の政府正当性を認めたうえで,政府による銀行への寄託金流用という特権は,廃止されるべきだと言います


そこで,こうした主張の論理的整合性については,整合しえる・し得ないを含めて,いくつかの立場が考えられるのでしょう.次のような考えが一番整合的なように感じます


まず,ハイエク的に「制定法」と「自然法」を分けて考え,そもそも銀行による預金の流用は,自然法として認められない(殺人契約と同じ)ため,政府があってもなくても,同様に否定されると考える.この考えによると,現在のように政府存在することを前提とするなら,政府はそうした流用を禁止すべきだし,仮に無政府資本主義社会が実現する場合も,自然法的な法秩序において,銀行による預金流用は否定されることになります.明言はしていませんが,著者デ・ソトはこの立場に立っているようです.(なぜって,彼は無政府主義者であるロスバードを敬愛していますから.)


次に,ミーゼス的に自由銀行主義の立場をとり,銀行契約自由を認める立場もありかもしれません.この場合契約自由を認めるなら,人びとは,利子がつかず預金料金を取るような銀行を使わず,むしろ預金に利子をつけてくれるような現行の普通預金制度を利用するでしょう.この立場はしかし,銀行信用の部分準備制度永続化する可能性が高い,いやほとんど間違いなくそうなるという問題があります


僕はあまり外部性を強調する考えは好みませんが,これはつまり温暖化ガスと同じような「共有地の悲劇」なのでしょう(ここでは地球温暖化問題は通常のマスコミの言うとおりである仮定して議論します).誰もが自分利益を追求するが,その結果は全員が損をしてしまうような囚人のジレンマ状況であるわけです.


銀行信用という通貨の伸縮性が経済変動をもたらすとしましょう.だとしても,この命題自体一般的には共有されていないし,検証されてもいません.そのため,かつて温暖化ガスがそうであったように,そもそもそうした銀行活動外部不経済をもたらしていることはまったく理解されていないわけです.


いつの日かこうした状況が変化して,実際に銀行預金制度経済循環を引き起こしていると検証され,広く認識が共有されるまでには長い時間がかかるだろうし,銀行業界世界中でひじょうに大きな利益団体になっているので,果たしてそうした業界規制することができるのかは大きな課題です.


まり通貨というもの交換手段としての性質からして,銀行預金を流用することで,その量を自由に伸縮させることができるという制度からは,大きな負の外部性が生じています政府がこれを(自然法的な観点から規制して,銀行には預金の流用を許さないというのが一つの解決法です(「通貨銀行信用・経済循環」での提言).


はるかに難しいのでしょうが,また別の解決法は,bitcoin世界の唯一の通貨として(各国政府強制力を超えて)流通するようになることです.これが実現すれば,政府への税金その他の国家的な強制支払いに対しては,皆が一般的日常的に利用しているbitcoinを各国通貨(円やドルなど)に替えて,支払うようになります両替がいらなくなるだけでも大きな意義があると思うのですが,マネーロンダリングがそもそも「不正」なものである考える人には,国家主義によってすべての個人の所得資産が補足される社会よりも,かえって危うい社会だと感じられるようです.




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門外漢門外漢 2016/02/03 22:44 全くその通りです。
国民の財布から直接金を抜き取り、
健全な貯蓄を妨げる天下の悪法、貯蓄税に対抗する数少ない手段がbitcoinだと思います。
私自身の個人資産も、大半はドル建で海外銀行に預け、即時bitcoinに変換出来るようにしております。

2015-12-29 福井探訪

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27日に福井に行ってきました.写真では,福井駅読書している恐竜博士,Rex系の肉食さんと記念撮影をしました.ご一緒したのは,「子どもにツケを回さない」活動を通じて減税・小さな政府を訴えている吉田寛さん,ホッペ.ミーゼスの翻訳アマゾンで公開している岩倉竜也さん.福井県歴史博物館福井県歴史を巡ってきて,なるほど富山出身にとっても福井県って意外と知らないこと多かったです.


拙訳になる「通貨銀行信用・経済循環」の話で盛り上がりました.うーん,なんで世の中の人って「消費をすれば経済が良くなる」という信念を持っているのか? これはケインズ経済学者も,その影響下にある政治家マスコミすべてについてです.「消費活動を支えるための生産活動は,長期的な生産財への投資があってころ実現しているのだから,貯蓄のほうが(少なくとも)長期においては重要だ」という,ある種自明命題がなぜ否定されているのか??


もし100歩譲って,「短期においては経済カンフル財としての,消費の刺激が必要だ」という主張をするなら,どこまでが緊急で,どこからが通常のオペレーションに戻すべきなのか? 理論おかしいと思うが,それ以上に実験エビデンスコンセンサスもないのが気になります.結局は,戦後ケインズ経済学が主流化して以来,一貫して常に刺激策というクスリ漬け状況が続いてきたというのに.



為さねばならぬ事

為さねばならぬ事


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2015-12-15 デタラメ健康科学



皆さん こんにちは


週末にベン・ゴールドエイカーの「デタラメ健康科学」を読んでみました.これは3年ほど前に友人から薦められて読んだのですが,興味が湧いたので,再読したという次第です.


サイモン・シンの冷めた代替医療批判とは異なり,コールドエイカーはるか辛辣民間療法代替医療医療産業マスコミ批判ます.ここで重要なのは,おそらく医療産業と,マスコミでしょう.


製薬会社スポンサーを務める多くの臨床研究では,効果があれば大々的に発表されるが,効果がないような場合には,まったく発表しなかったり,あるいはマイナージャーナルに載せたりということになります.こうした実態は一般にpublication bias と呼ばれ,メタ分析ではそうしたことが実際に起こっていることが,これまで数多く検討・報告されてきました.


これは科学界全体に蔓延る深刻な問題で,僕自身過去テストステロンリスク・テイクについてうまくいかなかった研究はいくつかのジャーナルリジェクトされて,公表できなくなったのでよく分かるつもりです.あまり興味深くない結果は誰も読みたくないということになるのでしょう.


ついでゴールドエイカーマスコミの持つ,代替医療への偏向についても痛烈に批判しています面白い記事は載せるが,代替医療否定するような,重要だが,耳目を集めないような記事は載せない.それは記者科学というもの理解していないこと,そしてまた商業主義にすぎること,であると.


こうした意見はまったくもっともなもの全面的に納得できますが,しかしマスコミBBC)・新聞批判には疑問が残ります.なんといっても,結局新聞社テレビ大衆からの支持がなければ営業していけないわけで,その点は学術ジャーナルとはそもそも立ち位置が違います科学的に正しいがまったくウケない記事を載せてばかりいて果たして人びとから支持されるものなのか? 最悪の場合もっと悪質なメディアに取って代わられるのではないのか? という疑問が残ります


結局は一人ひとりの人間は,聞きたいことを肯定してくれるような記事を好む傾向があり(心理学で言う肯定バイアス),そうした傾向を振り払ってまで,懐疑主義を貫ける人はほとんどいないのが現実です.これはISのテロ祭りと同じように,人間というものの本性に突きつけられた難問であるように思われてしまいます



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2015-12-08 EBMへの不満とは??


皆さん こんにちは

今日は前から思っていた, Evidence Based Medicine (EBM) についてもう少し.


1.多くのまともな医者EBMにおいて,代替医療効果を疑っていますだって,そうした治療法が効くんだったら,実際にやってみれば統計的有意な差が現れるはずじゃん! ということで,当然,まずは否定することが前提になります


2.しかし代替医療宣伝文句表現典型的に見られるのが,「個別的」という言葉です.これは通常医療では個人の状態配慮したものではない,つまり「画一的」な処置であるという批判対応する言葉です.もちろん実際の通常医療では,「患者の病状・年齢・体力・その他の状況」に可能な限り配慮した治療法を選んでいますから,こうした批判おかしいというのは「科学的」には,正しい反論だと思います


でも,代替医療の好きな(多くは女性の)患者は,そうした個別性を超えた「個人としての人格的なレベル」での個性にまで配慮してもらいたいと思っているのだと思います.ちょうど自分は人とは違うかもしれない,いや違うはず,という直感に沿った形で治療法を決めてもらいたいと感じているのです.


当然,こうした配慮を突き詰めていくならば,「科学」も「統計」も溶けてなくなってしまいます自然科学規則は「一般的に」はてはまらなければ意味がないですし,統計というのも,観察対象がそもそもある種の基底的な画一性をもっているという前提に基づく概念です.また実際には,通常医療の支持者が実験によって何度も反証しているように,例えばホメオパスはどのレメディが誰に効くのかについて「それぞれの単なる直感」に頼っていて,まったく一致した意見がありません.だから効くはずがないのです.まあ,占いと同じですね.


しかしそれでもホメオパスが繰り返し,大衆から支持されるのは,人の来歴や人格個性を徹底的に聞くという過程で,人から話を聞いてそれに共感するという発想が,人間コミュニケーション本能欲望合致しているからでしょう.生化学的な普遍性を唱えるような,これまでの科学的な発見などの話は重要ではないのです.むしろ通常 人は自分他人と同じであるとは思いたくないし,いや個性を持った独自存在だと信じたいということなのでしょう.


3.実際に,人間は一人ひとり(微妙には)異なった生化学反応をするはずです.だって遺伝子もそのメチレーションも若干は異なっていますから.とすると純粋理論的には,tailor-made治療法が考えられるかもしれません.これは実際に通常医学が目指す方向ですが,かといって代替医療実践している人にそういうことがわかるとは思えないし,実際に彼らの「個別化」が奏功しているというエビデンスも,ほとんどまったくありません.


