2016-11-30 この20年の貨幣数量説
みなさん,こんにちは.
7講は,主に貨幣数量説についてです.貨幣量が2倍に慣れば,物価が2倍になるという単純な話なのですが,なぜかこれを信じない人がいるのはなぜでしょうか?
1つの重要な理由には,貨幣数量説は明らかに短期的には成り立っていないという観察事実があります.
というわけで,日銀の通貨供給量M3(彼らはマネーストックという言葉を使う)を見ても,過去15年間に通貨供給は1000兆円から1300兆円まで増加しているからには,もし貨幣数量説が成り立っているなら,少なくとも30%ほどのインフレが起こっているはずです.明らかに,デフレが起こってきたことからすると,通貨の流通速度が低下してきていると考える他はありません.
上の日銀のグラフは2002年で切れているのですが,統計をテキトウに継ぎ接ぎして,もっと遡ることもできます.それを見ても,1993年くらいからは一貫してM3に当たる,マネタリーベースの通貨供給は1.5倍を超えて増加しています.日本のGDPがこの間,ほとんど一定であるからには,最近20年以上も続くデフレというのは,いかにも不思議です.明らかに貨幣数量説は成り立っていません.
おまけに,期待インフレ率(BEIと呼ばれる)もまた1%をはるかに下回っています.期待インフレ率は,インフレ調整された国債と,通常国債の金利差から推定されますが,少なくとも債券ディーラーたちは,近くインフレが起こるとはまったく予想していないのです.実際M3の2−3%をはるかにこえる増加にもかかわらず,期待インフレが低いのは,経済学にとっては完全なナゾです.もちろん黒田総裁には予測できなかったでしょう.
というか,これはそもそも黒田さんという程度の人の問題ではなくて,過去のどの偉大な経済学者にも予測不可能だったことだと言えます.もちろんミルトン・フリードマンや,あるいはもっと最近のポール・クルーグマンを含むすべてのケインズ主義者にも,こうした現象は予測できないものでした.
ここから何が結論できるのか? バカらしくて面白くもない命題ですが,「経済は我々の現存の知識や理解を超えて複雑であり,何かを予測したり,いわんやコントロールできる状態にはない」ということなのでしょう.
通貨供給量からではないなら,インフレ予測が実際にはどのように形成されるか,という問題はあまりに重要であるのですが,現在の経済学はその答を持っていないし,もっと根本的な行動科学者も含めて,我々の経済についての知識は,未だに中世の錬金術や瀉血療法の医学程度のものなのでしょう.
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2016-11-22 おカネという不思議

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みなさん,こんにちは.
6講以降は,おカネの話です.貨幣というのは「価値が無いのに,価値がある」みたいな謎かけの不思議さもあるので,メジャーな経済学者は一筆書いてみたくなるものなのでしょう.ケインズ始め,多くの経済学者が,貨幣と実物経済の関係について書いています.
確かにおカネは不思議なものですが,財の交換に特化した商品だと見ると,それほど変わったものではないとも考えられます.何がそうしたおカネになるのかという,進化ゲーム理論的な考察は難しいのでしょうが.
僕が学生時代に軽く読んでいたガルブレイスの本だったかに,アメリカ南部ではタバコが通貨として使われていた話が載っていました.南部ではプランテーションが盛んだったからでしょう.理論的にはどんな商品でも通貨になりえるはずですが,金・銀・銅が多いのは,装飾具としての内在的価値・希少性・不易性などのためです.
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原始的な交換経済では,金属がそのままその場での交換に使われますが,信用経済に発展すれば,金属の所有権を化体する有価証券=紙幣が主流になります.その後はさらに,預金でも同じ決済業務ができるので,つまりは銀行預金自体が,おカネと見なしてかまわないわけです.
これはしかし,けっこう難しくて,あまり理解されていない点です.なぜって貨幣から紙幣までは物理的に見えるが,預金残高というのは単なる抽象的な数値でしかないので,それがおカネであると考えるのはけっこうに高度な抽象的な思考が必要だからです.これがわかるだけでも,おそらくは大学の「金融論」とかの,最初の数時間に値するように思います.
実際にヨーロッパ人が預金を通貨だと考えるようになったのは,おそらくは19世紀の時点であって,それ以前は「預金=紙幣」であるとは,まったく考えられていなかったわけです.実際,これはこれで,けっこう大きな視点の転換です.
似たような話ですが,例えば,アリストテレスの時代には,力というのはすべて接触によってしか伝えることが不可能だと考えられていたようなものです.その場合,重力や電磁力などのように媒体のない力の伝達は不可能だということになりますが,そんなことを言うやつは今はいない.つまり力の伝達についての常識が変化したのです.同じように,通貨=交換媒体というものに銀行預金が含まれるというのは,間違いなく人類史上の,一つの思考の進歩です.
で,現代の通貨供給量であるM1,M2など,なんでもいいのですが,それらには必ず預金通貨量が含まれています.例えば,日本では,市中に出回っている現金が100兆円なのに,銀行預金は1300兆円もあるのですから,交換媒体の主流は圧倒的に預金なのです.まあ,こんなことはビジネスの実務を知っている人にはアタリマエのことですが,,,
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さて現代の「貨幣論」の学者たちが注目しているのは,ビットコインなどの暗号通貨で,これは国家の強制力を廃しても残る「自然的秩序」としての通貨でしょう.当然ながら日本では,ほとんど流行らないと思いますが,それでも長期的には,だんだんと両替手数料の有利さから普及が進むのではないかと思います.驚いたことに,すでにアルトコインにしても10種類を超えて,数多くが取引されています.
オーストリア学派は金本位制の復活を唱えています.それはそれで理論的には納得できるのですが,ケインズ全盛のこの時代に,国家が通貨管理権を放棄するというのはありそうにもないのが残念です.同じように,暗号通貨が主流になるとも思われないのですが,脱税や麻薬取引,ランサムなど犯罪取引のニーズからすれば,ドル紙幣に代わって,zcashなどの完全な暗号通貨が使われることは間違いありません.
暗号通貨が主流化することはないのでしょうが,ISやウィキリークスのように,アメリカという領域国家と併存することは可能でしょう.中国のような全体主義国家はさておき,少なくとも,主要な国家が暗号通貨を禁止しなければ,そのうち金融先物市場なども整備されて,暗号通貨の利用はそれなりに維持されるでしょう.
暗号通貨は国家通貨と併存する時代になるということなのでしょう.この本を書く際に調べてみると,中世のオランダでは少なくとも500以上の通貨が世界中から持ち込まれていたようです.とすると,それらの硬貨の金属を鋳造し直す業務も,それなりに繁栄します.中世と同じように,これからは多くの暗号通貨が流通するようになるのかもしれません.
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2016-11-10 国債の日銀引受
みなさん,こんにちは.
僕を含めて,ほとんどの人がクリントンが大統領になるのだろうと思っていたら,トランプ大統領とはあまりに意外!! 本当に驚きました.
しかし考えてみると,メキシコ移民や中国からの輸入品(昔は日本からのクルマなど)が高卒白人労働者の賃金を下げているのは間違いのない事実であり,そうした白人アメリカ人はこれ以上の移民や貿易を否定したいということなのでしょう.
確かにアメリカで反映しているのはアップル,グーグル,アマゾンなどのテック企業であり,そこで働いているのは例外なく高学歴の持ち主であり,そうした比較優位を生かせない労働者にとっては,自由貿易も移民も大変な不利益です.
最近もBrexitという現象があったり,ヨーロッパでも中東の移民への排斥運動は高まっています.それに,今さら言うまでのないことですが,そもそも日本はまったく移民受け入れをしていないことからすると,人びとがいかによそ者を嫌うものなのか=自国の伝統を大事にするのかがわかります.民主党のような汎世界主義というのは,メディア従事者には受けても,実は多くの庶民の心の中ではあまり納得できないものなのでしょう.
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さて5講目はアベノミクス. 3つの矢は,「機動的な財政出動」,「大胆な金融政策」,「規制緩和」ですが,2012年からといえば,もう4年前というほどの長さです.この間に財政出動を続けることはできないし,マイナス金利などの大胆な金融政策=黒田バズーカも弾切れということになってきたようです.
規制緩和の方は,確か特区をつくるとか言ってましたが,案の定それはまったく実現せず,「一応総活躍社会」のようなスローガンだけが残っているのは,いつもながらの政治の常です.ここでは金融緩和の1.公開市場操作,2.金利の引き下げについてだけ,少し書いてみましょう.
1. 巷間に存在している1000兆円の赤字国債を,どんどんと日銀が買い入れるというのが大胆な金融政策です.日銀は単に金融市場で国債を買い入れているだけでなくて,さらに,去年から今年に発行された赤字国債なんかはほとんど100%日銀が買い取っています.つまり赤字国債の日銀引受が起こっているのです.この額はそのまま,日銀にある銀行口座などの資金量の増加=マネタリーベースの拡大になっていて,2012年の120兆円から,2016年夏には400兆円にもなっています.
図は日銀の統計サイトで作成した,マネタリーベースの拡大の様子です.実にはっきりと金融緩和政策が表れています.ここまでやって,デフレが続いているというのも実に不思議.明らかに貨幣数量説がまったく成り立っていない!
2. マイナス金利はヨーロッパでもそれ以前から試されていたので,特に大きな効果を持ちえないことは明白です.マイナス0.5%なら人びとは銀行に預金を預け続けるかもしれませんが,マイナス5%になれば,他の保管金融機関に頼んで,1―2%ほどの保管料を支払うことになるため,おそらくマイナス2%くらいがマイナス金利の限界のはずです.
ということで,金融緩和も限界であることからは,各種の規制が緩和されるべきなのですが,,,(よく解雇規制の緩和などが議論されています.余談ですが,これは僕自身が一番困る=ヤバイと感じる規制緩和ですね,,,ハハハ)
それはさておき,どんな規制緩和があり得るのでしょうか? 例えば,Airbnbやuberの利用が典型的なものになります.あるいは,ZMPなどのようにこれまでの自動車会社ではない自動運転のソフト会社が,急速に圧倒的に大きくなることもありでしょうか.
日本人なら誰もが理解していることですが,日本の企業はここ30年以上もソニー,パナソニック,NTT=ドコモなど,プレイヤーが完全に同じでまったく新陳代謝がありません.アップル,グーグル, アマゾン,フェイスブックなどはすべてここ20年に急速に巨大化した世界企業ですが,こうした新興の世界企業は日本には一社もないのです!!
さて,この世には未来にどんな企業が圧倒的になるのかを予測できる賢人などいません.だから,「あれこれのような(例えばグーグル)企業が出現するためには,これこれの規制をなくすべき」という命題を証明的に成り立たせるのは不可能です.全般的な規制の撤廃以外には,方法はありません.
テスラはすでに「オートパイロット」で交通事故死を起こして,ドライバーが死んでいます.あるいはこれからは,まちがいなく誰か通行人を巻き添えにするはずです.そこで,どうすべきか?? (ところで,僕は自動運転よりも高齢認知症ドライバーの方がはるかに危険になって来たように思うのですが,,,)
ここで常識人であれば,全員が全員,「正しい規則を作って,自動運転を過度に抑制しないような仕組みを作るべき」だといいます.そうした仕組みというのは道路交通法のような公法システムのことです.別に新規の道路交通法はなくても,民事的に運転者や自動車会社が責任を負うということで,判例法的に法システムが形成されることも,ごく抽象的には可能なはずです.
もちろん,こうした民事的な解決というのは日本ではまったく想定されていません.有識者という人がいるなら,すべて全員がなんらかの公法システムの策定を議論しているに違いないのです.しかし,なぜそもそもすべてを公法的な枠組みで処理する必要があるのか,あるいは私法的な枠組みが機能しないところだけを,公法で処理するという発想ではだめなのか??
話が完全に脱線してしまいましたが,「今実行されている活動以外は,原則として許されない」なら,新しい活動を行う企業は生まれません.「原則的にどんな活動も許されるが,明白な危険が存在するときにだけ,規制することが検討される」という「clear and present danger」の発想しかないはずですが,これはまったく受けないですね,,,,ザンネン
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2016-11-08 リカードの等価定理
みなさん,こんにちは.
最初の3講では,長期的な経済成長について書きましたが,4講と5講はケインズ経済学について少し.
ケインズ経済学が世界を圧倒したのは,世界恐慌に際して,経済学者が無策だったからだとされています.で,『一般理論』は大人気になり,それをモデル化してベストセラー教科書『経済学』を書いたのが,ポール・アンソニー・サムエルソンだということになっています.マクロ経済学の歴史的な展開を見ると,間違いなくその通りです.
さてケインズ経済学によると,不況に対しては2つの処方箋があって,1.公共事業の増加,2.市中金利の引き下げと,それによる銀行貸出=民間投資の増加,です.どちらにしても,確かに誰かの所得を引き上げるということになります.市中の貨幣量(マネタリーベース)が一定であっても,公共事業の発注やその流通速度を上げるということは可能だし,あるいは銀行乗数の増加で貨幣量を増やすことも可能だからです.
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政府の財政出動のためには,増税,あるいは国債の発行か,あるいは新規通貨の発行以外の方法はありません.増税によると,消費者は可処分所得が減って,消費を減らすことになるために,望ましいとは考えられません.また新規通貨の発行はインフレを呼ぶので,結局は国債の発行に頼ることになります.
新古典派のリカード・バローの等価定理によると,国債の発行をすれば,市民は将来の増税を予想するので,増税と国債の発行は同じ結果を生むはずです.しかし,ここで論争が生じます.おそらくケインズ主義者は,人間行動の観察に忠実で,人びとはそれほど長期の見通しを持っていないという「行動経済学」的な立場をとります.対して,新古典派的な「完全合理性」を信じるなら,確かに国債の発行と増税は同じ結果を生むことになります.
僕の勝手な主観では,おそらく一時的な生産は確かに増加するという意味で,ケインズ主義は正しいと思います.問題は,その後に生じる政府の赤字の償還,これは現実には,長期的なシリョリッジによるインフレをどう評価するのか? という点です.
そうした緩やかなインフレは望ましいと考えるなら,ケインズ主義による財政出動は(少なくとも大不況時には)望ましいということになります.もし,インフレがすべて個人財産への課税であり,財政民主主義に反する活動だと否定するなら,ケインズ的な財政政策は否定されることになると思います.
人びとが,景気が良くなったと「感じる」こと,さらにその後で「インフレで生活が苦しくなった」と感じること自体の効用をどう評価するのか? あるいは評価すべきなのか? そうした問題は,経済学ではあまり議論されていません.
あえて言うなら,こうした「政府活動自体のinconsistency」というのは,政治哲学で議論されるべきことだと思います.さて,もし政府が好景気の「幻想」を抱かせることができるとするなら,それをどう評価すべきなのか??
人は希望がなくては生きられないでしょう.とすると,やはり政府は人びとに好景気の希望を与えるべきなのか?? あるいは,もともとそうしたことが無理であるなら,(ガンの告知のように)そのように告げるべきなのか?? ある意味で,white lieの状況に似ています.社会哲学的に難しい問題です.
皆さんも,ちょっと考えてみて下さい.
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2016-11-04 3講 技術革新

