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2016-08-11 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 目の前にある簾の向こうになにがあるのかを
簾の前で見えていることをことばにしながら伝えるのは難しい・・・。
目に見えるものが総てという風潮、でも希望がもてる。心は取り出して見られるモノではないけれど皆それぞれがそれを痛いほどに感じている。「こころ」って鈴のような音。ころころと動いて変化するから「こころ」と呼んだと昔ききました。
そして耳や目でなく、こころで響き合うとき、次元の違う世界が広がり始めるのを、誰もが体験しています。
そういう語り会にしたい〜〜〜

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 ちょうど8年目、そしてお盆に「鈴虫」の巻に向かい合うのはなんとも不思議な巡り合わせです。
この物語のことばのむこうにある世界をどう表現したらいいのか・・・・・
五十四帖の中でもっとも語るのが難しい巻ではないかと思います。
目指すはイタコ状態でなおかつ冷静な語り女房・・・
書かれてあることばからどれだけ引っ張ってこられるのか。。。
これまでにおこった総ての出来事が今源氏の君を宙に浮かせているというイメージです。
あはひの旅人よ。
私を導いておくれ

8月20日、21日の土日午後3時開演
東京明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて
お申し込みフォームやあらすじなどの詳細はこちらに

お誘いあわせの上是非お運び下さい













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おおきに

2016-08-04

無限のあわいに 鈴虫

8月で、東京での源氏物語連続語り会は8年目に突入します。
初回は8年前の8月8日、∞/∞無限の企画と思われたこの会も、皆様のお支えのお陰で43回会をかさね、第三十八帖に届きました。
8月は「鈴虫」の巻。
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静かな静かなこの巻で交わされる言葉の向こうから黄泉の風がほのかに吹いて来るのを感じます。
平安時代の鈴虫は現在の松虫。「鈴虫」という巻名で、りりりー という涼しげな声を想像しがちですが、物語に聞こえてくるのは
チリ  チリリ  チリ・・・・・・
というひそやかな声。遠い遠いどこかからかすかに聞こえてくる鈴の音のようです。  誰がならしているのでしょう。
「物語」が、出来事を伝えるのではなく、遠い世界とつながるために編まれたのだということに気付かされる巻。
嵐のように壮大な「若菜」の大波を越えて 今目の前に広がる海の静けさ
凪いで光をかえすおもてからは見得ないわたつみの深さに潜る心を、虫の音を聞き分けそこにあはれを見いだすやまとの心を、私達が本質として受け継いでいることに喜びを感じています。
そんなことを 実感する巻。

蟬の声がふりしきるような暑い時期に、一足早く秋の静けさを。
「鈴虫」の巻 8月20日(土)、21日(日)の両日3時より
東京明大前駅徒歩2分のキッド・アイラック・アート・ホールにて。











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おおきに

2016-03-29

京都五十四帖語り会


2016年1月 いよいよ京都での五十四帖連続語り会がはじまりました。
せっかく物語が生まれた地で語るのだから と、巻ごとに物語にちなんだ場や相応しい空間で開催することに致しました。お越し下さる方が物語だけでなくその世界全体を味わっていただけることを楽しみにしてくださるような会にしたいと思います。

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第一回【桐壺】は、ザ・ターミナル・キョウト 素晴らしい京町家。
新年の気配ののこるしずもった清らかな空気。

ちょうど一年前の成人の日東本願寺涉成園で、宗教学者山折哲雄先生に公演を御願いして六条院の栄華を語らせていただいた折に、山折先生は、平安時代には十二歳のころであった元服の儀と現代の成人式にかさねて、青年期の心と身体の成熟についておはなし下さいました。奇しくも次期を同じくしての源氏の君の誕生と元服、婚礼、そして藤壺の宮への幼い恋心がほのかに揺らめいて、いよいよ壮大な物語の船出です。

そして3月27日には、中井和子先生が愛された野仏庵さんでの第二帖【帚木】〜「雨夜の品定め」の段をお聞きいただきました。お庭に点在するお茶席などを散策していただき、坪庭のあるゆったりと素晴らしい母屋でお抹茶と御菓子をお楽しみいただいてから、講堂で語り会が始まります。

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深々とした格調の鳥の子紙の白屏風、見事な細工の燭台に和蝋燭を灯し、雨音につつまれる物忌みの夜の密室劇・・・。モノトーンの世界に紅の蝋燭の灯りがゆらめき、色恋談義の対極にある源氏の君の心中が闇の中に浮かび上がります。声にする言葉のむこうにある このなまめかしい心、お伝えできたでしょうか・・・。源氏物語には希な、男性の台詞が九割という大変に難しい段でした。

これから始まる壮大な物語に登場する女君達の目次のようなこの段、そして言葉にはなっていないけれど、かさねらたもう一つの禁断の恋の世界・・・ 女房語りのテーマでもある「かさね」がここにも色濃く通奏低音として流れています。私にとってはそれが源氏物語の醍醐味、独りよがりでなくこれこそをお伝えでしたい と願っています。

次回は5月21日(土)法然院さん方丈の間での【空蝉】。【帚木】の後半、帚木の女君との出逢いを前段にお聞きいただきます。









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おおきに

2016-02-07

光のなかから現れ出る闇


 源氏物語連続語り会は7年目をむかえ、昨年暮れに壮大な「若菜」上下巻を語り終えました。
さまざまの出来事があり、ブログも停滞していましたが、源氏物語を語るなかに人生における気づきもまた様々戴きました。

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目前に迫った語り会「柏木」の巻
柏木」という人物の名をいただいた巻名でありながらこの巻は
源氏の君が生涯心に抱えてきた、藤壺密通という「闇に葬った過去の大罪」が、
今、罪の赤子 という生々しい実体をもって報いられるのを目の当たりにするという恐ろしい物語です。
 柏木衛門督は源氏の正妻女三宮を密通により懐妊させたという、絶望的な不倫に対する源氏の怒りを恐れ 死に至る病に伏しますが、知らずして 源氏自身に栄華の陰に隠された真実をつきつけることになるのです。
罪が同じ形をとって罰として今生にふりかかる
この世で地獄を味わうような恐ろしさです。

 正妻女三宮はこの苦しみから逃れるために出家を望みますが、このとき源氏に気づきが訪れます。けれども紫式部はさらに残酷な罰を源氏のために用意しているのです・・・・・。

 京ことば源氏物語柏木」その一 は2月13(土)14日(日)の両日3時より、
明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて開演です。
粗筋、お申込みフォームなどの詳細は http://tinyurl.com/zenm5dm
にあります。お誘い合わせの上どうぞお運び下さい。







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東京連続語り会は http://tinyurl.com/zenm5dm
facebook http://tinyurl.com/zvptb3x






感謝をこめて

2015-10-19

日本 ゆらぎの感覚

「明日の京都プラットフォーム」無事終了しました。今回のテーマは
「日本の美 手と技の世界」
無形の文化をどのように遺産とするのか
この中で「桐壺」の巻をお聴き頂きました。
500名のお客様が しん・・・・ とお耳を傾けてくださいました。

無形文化は有形のものとちがって形を変えながら受け継がれてゆくもの、
そこをふまえて文化遺産として繋いでゆくことが大事だとのお話に、
言葉もまさにそうなのだと思いました。
言葉こそはその土地の風土を生き抜いてゆくための叡智がこめられた財産。それが千年の時の中でこんなにも変化し、標準化ばかりでなく記号化が進んでいます。CDでは音として聞こえない波長をカットしてしまったためにクリアーだけれども気配のない音楽になってしまったことでした。言葉も同じ。情報の確実な伝達だけが言葉の役割になってしまったら、人間の想像力とやわらかなこころは失われてしまいます。

触れずしてふれる、言わずしていう というゆらぎの感覚には信頼や覚悟が必要ですが、そこから推しはかる心が生まれる  日本の文化の素晴らしいところだと感じますし、中世の文化があれだけ自由闊達に花開いたのはそこに人々の意識があったからではないかと思います。

生粋の京都人の先輩方のまえで京ことばを語るのはとても怖いこと。でも中井和子先生の京ことば源氏物語をお聞きになって、今はもう使わなくなってしまった京ことばをふと思い出して私達に語りかけて下さるきっかけになったら、それはどんなに素敵なことでしょうか。御孫さんには通じないからと、古い言葉を押し込めてしまわれるのはとても勿体ないことだと思います。京都の大先輩の皆様、どうぞ私達に豊かな京ことばを教えて下さい。京都に限らず、どうぞ各地の皆様、土地が育んだ豊かな言葉とその心を若い人に伝えて上げて下さい。心からそう感じた一日でした。










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感謝をこめて

若菜の狂気をくぐって

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「若菜下」 その三回目は特別に恐ろしい段でした。六条御息所死霊が紫上の息を止め、恨みを抱いて苦しむ我が身の哀れを源氏に訴える間に、六条院では柏木がこちらは生きた物の怪のように女三宮に密通、懐妊、取り返しのつかない事態に女三宮はなすすべもなく、その事実は源氏の知るところに。登場人物のすべてが狂ったような物の怪の世界に取り込まれて呻き叫びます。初めての方はいきなりこんな激しい段にお疲れになったのではと思います。

言葉を声にするというのは書物の中に収められている時とは違う力を帯びてしまうもので、あのように恨みや悲しみや狂気の台詞満載の今回の段、お稽古中から本当に具合が悪くなってしまって、しんどい語り会になってしまいました。そこが地の文で語る朗読とはまた違うところなのかと思いますが、このところ頸椎に異常があって、おまけに足は痛めるわ、肌にアレルギーまで出始めて瞼が真っ赤に腫れてしまっていて、なんだか私自身が取り憑かれたみたいな感じの公演でした。
けれど六条御息所柏木情念源氏女三宮の苦しみ、紫上の新たな心情・・・とそれぞれの人物を通して自身がその思いを体験しているかのような醍醐味がありました。


