恩田陸/スティーヴン・キング

前のエントリー『ベストセラーの立ち読み』で冒頭を引用して、読むことを断念したコメントをアップしましたが、ゐさんが、HP上の掲示板で下記のような書き込みをしてくださいました。

ベストセラーらしいですね。でも、葉っぱさんは、「内容よりは文体なのです。背中を押してくれる文体ではないのです。」 といっていて、なかなか読み進めるのがむずかしい、と漏らしておられます。じつは、ぼくは、ぼくにしては珍しく、この本を、もう、ずいぶん前に読みました。(ぼくには、ベストセラー回避症というヘンなくせがあるんですが…)で、読み終えて、いいな、と思いました。マンガぐらいは読むけど、あんまりすすんで小説(字の本)は読まない子。でも、なんか読んでみたいな、と、なんとなく思ってる子。そういう、まだ好みや志向が固まってなくて、ふわふわしたところにある中学・高校生くらいの子がいたら、「これ、よかったら読んでみたら?」 といってみたくなる、そんな感じです。文体について、葉っぱさんのおっしゃってる感じ、ぼくにはわかります。でも、ぼくが世界に入って行けたのは、現実の高校生を知ってるんで、逆に、作家の文体やストーリーの作り込み方との距離が自然にとれたからかな。「金八先生」をドラマとして安心(?)して観る、というのと似てるかも。虚実皮膜の間に入るには、なかなかむずかしい条件がありますね。
前につとめていた学校で、この小説の舞台になってる歩行祭に似た行事があったことも影響してるかもしれません。歩き続けた果てに生じる不思議な感覚は、それを体験した者にとっては、リアリティのあるものです。作者の着想の根にも、実体験があるのでは? ただ、体験があることと、それを虚構の作品としての力をもたせることは当然別です。かなりの人びとに読ませた、ということは作家の技量の証でしょう。しかし、ここには確かに、どこか自閉した感覚もなくはありません。地方の進学校の伝統行事にこめられた人間関係。それに違和感を覚えてしまったら、葉っぱさんの紹介している「みーちゃん」さんのような感想になるでしょうね。 でも、ぼくは、いいな、と思いました。読んでみたら?、といいたくなりました。ぼくは、どこを読むといい、と思ったのか?…たぶん、だれにもある〈うじうじ〉した心のエネルギーの空費を経てやってくる、なんともいえない解き放たれた感じ。《彼の中で、世界はますます広くなっていた。みるみるうちに地平線が遠ざかり、海を超え、遠い世界がうっすらと見えてくる。/不思議な感覚だった。/融は、世界に包まれているような気がした。(326頁)》「融」という男子生徒のキャラクターの側からいうなら、そんな感じ。「貴子」というキャラクターの側からいうなら、《 …貴子は、ちょっと黙り込んでから、小さく『ほうっ』と息をつく。/『ありがとう。嬉しい。ああ、よかった』 /声がかすかに震えていた。(321頁)」》という感じ。ここだけ抜くと、「何?」という感じかもしれませんが、300ページ以上のウダウダがあって、ここへ来たとき、たとえば、「融」が、《 自分があの榊杏奈という少女を、彼女が残していった空気を、そして彼女に連なる遊佐美和子や甲田貴子といった少女たちをずっと愛していたことを悟ったのだ。(326頁)》と感じたり、《『―もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな』(327頁)》 と漏らしたりするのは、これがある意味で気楽でばかげた特別の時空で起きた一昼夜の出来事だと俯瞰してみると、なんとも、ごく自然に受けとめられます。ものすごいことばをあえて使わせてもらうと、ここにあるのは、「愛」と「勇気」ですが、見えてくる風景は、まるで宮崎駿のアニメーションのように、崖っぷちから視界が開いていって、空と海と地平線が生き物のように伸びていく、そして、そこへ向かって空中へ一歩踏み出す、そんな感覚です。 この小説が面白かったというひとは、きっとそこに何かの歌を聞いているのでしょう。「―もっと、ちゃんと○○やっとくんだったな」という感慨は、年齢にかかわらず、ぼくら〈現存在〉を襲うし、ぼくらの未来にたいしては、ちゃんと○○をやる、という ある種の希望を、生きた感覚で送り届けてきます。これは、過去への声というだけでなく、未来からの声のように聞こえます。高校三年生の気楽でばかげた世界を触媒とした物語を 生き生きとした印象のままに読み終えたいなら、懐古の感傷ではなく、崖っぷちから開かれた視界を残映とするべきでしょう。で、また、読み終わって抱く感想のひとつは、必要なのは、「世界に包まれている」感覚だ、という思いです。ぼくらは、どこか「包まれていない」世界にいる。自閉でなく、利己主義でなく、懐古でなく、でも、包まれている、という感覚は、苦しくつらい世界を切り開いていく勇気の根っことして、なくてはならない。それは、進学校の高校生だけのものであるはずはない。気楽でばかげていて安心できる世界は、必ずあるし、必ず要る。絶対に肯定されるべき世界。では、それはどこに? いや、それはどうやって創られるか? …それが、終わりにやってきたぼくの問題意識です。参照:『bk1書評』