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みなさん,こんにちは.
11月1日の段階で,すでにハロウィーンの飾りが一斉に撤去されると同時に,スターバックスではもうクリスマス・ソングが流れています.こういうのを過剰なcommercialism , consumerismというのでしょうか.あまり気になりませんが,あるいはある種の人たちは「やり過ぎ」という風に感じるのでしょう.
さて分業,国際貿易と来て,3講は技術革新になります. 現代社会がなぜ中世よりも豊かなのかといえば,つまりは技術が異なるからだということになるでしょう.産業革命やイノベーションについては色んな角度から,いろいろなことが言えると思います.ここでは,現存の有名な歴史家であるケネス・ポメランツの『大分岐』について.
なぜイギリスで産業革命が始まったのか? という究極の問いについては,多くの答えがあるのでしょうが,最近の話題の一つは,ポメランツによる「二つの偶然説」です.
1. イギリスには広大な植民地があって,それが機械化によって生産性の上がった繊維産業の販売先になった.植民地がなかったフランスやオランダでは,同じ規模の技術革新の費用がペイしなかったために,そうしたイノベーションが起こる余地がなかった.
2. イギリスでは地表近くに石炭があり,掘り出すのに労力がほとんど必要なかった.これが石炭の利用による蒸気機関を生み出すインセンティブになり,他国に先駆けてコークス利用の製鉄産業が勃興した
というような説明です.まあ,なるほど,そうかもしれないという理由です.これは伝統的な歴史学に基づく仮説であると言えます.

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僕が最近読んだ中でもっとありそうだと考えているのは,グレゴリー・クラークの『10万年の世界経済史』です.こっちは偶然ではなく,12世紀から500年間に渡って,イギリス人はコンスタントに遺伝的に変化=進化して,より資本主義的に適合的な長期の時間選好,高い知性などが集団に広まったというものです.
こっちのほうはpolitically incorrectですが,そうしたことがあっても自然主義的には不思議ではないということになるでしょうか.

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さて,どういう理由からイギリスで産業革命が始まったのかはさておき,最近僕が感じたことを一つ.
戦後から1990年代までのイギリス経済はおそらく大停滞期にあって,僕の印象ではイギリスの産業に特に良い印象はありませんでした.ある時(確か1990年くらい),アメリカで外国通の友人が,「あんな中古品しかない,ボロい国」というようにイギリスのことをけなしていました.当時,たしかにイギリスの産業や生活水準というのは,あまりパッとしないイメージでした.
しかし21世気に入ってからは,ダイソンやジャガー・ランドローバーなどイギリスの工業が再び戻ってきたのを感じます.実際にイギリスの一人あたり所得は42000ドルにまで急速に増加してきていて,これはフランスと同じで,アメリカの50000ドルよりもわずかに低いだけです.ちなみにグーグル先生によると,日本は38000ドル,香港は55000ドルくらい.
英語が有利だということを差し引いても,金融業だけでなく,工業生産などが盛り返してきているのは間違いありません.イギリスは「大いなる没落」から脱出しつつあるのでしょう.国家の栄枯盛衰は,実に興味深いものです.
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2016-10-31 第2講デイヴィド・リカード