というわけで,代替医療勧誘表現にあるように,通常医療は「同じような人間は同一であると考える」という科学的な「画一性」の前提を持っていることは疑いありません.それこそが医学経験科学であり得る理由なのですが,残念なことに,そうした前提自体を嫌うような人間本能があるように思われます




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2015-12-04 がんばれNATROMさん

皆さん こんにちは


NATROMさんのブログを再読していたら,彼が現役の医者であるということがよく理解できました.なぜかって,ボクは医療従事者ではないので,どれだけ代替医療無意味であることを読んでも,しばらくすると「まあ,個人が信じてる分には良いんじゃないのかぁー」というような考えに戻ってしまいますしかし,これがクセモノで,代替医療を信じて実践している人の多くは通常医療否定する傾向があって,そのために自分健康を害するだけでなく,その子ども関係者健康までも害しているという事実があるのです.


http://d.hatena.ne.jp/NATROM/


新生児ビタミンKを投与するのは通常医療では不可欠だと考えら得ているのに,ホメオパシーを信じていた助産師はその代わりになるというレメディ(単なる砂糖の塊)を(勝手に)与えて,その結果 乳児がなくなったという事件.これは,先日ネットでみた「ずんずん体操」のリスクと同じで,愚かな母親子どもを殺してしまったというものです.助産師公的資格なのに,そうした人たちが通常医療否定していることがあるという,残念な現実があるのです.


http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20151009#p1


真剣医療に向かい合っている人間であれば,こうした自分以外にも及びえるリスクというのは本当に通関するのだろう.ということが再び,ボクのようなヘタレにも理解されたのです.で,前に読んだ「代替医療トリック」をもう一度読んでみると,まったく同じことが書いてある(健忘症自分が情けないです).サイモン・シンの著作はすべて素晴らしかったのですが,やはり現実的重要性という意味では,本書が一番なのかもしれません.


なお本書の内容を繰り返しますが,鍼治療ホメオパシーカイロプラクティックにはプラセボ以外の効果はなく,ハーブは何らかの物質が含まれているために,ある種の効果はあることもありますが,それだったら効果を生み出す抽出成分を使った,より安価通常医療に頼るべきでしょう.エセ科学は他にも無限にありますが,もっと費用対効果の見込めるものに,公的・私的な資源は投入すべきだということになります






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2015-11-25 通貨・銀行信用・経済循環




皆さん こんにちは春秋社から,ついにオーストリア学派の決定版を,すばらしい装幀をもって完成出来ました.


僕の今年のほとんどすべての時間をかけた翻訳書「通貨銀行信用・経済循環」が出版されました.今年のはじめに春秋社から依頼が来たときには,あまりの分量に逡巡したのですが,ちょっと読み進めたり,調べたりすると,素晴らしい本であることがわかり,今年はほとんど全力投球しました.(おかげで,その当時やっていた別の活動を休止することになってしまいました.)


この著作は,おそらく経済学プロパーの部分としてはGarret Jones のTime and Money などと同じように思うのですが,1−3章に法律的会社における,銀行活動違法性預金をローンに貸し出す行為非道徳性が,その後のオーストリア学派経済循環論と整合しているのが,本当に素晴らしいのです.


僕はあまり倫理」というような考えを重視してこなかったので,むかしロスバードが同じような主張をしていた時には適当に読み飛ばしてしまっていました.今回,本書を訳して,「なるほど,倫理や法制度と経済には本質的関係があるのだ」と通関したわけです.これはまたレオーニやハイエクの考えとも軌を一にしています.こうした偶然(必然)には本当に数学のような美しさを感じます.


自分が物知らずだったということも,単純にありますが,できるだけ多くの人に読んでもらって,現状のマクロ経済学の「標準モデル」に従事する人にも,興味を持ってもらいたいです.また前書きには,カルボ(もしあなたカルボを知らなかったら,正直に行って,あなたマクロ経済学者ではない)によるオーストリア学派の再評価も載っていますので,ぜひとも(本物の)経済学者にも読めるものになっています.


あと,ヒックスによるオーストリア学派の再評価もぜひとも読んで下さい.サムエルソンは共産主義を認めましたが,ソヴィエトの最盛期でさえ,消費者満足度アメリカより低かったことは認めていないのがフシギです.



やや脱線してしまいましたが,現状のオーストリア学派の到達点として社会科学者すべてに読んでもらいたい一冊になりました 

よろしくお願い致します.m(__)m




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2015-11-14 幼児教育は効果があるか?


皆さん こんにちは


今日はヘックマンの小著の翻訳を読みました.これは彼の40ページほどの論文に対して,10人ほどの学者感想を述べ,それに対してまた20ページほど答えるという形で,150ページほどの著作になっているものです.


ヘックマンの論文のほとんどはフリーPDFで読めます.単純に言えば,ペリープレスクール,アベセダリアンの2つの幼児教育からすると,そうしたリスク家庭の児童への早期介入は10−15%ほどの投資リターンを生み出すという,ある意味で衝撃的なものです.これは認知能力IQ)の向上ではなくて,忍耐,努力,対人関係などの非認知的な能力の向上によって得られるというのも,重要結論です.


反対派の(主に自由主義者たち)人びとは,なぜヘックマンはペリープレスクールとアベセダリアンだけをとりあげ,その他多くの社会実験(それははるかに大規模なヘッドスタート計画などを含む)での,失敗例を取り上げないのか? と疑問視します.


結局のところ,こうした状況に対してもここが違う,そこが違うなどという言い訳無限にあるのですが,EBMと同じように,メタ分析をするしかありません.ノーベル賞を受けたほどの知性であるヘックマンがメタ分析をしたがらないのは,彼が経済学者であって,経済学ではメタ分析は未だにほとんど普及していないからだと思います.


しかし,時代は変わります.今後の経済学が「科学」と呼べるものになるのかどうかは,これまでの「精緻数学的な理論」ではなくて,「統計的実証」に重点が移るはずです.ちょうど友人が薦めてくれた「ソーシャル物理学」を読んで感じたことですが,結局,アダム・スミス以来の経済学者古代ギリシャ哲学と同じで,自然はこうじゃないの? とか議論はしてきたが,それを実証するための望遠鏡顕微鏡実験機器といったツールを持っていなかったのです.


今後,ライフログソーシャルグラフ安価に利用可能になれば,結局は何が重要で,何がどうでも良かったのかがはっきりしていくでしょう.だって古代ギリシャでは,空に投げられたボールには後ろから力が加わっているという考えが主流でした.しかガリレオからニュートンを経て,そうした考えは現実説明するには適切ではないということで否定されました.そういう意味では現在もっともらしい経済学の「理論」は将来的にはほとんど否定されそうです.つまり理論なしの「統計学が最強」というのは,本当に違いありません.結局,理論というのは現実説明するために存在するはずなのに,現実がはっきりしていなければ,理論を優先してしまうのが「知的な」人間限界なのでしょう.





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2015-11-13 教育の経済学

「学力」の経済学

「学力」の経済学



皆さん こんにちは

たまには経済学もいいかと思って,読んでみました.内容はつまり,エヴィデンス・ベースト・エデュケーション(EBE)の実例集で,よくまとまっていてとても読みやすいものです.


例えば,40人学級から35人学級にすると,国語の成績が若干上がるという日本研究.あるいは,アメリカでの大規模な介入社会実験によると,中学以降は習熟度別の授業のほうが,「すべての」学生にとって学習効果高まる


(まあ,教科内容の効率的学習けが学校制度目的ではないので,それでも全体で同じ学習をすることにも意義があるかもしれません.こうした命題そのものしかし,EBEによって確かめられる必要があります.あるいはみんなで学習すると,逆に思いやりのない人間になるという可能性もあるからです.本書でも,「平等教育」をすると,かえって他人への思いやりの無い子どもになる,という逆説が解説されています.なぜかって? それは論文の著者である阪大大竹教授が指摘しているように,「みんなが同じポテンシャルをもっている」という前提を素直に信じると,うまく行っていない人生努力不足のせいだということになるからかもしれないし,あるいはもっと単純なことで,そうしたウソの繰り返しに白けてしまうからかもしれません).


あと,子どもの才能を褒めると,勉強への努力をしなくなるが,努力を褒めると,もっと勉強するようになるとか,「勉強しなさい」と親が子どもに声掛けをしても,まったくムダか,あるいは反発する可能性があるため,時間をさいて,一緒に課題に取り組んでやる必要があるとか.こうした教育心理学的な知見は,けっこうまとまっているので,役に立つかもしれませんね.


こうした実験は非常に多く報告されてきていますが,日本では「実験」が倫理的理由から許されてこなかったので,不毛な議論が蒸し返される傾向があると本書でも嘆きが.またハイリスク児童の幼少期の介入には,10%を超える社会投資リターンがあるというヘックマンの研究も紹介されています.


それから,この本は「〜の経済学」と銘打たれていますが,経済学という「金の計算」ではなくて,「実証的,科学的な議論であるか,という点が重要です.政治学社会学は,つまり学者と呼ばれる人たちの言っている命題がただしいのかどうなのかを検証することができないことが問題なのです.

最後に興味深いのは,日本では文科省の全国標準学力調査を始め,ほとんどのすべての政府データ研究者に公開されていないことです.では誰が利用しているのか? 政府機関内部の「研究者」」という役人です.(税金でやっているのだから基本的には個人特定ができないかぎりパブリックにすべきだと思うんですが,,,,)また政府の発表していることは,第3者が検証できないシステムになってしまっています.う〜ん,残念.本書で指摘されているように南アフリカだけでなく,多くの国の政府データオープンドメインになっていることが多いのに.





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2015-11-06 暴力の解剖学


皆さん こんにちは


友人の勧めから,エイドリアン・レインの「暴力解剖学」を読んでみました.レインは著名な犯罪学者で,これまでいくつか彼の論文を読んできましたが,まとまった本を読んだのは初めてでした.また彼がオックスフォードで,ドーキンスから直接に利己遺伝子論を学び,当然にそれを犯罪行為に応用している点も興味深いものでした.