そして僕は歩行器の助けを借りて、もう一度、スタートから読み始めました。そして無事、八十キロ(343頁)を完走、読みきりました。読後はとっても気持ちのいいものでした。僕の連想はスティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』新潮文庫)でした。八十キロの歩行祭と“死体探しの旅”、進学校の優等生達と不良少年達という違いがありますが、段々マラソンハイになった中盤から後半で、実際、ベン・Eキングの『Stand By Me』が堪らなく聴きたくなりました。この場でゐさんにお礼を申し上げます。映画もよかったですね。青春映画、青春小説は年寄りを熱くするものがありますね。ただ、文体、語り口は翻訳ですが、スティーヴン・キングの方がぴったりきます。「嘘、マジ?」って書かれると、言われると、年寄りはフリーズするのです。長年耳にしているのにこの言葉はいまだに慣れません。でも、いつまでも、生き延びていますね、何故だろう、不思議です。

四方田犬彦/森山良子/森山直太朗

(去年の春の頃です)。桂川宇治川・木津川と合流して淀川の流れになります。その合流地点は桜並木の散策路で、見事に咲き誇っていました。石清水八幡宮の神馬(注:神馬は去年の年末亡くなりました)が川床に伏して白いたて髪を靡かして春の酔いに転寝しているような気がしました。(旧ブログ転載)

歩きながら、「さくら」の直太郎でなく、母親の森山良子の「この広い野原いっぱい」がヒットしたのはいつだったのだろうかと、気になり、今、検索したら、1967年である。ああ、やっぱし、すっぴんの彼女にエレベーターで同乗したのは1968年で、成人を迎えたばかりだったのだ。彼女はショッピングセンタービルのイベントで出演し、同じビルでぼくは本を売っていた。羽仁五郎の『都市の論理』(筑摩書房)が飛ぶように売れた。若い女の子たちが、何の衒いもなく買っていくのをニコニコしながら、著者はご機嫌で見ていた。あれから、三十五年なのか、矢作俊彦の『ららら科学の子』と言い、高校の卒業年次が同じ四方田犬彦『ハイスクール1968』は、今と、1968年を往還して「あの1968年は何だったのだろうと」と検証している。
森山良子は二十歳で、僕は二十四の社会人で、四方田犬彦は高校生だったのだ。しかし、その読書量には圧倒される。知に飢え、絶望も希望も、欲望した中高校生達が、背伸びして、本屋に足を運んでくれた。表紙の挿画は、その当時「ガロ」に掲載された佐々木マキのもので、そのレビュー投稿したのが、四方田犬彦の批評家行動のデビューだったのです。本屋の店頭で、大学生、高校生と、こんなムツカシイ本を読むのかと、吉本隆明全集を始め、若者達の熱気が伝染して、社員割引でどんどん購入したが、結局は殆ど、積ん読になってしまった。東京を離れる時、処分して、やっと読めるようになったのが、淀川沿いに居を定めてからである。仕方がない。昔、持っていた本を図書館で借りるという愚を犯している。当然、直太郎君は生まれていない。桜並木を歩きながら、埒もないことを考えました。