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みなさん,こんにちは.
まず第一,に国内産業における分業の利益だとすると,そのまま拡張すれば国際貿易になります.しかし「貿易」という言葉があるということ自体が,どれだけ我々の生活において「政治」の力が大きなものかを表しています.国内の経済取引ではないだけで「貿易」という,専用の言葉があるのですから.
この本では,平清盛の目指した福原京の建設と日宋貿易の拡大という話題と,織田信長の目指した南蛮貿易の支配と,さらに明国の征服です.どちらも野望を持ったは良いが,その後の鎌倉幕府,江戸幕府では外国貿易は行われなかったという点で類似しています.
1200年代から東アジア貿易が盛んになっているなら,日本はオランダのように海洋国家になっただろうし,倭寇どころか,どこかの時点で再び日本は中国や朝鮮半島と一体化した政治支配に至った可能性があります.そうすると,あるいは今は中国50民族の一つになってしまっているという可能性もありますが,,,,歴史に「タラレバなし」といいますから,そうした話をしても詮無きことですが,興味深い話ではあります.
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ということで,第2講では,デイヴィド・リカードの「比較生産費説」を取り上げています.この話は,いつも授業で扱うのですが,経験則からすると,あまりに詳しくやると学生が飽きてしまい,面白がらないものです.しかし,基本的にはどんなに貿易品目についての絶対優位の国でも,あるいは絶対劣位にある国でも,国際貿易によって,一人あたりの消費量は増やせます.
これ自体はどの教科書にも書いてあるのですが,それでも人びとが保護貿易政策を採りたがるのは,単なる消費量というような問題ではなくて,もっと国家や国民としてのプライドなどを気にするからでしょう.
アメリカは今も当時も農業に比較優位があったため,別に自動車なんて他国に作らせて輸入すれば良いというのは経済学者の意見としては正当です.しかし当時の国民感情は,アメリカの自動車産業は「アメリカのプライドだ」的な発想を持っていたというわけです.
今,マイクロソフトから始まり,グーグル,アップル,アマゾン,フェイスブックと,地球規模で圧倒的な存在感を放つアメリカ企業群の存在には,日本の企業なんてほとんどライバルにもなっていないという点で,実に隔世の感があります.
まあしかし,日本人は世界の人口の100分の1しかいない時代なのですから,その数値からすると日本企業は世界中で十分に存在感があると思うのですが,それでは人は納得できないというのは難しいところです.
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さて自由貿易の利点に戻ると,香港やシンガポールの一人あたり所得は5万ドル以上なので,金融の自由化も含めた自由貿易がいかに重要であるかがよく分かるというものです.東京の平均所得がまだ4万ドルでしかないところからすると,まだまだ改善の余地があるはずです.こうした事実は,このところの政策論議なのでは,ほとんど問題にされることはないのが不思議なのですが,すでに東京は香港やシンガポールよりも生産性がはるかに低く,一人あたり所得も低いのです.
この原因は何なのか? 東京の生産性が香港に追いつくのに,貿易の自由化と規制の撤廃以外のどういった方法があり得るのか?? 所得の平等化を目指す再分配政策についてはさておき,そもそも一人あたりの労働生産性はOECD平均が50ドルで日本は40ドルというのは,なぜか?? ケインズ政策はさておき,こうした生産性の停滞状況そのものが,ほとんど政治的に問題にされていないのは,一体なぜなのでしょうか?
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2016-10-28 1講 分業とアダム・スミス

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みなさん,こんにちは.
さて第1講義は,分業の利益です.当然 アダム・スミスのピン工場の話を引用しています.産業革命の以前には,生産性の向上は科学技術を進歩させるというイノベーション型ではないので,会社や社会レベルでの生産分業と,あとは貿易での分業+賦存資源の違いを利用した分業になります.
さてオランダの有名な経済史家であるAngus Maddisonは最近なくなりましたが,彼のプロジェクトは今も続いていて,サイトが更新されています.
http://www.ggdc.net/maddison/maddison-project/home.htm
この研究を見ると,たしかにローマ時代は分業が進んでいたためにイタリアがもっとも豊かで,その後15世紀は地中海貿易のイタリア,さらに17世紀は世界に東インド会社をつくったオランダへと豊かな社会が変化していることがわかります.
その後はイギリスとアメリカで産業革命が起こり,貿易よりも産業が重要になるのですが,それにしても貿易が人びとの生活を豊かにするのは,別にこうした歴史を見なくても明らかです.
(ちなみに生前のマディソンは,ケネス・ポメランツが『大分岐』で示したような主題,つまり1700年以前の世界(ヨーロッパ,アジア,その他)ではほとんど生活の水準に差はなかったという主張に真っ向から反対の論文を書いています.まあ,これはこれからもっと議論が進んでほしい点ですが,ともかく近代の産業革命以降ほどの生活の圧倒的な差が存在してなかったのは事実でしょう.)
人間というのは,よほどよそ者嫌いなものであって,それは論理や経験というよりも,戦争を繰り返してきた直感からくるわけです.ともかくも,自由貿易による分業というのは,政治的にはとても難しいものです.
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2016-10-26 「18歳から考える」序章

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序章はですね,左からマルクス,ケインズ,フリードマン,ハイエクの4人を並べて,政府と市場による財の配分割合を表しました.
政府の割合,あるいは政治による強権的な配分割合は,テキトウですが,マルクス100%,ケインズ50−40%, フリードマン20−10%,ハイエク 〜10%というほどになるでしょうか.人の顔写真が載っているのは,何にしても,具体的で興味深いものです.
実際には,こうした直接的な政府による財の分配だけでなく,各種の規制による政府の介入もあり,あるいは公社・公団などのように,政府なのか,民間企業なのかわからない存在もあるので,数値的な曖昧さは残りますが,大まかな程度と方向性は間違いなく,こうした順番になるはずです.
少なくともマルクスや,その後継者たちが100%の政府による生産と分配を認めていたことは間違いありません.今 各国の共産党はどうなんでしょうか? ハッキリとはわからないのですが,おそらくは50%以上の,どこか80%程なのかと思います.なぜって,現在の欧米型の先進国政府は,GDPの40%ほどを直接・間接的に支配しているからです.これ以上の介入を望む人は,60〜80%というほどにはなるでしょう.
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いきなり余談ですが,この本を書く際にハイエク全集をどれだけか読み直しました.そこで,1970,80年代のハイエクは今よりもずっと多くの日本人経済学者に支持されていたことが,よく分かりました.おそらくその時代の経済学者(おそらくは戦前の教育を受けた世代)は実際に,戦時軍国主義を経験していて,「自由」というもののありがたみも,「不自由」の意味もよくわかっていたようです.
翻って,僕の世代以降は,民主主義的な言論の自由は当たり前で,むしろ面白みも有り難みもなく,つまらない主張になってしまったようです.戦後の世代の学者に対しては,訴求力がなくなってしまったということなのでしょう.
もう一つは,経済学の「制度化」の完成によって,ケインズ経済学は教科書の普及とともに,完全に世界の社会常識のスタンダードになったということだと思います.皆さん よくご存知のように吉川洋先生などは,ルーカス以降の新古典派によるケインズ主義の侵食を嘆いておられますが,それはあくまで学会のマクロモデルに限った話です.僕はマクロ経済学を教える際に,「公務員試験のための経済学」というような教科書を長年使っていますが,それを見ると,カリスマ講師の教える内容のほとんどすべてがケインズ経済学そのものであり,新古典派からの批判は取ってつけたようにわずかに載っているだけです.まあ,DSGEモデル自体が,常識的には難しすぎるというのは事実ですが,,,
というわけで,戦後の圧倒的な存在はケインズ主義であり,アベノミクスもしかり.あるいはヨーロッパ中央銀行やFRBの低金利政策も,つまりはケインズ主義の金融政策そのものです.
おそらくフリードマンは10%ほど,ハイエクは5%ほどを,国防・警察・司法という夜警国家の維持のために肯定していたのではないかと思います.とはいえ,彼ら自身が割合を明示しているわけではないので,この図は(僕も含めて)多くのリバタリアンの常識とでも呼ぶ程度のものです.当然ですが,ハイエクは無政府主義者ではなかったが,間違いなく,それに一番近い著名な経済学者だったといえるでしょう.
というわけで,序章ではこの4つの知の巨人による財の配分割合について少し説明してみました.
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2016-10-23 18歳から考える経済と社会の見方

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ついに今年書いていた経済学についての,できるだけ読みやすい入門書「18歳から考える経済と社会の見方」が発売されました!! いや〜〜 苦労したなあ. もちろん内容が難しいとかのために苦労したということがあるはずもないのですが,経済学的な物の見方を紹介するという単純なミッションが,文章力のない僕には,呻吟することしきりだったのです.
去年,オーストリア学派を代表する一人,スペインのウエルタ・デ・ソトによる「通貨・銀行信用・経済循環」を翻訳しました.その縁があって,昨年の終わりからこうした入門書を書こうということになって,この前の9月までほとんど全力投球しました.まあ大学の教員なんて,学術研究でもするか,あるいはこうした教育活動をするかしかないので,別に時間をかけたことが何だと言うほどでもないですが,,,
で,形式としては基本的に大学の講義の形に合わせて,10講+インターリュードの3講,ということで13週間で終わるように13章で書いてみました.授業でも使えるし,読書にもちょうど良いだろうと思ったわけです,ハイ.
うーん,でも実際にこの内容は,本当に大学に入学した18歳向けの「入門経済学」で扱うにしては,あまりに稠密か... 現実的には,1章90分ではもっとも重要なメッセージしか話せなさそうです.
せっかくなので,各章の主題をこれから何回かに渡って書いていくつもりです.おそらくリバタリアンには物足りなく,しかし通常の経済学者(ケインズ主義者か?)には,あまりに市場主義臭い,という中途半端に感じることでしょうね.まあ学術書ではないので,仕方がないところです.
帯に松岡正剛さんからの推薦文,「諸君にカンケーのない社会も経済もありません」というものをもらいました.これは結構ありがたい話です.僕には松岡さんのような素晴らしい文章はまったく書けないのですが,彼の「18歳から考える国家と「私」の行方」という本が去年,2015年に出ています.下に紹介しておきます.
この本の中での,できるだけ古今東西,歴史的・現代的な事例を取り扱うことで,楽しい話題を提供するという点を参考にして,できるだけそうした方向で書いてみたのです.読者にとって,そうした試みがうまく行っていれば良いのですが,,,
というわけで,理屈ばかりというよりは,シニョリッジについての古代ローマや江戸時代の改鋳の話や,さらに有名な江戸時代の「勤勉革命」の話,あるいはポメランツの「大分岐」などの話を入れて,読み物として楽しいものを目指してみたというわけです.もちろんアダム・スミスやリカードへの準拠などのところは,典型的な経済学を踏襲しているのですが,そうした教科書然として内容だけでなく,もう少し広がったところを扱えたかなと思っています.
それで,表紙もけっこう「ゲッティ・イメージ」という感じで,見栄えのする新しいものになりました.僕もとても気に入っています.
それでは,次回からは13講義の内容を簡単に書いていこうと思っていますので,よろしくお願いします.あ,待てよ,序章もあるので,まずは序章からですか. ともかく よろしく.
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18歳から考える国家と「私」の行方 〈東巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在
- 作者: 松岡正剛
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2016-09-04 なぜコラム構造は6層なのか?