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中井和子先生は生前「若菜をこそ語ってほしい」とたびたび仰っていました。彼岸で聞き耳を立てて下さっているかと思います。「ことだまのくに」ビジター投稿にあまりにも嬉しい御感想を戴いて涙ぐみ、先生がご存命だったらこの喜びを分かち合えたのにと思わず「先生!」と声に出してしまいました。

きらびやかな六条院が一転、苦しみ、狂気、後悔、恨みの泥沼と化し、そこから光を求めて一本の蓮の蕾がほどけようとする 紫式部はこの蓮の花をこそ描きたかったのだと思いました。これに気付かされたとき私は言葉を失ってただ泣きました。本当に偉大な物語だと改めて感じます。今や紫式部は物語の作者ではなく人生の師です。








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感謝をこめて

2015-09-07

人形浄瑠璃ヌーベルバーグ

 源氏物語をしばし離れて、文樂人形芝居とのコラボレーションで郡上大和におりました。
 文楽界から独立、木偶舎を立ち上げ人形浄瑠璃ヌーベルバーグと称して新しい作品を次々と創作される勘緑さんと、作曲家住友紀人さんのユニットに加えていただき、浄瑠璃節に代わって語りをさせていただきました。
 昨年までの「姥捨山」に続き今年は「母情落日斧」。この土地で起こった大変重く不条理な悲劇に基づいた作品、「助けて!」「こわい!」「恨めしや」「ぎえええええ〜!!」・・・と絶叫台詞が目白押し。お家でお稽古したら「あの家で何かが起こっています」と通報されるに違いないので思い切って「一人カラオケ」なるスペースに出張。一人で入るのにものすごおおく勇気がいりましたが行ってみタラバ何でもないことじゃ。受付のお兄さんは感じのええ方でのう、おのが機器を持ち込むことなど事情を話すと「それなれば」と孤立した部屋に案内してくれたにはおおきにじゃ。驚くほど狭い独房には歌うおのれの姿を映すカメラとモニタ、こはいかに(怖いカニ?)!?!? 即OFFじゃ。この叫び、閉所恐怖症の絶叫かと漏れ聞いた衆は思うたとか思わなんだとか・・・と 物語はめでたくしめくくられま せん。

 親が、心底愛する子供を我が手にかけるという、世間的には不条理な「事件」 でもそこにはまったく外の世界の私達の尺では計れない深い心の淵が口を開けています。そこにまっすぐ潜ってゆくのは自分でも恐ろしいし、果たして自分にできるのか、本当の叫びは絶叫の台詞ではなく 声にならない心でしょう。
 一瞬の狂気を呼び覚ます、魔性の太陽を私も垣間見られるのか、死と引き換えの心の叫び、死ぬ気になって空に届けたい、そして物語のその土地での上演が供養となりますように・・・・そんな思いで現地入りしました。

 深い緑に包まれた郡上大和明建神社の拝殿をそっくり舞台にしてしまうという大掛かりな演出、当日はお風呂をひっくり返したような大雨の中、ずぶ濡れになって舞台を設営してくださる土地の方々はじめチームの皆さんの情熱に支えられ、勘緑さんのダイナミックな人形遣い、心の底から響きあう音楽に、普段の源氏物語の語りではありえないような激しい語り口調、絶叫。。。
 人の哀切、口惜しさ、苦しみをくぐり抜けた慈愛、生ののぞみ死ののぞみ・・・この土地に籠もった無言の思いを言葉にし、音に奏で、声にのせ・・・発せられたそれら願いが世界を包み込むかような雨音を貫いて大いなる自然に受けとられてゆく 素晴らしい体験をさせていただきました。

 苦難に満ちた現世を一心に生きて離れてゆくいのちに、あはれと願いを以て鎮魂する人の営みがやがてのぞみという力にかわってゆく、本当の祭りとはきっとこうしたものではないかと、何に対しても等しくふりしきる雨は自然からの応えなのかもしれないと思いました。










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ありがとう

2015-07-21

一年がすぎました

 実に一年ぶりの更新です。

 昨年夏、スイスイタリアから戻りまもなく父を看取りました。
日本での仕事も終え、やっと今晩は一緒に食事をしよう、と実家に行ったその夜の入院。それからわずか一週間、あっというまに旅立ちました。

 まるで待っていてくれたかのようなタイミングで、最後の日々は毎日病院で父とすごすことが出来ました。
最後を母には見せたくなかったのでしょう、母が仮眠に帰った夜中のことでした。
指で感じていた弱い鼓動がことん と終わり、抜けていったのがわかりました。

悔やまれることはたくさんあり苦しみましたが
遺された者のエゴがやすらかに魂を送れるものではありません。
父には感謝以外のなにものもなく、片時も離れなかった伴侶を失った母が元気にいてくれることがなによりの父への供養かと思います。

先日ひと月早い命日に一周忌の法要をすませ
あたらしい気持ちで夏を過ごしたいと思いました。
八月は日本が悲惨な状態で敗戦した月
魂が還ってくるお盆もかさなってもの思う月。
そして、父の生き様をあらためてこの身で思う月となりました。

 戦後、まだ少年のあどけなさが残っていただろう父は、手のひらを返したような国に声も出なかったのではと想像します。誰に頼ることなく家族を牽引するために、憧れや夢想といった若者の宝を身体の中に押しとどめて必死に実を生きたのだと思います。
 母と出会って比較的遅い結婚を決めたとき、やわらかい灯火を心にともしたのではと想像します。母をよく音楽会に連れて行ったとか。幼い私に音楽はじめ芸術の喜びを教えてくれたのも父でした。
 家族を養い、仕事をしながら自身の理想の家を何年もかけて造り、その後は謡曲書道巡礼に心を注いだ父。今から思えば父の心は職人技や芸術などの有形無形の創造の方面にむいていたのだという気がします。時代や現実がそれをもしゆるしたならどんな世界を生きていただろう。だからこそ父の資質に似て生まれてきた私に、音楽はじめさまざまな稽古事をさせてくれ、それとなく無形の世界の深淵に導いてくれたのだと思います。
 とはいっても私の生業は社会的には安定しない仕事、世の父としての心配は絶えなかったかもしれませんが、今となっては私が語りという形のない世界に身を浸していくことは、父と生きることなのかもしれないと感じています。

 親族がなくなるたびに不安定になっていた母、父が逝ってしまったらどれほどに と思っていたけれど、人工股関節をいれてまで数年間頑張り抜いた介護、可能な限りやりきったという気持ちがあるのでしょう、父との新しいおつき合いを穏やかにすこやかにはじめた母の幸いを嬉しく感じています。
 先日結婚前にデートしたという喫茶室フランソアに母を連れて行きました。母はなんとなくこそばゆいような面持ちで、その当時は影も形もなかった私が、小さくなった母の前にこうして居ることの方が不思議な感じがしました。

 父の不在で迎える初めての自分の誕生日を母と過ごし、二人があって自分がここにいることを再認識し、この日母は着物を着て写真を撮ってあちらへのみやげにするのだと、炎天下スタジオまでの道のりをものともせずに歩きました。少女のようなかわいさでした。








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2014-07-29

スイス、リヒテンシュタイン6都市公演を終えて

 今年はスイス、日本両国の国交樹立150周年、記念事業の一環でスイスリヒテンシュタイン6都市にお招き頂き、沢山の方に源氏物語をお聴き頂けました。

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6月17日に出発、ジュネーヴバーゼルランド、ルツェルン、ウリ、リヒテンシュタインルガーノを巡りました。その後一人イタリアに5日間滞在、素晴らしい出逢いも得て7月10日に戻りました。

 主催者様のご要望もあって、ドラマティックな展開と一つの物語として成立している『夕顔』の巻を語りました。「もののけ」と心理との関わりなど、語りだけではわかりづらいところもあるので、今回も通訳の方を通して聞きどころをお話しし、テキストを小冊子にしてお渡ししましたが、それよりも言葉という垣根を越えて、言葉の響きを身体で感じて受けとめてくださったことに感激しました。
「ことのは」が私にくれる感覚を、この身体を通してどんな音にしていったらよいのか、海外で試されるそれは、言葉で繋がる日本に於いても同じ課題だと思います。ことばの意味が伝わるだけでは体験になり得ないからです。皆様が耳ばかりでなく身体を澄まして聞いて下さる様子が伝わって来ました。

 中には源氏物語を読んだという方もおられ、涙を溜めて抱きしめて下さった方もありました。
スイス在住の日本の方が、「物語の世界にのめりこんでゆくように映像が浮かんできて、小さい頃母が物語を読んで聞かせてくれた体験を思い出しました。」と嬉しいご感想を頂きました。
身体に残る記憶や感覚を今に呼び覚ましてくれる力が物語にはあると信じ、物語をよそ事ではなくそんなふうに自分事として聴いていただけたらと常々願っていましたが、こうしてお一人お一人の心の中に広がる物語世界に遊んでいただけたという喜びが次への意欲の一番の栄養になるのです。

 最終地ルガーノからミラノに入り、ここで素晴らしい方との出会いがありました。
このほど源氏物語を原文からイタリア語に完訳された、ローマ大学教授のマリア・テレーザ・オルシ先生に御時間を頂いてお目にかかれたのです。初めてのイタリアミラノ大聖堂スカラ座を見てまわり、ご自宅にお招きいただきゆったりと過ごしながら源氏物語の話に花が咲きました。
光と蔭がくっきりとしたイタリアでは源氏物語がどのように受けとめられるのか、先生のご苦労も伺い、そして、イタリア語ではどのように響くのか、先生にお願いして桐壺の冒頭の部分を朗読していただきました。
それは私の軽薄なイタリア語のイメージでは想像も出来ないほどやわらかで美しい響きでした。いつかきっと京都にお招きして、この美しいイタリア語の響きとともに語り会を実現させたいと思いました。
フィレンツェローマ、ウフィッツィ美術館、ヴァティカンはじめ文化と歴史をめぐる一人旅を味わって、この期間悩まされた寝不足もなんのその、元気に戻って参りました。