例えば,PETやfMRIの画像解析からは,犯罪者前頭前野の活性度が低い=計画的活動ができにくい,とか,あるいは凶悪犯では眼窩前頭皮質がよく発達していない=感情抑制ができにくい,などは,これまでにかなりスタイライズされた犯罪者大脳機能です.(だからといって,こうした特徴が当人を「免責する」かどうかは難しいところであり,そうした自由意志責任論への疑問も提示されています.)


その他にも,DHAなどが認知機能改善犯罪の抑止に効果的,とか,認知療法効果があることがあること,5HTTLPRのショート遺伝子を持つ人々=アジア人に多い,は幼児期虐待に弱いという遺伝子環境の交互作用,鉛・水銀ヨウ素不足などの純粋環境要因についても実例も交えて詳説しています


(なお,僕は(単に金がないという理由から原著で読んだのですが,彼のイギリス教養人的な表現にはやや違和感が残りました.外国語話者としては,彼自信が思うところを,もっと直接的に書いてもらいたい! つまり反語疑問文について考えるのは面倒なのであります.)


さて,こうした犯罪行動学という学問日本はまったく存在しない,またこうした学際的な研究者日本では存在していないのはなぜなんでしょうか? どうしてfMRIの機械世界で一番数多く設置されている日本にはこうした学問存在せず,ヨーロッパアメリカしかないのでしょうか? この地の集団的排他性,好奇心の欠如,学問セクショナリズム反省させられます


結論犯罪と呼ばれる人間活動に対する,現時点での統合的な科学的探求の名著です.スバシイのでオススメです.



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2015-11-04 孤独のグルメ

皆さん こんにちは


僕はやや現在メンタルに落ち込み気味なので,アマゾン先生オススメプライムビデオを見ています.僕はヘヴィーなアマゾンユーザーなので,当然プライム会員であり,映像無料で見れることになった(アリガトー!)ということで,ちょっと試してみました.



孤独のグルメ2

孤独のグルメ2



で,オススメされたのが,「孤独のグルメ」.これはテレビ東京政策テレビドラマなのですが,主人公中年男が,なんとなく,どこぞの駅周辺の料理屋を訪ねて,そこでの料理を楽しむ話です.ほとんどが彼の独白であり,料理そのものへのウンチクなどがまったくないのが,素晴らしいのです.まあ,例えて言うなら,庶民がよくあるような夕食メニューなんかを楽しむ内心を,そのまま主観的に,韻文のように,詩のように愛でる,という変わった趣向の番組(もともとは漫画)です.


人は何のために生きているのでしょう? もちろん,一人ひとりまったく異なっているはずですが,多くの人が,食事の楽しみを人生の目的にしていることはよく理解しています.僕はいろいろな本を呼んで,内心いろいろと感心したり,批判したりと,楽しいんでいるのですが,それが多くの人にとっては,食事ということなのでしょう.もちろん,僕もラーメンサラダ,その他を試すことは結構頻繁にあります


孤独のグルメ」というのはあんまり実態とは合っていなくて,むしろ一人で食べることに楽しみを見出す「孤高のグルメ」という方が適切な名前かと思います.体が疲れたりして,ボーッとしたい時にはオススメいたします



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2015-10-14 オーストリア学派の非主流化はなぜ?



皆さん,こんにちは


さて今日ついに校正を終えて,訳者としては全力を尽くしたという感じです. で,何度も全力で読み返して感じたことを少し.


なぜミーゼスの経済循環理論オーストリア学派は,主流派とならずに,かえって主流派マクロ経済学からたかカルトのように扱われるに至っているのか? 言い換えるなら,ケインズ以前,つまり戦前マクロ経済学ではかなり主流派となりつつあったオーストリア循環理論が,どうして戦後急速に非主流化したのか?


これは難問です. 僕自身学問的な態度とも関連して,いつくか思いついた理由を書いてみます


1. 主流派は,戦後急速に数学的な色彩を強めていったこと.これはおそらくサムエルソンなどの数学に明るい学者が,それまでの「あーだ,こーだ」という経済学に変わって,数学的に定義された前提から演繹するような経済学全体の革命が起きたということです.数学能力専門家同士の会話もわかりやすいので,若手が議論をしたり,能力を示したりすることが容易になります


これにはさらに補題があって,ミーゼスやハイエクをはじめとして,数学的な議論や,統計学の利用に対して大きな懐疑があったわけです.これでは,もっと科学的・実証的な議論をしたいと考えた学者は引いてしまいます.なんとか統計学などをうまく取り込んだ形で理論を構築・補強しないと,純粋観念論的=哲学的議論を超えることはできず,何が正しいのかについては堂々巡りになってしまいますオーストリア学派の反数学への態度はロスバードなどではもっと強くなって,ほとんど「均衡状態は実現していないのだから,そうした考えは無意味だ」ぐらいの強い否定になってしまっています.こうした強い否定的表現によって,均衡分析数学的に証明することを中心とする主流派とは絶縁していることが残念です.


2. もう一つは,オーストリア学派の態度には,政府活動を認めようとする学者への「人格的な侮蔑」というものが感じられる点.僕も政府活動はおしなべて快く思ってはいませんが,常識的感覚の中には「政府役割」を重視する人の直感=実感もあります別にそうした隠れた社会主義者(by Mises)の人格おかしいとも感じないのですが,オーストリア学派論文の中では,サムエルソンやフリードマンがいかに社会主義的な政府肯定論であるかを告発しあうことが美徳とされているのが残念です.


これにも補題があって,つまりオーストリア学派問題点は,イスラム原理主義と同じようなある種の原理主義にあるのでしょう.そうした態度は,わずかでも異なる意見もつ学者の極端な弾劾と排斥につながります.これがケインズ主義者マネタリスト,New Classical, New Keynesian などといった主流派経済学オーストリア学派が交わらない理由になっているのだと思いますフリードマンケインズ主義を否定はしても,その理論言葉に対して,互いに理解し合える言葉反論しています.つまり論争はあっても,互いに経済学会では活発に議論しあっているのです.これがオーストリア学派場合ハイエク以降は完全に分離してしまっています.そういえばBryan Caplan もそういった意味での問題を指摘していました.


というわけで,虚心坦懐に考えると,ハイエク資本理論には非常な説得力がありますが,それはアメリカ経済学者にはまったく受け継がれていません.ウーン,この点はデ・ソトも若干指摘していますが,もっとオーストリア学派GDPの測定や統計活用すべきだし,数理モデルを構築してゆくべきだと思います.単純に,「経済モデルなどが作れるとするなら,社会主義も可能であったはずだ」というふうに批判してしまうと,リサーチアジェンダ全体がミーゼスの著作に対する,ほとんどマルクス主義的な「読み込み」や聖書解釈学になってしまうように思われます


否定的な要素は書いたものの,それなりの近い将来には次第に経済学の中で融合してゆくのではないかと楽観しています戦争科学などと同じように,歴史には多様な人的な偶然が関与していて,それは経済学史においても同じなのだと思います


大多数の経済学者は,銀行信用=預金の流用が伸縮的な通貨をもたらし,それが経済変動と関連しているという考えを読んだこともないし,おそらく(大学で職を得た後には)興味もありません.RBC生産性ショックとは一体何を意味しているのか? ケインズのいうAnimal spiritの変動はなぜ生じるのか? それはファッション流行と同じように人びとの(グラフ理論的な)気分の変化であり,科学者にとって永遠の謎のままに終わるのか? 


(なお,僕は日本人ではオーストリア学派をなのる(若手)経済学者を一人も知りません.それは当然で,学会から認められていない超マイナーなことをやっても,検証反証フカノウな社会科学では,大学に職を得られないからです.これは深刻な問題で,例えばナチ時代ドイツ語圏では自由主義者亡命するしかありせんでした like Mises. 同じように,さらに悪い状況としては中国には権力を離れた自然科学も,もちろん社会科学も何一つありません.というわけで,「政治」とは異なる,経済的パトロン必要なのは明らかなように思うのですが,,, でもゲイツが400億ドルを運用することに批判はあっても,政府が2兆ドルを運用することには,はるか批判は少ないのはフシギです.おそらく,我々の精神とその神経基盤には「公共性」の概念がよほど深く刻まれているのでしょう.)



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門外漢門外漢 2015/12/16 16:00 同志社大の村井明彦氏は異なるのでしょうか?
ごく普通にオーストリア学派だと思っていました。
アカデミックのことはよくわかりませんが…

2015-10-07 アンナ or アナ?

こんにちは


11月の終わりに出版予定の「通貨銀行信用,経済循環」を校正しています.それで思い出したことをもう一つ.


ミルトン・フリードマンと一緒に「アメリカ貨幣史」を書いたかなり著名な経済学者に,アンナシュワルツという人がいます.この翻訳書にもかなり引用されているのですが,彼女名前をどう訳すべきか? シュワルツというのはドイツ語発音ですが,彼女(の父方)がドイツ系であるのは間違いなのでしょうが彼女アメリカで生まれて育っているから発音は「シュウォーツ」だと思います.今回,ヨーロッパ人が多く出てくるので,「できるだけその研究者言語発音にする」というルールを決めて翻訳した結果,「シュウォーツ」にしましたが,ウーン,悩むなぁ.「シュワルツネッガー」はオーストリア出身から,まあいいとしても,「シュワルツコフ」という名前アメリカ人軍人がよく登場していますが,「シュウォーツコフ」とは言わないようですし, 困ります


おまけにアンナというのも(おそらく)ドイツ語読みで,英語なら「アナ」=「アナと雪の女王」だと思いますが,,,,まあグルジアが,ロシア語読みなので止めてくれということで,ジョージアになったのと同じで,慣例的・感覚的な読みというのがあって,なかなか難しいもののです.