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数理脳科学という学問は,ちょっとばかり経済学に似ています.それは個々のニューロン(人間)の活動を数理的に,熱力学のように丸めることで,全体の状態についての法則を導出しようとしているところです.
これはうまくいくのかは,先験的にははっきりしません.現実的には,現在流行りの深層学習では,そうしたマクロな法則は分からないが,実際に動かしてみたらうまく行ったということが報告されているだけです.
ついでに言えば,なぜ実際のヒトの脳には6層のコラム構造という中間的な階層が存在しているのか? (つまりなぜ5, 7, 8でも10でもないのか?) それぞれがどういった抽象性と関連しているのか? などなど,興味の付きない問題があります.
僕の視点では,ドブジャンスキーが言ったように,「生物学では進化の光を当てなければ何も意味をもたない」からです.どの脳回路にも,どの論理階層にも,認知様式にも,ヒトにいたるまでの進化的な意味があるはずで,それはどれだけか経路依存的なハードウェア設計になっているだろうからです.まあ当然ながら,今ははっきりとはしていませんが,,,
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さて,ここでは,そうしたことを書くのはやめにして,ちょっと見つけた以下のような いわゆる文明批評の記述を引用することにします.
「人は賢いと同時に愚かであり,目先の利益に捕らわれる.思い込みも多い.いまの文明は.金銭への欲望が人を私拝しているように見える.このため,貧富の格差が限りなく拡大する.この状況に対処するのに,偏狭なナショナリズムと国家間の利害対立を煽り立てることで,矛盾から目をそらさせようという動きが目立つ.・・・
人が金銭に支配され,同時にネットを通じて情報に支配されるほうが,私には恐ろしい.人工知能はそのための有力な手段となることもありうる.文明崩壊の危機については,楽観はまったく許されない.これは技術の問題ではなくて,文明自体の問題である.個々の人間が自由に輝くことのできる社会を実現してほしい.このための努力こそが人を輝かせる.」
というような話が続きます.なるほどなぁー.
人間性の不可欠な部分には,科学的な探求などもありますが,同じほどに本質的な部分が拝金主義だと思うのですが,,,あるいは「個々の人間が自由に輝くこと」のなかには,他人の役に立って,そのために巨万の富を得るということも含まれているはずですし,科学者ではないほとんどの庶民にとっては,圧倒的にそういった目標のほうが普通なように思われます.
まあしかし,拝金主義を肯定することは,自分の人格の卑しさを露呈することと同じである(と少なくとも多くの人が感じる)ために,高潔な研究者にはあり得ないことがよく分かります.
ヒトは各自の発言や行動で,常に政治活動をしています.そういうふうにプログラムが組まれているのでしょう.そのために,「金儲けを追求するのは卑しい行為で,文明の危機だ」という素朴論につながらざるをえないことには,どこか残念な感が残ります.
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2016-08-28 意識の随伴現象説

- 作者: 甘利俊一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/05/20
- メディア: 新書
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甘利さんは有名な数理脳科学者ですが,御年80歳ですので,この本はこれまでのAIブームの流行り廃りも含めた解説が楽しいです.まあ,この数年突然に深層学習が流行ってきましたが,そのことも誰も予測できなかったことがよく分かります.
さて「意識」は昔から哲学者の格好の話題でしたが,デカルトのように魂や心の実在を信じる人間はいなくなり,現在の主流の科学者は「随伴現象説 epiphenomenalism」という説明をしています.多様な情報を,脳の各部分のサブルーチン・回路が受け取り,それを統合する際にたまたま生まれている現象だ,というわけです.
脳機能の局在からすると,そうした各回路自体は意識を持たない,「ゾンビシステム」であり,それを統合する際に,自己の活動を客観視する「意識」が生まれるという考えです.
「人の心は,長年の進化の過程を経て生まれた.そこに神秘的なものは何もない.脳という物質の上に情報を乗せ,自らの機能を高めるように進化が進み,自然に発生した.だから,ニューロンという生物細胞ではなくて,シリコンで作られ情報機械の上に意識が生じて心が宿っても,それ自体は何の不思議もない.
意識は,多数の情報の統合の上に生じる.これは,脳という超並列のコンピュータが環境を生き抜く必要上から発生した.ニューロンの動作のスピードは,コンピュータと比べると非常に遅い.ミリ秒のオーダーである.この遅い装置を使って素早い情報処理を行うためには,並列のシステムが好都合である.そこでは,多くの情報処理の課題を専用のサブシステムに任せ,ゾンビシステムとして無意識で素早く働かせる.
一方で,ゾンビシステムでは扱えない需要な案件を処理するのに,意識というシステムを作り上げた.ここでは他種類の情報が統合され,ポストディクション(後付け)の過程が機能する.これが「意識」である.意識は,実行前なら自己の決定を覆せる.また,これを反省の糧として,学習を進めることができる.
意識とは,自分がいま何をしようとしているかを自分で知っていることである.こう考えれば,コンピュータに意識を植え付けることは容易であろう.」
とまあ,甘利先生はスタンダードな意見を述べられています.納得です.
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ところで,シンギュラリティは本当に2045年なのか?? 僕はエキスパートシステムなどの普及スピードからして,そんなことはないに違いないと訝しく思っていました.しかし,このところのdeep learning AIの進歩が目覚ましいのを見て,各種のパターン認識などの多くの人間の活動が,あと30年もあればAIに圧倒されることについては完全に確信しています.
それでも,別に人間が不要になるとか,人間の知性の「すべて」がAIに劣るようになるようにはとても思えません.なぜって,おそらく人間的な行動や価値,機能や感覚の多くは,成長につれて洗練されていく単なるソフトウェアではなくて(=タブラ・ラサ仮説),物質的・先天的な発達傾向によって規定されている脳の配線や細胞機能などのハードウェアに完全に依存しているはずだからです.
あ,甘利さんのやってきたような数理的な脳科学へのアプローチはあまり成功しているように見えないことについては,次回また.
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」
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2016-08-26 科学の方法論論争

- 作者: スティーヴンワインバーグ,大栗博司,Steven Weinberg,赤根洋子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/05/14
- メディア: 単行本
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科学哲学者たちは,ポパーの反証主義のように多くの,科学的発見や科学であることのルールを定めようとしてきました.そうした試みは,近代におけるフランシス・ベーコンの経験的な帰納主義や,あるいはデカルトの演繹主義などが有名です.(297ページ)
「 デカルトもベーコンも,何世紀にもわたって科学研究のルールを決めようとしてきた大勢の哲学者の一人というに過ぎない.科学研究はルールどおりにはいかない.どのように科学を研究すべきかというルールをつくることによってではなく,科学を研究するという経験から,われわれはどのように科学を研究すべきかを学ぶ.そして,われわれを突き動かしているものは,自らの方法で何かを見事に説明できたときに味わう喜びを求める欲求である.」
ワインバーグが主張しているのは,過去のどんな哲学者=現代の科学哲学者も,現実の科学の実践には何の意味ももっていないという,厳然たる事実です.昔も今も,科学者たちは勝手に真理を探すのであって,そこには科学哲学者の主張するような指針=ルールは,まったく相手にも,参考にもされていません.
直感的な仮説からの演繹と,観察からの帰納を,ある程度の日和見主義で適当にミックスして,何かの現象を最終的にうまく説明するのが科学という営みだということなのでしょう. 終
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というわけで,次回は甘利俊一さんの『脳・心・人工知能』から少し.
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2016-08-20 なんで文化相対主義?
以下はワインバーグがクーンのような科学相対主義を批判しているところ.(52ページ)
「トマス・クーンは自分がアリストテレスノ批判者から賞賛者へと転向した理由をこう述べている.
『 ・・・私は愕然としました.突然,アリストテレスが非常に優れた物理学者だと思えてきたからです.彼は優れた物理学者だ,ただし,そんな物理学者が存在し得るとはこれまで思ってもみなかった種類の物理学者なのだ,と.・・・』
クーンのこの発言を聞いたのは,私がクーンと同時にパドヴァ大学から名誉学位を授けられたときのことだった.その後,私がその発言の説明を求めると,彼は,「(物理学に関するアリストテレスの著作を)自分で読んだことによって変わったのは,彼の業績を私がどう理解するかであって,どう評価するかではありません」と答えた.彼の言葉は私には理解できなかった.「非常に優れた物理学者」という言葉には,評価が含まれているようにしか思えなかった.」
ここでのパドヴァ大学でのクーンの発言の意味は,それほど掘り下げても意味はないでしょう.つまりワインバーグは「優れた物理学者」で言う物理学とは今日の科学でしかないと考えて,感じているのに対して,クーンは「他にも違った体系」があるという相対主義を採っているということです.
アリストテレス的な目的論(テレオロジー)は,物理学だけでなく,国家論や倫理学などでも鼻に付く特徴です.それは中世まではすべてを支配してもフシギではありません.人間の感じる道徳的な直感に適合しているからです.
近代以降,次第に物理学,生物学などは,そうした古典古代的な人間的な常識の引力から抜け出て来ました.このことこそが合理主義であり,理性の力なのです.多文化主義者などは,そうした考えは進歩史観からの素朴主義だと言いますが,バカらしい話です.
なぜ核爆弾ができて,広島・長崎が一瞬で焼け野原になったのか? 他の世界の説明の方法 = 近代物理学以外の体系,から,そうした爆発的に実用的な,有無を言わせない破壊兵器が果たして出てきたのでしょうか?
あるいは人工衛星はどうか? 相対主義者たちもグーグルの地図やナビを使っているでしょう.あるいは,ほぼすべての日常的な機械でさえもコンピュータ制御なのです.
つまり科学という営みをしてこなかった人びとへに対する,無理矢理の規範的な平等意識の当てはめが,そうした多文化主義を強弁する人たちを支えているのでしょう.
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2016-08-17 ミレトスの自然哲学