 様々な意味で日本は今注目されています。日本人として誇らしく感じられない日本の姿もある中、古来の日本の文化は、人としてどのように生きるべきかを探ることをも私達に教えてくれるものだと思います。日本の文化の一端をお伝えする身と自覚して、これからも源氏物語をとおして学んでゆきたいと思います。























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2014-06-04

おぎゃあ

呼吸  声になる前の生への渇望。

私達、産道を通ってくるときに最初の試練をくぐり抜けるのですね。
生きたい と思う力が最大限に発揮されるのがまだなにも外からの学習をしない時 
胎児が赤ちゃんになるとき。お母さんとの命懸けの共同作業。
赤ちゃんってすごいんだ。
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私達みんな赤ちゃんだった。生きたい!と欲してこの世に出てきたの おぼえてる?
私達誰もがそんなすごい本質を備えてる。
その呼吸が最初の声になる 
声は消えてもその言霊はとびつづけて、くじけたときにいつも励ましてくれているのはほかでもない
産声の言霊なのかもしれない。

親からご飯をもらえないで死んでしまった子供の事件が心に重くのしかかっています。
生きたいという欲求をだれもとめることはできないのに。
いきものの本質が持っている可能性だけは奪わないでほしかった。

香り高い華やかな『梅枝』の巻では子を思う親の心と、また人の思惑にとは別に、生ある人の個性が表出する場面がいくつもあります。
人の心は決して思うようにはなりません。でも生への欲求が活き活きとせめぎあっていることだと思えば思い通りにならない世の中もちがって見えてくるのかもしれません。

京都発京ことば源氏物語『梅枝』の巻

六条院の女君達によって競うように調合される香、匂い立つような優雅なひとときを・・・。 

6月7(土)8(日)両日とも3時開演(2時半開場)
御予約2000円 当日2500円
明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて

あらすじ、お申し込みフォームはこちらです
お誘い合わせの上お運び下さい。










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おおきに

2014-05-26

東京から京都に 

この春拠点を東京から京都に移しました。
ちょっと思い切りが必要でした。長く東京に住んでネットワークを育ててきましたから。
でも京ことばで活動してゆくこれからのことを考えるとやはり京都発でなければと決断しました。
何処で語るにしても京都の風を纏って出かけてゆけることを幸せに思います。

東京で始めた全五十四帖連続語り会は是非にも続けて参ります。
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6月のキッド・アイラック・アート・ホール公演『梅枝』の巻は六条院御殿で競い合われる香の物語。

生活や癒しに香りが取り入れられる昨今ですが、稀少な天然の香料を調合した当時の香は人々の心にどのように作用したものでしょう、心惹かれるところです。
平安時代、香の原料はすべて輸入品でした。貴族達は思い思いに自身の香を調合しました。宮中はさぞエキゾティックな香に満ちていたことでしょう。
梅雨時の少し湿度の高いときの方が香を敏感に感覚するようです。これからの季節にぴったりの物語、お誘い合わせの上お楽しみ頂けたらと思います。

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6月7日(土)、8日(日)両日とも3時よりの開演で 御予約2000円、当日は2500円です。
http://www.genji-kyokotoba.jp/明大前キッド-アイラック-アート-ホール2013から/:title=あらすじ、詳細はこちら]です。
どうぞのぞいてみて下さい。


京都での新しい住まいは閑静でしっとりした所、少し歩くと人が溢れる観光地だとはとても思えません。
巡る四季の中で、これまでは学べなかった京都の様々を身にまとって各地の語り会に出かけてゆきます。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。





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おおきに

2014-03-06

フランスでの講演が終わりました

 パリ文化会館からの招聘を受けて、文化会館とイナルコ大学(国立東洋言語文化研究所)で講演をさせていただきました。
イナルコ大学では日本語を学んでおられる方々にお聴き戴くとあって、「花の宴」の巻を原文を中心に構成、標準語での簡単な説明に続いて原文、京ことばと、その響きを比較して聴いていただきました。

 朧月夜の姫君 といっても・・・・と、パリで朧月が見られるのでしょうか、と、日本では月が沢山呼び名をもっていて、月の名だけで季節や時間帯、風情を感じ取ることができるので、たった三十一文字の歌にもよく詠み込まれるのだとか、とてもおおざっぱではあるけれど王朝人の心が月と供にあったことをお話ししました。
有明の姫とも呼ばれる朧月夜の姫。湿気が多い京都の春の夜、満開の桜越しにぼんやり浮かぶなまめかしい月の風情をまとい、夜が明けてそこにいるのに正体がぼやけてゆく有明の月のイメージがどこまで伝わったかは判りませんが、興味深く聴いていただけたようです。終わってから美しい日本語で「私は源氏物語の語りを学びたいのです」と熱く語りかけてくれた学生さんがありました。日本の文化が大好きだそうで、とても嬉しくなりました。
ワルシャワ大学でも感じたことですが、美しい日本語はむしろ日本の外で保存されているようで、いつの日か外国の方から日本語を学び直すということになりかねない日本の現状を思いました。

 エッフェル塔のすぐそば、セーヌ沿いにある日本文化会館は、日本の文化が集結する所です。
パリに着いた翌日、打ち合わせの後に文化会館の劇場で能とオペラの融合劇を鑑賞。
狂言と能の形態はギリシャ劇の悲劇喜劇の流れを汲むヨーロッパ歌劇に置き換えることが可能なのだと新鮮に味わいました。が、多少の疲れで第二部は居眠りしてしまいました。
 文化会館での講演当日は、用意した画像、音楽などで貴族の生活の様子、扇の文化、かさねの色目などご紹介しました。機器の操作、通訳など,会館の方にお力を頂きながら。
 白の魔法、もののけと人の心、という夕顔の巻のポイントとなるところを話し、
フランス語訳の夕顔の巻冊子を片手にお聞き頂きました。
語り終えて、いただいた拍手が戸惑うほどに長く続き、こみ上げてくるものがありました。
皆様が心から耳をかたむけて下さった事を実感してとても幸せでした。
最後に会館からのリクエストで『京ことばレッスン』をすこし。
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挨拶などの日常の言葉を、標準語と京ことばで紹介し、皆さんに声にして貰いました。
パリッ子の発声する「おおきに」「あきまへん」「かんにんしとぉくれやす」・・・
随分楽しんで頂けたようで、なごやかに弾んだ雰囲気で終了しました。
写真は竹内佐和子館長様と
日本人会会長浦田良一様

 この日は花扇画家の吉本忠則さんの扇子を開場に展示、深い色の扇面に浮かぶ繊細妖艶な花の絵にほれぼれと見入る方々・・・フランス人の美に対する意識の高さはここでも実感できました。

その後は音楽家の友人宅、ブルゴーニュ近くの村に住む友人などたずねたり、モンサンミシェル、教会巡り、シャンゼリゼ劇場管弦楽、マルモッタン美術館などフランスを満喫しました。

古いものを見るのがとにかく好きで、クリュニー中世美術館の朽ちかけた石をなでたりしながらフランスに流れた時間を感じる旅をしました。ヴェルサイユ宮のなるほどこれでは革命も興るという度を超した豪華さ、教会の心動かされる荘厳な美しさ、修道院の削ぎ落とされた美意識、石の文化の堅牢な実在感はそのままそこに暮らす人々の精神に繁栄されていったのだと思いました。
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何百年もの歳月をかけて現在の姿となったモンサンミシェル修道院は、100年戦争の頃には要塞に、革命時には牢獄として使用され、石はその時の流れをじっと見てきたのでしょう。
そうしてみると法隆寺西院伽藍などの残る日本の木造文化も驚異的なものだと改めて思いましたが、木の文化が育んでくれた日本人の感性は、だんだんにコンクリートや金属にとって変わるにつれて変化してきたのだろうと感じます。
いにしえの心をもういちど求めるなら、時によってはかなくなる有形の物、そしてなにより無形のものとおつきあいすることがまた求められるのかもしれません。

異国の文化や歴史に触れることで、改めて日本人である自分を見直してみるきっかけを頂いた旅でした。









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おおきに

2014-01-21

物語の作り手は・・・


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玉鬘十帖もいよいよ幕となる「真木柱」の巻で今年の連続語り会は始まります。
まずはその前編・・・。幕があくや、これまでかぐや姫を思わせた玉鬘求婚譚に決着がついたと知らされ、私達は面食らいます。どうやらお相手は思いもかけない人物だということがわかってきます。

一番驚いたのは玉鬘の姫君でしょう、恥ずかしいやら疎ましいやら。
周囲の人々もそれぞれに口惜しい思いでなんとか納得しようとします。

源氏藤壺密通とおなじく、ここに一役かった人物の存在があります。
それは姫に最も近く使えていた女房、弁のおもと。
若き源氏の君が藤壺の宮の女房・王命婦を責め立てて、宮の御寝所に案内させたように、
弁のおもとも玉鬘を熱烈に慕う男君に情報を流し、密かに手引きをしたのでした。

現代小説と違って源氏物語ではそういった場面は直接的に語られることがなく、だからこそ様々な想像が膨らんで、物語がよりひろがりを持ったものに育ってゆくのだと思います。
源氏物語を作っているのは紫式部だけではなく、物語を聞き、想像する私達でもあるのですね。

玉鬘結婚の波紋は求婚者以外の人々にも悲劇を引き起こします。
物語の後半は「真木柱」の巻名ともなる歌が、哀切をもって歌われます。
家庭が崩壊、母は狂気の人となり、また父と別れて住み慣れた家をあとにする若い姫君が、いつももたれて寛いでいた真木の柱の割れ目に、「私を忘れないで」と歌を笄(簪)で差し込み名残を惜しむ様があわれです。