あと,僕自身の中に英語読みが入り込みすぎていて,ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスも,無意識のうちになんとなくルードヴィヒと入力してしまったりと,なかなかコマいところが面倒なのが,出版というものなのでしょう.やたらと時間がかかります


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2015-10-03 「破綻」と「権益」

こんにちは


11月の終わりに出版予定の「通貨銀行信用,経済循環」を校正しています.それで思い出したことを一つ.


よく聞く言葉に「銀行破綻」というものがあります銀行は「破産」するのではなくて「破綻」するのです.破綻という概念は,ある種のシステム破綻(ほころび)ということなので,特定企業に使われることはありません.(例えば,「シャープ破綻」ではなくて,「シャープ倒産」と使われています.)


これはつまり銀行業そのもの特殊存在であって,通常の企業とは異なって経済全体と直接的に関連しているという感覚を表しています.「金融経済血液循環である」とも言われることと同じなのでしょう.ここには,ある種の特異的=特権な位置づけがあるわけです.


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同じような言葉に,「権益」というものがあります.「三菱商事豪州鉄鉱石権益を獲得」みたいな感じで,よく新聞などで使われています.さて,ところで,なんで「権利」ではなくて,「権益」?? 「権益」とは石油石炭鉄鉱石,銅鉱石,などの,(直感的に最重要な)資源産業関係した用語です.


まり権益という言葉自体が,何か「国家の存立にとって,不可欠な権利」というニュアンスを持っているわけです.なんでそんな使い分けをすることで,誤った認識を広めるんだろう? 「権益」という日本語は,すべてより平明で現実に即した「権利」で置き換えるべきです.


これらの政治用語を使うこと自体が,ある種の産業特権を与える感覚的な理由正当化しています銀行がもし,顧客預金をローンに流用するという特権を許されていなければ,個別銀行は「破綻」ではなくて,単なる「破産」になります


というわけで,(現実には難しすぎることですが)銀行には「預金」を預かった金銭として,その全額の完全な保管義務要請すべきです.そうすることで,「銀行破綻」という言葉必要なくなり,「銀行倒産」,「銀行破産」という常識的表現が使われるようになるはずでしょう.


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2015-10-02 糖尿病とカロリー制限 or 経済危機と銀行規制

こんにちは,皆さん.


前にも書いたように思いますが,もう一度. 友人曰く,「お前の理屈である政府活動問題を生じさせているから政府活動をやめさせようという考えは,あるいはもっともかもしれない.しかし,現実にはすでに問題は生じていて,病人に直面している医者と同じように,今この時点でどう処置すべきかを考えるしかないんだよ」.


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ここで仮に,糖尿病で足の切断の必要が生じたケースを考えてみましょう.そもそも論で言えば,「糖尿病になるような食事を減らせば良い=炭水化物などを始めとした食事を減らせば,糖尿病にはならない」はずです(1型を除く).とすると,現在のような多様な治療のための新薬研究などは必要ない(少なくても国家補助すべきではない)ことになります.


これとまったく同じ論理で,「そもそも銀行預金の貸出を許さなければ経済変動は発生しない=預金銀行にきちんと保管させれば,経済変動の問題は発生しない」はずです.しか現実には預金を流用するような仕組みが作られていて,大きな好不況の波が発生しているため,それをなんとか制御するための経済学が求められているというわけです.


僕の父は長年タバコを吸っていました.その結果(に違いないと思いますが),肺気腫に続く全般的な肺機能の低下で,高濃度酸素を生成する機械からチューブを吸い,気管支拡張剤を利用しつつ,なんとか生きています.これもまた「タバコをなくせば,気管支拡張剤は(ほとんど要らなくなる)という命題に結びつくと思います.


結局,難しいのは「そもそも論でAをしなければ,Bは起こらない.だからBが生じた場合の,対症療法必要ない」という論理です.現実には「Aは広く実行されている」,その場合にはある頻度でBが発生し,結局のところ,「Bに対する処方箋」が必要となるのです.


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人びとはフォアグラという美食と同じように,政府活動を強く「望んでいて」,それが引き起こした結果(糖尿病経済危機)に対しても,結局は何らかの政府による対策必要となってしまうということです.これは難しい問題で,僕にもいいアイデアがありません.うーーーーーん.


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2015-09-30 「新」観光立国論



こんにちは.友人が薦めてくれたので,読んでみました.著者は,日本の伝統工芸品を修理する小西工芸社長をしているイギリス人です.日本ファイナンシャルアナリストとして働くために来て,その後は東京から京都へと転職し,在日25年.

この本は大変に興味深い!! 要点は何個かあって,


1.「おもてなし」は観光大国にはあまり重要ではない.誰も,そんなもの体験しに何十万円も支払って,1週間以上を過ごしたくないからだ.それは刺し身のツマであって,刺し身には成り得ない.この点,日本人マスコミイタい勘違いをしている.


例えば,この点で一例として指摘されているのは,日本では交通機関クレジットカードでは乗れないことです.実際JRメトロ切符売り場ではクレジットカードが使えないのです.殆ど寺社仏閣の拝観・参拝料を始め,美術館の入場料その他にもクレジットカードが使えない場所はいたるところにあります


僕は去年,今年とイギリスに一週間行ったときまったくポンドを持って行かなかったし,2年前のアメリカでもホテルチップ以外(3ドル)すべてがクレジットカードで決済できました(なので,むか〜しに所持していたドル札を持って行っただけで十分でした).どんなに小さな買い物でも,すべてクレジットカードで決済できるのは,現代社会常識です.


実際のところ,両替というのは金がかかり面倒な行為だし,事前にどれだけ両替しておくべきなのかも,外国人にはなかなか想像できないものです.また銀行ATMなどは国際カード対応していないため,現金を引き下ろすのも日本の街では容易ではありません.僕らのように日本生活している人は,ソニーフェリカとかでいいじゃないかと思ってしまいますが,少しだけ遊びに来ている人には,現金を覚えることも些細なことでも負担になります.著者は,こうした(物理的な利便性提供こそが)本当のおもてなしなのであり,日本人情緒的なものを重視し過ぎだといいますが,僕もそう思います


2.観光にとって重要な要素は「気候」,「自然」,「文化」,「料理」, であり,日本はすべてをもっているが,外国人対応がほとんどないため,寺社仏閣その他を訪れても,よく理解できない.ルーブルのように各国語対応して,音声,有人などのガイドもっと高くても充実すべき.


3.フランスは年間8200万人が訪れているのだから日本も2000万人などを目指さず,8000万人を目指すべし.そのためには文化財もっと手入れして,かつ外国人を丸一日楽しませるような仕掛け,パフォーマンスを充実させるべき.


4.日本には一泊数百万円,という超富豪クラスホテルがほとんどない.またロング・ステイを楽しめるビーチ・リゾートもウィンター・リゾートもない.所得格差のほとんどない国内マーケットではなくて,世界70億人から選ばれるような開発を目指すべき.


というような感じです.なるほど,奈良にシカを見に行っても,日本の昔の活動再現するようなパフォーマンスがあれば,もっと楽しいだろうし,子どもにも古都奈良時代衣装活動がよくわかるだろう.だが,こうした風にそれぞれの寺社仏閣が変化するためには,大胆な経営感覚とこれまでの”常識”を破るリーダーシップ必要であるように思われます.そして,こうした新しい試み,横並びではないビジネスの発想は,日本人は弱いのだと感じました.なんなんでしょう? こういった感覚の差は. 


USJ沖縄で海をテーマにしたパークを作るといいますが,考えてみると,沖縄アジアから最も近く美しい海があるわけです.とするなら,ディズニーランドなどの大きさではなくて,ディズニーワールドを超えるようなものにしていってほしいものです.


最後に小さな悪口を言うなら,帯には「所得倍増計画」とありますが,そんなことは完全にムリ,あり得ないです.今,日本観光産業GDP比率は0.4%です.キセキが起こって,これが例えばもし仮に,観光産業GDP比率が最高であるスペイン(4.8%)の2倍=10%になったとしても,GDPは10%しか増えません.


というわけで本書は良い本でした.批判をしているというよりも親日家であり,応援・叱咤激励・アドヴァイスしているという感じなのです.エールに応える必要を感じる一冊です.


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2015-09-24 タックス・イーター



こんにちは


法学者の友人が薦めてくれたので,読んでみました.著者は,もと大蔵官僚金融庁国際税務担当現在弁護士というバリバリキャリアであり,ここでの「タックス・イーター」とは,税金を食い荒らすものというほどの意味で使われています


非常に詳しい大蔵省の内情も書いてありますしかし,内容はむしろ理論的で,日本租税制度問題点である特別会計存在特殊法人の多重的な存在によって,いかに国税(と国債の借り入れ,郵便貯金など)が,ムダな公務員制度,バラマキを維持しているのかを説明しています.政官財の三位一体癒着構造などは当然ながら読んでいて愉快な気分にはならない内容ですが,現実がそうである以上は,直視することはやむを得ません.


さて,あまり具体的なことには興味がわかなかったのですが,東京都市景観を変えた容積率のことを思い出しました.僕が大学時代,80年代の東京では片道2時間通勤など,信じられないような辺鄙なところから都心に向かうサラリーマン大勢いました.今,子ども世代都心に出て,タワーマンションを買って職住接近に時代になりつつあります.親世代がいなくなれば,空き家が残るというわけです.


109ページから段落引用しましょう.