- 作者: スティーヴンワインバーグ,大栗博司,Steven Weinberg,赤根洋子
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ミレトスの自然哲学,デモクリトスの原子論などですが,ワインバーグによると,彼らは現代の自然科学者というよりも,むしろ詩人と呼ぶべき人びとであったと言います.(29ページから)
「そうは行っても,アルカイック期や古典期のギリシャ科学の現代的側面を強調し過ぎるべきではないと私は考える.現代科学のある重要な特徴が,これまで言及してきたタレスからプラトンに至る思想家にはほぼ完璧に欠けている.彼らのうちの誰も,自分の理論を実際に確かめようとしていないのである.誰も(おそらくゼノンは別として),自分の理論の正しさを論証することさえ試みていない.彼らの著作を読んでいると,絶えず,「だから,どうやってそれを知ったのか?」という問いが浮かんでくる.この疑問は他の思想家と同様にデモクリトスにも当てはまる.現存する彼の著作の断片には,物質が本当にアトムでできていることを証明しようとした跡はどこにも見られない.」
しかし,それでもやはりギリシャ哲学だけが「万物の元素」などというものについて「無意味に」思索していることは重要でしょう.なぜなら,そうした思索自体がまったく経験的・実証的でもなく,さらに何の応用可能性もないのに,そうした記述が賢人の言葉として残っているのです.ということは,そうした疑問がそれなり多くの知的な階層に共有されていたということを意味しているでしょう.
プラトンは.世界の秩序などを道徳的な視点から捉えていますが,それは当時の人間の限界です.それでも,別段に世界のどこということはなくて,他の地域では自然の摂理についての疑問があまり重視されていないということこそが重要なのです.
なぜ自然科学がヨーロッパで発展したのかの理由には,そうしたメンタリティが実は昔から異なっていた可能性が示唆されます.
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2016-08-13 マクロ経済学は科学ではないのだろうが,,,

- 作者: スティーヴンワインバーグ,大栗博司,Steven Weinberg,赤根洋子
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2.「ガリレオが望遠鏡で月の表面や満ち欠け,太陽の黒点,木星の衛星などを観察したことで,月や太陽は地球のような球状であることや惑星にも衛星が存在することが確認された.それによって天動説よりも地動説の説得力が飛躍的に高まったこと.」
ということの驚き.
これはレンズの組み合わせで望遠鏡が作られ,観察の精度が20倍というほど飛躍的に高まった結果です.その後ガリレオは重力の当加速度性を証明するために,さらに実験が盛んに行っています.
さて,こうした科学の発見の法則は,演繹と帰納的な直感を組み合わせたものです.どうやらベーコンやデカルトのような「方法論者」が言うような,統一的なものはないようです.場当たり的な部分理論は今もいろいろな科学分野で使われていますが,そうした理論が完全には,さらに基礎的な理論と整合的でなくても,実験結果を説明するなら,とりあえずの近似であるという価値はあるはずです.
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こうした科学論を経済学に引き直すなら,もし現在のDSGEモデルがどれだけかでも現実に近いモデルなのなら,証券会社などの発表している当てずっぽう,かつ適当な経済予測よりもすぐれているはずです.残念ながら,そういう話はこれまで聞いたことがありません.とすると,やはり経済学はアリストテレス的というべきか,ユークリッド的というべきか,演繹が主であり,あまり現実とは関係していない,ということです.
つまり経済学がそれなりに人びとから学問として見られるのは,残念ながら実証科学というよりも,むしろその数理的な演繹的な審美性のおかげです.経済ほどの複雑系に予測が成り立つのか? という疑問は当然に残るとしても,「経済学で予測ができない学問なら,それに何の価値が有るのか?」という功利的な反論は残ります.
なお,現在のマクロモデルがダメダメだからといって,貿易論などのミクロモデルもすべてダメかどうかはわかりません.いや,自由貿易が経済発展につながることは,少なくても「香港vs中国」「北朝鮮vs韓国」などから明らかであり,そうした歴史統計については,これまで無数の論文が出ています.しかしまた,それを信じないというのも,人びとや政治家,経済学者などの自由なところが,難しさを生み出しているように思います.
似たような話はたくさんありますが,例えば,先日の水泳を見ていると,「水の怪物」フェルプスが「吸玉療法」をしていることは明らかです.吸玉療法でさえもマイナスではなくて,プラスに出ている結果だと考えることができるということの難しさです.
人には見たいものを見る傾向があって,それを反駁するためには,ミクロな実験が必要ですが,国民経済の命題というのは,少なくとも,ある程度の大きさでなければ実験不可能だし,人びとは民主主義下では経済実験をする気は起きないだろう,ということになるでしょうか.
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2016-08-11 科学革命

- 作者: スティーヴンワインバーグ,大栗博司,Steven Weinberg,赤根洋子
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ワインバーグの「科学の発見」を読みました.論点は多いのですが,まず今日は,
1.「科学革命を否定するのが,昨今の流行りだが,それはアリストテレス的な自然観(目的論)との暫時的な決別として,それは実際にあった.」
というワインバーグの主張について.
ニュートンの意義は天上界と地上の物理法則の統一的な説明にあったという話は,高校の物理学でも,数学でも,あるいは世界史でも習います.そうした見解は,ニュートン力学による説明可能性の広さによって実感されるはずです.僕は高校時代の地学でケプラーの法則をニュートン力学から導出する教師に出会い,目を丸くしました.そのオドロキは30年以上たった今も,鮮明に覚えています.
社会学者や歴史学者は,何でもポストモダンなどと称して相対化するのが20世紀終わりからの流行りですが,それは単なるマヤカシであり,数学のよく分かっていない頭の悪い人に向けた邪教の布教書です(笑).さすがワインバーグは痛快にもそれを否定しているのが素晴らしいところです.
例えば,ケプラーは正多面体が惑星間距離を決めているのだろうと言うような古代ギリシャ哲学的な発想=数秘術的な仮説を持っていました.しかし,そうした宇宙や世界の構造についての仮説は,別にあっても良さそうです.あるいはもっと深いレベルの法則から導出できる可能性もあっただろうからです.
結論として,自然の法則の是非を人間的な価値基準から判断するではなく,自然をより多く説明できることをもって判断するというのは,確かに世界観の大変革でした.今でも,革命を理解していない人たちは多数いて,「自然は〜〜を好まない」的な古代ギリシアのような発想で,エコロジー運動やホメオパシーを信じているのがフシギです.なるほど彼らは,ガリレオやニュートンからの自然科学の結果も方法にも興味がないのでしょう.
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2016-07-30 世界金融 本当の正体