この姫も、玉鬘もその他の人々も、目の前に迫る現実に、なんとか心を収める努力をして従ってゆく・・・
天道様にたよる農耕の歴史を生きてきた日本人の感性かと思います。



「真木柱」の巻は 2月15日(土)16日(日)の両日 午後3時開演です。
ホームグラウンド 小さなタイムカプセルのキッド・アイラック・アート・ホールで
お待ちしています。
長い巻ですのでちょうどきりの良い一段落で、前編後編に分けました。
後編は4月になりますが、問題ないように工夫をしようと思います。
またその分原文もお聞き頂く時間を・・・とも思います。
どうぞお誘い合わせのうえお運び下さい。


お申し込みなどの詳細は 源氏物語「真木柱」 で御覧下さい。

この語り会が終わったらフランスでの公演が待っています。
ワクワクドキドキの二公演です。

御縁に感謝です







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おおきに

2014-01-08

新しい年を迎えて


明けましておめでとうございます。

年の瀬はナレーションで仕事納めをさせていただき、いつものように京都にもどり、大好きな御寺で除夜の鐘を突かせていただきその足で下鴨神社初詣

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昨年の秋は文楽人形芝居との共演、絵画作品とのコラボレーション、また着物文化事業の中での語り会など、新しい御縁を戴いためまぐるしい日々、こんなときこそブログでご報告したかったのですが。

facebookでは嬉しい出会いもいただいて、懐かしい方々との再会もあり、御縁がどんどん広がっていく気配。嬉しい限りです。
嬉しい話題ばかりではありませんが、そのぶん今年は一層心開いて、自身の中に在る真の心と向き合っていきたいと思います。

今年は節目の年。
2月にはフランスでの語り会、6月から7月にかけては、スイス日本国交150周年記念事業の一環として、スイス5都市とリヒテンシュタイン公国で語らせて戴く光栄に恵まれました。最終公演の翌日が誕生日。全身全霊をもって歳を締めくくり、新しい歳を迎えたいと思います。

5年を経て、五十四帖連続語り会も折り返し、はや三十一帖「真木柱」の巻。
ホームグラウンド、キッド・アイラック・アート・ホールでの連続語り会は、一切の省略をしないと宣言してはじめたので、これまで長い巻ではお聴き頂く方々に大変長い時間おつき合いいただく事を強いていましたが、今年からは、二時間にもなるような長い巻は全編後編に思い切って分けることに致しました。
今後のお客様のご高齢化なども考えに入れてのことですが、若菜の巻など壮大な巻などにもじっくり向かうためです。故 中井和子先生はご存命の頃常々「若菜を語って欲しい」と仰せでした。
大変な巻でそれだけの心構えも必要でしょう。
自身の健康もしっかり管理せねばと思います。

世界も大きく変わる兆しを見せています。様々な覚悟も要求されるでしょう。
動じることなく、おもねらず、離見の見もて我が地を踏みしめてゆきたいと思います。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。







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おおきに

2013-10-29

Sad Song



ルー・リードがなくなった。私にとっては ことだまの歌い手。
音符に従うのでなく 彷徨するように 言葉が求めている音を問うように 音を紡ぐ人。

どんなに堅牢な理屈も人の心は動かせない
心に直にふれてくる 揺らめくような生命感
それが人に力の源にある光をみせる

これからの世界を開いてゆくのは 詩人の魂。
詩を書く人のことじゃなくて
すべての表現に先立つもの 詩霊
それが 色や音やことのはに姿を変える

器に収まりきれなかった魂
解き放たれて やすらかに

たちのぼる詩霊をもとめて
有形無形に思いを馳せている
今日はお弔いの歌の中にそれを探そう





facebookでいたみを共有するうちに訃報の衝撃が
あたたかく内から湧きあがるものに変わっていったのは幸せなことだった。

人の死で生を思った。 今生きていることの不思議さ。
死を思いながら真剣に生きねば








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おおきに

2013-09-24

理屈じゃないのよ京ことばは



句読点。読点これはくせ者です。
台本などにふってある読点は、読み解くためにふってあると理解し、
声にするときにはあえて無視したり、また読点のないところで息を入れることがあります。
そのことが命を吹き込むのに求められると思うときには。
源氏物語を読んでいても
あとからふられた句読点のままに読んでいると気持ちが収まらないことがあって、
畏れ多くも勝手な解釈で句読点のありようを変えて語ったことがありました。

京都の物言い
後から言葉を添えたりすることが多いなあと紫式部の語り口調にも感じます。
そうして言葉をかさねてかさねて
おぼろげな中からくっきりとものが感じ取れるようになる、
それはまさに色のかさねのようだと思います。







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彼岸の花 遠くの私



天に手をさしのべる彼岸花
降りてくる魂を受けとめようとしてるみたい
異名を数持つこの花に名前をあげるとしたら 千手花

お盆は各お家に戻ってくるおしょらいさん
秋の彼岸の間はこの花に宿をとるようで
彼岸過ぎてこの花は灰がちの炭が白く燃えるみたいにわらわらしていて
人が出てった空き屋を思わせる
秋 飽き 空き 明き 紅きあき



ごく小さい頃、母は病弱でよく伏せっていました。
二つ上の兄と外で遊んでいたら彼岸花の真っ赤に咲いているのを見つけました。
あまりに豊かに咲き誇っていて感動したのを今も覚えています。
ぽきぽき手折って一抱え、母の病床にお見舞いしたら
母は手振りでそれを下げさせました。
目をつむって花を見ようともしない母に呆然として、
あぜ道に咲いてはいてもれんげ草と違ってとても立派で大きかったので
お百姓さんに無断でこんなに手折ってきたのを咎められたのだとションボリしました。
あとになって何故だかわかって、弱っていた母にすまないことをしたという思いと
世の中に縁起の悪い花があるのだということに愕きました。
子供の目には本当に艶やかに美しく、元気にまっすぐ咲く花としか思えなかったのです。
今も私の中ではある日突然に真っ赤に咲くこの花は
幼い私と繋がる美しくて大事な花。
現在母は別人のように元気です。







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2013-08-18

此岸の目 彼岸の目 兆しの風


八月がまた巡ってきました。五年目に入った連続語り会。
野分』の巻はこれまでと少し違った感覚になる巻でした。

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源氏の子息 夕霧中将が、野分の風見舞いで巡る六条院御殿。
垣間見てしまった父源氏の最愛のひと 紫の上の美しさ。
親子とも思えない程の玉鬘との親密さ、中宮様の御殿の様子、明石姫の痛々しいほどの可憐さ。

これまでなら語る女房の感覚でその美しさを表現したものでしたが、
夕霧の動きを語りはじめた女房の感覚は乗り移るようにいつのまにか夕霧の視点に代わって、
15歳という大人になりかけた少年の瑞々しい感覚で六条院が捉えられていきます。

文章がそうなっているからといって心が勝手に女房から中将へ移行するかというと・・・、
そのあたりこそ今回は大事にすべきかと、紫式部トランス自在の文体に乗ってみたのでした。

普段語っている女房の立ち位置は、語り手にもよるかと思いますが、
物語絵巻独特の吹き抜け屋台(これはだれが考えた手法なのでしょう!)のように
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まさに少し離れて宙に浮いたところから俯瞰しているような視線紫式部はここに居るような気がして、女房もそこから観るようにしていました。
けれども夕霧中将は作中人物、物語の中に生きています。
ですからこの巻では、自分の足で歩いて父源氏の御殿の様子をつぶさにのぞく夕霧の視点、さらにそれを少し離れた宙から眺める視点、そのふたつが行き交うというなかなか面白い感覚を楽しむことができたのです。

15歳と言えばもうこの時代は立派な大人扱い、女君の御簾の中へは許されません。
でもまだ15歳、初恋も成就していない夕霧は生まれてすぐに母葵の上を亡くしています。
祖母宮に育てられ、花散里が母代わりですが、本当の母のやわらかさに包まれたことのない夕霧

若かりし頃、父帝の妃藤壺の美しさに心惑いし密通、現在の帝は実は不義の我が子であるという命懸けの秘密を背負って生きている源氏は、息子が同じ過ちをかさねないよう、というよりも最愛の人を誰かに奪われたくない心理で息子夕霧を南の御殿に近づけようとせず、また、夕霧を身分ではなく実力でこの世を生き抜ける人物に育て上げようと、甘やかされる多くの貴族の子息をよそに、彼を低い官位から出発させました。
父の二つの思いを知らない少年は、父の愛さえも遠くうすいものに感じ、恋した雲居の雁とはその父内大臣に引き裂かれ、一心に勉学に励むことで心の欠乏を埋めていました。

源氏は3歳の頃 母桐壺の更衣に死に別れ、母の面影を映す藤壺紫の上などの女君がその後の源氏の心を癒し、その思いがままならないときには必ず別の女君が登場してきましたが、夕霧にはその存在が大きく欠けているのです。

ふと、この物語のある場所でいつも思い出す小説『蜘蛛の糸』にかさなりました。
以前お仕事で『蜘蛛の糸』を録音したときに感じた不思議な感覚、
それは地獄と極楽、お釈迦様の様子すらも俯瞰している大いなる目として語るうちに得られる、なんともいえない時空感でした。
芥川龍之介は宇宙の根源のような意識を読者に味わうことをさせているのかと感じたのですが、野分の嵐にめちゃめちゃにされた美しい庭の花と、のぞいてはいけない美しい人達を垣間見てはあちらこちらで心乱れる夕霧少年の様を、紫式部は悲母観音のように見つめているのではと、物語の語り手 女房である私はいつの間にか夕霧のことを母になったような気持ちで見つめていました。


野分
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ここにある目 そして 
遠くにある目

紫式部夕霧を単に都合良く狂言回しに使うのではなく、「大いなる意識」的存在となって
私達に語りかけてくるように思えます。

この上ない栄華のさなかにも思惑に惑う人間達に、野分という人間のレベルでは抗うことのできない力が舞い降り、それが過去になった頃にあらためてその爪痕が浮かび上がってくるような恐ろしい兆しとなって刻みつけられるこの巻なのだと思います。