規制による権限を温存したい各省庁や,規制に守られている企業など,既得権益を有する側の抵抗は猛烈であった.規制緩和を推進するためには,これらの抵抗勢力排除する必要がある.規制緩和は,完了天下り先の喪失と結びつくため,その抵抗は激烈であった.たとえば,都市計画法による容積率制限問題がある.容積率制限は,当時の建設省(現・国土交通省)の規制である建設省がその権限を手放したくないというだけの理由で緩和が進まず,東京をはじめとする都市勤労者の住環境通勤環境悲惨ものとなっていた.この点を経済審議会で鋭く指摘された建設省担当課長は,「東京容積率は全体では半分ほどしか使われていないのであるから,現状の容積率規制問題があるはずがない」という,ほとんど子どもの口答えのような抗弁をしたのである.」


当時は他にも災害問題など,いろいろと言い訳をする人たちがいたように思いますが,小泉改革容積率が緩和されて問題になっているという話はまったく聞きません.こうした詭弁子どもの口答えであるなら,ほとんどすべての役人政治家の答弁はすべて子どもの口答えのような気がするのですが??


さて誰が損をしたのでしょうか? それは2時間かけて通勤し続けたサラリーマン世代とその家族であり,ある程度は現在都心居住することにした子供世代です.役人利権を守るためだけに存在するというのは,まさに愚の骨頂ですが,なぜか政財官のもたれ合いの中で財界でさえもそうした指摘を指定なかったのがフシギです.東京上海に抜かれて初めて,その都市機能を高めることが課題になり,人びとの認識が変化してオカシナ法規制の緩和が可能になったということなのでしょう.


さて,著者は後書きにおいて以下のようにいいます


「さる専門家が,「今のような日本財政経済の状況だと,戦争を起こして解決するのがふつうなのだがねえ」と話すのを聞いたことがある.」


これはまったくそうだろうと思いますしかし著者が危惧するように,こうした状況はハイパーインフレという課税しか賄うことはできません.それは民主主義負の遺産ですが,それでも国家間戦争よりははるかにマシです.ハイパーインフレによって人びとは課税され,年金福祉は急減することになりますが,それは本来政治的決断によって漸減させるべきものだった(が,できなかった)ということなのでしょう.


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2015-09-21 「モンスター」by 百田尚樹

モンスター (幻冬舎文庫)

モンスター (幻冬舎文庫)


こんにちは


小説はほとんど読まないのですが,たまたま家に落ちていた小説を読んでみました.


内容としては,ひどく醜く生まれた女性が,25歳から整形手術を次第に重ねて美しく変化し,その後は初恋男性を思い出し,ついに魅惑するに至るも,その場面で絶命する,というものです.こう書くとやたらと薄い内容のように感じるかもしれませんが,よくできた小説はすべてそうですが,登場人物心理描写がとてもとてもリアル,残虐,赤裸々,であることが興味深いのです.なんというか,世間的な常識では語ってはならない人間生き様精神の有り様というものが伝わってきます.


小説主題として,醜く生まれた人間がどれだけ侮蔑され,非人間的に扱われるか,反対に美しく生まれた女性がどれほど異性を魅惑し,翻弄できるかがアリアリと描かれています.38歳という短い人生最後になって,初恋男性の愛と婚姻約束を取り付けるものの,死の間際で自分がかつて醜かった女性だと告白し,それでも愛してくれるかと質問すると,男性は当惑しつつ,愛していると応える.主人公はそれに満足して死ぬが,実際には,男はその後すべてを理解して女のムクロの下を立ち去ります.


愛している場合でも,それが整形でつくられた美であることを知れば,男は女を以前より愛せなくなるものでしょう.どこかに”本物”で”自然”な何かがあって,それは整形では得られないとか,感じるわけです.それは奇妙なことでもありますが,遺伝的な命令からすれば当然です.(なぜなら,通常個体が求めているのは,異性の良い遺伝子であるからです.)


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中学時代から疑問を感じていたことですが,そもそも美醜などという顔面感覚器官の形状,および配列がなぜこんなに重要なことだと,行動遺伝的にプログラムされているのでしょう? 性選択のチカラ,あるいは自分の神経回路に遺伝的にプログラムされて発生する回路の存在がフシギだし,あるいはいかなる(常識的な,努力人格精神性などといった)倫理概念とも矛盾することも,またフシギです.


倫理感覚乖離については,おそらくトリヴァースが書いているように,我々の精神性のどれだけかは,いかに人に見つからないような偽善をうまくこなせるか? という問いに答えるために構築されているということなのでしょう.現代社会では発言できないような人間心理は,小説科学論文の中だけで許され,もはや新聞テレビなどの公権力では許されなくなりました.


では大学講義ではこうした事実提示は許されるのか??  科学真実発見して伝えるために存在しますが,それが常識的倫理観抵触する,相反する場合はどうするべきなのか? これは人ゴトではないので,とても難しい問題です.


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2015-09-08 経済不況:その原因と処方箋 by ロスバード

前に書いたことですが,1969年のロスバードの小著『経済不況:その原因と処方箋』を翻訳しました.

もとのファイルも公開されています.


http://rothbard.altervista.org/essays/economic-depressions.pdf


というわけで,ミーゼス理論1970年代にはルネッサンスを迎えるはずだったのですが,,,

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経済不況 その理由と処方箋

マレー・ニュートン・ロスバード (Mises Institute)

http://rothbard.altervista.org/essays/economic-depressions.pdf

(このエッセイは当初ミシガンにあるConstitutional Alliance of Lancing社から1969年に小冊子として出版された.またアラバマにあるMises Instituteから出版された,リチャード・エベリングの編集したThe Austrian Theory of the Trade Cycle and Other Essays (2006)にも掲載された.)


・・・政府による介入と励行がなければ,銀行は協調的に信用を拡大することは決してできないのである.ロスバード


 我々は婉曲表現の時代に生きている.葬儀屋は”送り人”になり,通信社は“対外関係カウンセラー”に,清掃員は“管理者”と呼ばれる.日常のすべてで,単純な事実が分厚いカムフラージュに覆われているのである

 これは経済学においてもまったく同じだ.かつてはほとんど周期的な経済危機に苦しみ,突然に取り付け騒ぎ,つまり”パニック”が起こり,それに続く経済の谷間は“不況”と呼ばれた.

 現代社会で最も有名な不況は,もちろん,1929年に起こった金融恐慌であり,それは第2次世界対戦まで続いた.1929年の悲劇の後,経済学者政治家はこうしたことが二度と起こさないと決意した.最も簡単なやり方は,単に”不況“は存在しないと定義することであった.この後,アメリカは不況に苦しむことはないことになった.なぜなら,次の大きな不況が1937−38年に来ると,経済学者は不況という恐ろしい名前を使うことをやめて,景気後退という耳あたりの良い,新しい単語を創り出した.それ以降,数多くの景気後退が起こったが,不況は一度もない.

 しかし,間もなく”景気後退”という言葉もまた,繊細なアメリカ国民にとってはあまりに厳しく響くようになった.最近景気後退は1957−58年であったようだ.なぜなら,それ以降は“後退局面”,さらに“景気減速”,”停滞“しか起こっていないからである.素晴らしいことに,これからは不況も景気後退経済学者の語彙からは追放された.これから起こりえる最悪の事態は,”景気減速”なのである.これが”新しい経済学”の素晴らしさというものだ.

 過去30年,この国の経済学者は,イギリス経済学者ジョン・メイナード・ケインズ経済循環論を信奉してきた.彼は1936年に『雇用,利子,および貨幣の一般理論』を著し,ケインズ主義,または”新しい経済学”を創り出した.ケインズ主義の好不況に対する見方は,図表,数学専門用語に隠されてはいるものの,単純主義的であり,幼稚でさえある.もしインフレが起これば,その理由は市民による”過剰消費“にある.経済を規制し,安定化させる役割を担う政府による処方箋は,経済に介入し,税金を引き上げて”過剰な購買力を吸い上げ“,人びとの消費を減らすことである.反対に,もし景気が後退すれば,民間消費が過小であるのだから,政府処方箋は,望むらくは赤字によって政府の支出を増やして,経済総支出を増加させることだ.

 政府支出の増加や大量の資金供給は“経済にとって望ましい”,そして支出の削減と資金供給の減少は“悪い”という考えは,もっと保守的新聞雑誌にさえも行き渡っている.そうしたメディアでは,一方では不況,また一方ではインフレの谷間に落ち込まないように,うまく経済を導くことは連邦政府の聖なる役目だと当然だと考えているのである.なぜなら自由市場経済は,そうした悪い状況に陥りがちだと考えられるからだ.

 現在,すべての経済学派がこうした同じ態度を持っている.例えば,ニクソン大統領経済諮問委員会の議長になったポール・W・マクラケン博士の見方を見てもらいたい.議長に就任して間もなくニューヨーク・タイムズインタビュー1969年1月24日)で彼は,政権が直面している重要経済問題について次のように明言している.「どうやってインフレを低下させつつ,同時に容認できないほどの高い失業率を回避するかです.つまりもしインフレを沈静化させたいなら,それは可能です.しかし私たちは高い失業率を容認することはできません.」そしてまた「ここでは舵取りが重要になります.私たちはこれまでうまくインフレを抑えた経験に乏しいのです.1957年には急ブレーキをかけてしまい,当然のことながら,経済には大きな失業が生じてしまいました.」

 マクラケン博士経済への態度を見てもらいたい.驚いたことに,それは今日のほとんどすべての経済学者に共有されている.経済潜在的には機能するものであるが,しかし常に厄介で非協力的な患者のように扱われており,常にインフレや失業へと落ち込む傾向があるというのである政府の役割は賢明管理者医者であり,常に経済という患者がうまく機能するように警戒し,治療し続ける.ともかくも,ここでは経済という患者は明らかに,政府という“医者”の支配下にある.