- 作者: 野口英明
- 出版社/メーカー: サイゾー
- 発売日: 2015/12/21
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世に陰謀論の解説本はあまたありますが,この本は類書と違って,単に陰謀論を否定するのではなく,実在した陰謀論も含めて,陰謀というものを理知的に検討しようではないか,という稀有なスタンスの著作です.
かつての世界には,陰謀が存在していました.世界史の主要な事件を幾つかあげるだけでも,ユダヤ人差別のドレフュス事件,サイクス・ピコ協定のように現代の中東情勢の基礎となってしまった密約,日本軍部の暴走のきっかけとなった柳条湖事件,あるいは幸徳秋水などが日本政府に謀殺された大逆事件,その他アメリカの原発開発のマンハッタン計画,などなど.実際にあまりに多くの陰謀があったために,そうした陰謀があるのは,20世紀の中盤までは当然だとされていたのです.
しかし戦後から現代にかけての陰謀論と言葉は,かなり侮蔑の意味合いを含むものになってしまっています.実際に,それ以前の社会に比べて陰謀が激減してきているのだから,当然といえば当然でしょう.「赤い楯」を書いた広瀬隆さんのように,世界の金融がロスチャイルド一族に仕切られていて,何でもかんでもユダヤ陰謀論とするのが現代の「陰謀論」の典型であり,陰謀論という言葉自体がすでにトンデモさんと同じような響きになっているのです.
本書には主題はいくつもありますが,当然にもっとも大きいのは,ロスチャイルド一族の金融支配はすでに19世紀に消滅したにもかかわらず,今も根強く主張され,どうやら広く信じられていることへの反証.
また,陰謀論的な視点で支持されていると思われる副島隆彦さんの言説が一貫していないだけでなく,基本的な世界の認識すらも間違いも多く含まれているという指摘.一番,面白いのが,「ブレトンウッズ体制,つまり金・ドル本位制が2010年には終わる」という予測. なんじゃ そりゃ〜〜 ニクソンショックでもう40年以上も前に金とドルの打感は終わっているよ!! 爆笑
(僕個人の意見では,副島さんという人の思考には何の論理性・一貫性も,基本的な知識もないので当然なのでしょうが,,,)
それはさておき,また別の興味深い指摘には,ハーヴァードの法哲学者サンスティーンが「陰謀論は社会に有害だから,政府がそうした言説の流布をソフトに妨害するべきだ」と主張していることと,そうした国家活動への批判.本当に不勉強な僕は,サンスティーンがそんなに極端な国家主義的な言説を行っていることを知りませんでした.不思議なことです,サンスティーンのソフトな情報工作というのは,今まさに中国が行っている反共産党発言への人海戦術的な対策そのものなのです.国家が好きな人は,どこまでも,国家がすべてをコントロールするべきだと思っているのです.
陰謀論というわけではなくとも,かつてトーマス・ジェファーソンは「政府への猜疑」こそが,今後のアメリカに必要だと再三再四書いています.そういえば,ロスバードはジェファーソンの反政府的(当時はイギリス政府に対する)態度こそが,自分の政府への態度と同じである旨を,常に強調しています.結局 今のアメリカは次第に普通の国になって,自然権思想も自由も普通のヨーロッパとおなじになってしまいましたが,それがロスバードには不愉快なのです.
さてこれは本書の主張ではないのですが,非核三原則のようなウソがウソであることが,50年で公開されるアメリカの公文書からは判明するが,この国に住んでいるだけでは永遠にわからないというのも,民主主義国家を標榜するにはあまりに情けないことです.政府の陰謀があるかないか,あったのかなかったのかをはっきりさせるためには,日本でも関係者がすべていなくなっているだろう50,あるいは100年での,公文書の完全・網羅的な公開が望まれます.(なんで右翼の愛国者はそういうのを否定するんでしょうね? 国家の美しい部分だけを見たいということなのか?? まったくのナゾです.)
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世に陰謀論の解説本はあまたありますが,この本は類書と違って,単に陰謀論を否定するのではなく,実在した陰謀論も含めて,陰謀というものを理知的に検討しようではないか,という稀有なスタンスの著作です.
かつての世界には,陰謀が存在していました.世界史の主要な事件を幾つかあげるだけでも,ユダヤ人差別のドレフュス事件,サイクス・ピコ協定のように現代の中東情勢の基礎となってしまった密約,日本軍部の暴走のきっかけとなった柳条湖事件,あるいは幸徳秋水などが日本政府に謀殺された大逆事件,その他アメリカの原発開発のマンハッタン計画,などなど.実際にあまりに多くの陰謀があったために,そうした陰謀があるのは,20世紀の中盤までは当然だとされていたのです.
しかし戦後から現代にかけての陰謀論と言葉は,かなり侮蔑の意味合いを含むものになってしまっています.実際に,それ以前の社会に比べて陰謀が激減してきているのだから,当然といえば当然でしょう.「赤い楯」を書いた広瀬隆さんのように,世界の金融がロスチャイルド一族に仕切られていて,何でもかんでもユダヤ陰謀論とするのが現代の「陰謀論」の典型であり,陰謀論という言葉自体がすでにトンデモさんと同じような響きになっているのです.
本書には主題はいくつもありますが,当然にもっとも大きいのは,ロスチャイルド一族の金融支配はすでに19世紀に消滅したにもかかわらず,今も根強く主張され,どうやら広く信じられていることへの反証.
また,陰謀論的な視点で支持されていると思われる副島隆彦さんの言説が一貫していないだけでなく,基本的な世界の認識すらも間違いも多く含まれているという指摘.一番,面白いのが,「ブレトンウッズ体制,つまり金・ドル本位制が2010年には終わる」という予測. なんじゃ そりゃ〜〜 ニクソンショックでもう40年以上も前に金とドルの打感は終わっているよ!! 爆笑
(僕個人の意見では,副島さんという人の思考には何の論理性・一貫性も,基本的な知識もないので当然なのでしょうが,,,)
それはさておき,また別の興味深い指摘には,ハーヴァードの法哲学者サンスティーンが「陰謀論は社会に有害だから,政府がそうした言説の流布をソフトに妨害するべきだ」と主張していることと,そうした国家活動への批判.本当に不勉強な僕は,サンスティーンがそんなに極端な国家主義的な言説を行っていることを知りませんでした.不思議なことです,サンスティーンのソフトな情報工作というのは,今まさに中国が行っている反共産党発言への人海戦術的な対策そのものなのです.国家が好きな人は,どこまでも,国家がすべてをコントロールするべきだと思っているのです.
陰謀論というわけではなくとも,かつてトーマス・ジェファーソンは「政府への猜疑」こそが,今後のアメリカに必要だと再三再四書いています.そういえば,ロスバードはジェファーソンの反政府的(当時はイギリス政府に対する)態度こそが,自分の政府への態度と同じである旨を,常に強調しています.結局 今のアメリカは次第に普通の国になって,自然権思想も自由も普通のヨーロッパとおなじになってしまいましたが,それがロスバードには不愉快なのです.
さてこれは本書の主張ではないのですが,非核三原則のようなウソがウソであることが,50年で公開されるアメリカの公文書からは判明するが,この国に住んでいるだけでは永遠にわからないというのも,民主主義国家を標榜するにはあまりに情けないことです.政府の陰謀があるかないか,あったのかなかったのかをはっきりさせるためには,日本でも関係者がすべていなくなっているだろう50,あるいは100年での,公文書の完全・網羅的な公開が望まれます.(なんで右翼の愛国者はそういうのを否定するんでしょうね? 国家の美しい部分だけを見たいということなのか?? まったくのナゾです.)
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2016-07-28 AKB=おニャン子クラブ
今日はアキバに来ました.もう30年以上昔,大学1年のいつだったかに渋谷で中継されていたおニャン子クラブなどという存在にオドロキ,だいぶ入れ込んだ(情けない,ハハハ)小生としては,その後継としてのAKB(秋元康おそるべし!!)には,抽象的にではありますが思い入れがあります.
電脳街としてのアキバには中学以来の憧れがあります.それとは別に,このAKB劇場前には確か2年ほど前にも旧知の友人と一緒に見学に来ました.今日は劇場の斜め上のスタバにてカフェ・ラテ飲みながら少し時間をつぶしたということもあってアップしてみました.昔はTXなんてなかったので駅もありませんでしたので,まったくもって隔世の感があります.
それにしてもアキバにはいつ行っても,元気があります.どうでもいいPCパーツとか,ヲタク相手のフィギュアとか,,,
老人の街とかいうのではなくて,まさに若者,VR,ヲタク,アニメ,AVの街です.それがまた久しぶり(永遠??)の元気を与えてくれるのが素晴らしいものです.
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2016-07-24 政治的無知

- 作者: イリヤソミン,森村進
- 出版社/メーカー: 信山社
- 発売日: 2016/02/25
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さて,今日は「民主主義と政治的無知」という本を読んだので,この内容について少し.
1章は,アメリカ国民がどれほど一貫して政治的に無知であり続けてきたかの確認.これを受けて2章は,ハバーマス的な「熟慮民主主義」とか,「討論型民主主義」と呼ばれるような,政治的な議論はまったく非現実的であることを説明.3章は,経済学ではよく知られている「合理的無知」の議論,4章は,情報のショートカットによってこうした無知を克服することは難しいこと.5章は「足による投票」のほうが,政治的な投票よりは実現可能性が高く,現実的であること.そして6章は,違憲立法審査権という制度は,民主主義に基づかないため,民主主義原理とは相反するものだが,にもかかわらず,その正当性は有権者の無知によって,これまでよりも高いものであるだろうこと,を論じます.
経済学者であれば,1章の合理的無知の話については,理解・納得していることでしょう.投票行動が「実際に」影響をあたえる可能性はゼロであるため,「合理的な」人間であれば,政治について知るインセンティブは持っていません.
これを受けて3章の内容では,(ブライアン・キャプランなどが主張するように,投票結果ではなく投票行動そのものが単なる自己満になっているために),人びとは(例えば,自由貿易の否定など)バイアスの掛かった選択をしがちであるといいます.
5章の「足による投票」もまた,経済学ではすでに十分な議論があります.実際に日本でも,子育てにやさしい自治体に引っ越すというのは,よく聞きます.日本にはあまりありませんが,ゲート・コミュニティというのはアメリカでは,非常に普通に見られます.
というわけで,ここまではむしろこれまでの経済学の議論では,常識とも考えるべき内容です.
ソミンの著作の意義と新味は,通常民主主義原理に基づかないと否定的に捉えられることの多い「違憲立法審査権」は,こうした政治的無知の現実から,もっと肯定的に捉えられるべきだという主張にあります.実際,僕はこうした意見を聞いたことはなかったように思います.
これは,ある意味で,ハイエク的「立法 vs 自然法」という視点であり,違憲立法審査権というものは自然法を体現したものであり,自ら愚行を犯す傾向を持つ民主主義的な立法行為を否定するものだと考えることもできそうです.
政治哲学とはいう分野であっても,「有権者が現実には無知である」という事実命題を理解した上で,論理を展開したほうが説得的です.少なくとも,そうあるはずではないでしょうか? その意味で本書の良さ,意義というのは,現実を踏まえたうえで,オーストリア経済学的と整合的な政治哲学の新しい視点を展開していることでした.
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2016-07-21 愚行権はあるが,,,
皆さん,こんにちは.
今日は近所のイオンに行きました.確か20年ほど前にジャスコとしてできたあと,10年ほど前には近所にイオンモールができたので,人気がなくなっていました.このところ行く機会がなかったのです.
久しぶりに行くと,随所にソファが置かれてスペースがゆっくりととられているのは結構でした.しかし,なるほど老人を集めて,ヘルストロンのような健康機械を売りつける常設スペースもあり,20人ほどの高齢者に向かって担当さんが熱弁を振るっていました.なんでも「頭痛,肩こり,便秘,不眠」なんかに効くんだと.まあ,医者要らずですな,ホントなら...
こういった商品は本当に難しい.まさに詐欺と,ある種のサービスとしてのセラピー,あるいはプラセボの間に位置しているものというべきでしょう.(ちなみに僕の実家でも,これまでに少なくとも2百万以上は騙し取られています.)
なんの意味もない施術でも,「効いたはず」といわれれば,その担当さんが良さ気な人なら,誰でも効いたようなプラセボ効果が生じるものなのでしょう.僕の住んでいる名古屋でも,働いている岐阜でもまったく同じ効果のない詐欺機械を売りつけるスペースが,まさに急速に増殖しているのです.
これを高齢社会の抱える(振り込め詐欺と同じ)問題だと捉えることもできますし,あるいはパチンコと同じように高齢者へのある種のサービス提供だと考えることもできます.おそらく資本主義的な拝金主義を唾棄する人たちは,当然に前者だと感じているでしょう.まあ,ぼくも総じて言うなら,そういう風に感じています.
人間には誰にも愚行権がある! というのはリバタリアンの口上ですが,おそらくこれは高齢社会の問題というよりも,ヨーロッパのホメオパシーやアフリカのヴードゥー医療と同じように,むしろ人間の本質なのでしょう.
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2016-07-18 インフレ期待のナゾ
前述したように,2013年からの異次元緩和が始まる前,マネタリーベースは120兆円でしたが,今年7月には400兆円を超えているところからすると,すでに3倍以上のインフレ・ポテンシャルがマグマのように溜まっているはずです.とはいえ,マネタリーベースに銀行乗数をかけることでマネーサプライになります.このマネーサプライはここ25年の間に1.5倍ほどにしかなっていません.おまけに,異次元緩和とはほとんど無関係に,一定率でしか増加していないのです.よほど有望な融資・投資先が見つからないということなのでしょう.
それにしても,インフレ期待がここ3年をとっても1%をゆうに下回っているのはフシギです.マネーサプライが数%以上で増加しているのに,10年ものの国債のBEIを見ると0.5%ほどなのです.少なくとも債券ディーラーたちが,今後10年の平均的なインフレ率が0.5%ほどだと考えているのは間違いありません.
これは大きな謎です.僕が大学時代にサムエルソン(今はサミュエルソンという表記がふつうのようです)を読んだ時に,すでに貨幣数量説はマネタリズムの標準公理になっていました.どの程度でマネーサプライのすべてがインフレとなるのか? これは大きな謎ですが,もっと謎なのは,メジャーなマクロ経済学者たちが,それを問題にさえしていないことの方です.
価格革命は200年以上かけて,ヨーロッパにインフレをもたらしました.あるいは元禄時代の改鋳でも,数年から数十年はインフレが続いたようです.そうすると貨幣数量説が成り立つ「長期」という概念は,異次元緩和から3年の現在ではなく,あと数年から(あるいは)数十年というスパンであり得るのかもしれません.
これが物理学とかであれば,公理系の破れというのは大問題になると思いますが,残念ながら,やはり経済学はソフト・サイエンスだということなのでしょう.
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2016-07-01 自動運転のリスク
テスラの自動運転でフロリダで事故死が起こったとのことです. まあ,絶対安全の技術なんてないし,現在はその段階でもあるはずもないので,すぐに事故死が起きて報道されるだろうと思っていました.
もちろん問題は事故死が起こったことではなくて,人間が運転する場合と比べて安全なのか,それとも危険なのか?
テスラのモデルSやモデルXは常に会社のサーバーと連絡しているので,走行距離をモニターできるのが良いところです.テスラの報告によると,すでに2億キロを走っているデータからすると,人間の運転よりも2倍ほど安全だということらしいです.
おそらく運転が下手な人よりはすでに安全であり,上手い人に比べれば危険だというほどでしょうか.まだ技術が生まれたばかりの最初期であることからすると,今後は高速道路だけではなくて,一般道でも圧倒的に安全になりそうです.こうした事件が自動運転反対のタクシー・トラック業界に利用されないように願うところです.
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2016-06-29 デフレと資源配分