この野分は現在の私達にも無関係でなく彼方から吹き下ろしてきているものだと思います。










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2013-07-01

あの山の向こう 生の彼岸に



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「常夏」「篝火」の語り会が無事終わりました。
ちょうど五十四帖の折り返しの帖が夏至の日とかさなって
この四年間を少し振り返ってみました。

中井和子先生が遺して下さった美しい京ことばによる源氏物語
一語残らず声にしようと 無謀にもはじめたこの企画。
第一回目、八月八日の暑い日
想像以上に応援に駆けつけて下さったお客様を前に
嬉しいやらおそろしいやら、とにかくはじめてしまってから
夢のようにこの四年が過ぎました。

試行錯誤を繰り返しながら、すこしずつ変化して現在の「女房語り」に。
これでいいということはきっと永遠になく
またこれから変化し続けて行くのだと思います。
願わくばそれが進化であるように。

帖を進める毎に人間関係が複雑になってゆくので
相関図を大きく出力して(いただいて)それを見ながら解説をお聴きいただくようになりました。
また
和歌だけはそのまま語ってきたのですが、
ご要望があって、今年から和歌のあとに、さらりと訳を付け加えることにしたのです。
語りのリズムが崩れるのではと悩み、今も本当のところどうなのかと思っていますが、
大切な心を表現する和歌のところで、その心がわからないままに次に進んでしまうのは、
というご意見は、語りに心から耳を傾けて下さるかたのお言葉だと思え 踏切りました。

これら目に見えることの説明は簡単ですが、
語りそのものと自分との関わりについては ここでは言葉にしきれない思いがあります。
ただ、読むほどに、学ぶほどに、源氏物語が深く、広く、高く、膨大で
一生がもう一度あっても足りないような気になってきています。

時を経て、健康であれば源氏物語五十四帖を無事語りきることはできるでしょう。
はじめた頃はとにもかくにもそれが目標にありましたが
語るうちに源氏物語の豊かさが逆に私に語りかけてきました。
そしてあの三月十一日を境にもう一度、声にして語るということを考えはじめました。
自分に課した目標の その先にあるものをみつめ続けて
いにしえの物語を語りながらまさに今現在を生きてゆかねばと思います。

膨大な物語が発信してくるものを
否応なく生きることを求められるこの空の下で受けとめてつなげてゆこう 
いきものたちの命さざめく彼岸



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2013-06-06

常夏 なでしこ いとし子 山猿・・・!



四年目にして、源氏物語連続語り会は五十四帖の折り返し点です。
お支えありがとうございます。

物語は折り返しにふさわしく(?)源氏の息子達の代がいよいよその個性を発揮しだします。
玉鬘十帖も盛り上がって来、常夏の巻と、篝火の巻が控えています。

源氏の息子夕霧。現在は胸に秘めた雲居の雁への思いに忠実な真面目一筋。
内大臣の子息 中将朝臣は、後に柏木と呼ばれ、源氏の運命に大きく関わりますが
父譲りの和琴の名手、そして彼の吹く笛の音も源氏大臣を感心させます。
その弟の弁の少将の歌は鈴虫にまがうほど とか。

常夏はなでしこの古名、撫でて愛しむ子、という子への思いにかさなるこの巻は
まさしく源氏内大臣のお子さん達が全員集合というような巻なのです。
当時の貴族は女の子を如何に育て入内させるか、これが大きな課題でした。

絵合の巻は優雅に絵を競べる王朝の雅な香漂う巻でしたが
実はあれから内大臣の嘆きが始まりました。
中将時代から源氏の君に競べられていつも二番手だったけれど、
次の世代にまで自分の二番手の影が落ちている・・・!
熱心にお后教育してきた娘弘徽殿女御が、中宮の座を源氏養女 梅壺の女御に奪われたのでした。
それではと、もう一人の娘 雲居の雁を東宮妃にとおもったら・・・
源氏の息子夕霧と恋仲だって・・・?まろは聞いちょらーん!
許せんとばかりに二人を引き裂き、ああ、ほかにどっかに女の子、作っとかなかったかな。
そうそう、あの夕顔の生んだ女の子、三歳だったあのナデシコを捜そうではないか。

そのナデシコは、源氏の君が自分の娘として六条院に引き取った、玉鬘の姫。
そんなことも知らずに内大臣、「御落胤」と名乗り出たある女君を
(よっぽど女の子を求めていたのでしょうね)よく調べもせずに引き取りました。
それが山猿「近江の君」。
いきなりセレブになっちゃって 有頂天\(^O^)/
暮らし向きがガラッと変わったけれど、双六大好きやめられない〜
だって人生ゲーム(懐かしい)で一気に富豪になっちゃったみたいなものだもの、
サイコロの目に人生の醍醐味感じちゃう!!  ・・・・・。

娘雲居の雁にうたた寝すらも許さない御父様内大臣がお出ましになっても
控えることを知らないこの姫は、実はとても可愛い自然児、素直な子なのです。
「お父様のお便所のお掃除だっていたしますわ!\(^O^)/」   ・・・・。

道ばたに元気に咲いていた草花を引っこ抜いて水栽培の花園に放り込んだみたいに、
むき出しの、土の絡んだ根っこをみせてわが世の春 と張り切る近江の君。
素晴らしい教育の賜物で、そんな君をあからさまに笑うこともしない弘徽殿の女御。

近江の君の滑稽なふるまいのせいで、玉鬘の姫の優美さ、高貴は引き立ちます。
でも自分の立場、生い立ち、不安なゆく末を、源氏に気を使いながら
王朝人としての教養を身につけてゆく玉鬘のなんと気狭なこと。

近江の姫は早口です。ぺらぺら喋る様に、父大臣はげんなりします。
式部も、いくら良いことをいっていてもしゃべり方で台無しになる、
たいしたことない内容でも、ゆっくりと赴きある話し方だともっともらしく聞こえる・・・
って、これは逆に貴族の有り様を揶揄しているようにも聞こえます。

近江の君を笑いものにすることで、紫式部は貴族社会の、あるうわべのもろさに
一石投じているようにも感じられます。

歌が少なく、台詞の多い、一風変わった小説のような巻。
同じ玉でもぎょくとボールくらいの腹違いの姉妹。
重さ、軽さ、その質感を如何に・・・・・・。


6/21,22 キッド・アイラック・アート・ホールでお待ちしています。








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ことばに宿っているものを



ことばが宿している魂
魂 という漢字はエネルギーの塊のような印象だけど
たましい と声にするととたんにやわらかく浮遊しはじめるようです。

漢字を見て感じるそれと、声にした時に動きだすそれ。
そしてそれを声にするときには
大元は同じでも色合いや質感、水の含み具合、
輪郭の柔らかさなど 時々に違うのでしょう。

言葉そのものがその時欲している響きを見つけることが
自身の欲求による舵取りよりも大切なのだと思います。
そうでないときっと荒れた社のように魂が逃げて行ってしまうことでしょう。

ことば そのひとつひとつに宿る命は、
つなげてゆくことで新しい気を帯びてゆきます。

源氏物語には長文が多く、京都独特の
理論よりも感覚的にことばを言い足してゆく文体
こころひとつでどのようにもうねりを変えるように思えます。
ことばがひとつ足されるごとに響き合ってどんどん振動数がかわってゆくと
声を響かせる身体の体感も変化していって
それを味わうのが楽しみです。







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2013-05-22

ことばにすること 


源氏物語〜かさねる心」
初めての長い講演をさせていただきました。

源氏物語を語る中で自身のテーマとしている「かさね」のさまざまを
物語の大きな流れとともに そして後に伝えられていったかさねの表現に繋いで
私達が生きる中でかさねとはどういうものなのだろう
文字に表されたことばに 声をかさねることってどういうことなのだろう

・・・と日頃語りをするなかで感じていることを
ことばにして 声にして 発してみました。

そして聞いて頂くだけでなく、身体を使って 自分の声 を
感じていただこうという試みも。

最後には色紙を使ってみなさんのかさねの色目を提案していただいて
2時間半はあっというまに終わってしまいました。

いつも自分の世界の中だけでぐるぐるしていることを流れをもって人に伝えるのに
どうしたらいいのかと準備に手こずりましたが
じっくり自分の中を探ってみたことで さまざまのことがくっきりとあらわれてきて
どうして自分が語りを続けているのかが明確になりました。

でもやっぱり 
自分はこう思っているんだーということを聴いてもらうより
語りを聴いていただく中にその思いが籠められてるということを感じていただけるようでなければ。

語りにもどろう   新鮮な気持ちで。




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2013-05-06

撫でし子の 父 母のかさね



常夏はなでしこの花の異名。なでしこは撫でて愛しむ子の意。
中将(現内大臣)にとって亡き夕顔の遺児玉鬘が常夏。
源氏大臣がひきとったという姫こそがわが娘と知らずになでしこの姫を探す内大臣は、
落胤の姫 近江の君を迎え入れます。

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が。 が!・・・なのです。
近江の君はまるで山猿。
美人なのですが額が狭く早口で
お姫様らしくない・・・。

内大臣は娘弘徽殿の女御の側で行儀見習いくらいさせようと思うのですが、
近江の君は嬉しくて嬉しくって女御のお手洗いの掃除だってやるわ!
・・・ってそれ意気込みすぎです・・・。
 
双六好きで とんちんかんな歌を詠んでは皆さんに笑われてしまうのですが、妙に親しみを感じるお姫様。
今でいえば急にセレブ扱いされるようになったものの
言葉遣いもなっちょらん、パチンコ好きがなおらない〜〜〜
・・・そんなお嬢様です・・・。

早口のお姫様。
これはなかなかおもしろいキャラクター設定ですね。
どんな風に語ろうかしらん 常夏の巻。
この日のために・・・
これまでずっと父内大臣を早口のおとどとして語って参りました。
(にまにま)。