 こうした態度や政策が“社会主義”と呼ばれたのは,それほど昔のことではない.しかし私たち婉曲表現の世界に生きており,そうした態度ははるか優しい言葉で呼ばれている.”経済調整“,”啓蒙自由企業”などの表現に,慣れてしまった.

 それなら,周期的な不況の原因は何だろうか? 好不況の理由については,不可知なままでいなければならないのだろうか? 経済循環が自由市場経済に奥深く根ざしたものであり,経済を安定させるには政府による計画が不可欠だというのは本当なのだろうか? 好況と不況は気まぐれに起こっているだけなのか,それともある局面は別の局面から必然的に生まれてくるものなのか? 

 実際,経済循環に対しての態度で現在人気のあるものは,カール・マルクスによるものだ.マルクスは,18世紀の終わり頃に始まった産業革命以前には,定期的な経済循環がなかったと考えた.王が戦争をはじめたり,家臣の所有物を取り上げたりすれば,突然に経済危機が起こったが,現代に特有の現象である経済が拡大したり縮小したりすることはなかった.経済循環が近代産業とともに出現したため,マルクス経済循環が資本主義経済に内在的な特徴であると結論したのである.各種の経済思想はすべて,その違いや経済循環の原因とかんがえるものの違いにかかわらず,一つの決定的な点で共通している.それは,経済循環は市場経済のどこか内奥から生じているという考えである市場経済責任がある.マルクスは,周期的な不況がますます悪化し続け,人民が反逆して体制を壊すことになると考えたが,現代の経済学者は,政府経済循環をうまく安定化させることができると考えている.しかしどちらも,問題は市場経済の深くにあって,それを直すためには,なんらかの大規模な政府介入が必要であることに同意している.

 しかし,市場経済欠点なのだという前提には致命的な問題がある.なぜなら“一般経済理論”によれば,市場では常に需要と供給が均衡する傾向があるため,生産物や生産要素の価格は均衡点に向かうからである.常に生じている情報の変化でさえも均衡に達することはないことになるが,市場一般理論には,繰り返される経済循環の波を説明するような要素はない.現代の経済学者はこの問題を”解く”ために,価格と市場一般理論経済循環の理論を完全に仕切って,一体のものであるというよりは,相互に無関係なものとして別々に取り扱う.残念なことに,経済学者経済が一つであり,唯一の統合された経済しかないことを見逃している.経済生活においても,理論構造においても,水も漏らさぬ仕切りがあるはずがないし,そうあるべきでもない.私たち経済の知識は統一された一体物であるか,あるいは存在しないかのどちらかである.しかし,ほとんどの経済学者は完全に別の,現実には相互に排他的理論を,一般価格分析と経済循環に当てはめることに満足している.彼らがそうした原始的なやり方を続けることで満足する限り,彼らは純粋経済科学者ではあり得ない.

 しかし現在流行アプローチには,さらに深刻な問題が存在する.経済学者経済循環と一般価格理論を整理しようとしないために,彼らはある重要な点を見逃している.それは経済危機と不況時における起業家果たしている機能である市場経済ビジネスマンが果たすもっと重要な機能は,“起業家であることだ.それは生産手的な投資を行い,設備を買い,雇用をすることで,その見返りが確実ではない何かを生産する人のことである.つまり,起業家機能とは不確実な未来を予測することなのだ.生産への投資活動の前に,起業家,または”企画者”は,現在と未来コスト未来の収入を比較して,投資がどの程度の見返りをもたらすかを推測する.もしうまい予測をして,他の競争相手よりもうまくやれば,投資から利益を得るだろう.予測がうまいほど,利益も大きい.もし反対に,よそくが外れ,商品需要を過剰に見積もれば,損失を出して廃業することになる.

 市場経済は利益と損失の経済であり,起業家の洞察と能力はその損益で測られている.さらに市場経済は,その内部機構として,自然選択の仕組みを備えている.それは,より優れた予測者が生き残って繁栄し,劣ったものは消え去ることになるものだ.なぜなら,より良い予測者が大きいな利益を得ることで,そのビジネスは大きくなり,より多くの生産システム投資が可能になるからである.その反対に,劣った予測者が何年か損失を出し続ければ,市場から完全に追い出されてしまい,単なる雇われサラリーマンにならざるを得ない.

 もしそうなら,市場経済はその内部に,良い起業家自然選択機構をもっていることになる.つまり一般的に,企業が損失を出すようなことは少ないと考えられる.そして実際に,日単位,年単位経済を見渡すと,損失はあまり普通ではない.しかしその場合に,説明が必要となる奇妙な事実がある.それは,周期的な不況期が始まると,特に恐慌になると,多くの企業が突然に巨大な損失を出すようになるのかということである.それまでは非常に抜け目なく損失を避けて利益を上げて来た起業家が,突然にほとんど全員が深刻で,説明できないような損失を被るのだろうか? なぜなのだろうか? これは,不況の理論が説明しなければならない重大な事実である.消費支出が低下するという“過少消費”のような説明では,十分ではない.なぜなら,例えば,それまでの経済の変化や発展をうまく予想できたビジネスマンが,完全に破滅的に消費需要の落ち込みを予想できなかったということになるからだ.なぜ突然に予想できなくなるというのか? 

 不況についての適切な理論は,経済が好況と不況の連続を繰り返す傾向を持ち,スムーズな動きへと落ち着く気配がないこと,あるいは均衡状況と感がられるゆっくりとした成長するような状態に向かっていないことなどを説明しなければならない.特に,不況の理論は,経済危機の時点で突然に素早く起こり,不況時にまで継続する膨大な予想の誤りを説明する必要がある.そしてまた第3の普遍的事実にも説明が必要だ.それは必ず好不況の波は,生産設備や機械,天然資源や工場設備をつくるような”資本財産業”においての方が,消費財産業よりもはるかに強烈で深刻な問題であることである.ここには,経済循環論で説明されるべき事実があり,明らかにそれは過少消費学説などの不況理論では説明不可能だ.過少消費理論は,消費財への支出が少なすぎるという.もしそうした支出不足が弱点なのだとすれば,不況期において消費財の売上の減少がもっとも少なく,工作機械資本設備,建設天然資源などの産業が直撃を受けるのだろうか? その反面,これらの産業こそが,経済循環のインフレ的な好況の局面で暴騰するのであって,消費財関連のビジネスではない.そうであるなら,適切な経済循環理論は,非消費財または”生産財”産業における,はるかに強烈な好不況を説明するものでなくてはならない.

 幸いなことに,現在の経済学者からは一般的に無視されてはいるものの,不況と経済循環についての正しい理論は実際に存在している.それには経済思想の長い歴史もある.理論は18世紀スコットランド哲学者経済学者であるデイヴィド・ヒュームと,19世紀初頭のイギリスにおいて著名な古典派経済学者であったデイヴィド・リカードによって始まった.本質的に,こうした理論家たちは,18世紀の中盤からの産業革命に伴って,もう一つの重要な制度が発達してきたことを見出した.それは信用と通貨供給を拡大させる力を持った銀行制度である.(それはまず紙幣または銀行券の発行の形で始まり,後には普通預金,手形口座といった即座に銀行で換金できる形になった.)二人の経済学者にとっては,こうした商業銀行活動こそが,18世紀以降,人びとを悩ませてきた,繰り返される不可解な経済循環,拡大と縮小,好況と不況のカギなのであった

 経済循環のついてのリカードの分析は次のようなものである.まず世界の自由市場において生まれた自然通貨は有用な物質であり,通常は金や銀であった.もし通貨がこれらの商品だけにとどまっていたなら,経済は全体として個別の市場と同じように機能したはずである.需要と供給はスムーズに調整され,好不況の循環は発生しない.しかし銀行信用が注入されることで,重大な撹乱要素が生まれる.なぜなら,銀行が信用を銀行券や預金の形で拡大すれば,理論的にそれらは即座に金に引き換えることができるはずであるが,明らかに現実には不可能だからだ.例えば,もし銀行が1000オンスの金を金庫に保管しており,即座に引き渡すことを約した預かり証を金2500オンス分発行するとすれば,明らかに引き換える事ができる量よりも1500オンス分余計に発行したことになる.しかし人びとが一斉に銀行で預り証を現金へと“取り付け”しようとしない限りは,保管証は市場において金と等価であるものとして機能する.そのため銀行は,経済への通貨供給を金1500オンス分拡大することができる.