シルバー民主主義 - 高齢者優遇をどう克服するか (中公新書)
- 作者: 八代尚宏
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/05/18
- メディア: 新書
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- 作者: 原田泰
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/11/05
- メディア: 単行本
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皆さん こんにちは.
デフレはインフレの逆でしかないので,ガチガチの合理主義者にとってはほとんど同じようなものです.予期しないデフレは,借り手から貸し手への富の移転を伴いますが,それ以外は,デフレが予測されている限りは特段の問題はないはずです.
ところで,唯一興味深い話題としては,最近,八代尚宏さんや原田泰さんなどの市場重視系の経済学者が,デフレは若者を貧しくして,老人へと資源を移転させると批判していることです.確かに,
1.デフレは金融資産,特に単なるタンス預金や銀行預金の価値を高め,若者の賃金は相対的に下がります.
2.年金はデフレスライドするのが稀なので,現実的には,老人の年金は割増状態になってしまいます.
3.消費税は年令を問わずに富裕層の消費にかかりますが,その実施を遅らせるということは,つまり現在の富裕な高齢者から税を取るのをやめて,若年世代の未来に先送りして支払わせようとすることです.
こうしてデフレが続くことで,若者の賃金に比べた高齢者の資産は上がり,ただでさえシルバー民主主義の悪弊がひどいのに,さらにそれが悪くなるという主張なのです.
なるほど.デフレやインフレによって生じる,世代間の豊かさの相対的な変化については納得できる部分が多くあります.もちろん,老人が豊かになって何が悪い!と言う意見もありでしょうが,問題は年金制度が賦課方式であり,その負担は若者にのしかかっている政治制度にあります.
日本の有権者のマジョリティ=団塊の世代はすでに60代なので,若者はますます搾取されるでしょう.若者といっても,その祖父母(の年金)からサポートを受けられる人は良いのでしょうが,そうでない若者は悲惨です.
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なお,「インフレにしなければ景気は良くならない」とか断言している,市井の評論家サンがたくさんいるようですが,それは単純な誤りです.例えば,1880−1896年のアメリカの好景気は年率3%にも及ぶデフレとともに生じており,この期間にアメリカでは23%ものデフレが起こったことが知られています.
論理的に考えれば自明なことですが,デフレという状態が,生産性の向上=テクノロジーの発達と両立しないという理由などはないし,実際にデフレ下の好況は存在しました.(しかしこの時,西部の農民は借金の増価に苦しみ,東部の銀行家に大きな不満を持ったのは事実です.)評論家サンたちは,ただいつのもように無知で不勉強,直感と思い込みで放言しているだけです.
とはいえ,インフレによる貨幣錯覚が人びとにエクストラの幸福感・満足感を与えるらしいことは,今や否定できなさそうです.その程度については,もっと経済学者が真面目に推定して,議論しあうべきでしょう.
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2016-06-24 マネタリーベースの急増
2012年中頃に異次元緩和が始まり,その時点で120兆円だったのが,2016年中頃までに380兆円へと3倍以上に急増しています.これは日銀が市場の国債をおよそ330兆円ほどまで買い取ったのと,さらに株式や債権を買い増しているためです.
マネタリーベースが3倍になった場合,銀行乗数が同じなら通貨供給は3倍になるはずです.しかし現実には次のように,通貨供給の増加はステディに増加しています.
この3年ほどの間に,通貨供給(日銀用語ではマネーストックとか言うらしい)は1130兆円から1300兆円ほどまでステディに増えていますが,急増という感じではありませんね.これはつまり,銀行預金があまり融資に貸出に回っていないということでしょう.銀行の投資先がないということと,現金で溜め込んでいる人が多いということなの両方のようです.
ここで仮に黒田総裁の目論見を達成するためには,さらに通貨供給を増やす必要があるとしましょう.自民党の伝統を受け継ぐ安倍さんは「国土強靭化」などの公共投資が,当然ながらお好きなようです.しかし市場を活かすためには,公共投資よりもヘリコプターマネーで人びとに配るというのが手っ取り早い.
しかしフシギなのは,少なくともこの10年ほどは貨幣数量説が成り立っていないことです.リーマン・ショックのあと,通貨供給が2008年から1050兆円から1300兆円まで増加しています.しかしGDPがほとんど同じなので,そろそろインフレがきても良いはずです.しかし,世の中にまったくそうした気配はありません.
なぜなんでしょうか?? 歴史的に類例を見ない高齢化とタンス預金のせいだというのも,銀行エコノミストの評論ならありなのでしょうが,マトモな学者の意見としてはどうも,,,, あるいは,近いうちにドカンと来るんでしょうか??
予想インフレ率が実際に上がっていないことについては,また次回を乞うご期待.
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2016-06-23 インフレの効用

- 作者: ポール・クルーグマン,山形浩生,大野和基
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/09/14
- メディア: 新書
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インフレ主義者は多いのですが,通常,インフレは通貨価値の低下であり,政府のファイナンスを助けるものであるため,リバタリアンはインフレを批判するのが定石です.
まずインフレは望ましいのか? インフレ主義者は多いのですが,通常,弱度のインフレが望ましいと考える現代の学者は,ケインズの流れを組む制限的合理性の信奉者が多いようです.とすると,インフレ反対を唱える人は,通常はガチガチの合理主義者=反ケインズ主義というということになります.
インフレにコストが存在することは明白です.インフレが起こると,人びとは現金(預金)をできるだけ速く商品に交換するためにアタフタするというshoe leather costが発生します.また資金の貸し手から借り手にリソースの予期せぬ再配分が起こります.また経済の撹乱要因にもなるでしょう.
しかし,インフレにはメリットもあるようです.どうやら人びとは賃金が上がったと誤解して,より働くようになり(フィリップス・カーブ),かつ愉快な気持ちにもなるようです.これは錯誤であったとしても,確かに幸せを感じています.この事実をどう取り扱うかが,おそらくケインズ派と批判派の学者のインフレ評価の分かれ目になります.
ケインズ主義者によると,インフレがあれば名目賃金の上昇で人びとが愉快に感じるだけでなく,モラールの低下なしに実質賃金の引き下げも可能になり,首切りではなく,賃金引き下げによるワーク・シェアが可能になります.あとは借り手は貸し手よりも貧しい場合が多いので(かならずしも現実にはそうではないでしょうが),弱者保護が好きな大きな政府主義者はインフレ政策に賛成することになります.これはケインズ自身がそう考えてもいた社会思想です.彼は「利子生活者の安楽死」を標榜していたはずです.こう考えると,インフレは大きな政府と社会政策主義者と親和的な政策になります.
ガチガチの合理主義者は,こうした見解を怪訝に感じます.僕は長い間,こうした貨幣錯覚について,どうしても納得できませんでした.しかし証拠はすでにあまりに膨大です.人間の世界認識の現実に貨幣錯覚が存在するのであれば,錯視やVRが脳内では現実であるように,人びとの効用の増加を認める必要がありそうです.
さて,ここで仮にインフレが望ましいという前提を肯定するとしても,ハイパーインフレは誰も望みません.すると,何%が最適なのか? この答は,上記の錯誤の問題とあいまって,難問です.これまで僕は正直,誰ひとりとして,マトモな推定をした論文を見たことがありません.(通常,エコノミストや評論家は軽い感じで,インフレが望ましいとは言いますが,,,)まあ,錯誤の程度,あるいはそれによる効用の増加分や,賃金交渉費用の変化など,すべてまったく金銭的に明確ではないのですから,当然です.
オドロキなのは,本書でクルーグマンは「日本にとって望ましいインフレは2%,8%でなく,4%である」と断言していることです.特段の証拠は挙げていないので,彼自身の直感的な数値なのでしょう.まあ,この本自体が単なるインタビューの書き起こしなので,厳密さを求めても仕方がないのでしょう.しかし別に否定する気はなくて,もう少し高いかもしれないよ? と感じる程度です.
10%ほどにまでインフレが高まると,貨幣錯覚が「錯覚であること」と強く認識されてきてしまい,逆効果になるということなのでしょう.でも2%じゃ効果が弱い.そこが近視のかけるメガネと同じでトレードオフがあって,落とし所が難しそうです.
ところで僕が実家の母などと話していると,高度成長時代の給料の増加や高金利を懐かしむことはとても多いです.やはり名目的なインフレであっても,名目賃金の上昇は嬉しいもののようです.
さて,最後に残された疑問は,「こうした貨幣錯覚は現代社会がインフレに慣れているからで,デフレの時代が続けば,人びとはデフレによる実質所得の変化に注目するように変化する」というマネタリスト的な・あるいはオーストリア的な主張です.これは本当かもしれないし,そうでないのかもしれません.社会実験が不可能だからです.
でも,僕はあまりこの意見は賛成できないように感じています.特にカーネマンの『ファスト・アンド・スロー』なんかを読むと,どうしても貨幣錯覚は普遍的な大脳回路の認識作用に基づいているように思えてしまいます.
おまえリバタリアンじゃなかったのか!? リバタリアンはフリードマン・ルールやオーストリア学派だから,デフレこそが望ましいと主張するべきだろう! と批判されそうです.あえていうなら,インフレ課税は国防予算に当てるべき,現在の無意味・有害な産業振興・保護や公共事業の予算をやめてベーシック・インカムとして配るべき ということになりそうです.
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2016-06-16 検察庁のシナリオ