玉鬘が幼くして別れた母夕顔の性質を受け継いでいたように、
離れていても親子は似るのである。
父に似ちゃったのがちょっと難でしたが・・・。




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2013-04-30

あはひの物語


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源氏物語王朝の恋愛物語ではなく あの世とこの世のあはひ 境の物語だと思います。

朝顔の巻では、朝顔の姫宮に恋情を訴え退けられた源氏が 
その後紫の上に ずっと胸に秘めていた亡き藤壺のことを語ります。
そのことだまに震えた藤壺の魂が夜半雪の庭に降りてくる。
明け方の源氏の夢にあらわれます。
藤壺の姿が見えたかと思ったら紫の上に揺り起こされて 愛しい姿は消えてしまう・・・。
そこに見えるのは藤壺の宮の形代として育て、宮に大変よく似た紫の上・・・。
あの世の藤壺とこの世の紫の上
 そして先の朝顔の姫の歌がここにかさなります。

 秋はてて 霧のまがきにむすぼほれ 
      あるかなきかにうつる朝顔

朝に開くあさがおの花は光にまみえたかと思うとじきに萎んでしまう
見事なかさねだと思います。

この巻に朝顔の姫宮とのやりとりが必要とされるのは
彼女が巫女としてあちらとこちらを結ぶ役割を担っているからなのでしょう

朝顔の巻が大好き。源氏物語らしい巻だとおもいます。





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2013-04-25

京都有隣館 春秋の誉れ

4月21日、京都東山の私設美術館の草分け「有隣館」で「胡蝶」の巻を語りました。
女房語りの活動を支えて下さる京都の方々が企画して下さった語り会です。
現館長様の御祖父様が蒐集なさった美術品の数々が静かに気配を醸し出している館内。
開演までの時間、「蜻蛉(トンボ)の間」と呼ばれる洋室で珈琲サービスがあり
ゆったりとした時間にやわらかな珈琲の香が漂いました。
この蜻蛉の間、壁のファブリックにトンボが一面に”手刺繍!”されていて、
洋風の格天井は紅葉の木象嵌
床もトンボと紅葉象嵌と寄せ木の格調高いお部屋でした。
控え室に使わせていただいたのはお隣の「蝶の間」。
こちらは壁の刺繍が蝶に、天井が桜。
ということで、この二つのお部屋が春と秋のお部屋だということが分かりました。

春と秋というとどちらも優劣つけがたい美しい季節、
源氏物語の薄雲の巻で、母六条御息所の亡くなった秋に思いを寄せる娘・斎宮の女御が
乙女の巻(この巻では秋好中宮)で、六条院 秋の御殿の紅葉を自慢したところから
春の上(紫の上)は春の到来を待ってそのお返しに心を傾けます。
そんな前段あっての「胡蝶」の巻。

時は春。簡単には身動きの出来ない中宮の代わりに女房達を春の御殿に招待し、
異国情緒溢れる演出と春の御殿の花盛りの様子に女房たちは熱狂します。
翌日の、中宮主催の大法会には春の上から見事な桜と山吹が
胡蝶と鳥の装束をした女童たちを以て献上され、その心憎いお返しに宮は折れ、
春に文字通り花を持たせる結果となりました。
源氏の君を軸に、女君達が見事な調和をとって、六条院御殿の誉れは翳りもない様子。

そんな「胡蝶」の巻を、丁度良い季節だからと選んだのですが、嬉しいことに
この優劣つけがたい春と秋のお部屋のある有隣館にふさわしい演目となりました。
館長様もお忙しい中最後まで通して聴いて下さり、興味深いお話を沢山お聞かせ下さいました。

宗教学者山折哲雄先生が、お忙しい中お運び下さり
終了後には大変嬉しいお言葉とともに激励して下さって、感激しました。
亀の歩みのわずかな進歩を感じてくださったようで、本当に嬉しい日となりました。

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京都には筆に尽くせないほどの宝があります。人、場、歴史、もの。
そんな中で、いにしえのことのはを畏敬の中に声として発することの喜び、怖さ。
人や場や歴史やもの それぞれの望みが出逢うとき
時空は不思議な香をもって集う人々に共有されます。
そんなめぐりをまた遠くで望んでいる、私達を俯瞰するおおいなるなにかの存在を
感じたような春の京都でした。



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2013-04-16

闇の気配 蛍の光



螢の巻を語り終えました。沢山のお運び、ありがとうございます。

六条院という素晴らしい環境の中、人知れず玉鬘の姫が 
源氏の大臣の恋情に困惑を深める巻。

火をおこさない限り、夜ともなると月星の他には明かりのなかったかの時代。
王朝人は闇の中、焚きしめられた香を頼りに五感を澄ませ
恋人の気配を聞きます。
几帳の向こうにいる恋しい方の吐息、衣擦れの音に 
指の動きさえ逃さない想像力が夜に翼を広げます。
京都の湿度の高さはこれを一層悩ましいものにしたでしょう。

源氏が自身の複雑な恋心を紛らすかのように 螢を放ち、
姫の美貌をその光に浮かび上がらせて弟宮兵部卿宮の心を惑わす場面は
あまりにも美しく有名で 美を求める人々の手で絵などに表されてきましたが、
この巻の要ともなっている「物語論」は声にして発するしかありません。

源氏の言葉でありながら、紫式部の考えが映しだされるこのくだりは長台詞で、
毎回自分の中でもちょっとスリリングに展開していきました。
そして最後に源氏が冗談めかして

「さて、かかる古事の中に、まろがやうに実法なる痴れ者の物語はありや。
・・・・・・いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ
(こうした古い物語の中に私のような律儀な愚か者の物語はありましょうか。
・・・これまでに例のない物語にして世に伝えさせましょう)」と云いいます。

この言葉の通り、千年後に生きる私達は 
世界に類を見ない物語として源氏物語を受け取っています。
いったい紫式部という人はどんな人物だったのでしょうか・・・・。

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馬弓の競技の場面では、夏の御殿の若女房達が、この季節の花である 菖蒲、おうち(せんだん)、撫子などの色をかさねた衣裳で着飾って物見をするというので、今回は少し明るい松葉色の無地の着物をまといました。
紫系を差し色にして かさねの色目では杜若の色でしょうか 
見物する女房としてはちょっと年かさで、舞台の照明が黄色みを帯びているので
色がとんでおりますが気分は菖蒲。撫子の若葉色・・・。
(その気になるのは大事な事でござりまする・・・!)

今回も少しだけ、原文の、源氏が螢を放つ段をお聴きいただきました。
キッド・アイラック・アート・ホールは真っ黒な異空間を味わえる劇場。
この漆黒に 皆様がイメージに浮かび上がらせて下さった玉鬘の姫君は
いかな姿であったことでしょうか・・・。


facebookのファンページとして ことだまのくに を開きました。
声は言霊を活かし、鎮めます。源氏物語を京ことばで語りながら、
いにしへ ことのは 声の響き 色彩 香 有職などのなつかしいものを皆様と共有出来たらと思います。




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2013-04-01

3月の声 残響


 昨日は3月の声と称する輪読の会に出席しました。3月にまつわる日記や小説、詩を思い思いに持ち寄って、喫茶店の片隅でひっそりと声を交わしあいました。私は芸もなく源氏物語の花の宴から藤の花の宴を原文で聴いていただきましたが、ステージで語るのとは違って顔をすぐ傍でつきあわせて居る10人程の人の耳にだけ届けるような静かな語り。ふと この感じは案外その昔の女房の語り声だったかもしれないと 思いました。
 
参加者のお祖母様の二十歳の時の日記は大阪空襲の体験が綴られていました。そして無くなった詩人の遺した詩、つい最近の出会いと対話をおこしたもの、大事な言葉をくれて今はもう会えなくなった方への愛しさを綴った自作、生まれて、育って、受け継がれてゆく命の連歌・・・。

テーブルを囲んで少し前傾で耳を傾ける私達は、見えないドームで覆われているようでした。その中に響くちいさな声。人の声は心を揺らします。書かれたことばを声にするという行為は思いへの供養だと思います。新たに生かし、そして鎮める。声にすることで思いは命を貰い生き続けてゆくのです。

参加者のお一人は地質学者で、何億年も前の石の記憶を聞くのだと話して下さいました。石も、本も、黙ってそこに在って、紐解かれるのを待っているのかもしれません。カザルスが、ちょうど昨日が誕生日だったバッハ無伴奏チェロ組曲に命を吹き込んだように。そんな語りが出来たらと心から思います。

2013-03-02

命を宿すもの


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 無事二十四帖「胡蝶」の巻を語り終えることが出来ました。有難うざいます。
今回は以前舞台で演出していただいた懐かしい先生に聴いていただけました。
また高校時代のごく短期間ですが一緒にバンド活動などした懐かしい先輩、
ラジオドラマをずっときいて下さっていた方、さまざまの嬉しい再会の中で、
いつもいつも励まして下さった方の不在に涙しました。この連続語り会を始めたときに、
「私も10年間、元気に長生きして最後まで聴きますね」といって下さった中井先生の幼なじみの方・・・。
この連続語り会が始まって4年、あっという間の、でもまだ4年。五十四帖の半分にも満たないのです。
玉鬘十帖が終わると最大の難関「若菜 上下」が待っています。
中井先生がこれをこそ・・・といっておいでだった長大な巻。
どうようにこの大海に漕ぎ出してゆくのでしょうか。
ご冥福を祈りつつじっくり考えたいと思います。