 こうして銀行は気前よく信用拡大を始める.なぜなら信用拡大をすればするほど,自分の利益は大きくなるからだ.この結果,国内経済,例えばイギリスにおける通過供給は拡大することになる.イギリスの紙幣や銀行券の供給が増えれば,イギリス人の名目所得と支出は上昇し,イギリス物価も上昇する.結果,国内ではインフレ好景気が起こる.しかしこのインフレ好景気は,良いことであるかのごとく進行するが,同時に自らの終焉へと向かう種をまく.なぜなら,イギリスの通過供給と所得が増加すれば,イギリス人外国からより多くのものを買うことになる.さらに,イギリス物価が上がれば,インフレを起こしていないか,あるいはインフレの低い外国の商品に比べて,イギリスの商品は価格競争力が失ってしまう.イギリス人国内産よりも海外産を消費するようになり,外国人イギリス産よりも国内産を消費する.その結果,イギリスの輸出が輸入よりも急減することで,貿易赤字が生まれる.しかしもし輸入が輸出を上回れば,それは通貨イギリスから外国へと流出することを意味する.それは一体どういった通貨なのか? もちろんイギリス銀行券や預金ではない.なぜならフランス人ドイツ人イタリア人イギリス銀行に資金を置いておくのは無意味だからである外国人たちは銀行券や預金を銀行に持ち込み,金と引き換えるだろう.こうしてイギリスインフレが進めば,国外に流出する通貨は金なのである.しかしこのことは,イギリス銀行信用という通貨によって,イギリス銀行の金庫に保管されている金の量がどんどん縮小してゆくことを意味する.好景気が続くにつれて,前述の銀行は,例えば2500オンス分の保管証をさらに4000オンス分へと増やすが,金の保管料は例えば800オンスへと縮小する.このプロセスが加速するにつれて,最終的に銀行は怖気づくことになる.なぜなら,銀行は結局はその負債を現金化する義務を負っているのであり,その現金は負債が増加するに連れて急速に流出するからである.よって銀行は最終的に恐怖に駆られて,信用拡大を停止する.そして自分たち破綻しないように,貸し出している融資を回収し始める.多くの場合,こうした撤収活動は,人びとが銀行破綻を恐れる取り付け騒ぎによって生じる.人びともまた,国内の銀行の置かれた危うい状況が次第に気になり始めるからである

 銀行活動の縮小によって,経済の構図は反転する.好況に続いて,縮小と暴落が訪れる.銀行は慎重になり,企業は融資の返済や縮小のプレッシャーが高まって苦しむ.通過供給の減少は,今度はイギリス物価水準を低下させることになる.通過供給と所得,物価が低下するにつれて,イギリスの商品は外国産の商品よりも魅力が高まるため,輸出が輸入を上回って貿易黒字になる.金が国内に流入することによって,銀行券の量が減少すると同時に金の保有量は高まり,銀行の状況はずっと健全になる.

 これが,経済循環の不況局面である.それは必ず事前の信用拡大の好景気の後に来るものであることに注意してもらいたい.不況段階を生み出すのは,それに先立つインフレなのだ.例えば,不況とは,経済が以前のインフレ好景気から生じる過剰や歪みから立ち直り,健全な状態に戻るプロセスだと捉えることができるだろう.不況は以前の好況からの過剰と歪みを解消する不快ではあるが,必要な反応なのである

 では,なぜ次の循環が生じるのだろうか? なぜ経済循環は常に繰り返されるのだろうか? それは銀行が十分に立ち直って健全な状態に戻ると,そこからは銀行信用の拡大という自然な経路に向かうための自信も取り戻すからだ.そして次の好景気が始まり,その後の不可避的な不景気の種をまくのである

 しかしもし銀行経済循環の原因であるなら,銀行もまた民間市場経済の一部である以上,やはり銀行を含む自由市場が問題であるとは言えないだろうか? その答えは,ノーである.なぜなら,政府による介入と促進活動がなければ,銀行は信用を拡大できないからだ.もし銀行が本当に競争環境にあるなら,ある銀行の信用拡大は,即座にその銀行が他行に負う負債を増加させてしまい,そうした他行からの現金引き出しを要求されてしまう.つまりライバル銀行は,外国人と同じように金や現金を引き出そうとするだけでなく,その行動ははるかに迅速なので,そこから生じるインフレは始まる前にツボミの段階で摘み取られてしまう.銀行が安心して協調的に信用を拡大できるのは,実際には政府の銀行である中央銀行政府の業務を独占し,すべての銀行システム政府からの特権が与えられる場合だけだ.中央銀行が設立された場合だけ,銀行は好きなだけ信用を拡大し,現代世界でおなじみの経済循環が繰り返されるのであるイギリスでは,政府によって設立された中央銀行であるイングランド銀行ロンドン地区での通貨の独占的発行権を持っている).あるいは,民間銀行に対して,現金の保有場所として強制的に利用させる(ちょうどアメリカでの連邦準備理事会のように).銀行はこうした活動に文句を言わない.なぜなら,中央銀行があってこそ,長期間にわたって信用拡大を続けることができるのであり,中央銀行券は銀行システム全体にさらに現金を加えることで,すべての商業銀行が一斉に信用拡大に走ることが可能になるからだ.中央銀行はちょうど都合の良い,信用の拡大に向けた義務的銀行カルテルとして機能しており,中央銀行券があることで,金に加えて通貨が増加し,それによってさらなる信用拡大が可能になる.

 こうしてついに,経済循環は市場経済の不可解な欠陥によるのではなく,その反対であることあ分かった.つまり,市場プロセスに対する政府システマティックな介入である政府介入は銀行の信用拡大とインフレをもたらし,インフレが終わる際には,続いて不況による調整が始まる.

 経済循環のリカード理論は,循環理論の正しい本質を言い当てている.循環の局面が繰り返されること,また不況とは市場自体から生まれるというよりは,政府介入に対する市場の調整であることである.しかし,まだ二つの問題が説明されていない.なぜ突然に起業家たちは予想を誤り,その機能を失うのか? なぜ生産財において,消費財産業よりもはるかに大きな変動が生じるのか? リカード理論一般的ビジネスにおける物価水準を説明するだけだ.そこには,資本財産業と消費財産業の大きく異なる反応を説明するヒントは存在しない.

 経済循環の正しく,かつ完全な理論は,オーストリア学派経済学者であるルードヴィッヒ・フォン・ミーゼスによって見出され,定式化された.それは彼がウィーン大学教授であった時期である.ミーゼスは経済循環の重要問題への答えのヒントを発見し,それを1912年記念碑的著作『通貨銀行信用の理論 The Theory of Money and Credit』に著した.この本は,ほとんど60年経った現在でも通貨銀行についての最高の著作である.ミーゼスは彼の循環理論1920年代に発展させたが,それが英語圏にもたらされたのは,彼に続くフリードリヒ・フォン・ハイエクによってであった.彼は1930年代の初頭にウィーンからロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに赴任し,英語ドイツ語で2冊の本『通貨理論経済循環 Monetary Theory and the Trade Cycle』『価格と生産 Prices and Production』を書いてミーゼスの循環理論を適用・発展させた.ミーゼスとハイエクオーストリア人であり,彼らは19世紀オーストリア経済学伝統を踏まえていたため,この理論は一般に経済循環の“オーストリア”(あるいは”通貨の過剰投資”)理論と呼ばれるようになった.

 リカードオーストリア経済学に基づくと同時に,彼自信の創造的な天才によってミーゼスは次のような経済循環理論を打ち立てた.

 銀行信用の拡大がなければ,自由な価格システムによって需要と供給は均衡する傾向があるため,好不況の波は生じない.しかし政府中央銀行を通じて,中央銀行券と民間銀行の現金残高を増やすことで,銀行信用を拡大するように仕向ける.銀行は信用を拡大し,支払い口座預金の形で経済の通過供給は増加する.リカード主義者が理解したように,こうした銀行通貨の増加は物価を押し上げてインフレを起こす.しかしミーゼスが示したのは,それだけではなく,さらに不吉なことが起きていることだ.経済に新しいローンを注入することによって,信用拡大は経済の利子率を市場レヴェルよりも人為的に低下させる.

 完全に自由市場においては,利子率は純粋に,すべての経済構成員の持つ”時間選好”によってのみ決定される.なぜなら,ローンの本質は“現在財”(現在使うことのできる金銭)を”未来財”(未来の特定時点で使うことのできる借用証書)と交換することにあるからだ.現在の金銭は同額の未来の金銭支払いの見込みよりも好まれるため,市場における現在財は常に未来財よりも高く取引される.そのプレミアムが利子率であり,それは人びとがどれほど現在を未来よりも重視している程度によって変化する.つまり,彼らの時間選好である

 人びとの時間選好はまた,彼らがどれだけを貯蓄・投資して,どれだけを消費するかを決定する.もし人びとの時間選好が低下する,つまり現在の未来に対する選好が下がれば,彼らは現在の消費を減らして,貯蓄と投資を増やすだろう.同時に,同じ理由から利子率,つまり時間割引率もまた低下する.経済成長は主に,時間選好率の低下によってもたらされる.それは,貯蓄と投資を消費に対して増やして,利子率を低下させるからである

 しかし時間選好が下がって貯蓄が増加したからではなく,政府の介入によって銀行信用が拡大されたことによって,利子率が下がる場合には何が起こるだろうか? 言い換えるなら,もし利子率の低下が,人びとの消費選好と価値観の変化から生じる自然なものではなく,政府介入によって人為的に引き下げられたものであったなら,どうだろうか? 

 その結果は,大きな問題が生じることになる.ビジネスマンが利子率の低下を経験する場合,それに対しても市場からのシグナルの変化と同じように対応するし,そうしなければならない.彼らは資本財や生産財に,より大きな投資をする.特に長期間を要するプロジェクトへの投資は,以前には割に合わないものであっても,利子率の低下によって利益が出るように見え始める.つまりビジネスマンは,本当に貯蓄が増加したかのように反応する.彼らは消費財の生産に比べて,耐久財,資本財,産業用の原材料,建設などへの投資を拡大させるのである

 つまり企業は,新しく低金利で供給される銀行通貨を気前よく借り受ける.彼らは資本財投資に金を使い,そうした金は,資本財産業での土地の賃料や労働者への高い賃金を引き上げることになる.企業からの需要の増加によって賃金は高まるが,企業は高くなった費用も支払うことができると考える.なぜなら,政府銀行からの金融市場への介入によって,市場での利子率というシグナルに対して,決定的に重要改ざんが生じるからである

 労働者や土地の所有者が新しい銀行通貨を使いはじめると,すぐに問題が生じる.ここで,企業の総所得のほとんどは賃金になっているため,主に労働者重要になる.人びとの時間選好は実際には低下していないために,彼らは貯蓄を増やそうとは考えていない.そのため労働者は新しく得た所得を使い始める.つまり,それまでの消費と貯蓄の比率を維持する.このことが意味するのは,支出が消費財産業へと戻ってくること,そして新しく製造された機械や資本財,原材料などを買うためには,貯蓄と投資が十分ではないことである.これは突然に,資本財産業での大きく継続的な不況へと発展する.一旦,消費者がもとの消費・投資比率を回復すると,企業は過大な資本財投資と過剰な消費財投資をしていたことがわかる.企業は政府介入から生じた人為的な利子率の低下という改ざんに誘惑されて,投資に回せる貯蓄が現実よりも多いかのように反応した.新しい銀行通貨経済に注入されて,消費者が以前の比率を回復するやいなや,すべての生産財を買うためには十分な貯蓄が存在せず,企業が使える貯蓄量を誤って投資されたことが明らかになる.企業は資本財に過大な投資をして,消費財に過少な投資をしていた.