- 作者: 田中森一
- 出版社/メーカー: 双葉社
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今日はヤメ検でバブルの紳士たちの顧問弁護士をしていたところ,石橋産業手形詐欺事件で(本人曰く検察庁の話の捏造に嵌められて)5年服役したという男の人生記です.なるほど,こういうのを読むと,検察庁というのは,筋書きをつくってそれにあった供述をさせるプロ集団なのだということがわかります.
別に本人は懺悔しているというわけではなくて,検察に都合の悪い弁護活動をしていたために彼らににうらまれて,その結果冤罪で投獄されたということになっています.今となっては,この部分は本当なのかもしれないし,彼の妄想なのかもしれません.
それにしてもこういう過酷な取り調べの人権侵害状況を考えると,厚生省の村木さんという人は本当にすごい.すべての筋書きに頑として否認を続けたのですから,たいへんな精神力の持ち主です.おそらく彼女の冤罪事件のおかげで,面談の録画がされるようになったのです.官僚組織の自浄作用というのはほとんど存在せず,それなりの制度変更にも実に何十年・何百年という単位が必要であることがよく分かります.
また庶民に関係するのかははっきりしませんが,さまざまな陰謀というものが,今でもこの世の中に実際に常に存在するということが,よくわかる人生訓話でした.
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2016-06-13 ビットコインに似たマルチ商法
皆さん お久しぶりです.
先日,友人からのメールで「エターナルコイン」という,マルチ商法そのもののアルトコインがあることを教えてもらいました.
これはひどい!! リップルを利用した単なるマルチです.時々授業を使って学生にも注意しておくべく,覚えておくことにしました.
しばらくムッときていた小生ですが,よく考えてみて,リアル通貨でさえマルチ商法が常に存在してきたのが資本主義なのだから,突然流行り始めた暗号通貨に便乗する詐欺野郎たちがいても不思議はないことを悟りました.あるいはリアルワールドに詐欺も強盗もいるんだから ネットにいるのも当然です.
残念ながら,人間の社会には常に悪人がいるのですね.気をつけることにしましょう.
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2016-04-05 Tesla Model3 by Elon Musk
皆さん こんにちは.
クルマのような商品は,単に発売されて購入者が買って消費するというかエンジョイするものだと感じていました.しかし,マツダのロードスターの発表を見た時にも少し感じたのですが,さらに先日テスラ・モータースの Model3 の発表を見ていて,完全にiPhoneと同じように,クルマの発表それ自体が一大イベントになっていることがよく分かりました.
なにせイーロン・マスクは現代のカリスマの一人です.CO2エミッションの問題がそんなに重要なのかは僕にははっきりしませんが,電気自動車にはそれ以外のメリットもあるので,彼が偉大なヴィジョナリーであることは間違いありません.
クルマを買うことも含めて,コンサートに行くような感覚で,商品の発表を一緒に楽しむのはアップルのやり方と同じです.プレゼンテーションが重要なので,日本のサラリーマン社長にはなかなかマネのできないショービジネスという感じです.
何はともあれ,クルマでもこうした「体験=感動」を売る時代になったということなのでしょう.ちょうどミュージシャンの音楽を聞いてから,そのコンサートに行くのを楽しむ感じでしょうか.コンサートに行ってから,音楽を楽しむというのもありですね.
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2016-04-04 Philosophy of Liberty by Ken Schoolland
皆さん こんにちは.
先日 ハワイのKen Schoolland と会って話をする機会を得ました.以前から彼のサイト Philosophy of Liberty のファンだったので,『のんきなジョナサンの冒険 The Adventure of Jonathan Gullible』の話とともに,とても楽しい時間になりました.
現在山梨にお住まいの村田稔夫先生とは30年来の付き合いなので,前日に会いに行ったとのことでした.彼いわく,「数年前の東京でのモンペルラン・ソサイエティー(MS)に来たら,Murata Senseiが呼ばれていなかったのは驚いた.なにか派閥の問題でもあるのだろうか?」と不思議がっていました.
また「MSはもう単なるスノッブの集まる会合になって,もともとハイエクが意図していたものとは全く違っている.僕らは別のmeetingを立ち上げてるから,また気が向いたら来いよ」と誘ってもらった.MSについては僕もまったく同感で,まったくもって自由主義というお題目から遠く離れてしまっている.
その後,1980年代に日本で誰が自由主義者を語っていたのかをもう一度調べる機会がありました.結果,オーストリア学派の自由主義者というのは日本には長らくいなかったことが分かりました.今でも尾近先生は経済思想だし,経済学者と呼べるような感じの学者はいないような状況です.
なんでだろ?? オーストリア学派の経済循環論なんかは,検証してみる価値があると思うけどな〜〜 まあ,それはアメリカでも同じか.もちろんポストの問題なんだろうと思いますが,自由主義者を論じる経済学者もいないのは残念なことです.
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2016-02-28 エネルギーの高い水
今日スーパーホテルからもらった水を飲んでいたところ,そこに書いてある能書きをなんとなく読んでみると以下.
「霧島国立公園に指定された霧島生まれの天然水. 軟水よりミネラルが豊富で,しかも飲みやすい硬度127mg/lの「中軟水」.ケイ素やサルフェートなども含まれています.「健康深層水」は,さらにMICA加工によって生まれ変わった健康維持やリラクゼーションに貢献する安心で体に優しいお水です.」
さてその下に別囲みでさらに
「MICA加工とは,水を加圧しながら特殊な鉱石と接触させることにより,分子活動が活発化したエネルギーの高い水に変化させる技術で,世界8カ国で特許取得されています.」
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スーパーホテルがサービスがシンプルで安価・快適なのはいいけれど,健康を気にするロハスな人の心をつかむために,こうした「体に良い水」を配るのはある種の人間心理の必然なのだろうか.それにしても「水の分子活動が活発化する」,「エネルギーの高い水」ってなんだろう?「還元水」の系列で,こうした疑似科学の表現がそこかしこに自然に入っているのは,人の心というものの不思議だ.
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2016-02-22 認知症薬の投与
こんにちは.ちょっと本を読んでみました.福岡県にある宅老所「よりあい」の所長である村瀬さんという人が後述するところを記した本です.これは介護方法に関する本ではありますが,ボクの興味を引いたところとしては,「認知症」という診断自体が,(若年性を除く)高齢者の場合は現代医療の問題であると指摘しているものです.
さてウツのクスリを処方するためにうつ病の診断が激増したというのはよく知られています.同じ話では,最近イーライリリーがADHDのクスリを出したために,妙に「あなたもADHDではないですか?」的なパンフレットが目につくようになりました.
基本的に同じような話が本書として,「認知症」が載っています.それは,次第に認知能力が低下してきた高齢者にアリセプト(認知症改善薬)などを処方するため,また「介護保険」を適用するために,認知症という診断が乱発されているというものです.
一般論として介護がどうあるべきかは難しい問題ですが,知的な能力が下がりつつある人間の環境を入院なり,子どもの家に呼び寄せたりして激変させれば,それが悪化することは頻発するでしょう.この場合,認知症に対する投薬,さらにそれに伴う副作用に対する向精神薬の大量投薬を繰り返すというパターンが多いのですが,これが現代医療の問題であると本書は告発しているわけです.
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さて宅老所よりあいのように,「胃ろうはなし,オムツもなし,などというのは,理想論でしかない」,「現実にはそういう方法でしか介護できない高齢者がたくさんいるのだ」という主張もありそうです.本書が言うように,「ほとんどすべての認知症高齢者は,実はそういった非自立型の介護を必要としていないし,ほとんど最後まで自分でトイレに行けるし,行きたがっている」という主張が本当なのかどうかは,ボクのような素人にはちょっと判断できません.
ただそれでも感じるのは,本書の村瀬さんが主張するように,被介護者にも尊厳が必要だということ. おそらくほとんの人は薬漬け,チューブ・胃ろう・オムツと一緒に何年も生きていたいとは思っていないように思われます.
最後に,経済学の視点から一言.もし「宅老所よりあい」のような施設が,通常の老健・特養施設よりも人間的に望ましいだけでなく,介護という視点から見ても資源節約的であるのなら,もっと素晴らしいことです.より良いグループホーム制度として,ぜひとも宅老所類似の施設が全国にあまねく広がってほしいものです.
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