会が終わって、おあずけにしていた展覧会に。

 円空展では、一室の小規模な展示でしたが芯からあっためてもらえました。
仏像の前に立つと、反射的に自分の中の甘えをを正して向かうような気がするけれど、
円空菩薩って「合掌」というかたち以前に思わず手が胸の前に合わさって、
近づくほどにうれし涙とともに抱きつきたくなってしまうのです。
ありのままの自分を許してもらえるような気がするのです。
木を縦に三等分にして彫られた三体の仏様は、また合わせると一本の木に戻る。
木の中心では三体の仏様の合掌の手が結ばれるかのようです。
円空さんの彫る仏様の合掌は細かに手を表現せずに、
衣の中で合わせられたようになっていて、それがあったかい。。。
ぎざぎざとざっくりとしていながら風になびくような衣の様子は、遠くから見る杉木立みたい。
木から生まれた仏様というより、仏様が立ち並んで木立になっていったのかも知れません。

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 文楽「曾根崎心中」のお初 徳兵衛 その死の道行きの場面にスポットを当てた映像展「人間・人形 映写展」。
人間国宝吉田 簑助さん(お初)と桐竹勘十郎さん(徳兵衛)の舞台を以前拝見して、
感激のあまり終演後も暫く席を立てなかった作品を、ゆるやかなスローモーションで、
普段は決してみることの出来ない角度で体感することが出来ました。
閉ざされた恋の中に死んでゆく若い二人、恋人の刃を胸に受けるお初のやわらかな微笑み。
人形に此方が感情移入しているのではないのです。人形を超えて、型を超えて、人間の表現まで超えたような命の宿りに狂おしいほどに感動したのです。
現在最高のお二人の人形を遣う様子も人形を持たないかたちで見せていただけて、
ものに命を宿らせるという至高のお仕事に心から敬服したのでした・・・。

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 そしてピナ・バウシュの舞踊団のダンサー ジャン・サスポータスさん、斉藤撤さんらの「うたをさがして」。
喪失の沈黙が やがてことばとなり うたとなって 身体からこぼれ出す。
身体の奥底に沈殿した命が光となって芽を吹き出すような 素晴らしいステージでした。
さとうじゅんこさんの深い歌声の寛さに、
飛べない大きな鳥が羽ばたきはじめるようなサスポータスさんの軌跡に、
斉藤さんの詩的な音と間とうねりの世界観、喜多さんの変幻自在に、静かに狂いました。

 久しぶりの西洋絵画展でみたエル・グレコ。
かつての 絵に描かれたような神の世界に裏切られたかのごとくにグレコの描く身体はねじれ、くねりだします。頭をもたげ天を見上げて 十字架に身を委ねないキリストの目は生々しく光を宿しています。
時代による宗教観の変化を聴きながらみた数々の作品に、血の通った人間のさまが伺えました。
日本でも中世において人々がかぶきだしたように、地に足をつけて苦しみも喜びも肉体を以て感覚し、真に生き始めた人間の表現が始まった時代なのだろうかと感じました。
 
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 表現に命を宿らせること それは
姿を変えてなお命を欲している目に見えないものと出逢って、
そして表現者がまた目に見えない器になれるかどうか
光のようにとりとめもない、あるものを この手にいたわることが そしてどれだけできるのか
生まれて 死んでゆく短い時間の中でそれがひとつになったとき 
人は本当の宿命を生きることになるのだと思います。




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2013-02-09

富士子さんの帯

昨年夏 友人うさぎさん(仮名)の御母様が亡くなりました。
母娘で源氏物語が大好き、応援して下さった方でした。名は富士子さん。
乙女の頃の夢は女優になること、でも時代もあって夢は叶いませんでした。
けれど文才のある富士子さんは随筆家として本を何冊も出版、新聞にもたびたび掲載されました。
一度四国の御宅にお邪魔した折には、ご自身が朗読されたテープを聴かせていただき、
明け方まで源氏物語について語り合いました。
楽しく、好奇心に溢れる富士子さんが、
どんなにか表現することを欲していらっしゃるのかがよくわかりました。
昨年の暑い夏、病をおして富士子さんは上京されました。
源氏物語の語り会に来て下さると、楽しみにしていたのですが
それは叶いませんでした。

うさぎさんは三世代で暮らした四国の実家に
御母様の命日前後の四日間毎月通って一人で総てを片付けました。
処分、処分、そして二束三文で持って行かれる思い出の品々。
その中に沢山の着物もありました。
それらは御母様がうさぎさんに伝えようと大事にしまっておいたものですが、
彼女は着物を着ることはないと言います。
でも母の着物を着て思うことがあって 是非一揃えは持っていてほしいと言いました。
母の着物をまとうと、特別な気持ちがするのです。ふんわり包まれているような。
大名行列が描かれた黒留め袖と二本の帯。
うさぎさんはそれだけを手元に送ったと教えてくれました。

富士子さんが立ちたかったのはもっと大きな舞台だったかも知れません。
でも、次の語り会「胡蝶」の巻で、私は富士子さんの帯を締めさせていただいて舞台に一緒に上がれたら、とうさぎさんに提案したところ、彼女も喜んでくれ、木枯らしの吹く昨夜、帯を受け取りました。

胡蝶の巻は絢爛豪華な六条院の春の日、そして一方で源氏
玉鬘に対する養父とも思えぬ恋情が揺らぐ巻。
玉鬘は多くの殿方からの懸想文などよりも実の父内大臣にあいたい・・・。

可愛い女の童八人が鳥と蝶に装束し、池に浮かべられた竜頭鷁首の船に乗って
六条院の春の御殿から続く秋の御殿に霞をわけて現れます。
鳥は銀の花瓶に桜、蝶は金の瓶に山吹をさして仏に花を捧げます。
春の光の中、殿方はみな花を求めて恋する蝶、
鳥によそえて自由を夢見る地に繋がれた花々は女君達でしょうか。

女性に自由が許されなかったのは平安時代だけではありません。
富士子さんが乙女の時代も、彼女に自由はありませんでした。
自身の才能を知りながら、ままならない世の中で
紫式部も富士子さんも人生を送ったのでしょう。
まがりなりにも自分の選んだ仕事をさせていただいている幸せを思えば
なんの苦しいことがあるでしょうか。
行くほどに、深くなってゆく淵に我が身を映し、おののき畏れはしても
届けたい一心を大事に持って歩んでゆくのみだと
桐箱の中にたたまれた帯を抱いて部屋に戻りました。

富士子さん、今頃式部と意気投合してるかな。安らかに。


「胡蝶」の巻

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2013-01-22

空とぶものに思いを託して

春が待たれる寒い日に、蝶や小鳥の舞歌う「胡蝶」の巻を思います。


 晩春三月、六条院春の御殿で池に龍頭鷁首の舟を浮かべての舟楽が催され
春の御殿の素晴らしさが隈無く描かれます。
 翌日はここに里帰りしている秋好中宮による季の御読経があり、
紫の上は鳥蝶に扮装した童を使者に桜と山吹の花を贈ります。
ここで昨秋の秋の庭を自慢なさった中宮にりべんじ。
春秋優劣の歌の優雅なやり取りです。

 夏四月、源氏は玉鬘に届けられた懸想文をあれこれ読み
玉鬘に返答の仕方など指導する一方、
源氏自身もかつての恋人夕顔にかさなる玉鬘への思いを抑えきれず
心中を打ち明けてしまいます。
不安定な身の上の玉鬘は他に頼る人もなく困惑するばかり・・・・。


表向き娘として迎えた玉鬘に抱いた恋心・・・
源氏はいけない、と思うとよけいに燃えてしまうタチなのです。
死んでしまった夕顔の面影残る玉鬘では仕方がないかとは思いますが
実の父にまだ自分の存在を知らせてもらえない玉鬘は
源氏の加護がなければ生きていけない身の上。
自分の立場をはっきりしてもらえないというのは辛いものでしょう。

思えば紫の上にしても、源氏は最愛の人としながら彼女を正妻にはしていません。
そればかりかきちんとした婚礼も挙げていないのです。
この巻で六条院の女主の座を誇る紫の上にはこの後もっと大きな不幸が待ち受けています。

遡って六条御息所も、世間では御息所は源氏と再婚か?などと噂が立ったほどだったのに
通うこともせずに彼女を苦しめ、その恨みが彼女を生き霊に変えてしまうのはなんという不幸でしょうか。
病に伏した御息所からいざ別れを告げられると未練がましくでかけてゆき、
女性としては見せたくない衰えた姿で会うことになってしまいました。
それでも御息所は源氏から距離を置くことができたのです。

六条院という荘厳な加護 ・・・籠。
その中で花のような小鳥たちが懸命に生きています。
物語の中で可愛い女の童(めのわらわ)達が小鳥や蝶に扮して舞う胡蝶の舞
地に繋がれた人間が、自由に空を飛ぶものに思いを託す舞は 
洋の東西問わずどこにもみられます。
胡蝶の巻は源氏物語のなかでもっとも明るく絢爛な場面が続く巻だと思います。
けれどその光にはまだ目にはみえない蔭のゆらぎがゆらゆらとかさねられています。
六条院御殿に摘み取られた花たちは 光をうしなっては生きていけません。
有り難くも残酷な身の上であるここの女人だれもが心の底に秘めている空への思いが
胡蝶となって春の光に映し出されているのかも知れません。 

2月の23日(土)、24日(日)午後3時から
明大前キッド・アイラック・アート・ホールにで「胡蝶」の巻を語ります。
春の気配の見られる頃、一足早い春爛漫の巻をお聴き下さい。


公式サイト京ことば源氏物語 胡蝶の巻



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2013-01-14 *心つつんで

心つつんで



成人の日の今日は爆弾低気圧で各地に大雪。
大荒れの船出は日本を象徴しているよう。

本年もよろしくお願い致します。

初詣に中井先生から戴いた、鼠地に山桜を染め抜いた着物を着ました。
北欧に講演に行かれたときに誂えられた着物。
中井先生は山桜の背景を染めるのに数ある鼠からどの色を希望なさったのでしょう。
色の辞典にみる鼠色は本当に多彩ですね。

 薄雲鼠・・・うすぐもねず。これだ・・・!