 こうしてインフレ好景気は価格と生産システムに歪みをもたらす.資本財産業における賃金と原材料価格は好景気のうちに引き上がり,消費者が以前の消費・投資の選好を明確にすると,割にあわないほど高くなる.“不況”とは,市場経済が不健全で割に合わない投資を流動化し,泥沼から抜け出すための必要かつ健全な局面として捉えられる.それはまた,消費者が本当に望んでいる消費と投資の比率を回復する.不況は苦痛を伴うが,好況時の過剰や誤りから抜け出して,消費者に対して市場経済効率的に機能するために必要なプロセスなのである.好況期に生産要素価格は引き上げられるため,資本財産業での賃金や物価は,適正な市場の関係が回復する程度にまで下がる必要がある.

 労働者は新規通過を高賃金としてかなり迅速に受け取るのに,好況が何年も続くのはなぜなのだろうか? なぜ不健全な投資市場シグナルの改ざんによる誤りが明らかになり,不況による調整プロセスが始まるまでに何年もかかるのか?その答えは,もし銀行信用の拡大と,それに続く自由市場を下回る利子率の引き下げが一度きりのものであるなら,好景気はとても短いだろうというものである.しかし重要なことは,信用拡大は一度きりではないということだ.それは長期間続き,消費者に消費と貯蓄の比率を確立するチャンスを与えず,資本財産業でのコストの増加をインフレに追いつかせない.馬が繰り返しドーピングを受けるように,銀行信用の刺激を受けて好況は続き,不可避的な報いが生じるのを引き延ばす.銀行が不安定な経営上用になるか,あるいは人びとがインフレの進行に尻込みし始めることで銀行信用の拡大がついに終わった時,初めて好景気反動が押し寄せてくる.信用拡大が止まるやいなや,それまでの費用を支払う必要が生じて,避けられない調整によって,好況時の不健全な過剰投資が流動化され,その結果消費財生産に対するより多くの資源配分が回復する.

 こうして経済循環のミーゼス理論は,すべての謎を説明する.循環が繰り返される性質,起業家の大きな誤算,生産財産業におけるはるかに強烈な好不況の波.

 そしてミーゼスは,インフレ的な銀行信用の拡大が政府中央銀行の介入によって推進されたことが,経済循環の責を負うと指摘する.ではミーゼスは,一旦不況が訪れると政府は何をすべきだといったのだろうか? 不況への処方としての政府の役割は何なのだろうか? まず第一に,政府インフレをできるだけ早く収拾しなければならない.それは不可避的にインフレ好景気を突然に終わらせることになり,避けられない経済の後退と不況を生み出すことは事実である.しかし政府がそれを引き延ばせば引き延ばすほど,必要となる再調整は悲惨なものになる.不況の再調整が早ければ早いほど,事態は良くなる.このことが意味するのは,政府は不健全な企業状況を下支えしようとすべきではなく,経営危機にある企業に資金援助・融資をしてはならないことだ.そうした行為は苦痛を長引かせ,急速な不況局面を長引く慢性的な症状へと変えてしまう.政府は賃金や生産財価格を維持しようとすべきではない.そうした活動は,調製プロセスを長引かせ,無限に遅らせることになる.重要資本財産業において大量の失業と不況を長引かせるのだ.政府は不況から逃れるために,再びインフレを起こそうとすべきでない.なぜなら,もし仮にインフレが続いたとしても,その後の困難が深刻化するだけだからだ.政府は決して消費を奨励すべきではないし,その支出を増やすべきでもない.なぜならそれは,社会の消費・投資比率をさらに層化させるからだ.事実政府支出の切り下げは,この比率を低下させる.好況時における過剰な投資を活かすために経済が必要としているのは,単なる消費支出ではなくて貯蓄の増加なのだ

 よって不況のミーゼス的な分析によれば,政府がすべきことはまったく存在しない.経済の健全化とできるだけ早期の不況の脱出のためには,政府は完全な”レッセ・フェール”政策の従い,事態を見守るしかない.政府が何かすれば,市場の調製プロセスを遅らせ,阻止してしまう.政府が何もしなければ,市場の調製プロセスは迅速に働き,健全な経済の回復が実現する.

 よってミーゼス的な処方箋は,ケインズ的なものと正反対である政府は完全に事態を見守り,自らがインフレを起こさないこと,支出を減らすことに専念する.

 現在では経済学者の間でさえも完全に忘れられているが,不況に対するミーゼス的な説明と分析は1930年代大恐慌の時代には広く受け入れられた.自由市場を養護するものに対しては,レッセ・フェール的な資本主義の終末的な,最大の失敗こそが大恐慌だとされている,その次代にである1920年代西洋世界の全般で起こった巨大な銀行信用の拡大によって,1929年は不可避であった.それは西洋政府,中でもアメリカ連邦準備理事会意図的に選んだものであった.それは西洋社会第一次世界大戦後に金本位制に戻らなかったという失敗の結果であり,それによって政府インフレ政策に対して大きな余地が残されたからである.現在の人びとは,クーリッジ大統領がレッセ・フェールと市場経済を盲信していると考えているが,彼はそうした人物ではなかったし,特に通貨銀行信用の分野ではまったく市場を信じていなかった.残念なことに,クーリッジの介入政策から生じた失敗と罪は,当時存在していなかった自由市場に向けられてしまった.

 もしクーリッジが1929年を不可避なものにしたのなら,フーヴァーが不況を長引かせ,深刻化させたのである.それは典型的に見られる突然ではあるが迅速に解消する不況を,長期的でほとんど致命的な病にした.その致死的な病は,第二次世界大戦ホロコーストによってのみ“治癒された”のであるフランクリンローズヴェルトではなくて,フーヴァーこそが”ニューディール”政策の創始者であった.それはまさにミーゼス理論が警戒すべきだとした政府による大量介入であり,市場レヴェルを超えた賃金・物価の維持と,銀行信用の拡大とそれによる危険な企業への融資であるローズヴェルトは,単にフーヴァーが始めたことを大きく進めたに過ぎない.その結果は,アメリカ歴史において初めての,ほとんど永続するような不況と大量失業だった.クーリッジの危機は,先例を見ないほど長期のフーヴァーローズヴェルト不況になったのである

 ミーゼスは,1920年代の偉大な好景気時代の最中に不況を予測していた.それは現在と同じように,経済学者政治家が“ニュー・エコノミクス”の武装をもって永久にインフレを促進し,連邦準備理事会による新たな”ツール”をもって,賢明なるワシントン経済学者によって永遠に繁栄する”新世紀”を宣言した時だった.ルードヴィッヒ・フォン・ミーゼスは,その正しい経済循環理論によって大恐慌を予測した数少ない経済学者の一人となり,世界は彼の意見に傾聴せざるを得なかったのであるフリードリッヒ・フォン・ハイエクがその理論イギリスに広め,1930年代の若手イギリス人経済学者はすべて,その不況分析にミーゼスの循環理論を取り入れ始めた.そしてもちろん,その理論的な帰結としての,厳格な自由市場政策を採用したのだ.残念なことに,経済学者ケインズ卿によって広まった,「”古典派”は1936年ケインズが登場するまで経済循環理論を持たなかった」という歴史的な認識を受け入れている.実査には,不況の理論は存在したし,それは古典派の伝統の中にあり,その処方箋は厳格な現物通貨制度とレッセ・フェールであった.それは即座にイギリスだけでなく,アメリカにも経済循環理論として受容された.(特に皮肉なのは,初期から1930年代半ばまでのアメリカでの主要な”オーストリア学派の“主導者はアルヴィン・ハンセン教授だけであり,彼はすぐにケインズ主義者になったことである.)

 ミーゼスの循環理論が受容されるのを圧倒したのは,まさに“ケインズ革命”であった.それは1936年の”一般理論”の発刊についで即座に起こった経済学会の驚くべき変容であった.それはミーゼスの理論は反証されたのではなく,ケインズ主義の突然の流行りの中で単に“忘れられた”のである.ミーゼス理論に従った学者たちは,明らかにケインズ主義者たちよりも知的であったにもかかわらず,新しく確立した学説の流れに迎合してアメリカの主要な大学ポストを獲得した.

 しかし今,かつてケインズ主義的な主張をしていたロンドン雑誌エコノミスト」は,最近になって“ケインズは死んだ”と宣言している.何十年にもわたる痛烈な理論的な否定と,はっきりとした経済的事実による反証の末に,ケインズ経済学一般的かつ大きな後退を余儀なくされているのである.そしてまた,通貨供給と銀行信用が経済循環に対して主要な役割を果たしていることは,しぶしぶではあるが再認識され始めた.時は満ち,ミーゼスの経済循環理論は再発見され,ルネサンスを迎える.状況の変化に早過ぎるということはない.大統領経済諮問委員会などというものが解散すれば,政府経済の領域から大きく撤退することになるだろう.しかしこうした事態が生じるためには,経済学の世界と人びとが経済循環の説明が存在し,それがあまりにも長年の間,悲劇的に忘れ去られていたことを理解しなければならないのである

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