中井先生の風流振りに にんまり。

きものを着るとき それは私にとってちょっと特別な時間です。
おかいこさんの命をもらって紡ぎだした糸で
新たな命を授かった きものや帯や襦袢
襦袢の下前をあわせて 上前をあわせて
直線に仕立てられたそれを曲線の身体にまとうのは
右手と左手で8の字を書くような動作。
紐を結ぶ動作も手が8の字を描きます。
その上にきものをかさねてまた8の字を描くように身を包んで
また紐を結んで。
心の臓を守るように、背中よりもおなか側を温めるように
身体の正中線を意識しつつ
永遠を表す∞の字をかさねながら身体を大切に包んでゆくのです。
帯を締めて帯締めを結ぶと
なんだかきれいに包装してのしをかけて水引を結んだ贈り物みたい。
いってきまあす。

さっくりさっくり
草履を履いて贈り物が歩いてゆく。
手土産はないけれど、この気持ち受け取ってね。

きものは包まれる人がまるで繭のおかいこさんに還ってゆくように身体をつつむ、閉じた装い。
外に繋がるところは、首、手、身八つ口、そして足元の裾。
ここから魔が入らないように、紅絹(もみ)を下にかさねたり
乱れないようにいつも気をつけるところから美しい仕草もうまれます。

久遠に続く∞の所作で
身を包むことをかさねてゆくという過程において感じる身体的な感覚
それが心をつくってゆく、そのことが着物の本質なのかなあと感じます。
それは眠らせている日本人の感覚を呼び覚ますことにも
自分を、そして自然に礼を尽くそうとする心、人を大切にすることにも
繋がるように思います。

今年もきものを楽しみながら、こんなすてきな心の文化を育んでくれた
先人に思いをはせたいと思います。



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2012-12-17

海とのやりとり


人の力の源泉はどこにあるのだろう。
f:id:kyokotoba:20121216095703j:image:w360:left福島のこおりやま文学の森資料館で「桐壺」の巻を聞いていただいた。
前回と同じようにこちらが激励され力を貰い、
その瞳の中に、発せられた言葉の中に、強い輝きを見た。
この日会津に足を延ばすつもりでいたのが先方の御都合が悪くなった。でもこのまま帰るのではなく、この地で深呼吸がしたかった。


震災の後の5月、津波を免れた松島、壊滅的な被災をした東松島を歩いた。
そして今年競技かるたの会で語らせていただいた折、
松島を臨む宿に泊まり 朝日が昇ってくるのを見つめた。
眺めるばかりの海は凪いでいて、静かで遠く、それが逆に心を波立たせた。
そうだ松島に行こう。東京から応援に駆けつけてくださった出版社の方々を見送って仙台に向かい、松島が見渡せる宿をとった。

翌日は雲間から時々陽が射す天気。

朱塗りの長橋に続く福浦島という小さな島に渡る。
福島に裏という文字が入ったこの島、なにか不思議な響きを感じた。
小さい島ながらゆっくり歩くと森林と海の風景を堪能できる。
豊かな植生が折からの強風に梢の道をあけてざわめく中
沢山の小鳥が忙しそうに飛び交うのを飽きずにみていた。
小さな砂浜に降りると波が静かに寄せては返す。

f:id:kyokotoba:20121216095525j:image:w360:right
太陽が顔をだすとにわかに海も木々もきらきらと輝いて
雲が太陽を隠すに従って溜息のようにまた静けさがあたりを支配した。
宇宙全体がそうして呼吸しているように感じられた。
そして光源氏を中心とした源氏物語の世界はきっとこのようなものだと思った。太陽は有無を言わせずものを照らし、はぐくみかつ痛めつける。
頼み畏れるのは抗いがたい力なのだ。
源氏物語が浮舟という女君を登場させて終わるのは
荒波の中に頼りない小舟で漕ぎ出す女達の出発点なのか。
紫式部が迫り来る中世を見据えていたように私達もまた
新しい世界の到来を予感している。
絶望的とも言える地点から のぼる朝日を仰ぐがごとく。
そして今日は日々新しい。

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f:id:kyokotoba:20121216111149j:image:w360:left
島巡りの船に乗り込んで、島々を眺めながら外海に出る。
浮かんでいるように見える島は海の底では当然地続きで
地球という星の大地が風に触れている部分に過ぎない。
そんなところに見えない線を引いて獲ったの護ったのといっている。


外海に出ると松島の穏やかさを忘れさせるような波飛沫が船を覆う。
「あそこに見える島が防波堤になってくれて、津波から松島を守ってくれたんです。」
と、多分船長さんのおかみさんだろうと思われる人が語ってくれた。
気さくにだけど一言一言、ことばを大事に話す人だった。それは身体の中に刻み込まれた体験が放つ声、昨日郡山の人々の声の中に感じた輝きもそれなのだと思い、物語を読む自分の声よりもずっと心に響くものがあるのだと思った。

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語りは自分の経験ではないけれど、それを身体に通すこと自体が経験だと思う。
人はみな、目に見えるものと見えないものを等しく持っていて
自分のものだと思っている身体も実は不随意な部分のほうが多い。見ていると思っている先には捉えきれない世界が広がっている。

f:id:kyokotoba:20121216115343j:image:w360:left表現は時に芸術とかアートと呼ばれ、人々はそれに接して新たな発見に驚いたり感動したりすることを求めているけれど、自分の外に求めたそれが実は自分の中にあるのだということに気付いてもらうために私達の活動はあるのだと思し、そんな表現が出来ればいまここに生かして貰っていることに礼を尽くすことが出来るのではないかと思う。


f:id:kyokotoba:20121216122322j:image:w360:left以前、「私、海に還る」と喜々として海に向かった夢を見たことがあった。月の力を借りて大いなる呼吸をしている海に等しくふるさとを持っている私達。人生の総てがあるように感じているこの小さな陸地を取り巻く海からの息吹を、街に住んでいて感じることはほとんど無いのだけれど、この世界はソラリスの海のように私達の潜在意識が創っている。諦観せずに、この海にエネルギーを送り続けよう。





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2012-12-14

初音の巻終えて

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 連続語り会二十一回「初音」の巻が無事終了しました。
みなさまありがとうございます。
この師走選挙やらで世知辛い雰囲気も例年以上ですが、
キッド・アイラック・アート・ホールでは一足早いお正月気分を味わって頂きました。
年末に源氏が新年の衣裳を配る「衣配」から新春を迎え 
六条院、二条東の院の女の方々が贈られた衣裳に身を包んでの源氏との語らい、その中に明石の御方の存在感が光りました。

 六条院という荘厳な御殿に同じく暮らしながら、
会うことさえ許されない我が子に鴬の初音をかさねて贈る切ない歌。
そして源氏のお越しを迎える御方のありようは、
六条院源氏の心を動かし、元旦の夜御方のもとにとどまらせます。
彼女は父譲りの演出家であったのかも知れませんが、
それ以上にわが子を思う母の気持ちに私は心動かされました。
紫式部も我が子と離れ道長に仕える身、式部の心がここに重なったかのように思えますが、そんな式部の心を受けとめる殿方はいたのでしょうか。

 籠の鳥のように源氏の加護を頼んで生きるしかない女君達。
そこに玉鬘が加わって、若い公達のこころのみならず源氏の心まで揺らぐ気配の春。

 もうすぐ迎える新春。来年が美しい年になるように祈る思いです。

2012-12-05 欧州から帰国致しました! このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

11月2日からから15日までヨーロッパに赴き、ワルシャワ、パリ、スイスで京ことば源氏物語を聴いていただきました
連続語り会をさせていただいている神戸風月堂さんとワルシャワ大学日本学科とのご交流の中で、日本の文化を紹介するという重いお役目を頂き、その後パリ、スイスのベルンにある大使館で語りの場を戴きました。

ワルシャワ大学では「花の宴」の京ことば版と原文を語りましたが、最初の解説は学生さん達が学んでおられる標準語で話しました。京ことばは流石に初めてお耳にされたかも知れませんが、原文に関しては大学の2年目からみっちり学んでおられるので、原文の方をより鑑賞していただきました。驚くべき事です。

パリ、スイスでは「夕顔」をお聴きいただきました。期間中、リヨンストラスブールも訪ねたので、旅は飛行機や列車での移動が多く、合間にテキストを開く時間もない慌ただしい旅でしたが、風月堂さんのスイーツの視察も兼ねた旅だったので、各地の美味しいスイーツや料理を楽しませていただきました。

ヨーロッパの方々のお耳に京ことば源氏物語はどんな風に響くのか、と楽しみにしていた以上に、言葉の意味の細かい理解など超えて、全身で感受していただけ、本当に感激しました。
けれど、私一人がぽちっとかの地に立ったとしても、一人で一体何ができましょう。この数ヶ月、風月堂さん始め、パリの友人、スイスの友人が細やかに準備をしてくださった御陰です。そして素敵なイメージを伝えるチラシのデザイン。もちろん事前のやり取りは綿密に行いましたが、現地のことはお任せ状態で、素晴らしく出来上がったステージに、ほい、と乗せていただいたようなことでした。
師匠仲代さんをよく御存知の映画関係の方や、中井和子先生の後輩だとおっしゃるワルシャワ大学日本学科の教授、先生の幼なじみの方、そしてチューリヒ大学日本文学教授はじめ、源氏物語に精通しておられる方々から嬉しいご感想を頂きました。

感激の連続の日々を過ごして日本に戻ると秋が深まっていました。
翌々日から月末まで語りの仕事が五本も入っていて、時差ボケなどといっている間もなく夢中になれたのは幸いでした。
うーむなかなか体力あるぞ〜。とここで調子に乗ってはならじ、12月にはいって、キッド・アイラック・アート・ホールの連続語り会が迫っています。
書き出したら凄い分量になりそうな今回の旅、今ゆっくりと書いている時間がなく簡単ですが、まずはご報告させていただきました。