遺伝子があやつる異性の好み:あるいは体臭と免疫の話

 20世紀最大の発見はDNAだと言われます.実際,この発見により,われわれの生命観は大きく変わりました.また,遺伝子工学遺伝子治療を通じわれわれの生活も大きく変わり続けるでしょう.

 生物は遺伝子に刻まれた情報に極めて強く制約されます.われわれヒトも遺伝子の制約からは逃れられません.

 ヒトは自由意志を持っていると言われます.そのため,多くのヒトは,自分の精神は遺伝子の制約をあまり受けないと思っているようです.しかし,思わぬところで,ヒトの精神は遺伝子に動かされていることをご紹介したいと思います.

 論文はこれです(*0).

Wedekind, C. & Furi, S. (1997). Body odour preferences in men and women: Do they aim for specific MHC combinations or simply heterozygosity? Proceedings of Royal Society of London B, 264, 1471-1479.

Wedekindの論文

 動物の免疫系をつかさどる主要組織適合複合体 (major histocompatibility complex,以下,MHCと略)という遺伝子があります.免疫は生命維持にとても重要な機構です.これがなかったら,例えば,軽い風邪にかかったくらいで死に至ります.HIVのような免疫系の機能障害がおそれられる理由もここにあります.

 おもしろいことに,MHC遺伝子群は個体によってかなり違いがあります.そのため,ある病気に免疫を持つ人もいれば,そうでない人もいるわけです.

 生体の維持には,幅広く病気をカバーする免疫系を持っているほうが有利です.ですから,自己の遺伝子をできるだけ確実に残すには,異なるMHC遺伝子群を持つパートナーを見つけて,子供をつくるべきです.その子供は両親からことなるMHC遺伝子群を受け継ぐことにより,両親より強力な免疫系をもち,病気によって死に難いわけです.

 さて,わたしたちは,パートナーを見つけるとき,すなわち,恋愛をはじめるにあたりMHC遺伝子の違いを考慮しているでしょうか?

 スイスの研究者,Wedekindは,この疑問に非常におもしろい方法でせまりました.

 MHC遺伝子は免疫をつかさどることに加え,体臭にも関わっています.つまり,似たMHC遺伝子群は,似た体臭を作り出します.ですから,異なるMHC遺伝子を持つパートナーを捜すには,自分と異なる体臭をもつ異性を探せばよいのです.体臭とMHC遺伝子の関連をWedekindは利用しました.

 実験の準備は,まず,匂いを用意するところからはじまります.Wedekindは男性4人,女性2人に週末の2日間同じTシャツを着続けてもらいました.おもしろいのは,脇毛を剃っていないひとが選ばれたところでしょうか.さすがスイス,女の人でも剃ってないひとがきちんといるわけです(なにがさすがなんだか).

 この匂い付きTシャツを実験刺激に用い,男女あわせて121人の被験者が,Tシャツの匂いを0-10点の11段階で評定しました.評定項目は「好感度」と「匂いの強さ」の二つでした(*1).

 また,Tシャツの提供者と被験者のそれぞれからサンプルを取り,各被験者ごとに,それぞれのTシャツ提供者について,MHC遺伝子の類似度を算出しました.

 もし,MHC遺伝子が恋愛に関わっているなら,わたしたちは異なるMHC遺伝子に由来する異性の体臭を魅力的に感じ,好感度があがるはずです.

 実験の結果,男女とも,MHC遺伝子の類似性と好感度の間に負の相関がありました(*2).すなわち,

 MHC遺伝子が異なるほど,好ましい(はぁと)

ことがわかりました.すなわち,遺伝子が恋愛に(少なくともその一部に)影響することが明らかになりました.

 ただし,興味深いことに,女性の結果は,経口避妊薬,いわゆるピルの服用によって変化するのです.ピルを飲んでいない女性では,男性同様,MHC遺伝子の類似性と好感度の間に負の相関がありました.ところが,飲んでいる女性は,MHC遺伝子の類似性が上がるほど,好感度が高く評価されるのです.つまり,似ている方が良いわけで,他のグループと全く逆です.

 実はこの結果,Wedekindの想像通りの結果でした.
 
 ピルを飲んでいない女性では,異なるMHC遺伝子を持っている男性が,病気に強い子孫を作るのに役立ちます.しかし,ピルを飲んでいる場合には,これが少し違うかもしれません.ピルは女性を擬似的な妊娠状態にすることによって妊娠を防ぐ薬です.従って,ピルを飲んでいるとき,女性は身体的には妊娠状態に非常に近いのです.妊娠している場合,妊娠中のこどもに伝えられる遺伝情報はもう決まっています.ですから,いま「妊娠している」子供の将来の健康に,「これから会う男性」のMHC遺伝子は全く関係ありません.

 ヒトは極めて未成熟な状態で生まれてくるので,母親の保護だけでは成人できません.多くの人々からの保護が必要です.それがなくては,子供を通じ,将来に自己の遺伝子を残していくことができません.母親は自己の遺伝子を残すため自分以外の保護者を見つける必要があります.

 Wedekindはピルを飲んでいる女性が,この保護者としての母親の視点で,好みを判断すると考えました.ヒトでは,子供の保護は近親者によってなされることが多いです.また,近親者の間でMHC遺伝子は類似しています.母親は,子供の保護に役立つ近親者を好意的に判断ため,MHC遺伝子が一致する匂いを好むとWedkindは説明しました.

 これらの結果はどのグループもできるだけ確実に自分の遺伝子を残そうという戦略のもと,異性を選んでいることを示しています.妊娠前ならできるだけ,良い遺伝子を持つように,妊娠後なら持っている遺伝子ができるだけ安全に保護されるように戦略を立てるわけです.そして,その戦略は異性が持っている遺伝子情報(ここではMHC遺伝子)を利用することによって実に巧妙になされているのです.

 ただし,遺伝子だけで好みが決まるわけではありません.Wedekindは各Tシャツの匂いの「強さ」の評定も,好感度に加えて被験者に求めました.その結果.匂いの強さと好感度の間にも負の相関がありました.これは,匂いが強いと好感度が下がる,すなわち

  臭いとだめ

なことを示しています.じつは遺伝子の類似性との相関係数は,統計的には意味はあるもののの-0.1くらいの小さな値でした(*3).一方,匂いの強さとの相関は,-.43から-.33もあったのです(それぞれ男性と女性).相関の強さだけから考えると,遺伝子なんかより強さのほうがよっぽど聞いてくることを示しています.

 やっぱり,マニアを除いて,匂いはきつすぎないほうがよいようです.
 


(*0)専門誌に載った論文ですが,ぐぐるとpdfが引っかかって来ると思います.あと論文の主眼は特定の遺伝子タイプがモテるかどうかにもあります.ここで紹介することは,以下の論文で最初に紹介されたものです.Wedekind, C., Seebeck, T., Bettens, F., & Paepke, A. J. (1995). MHC-dependent mate preferences in humans. Proceedings of Royal Society of London B, 260, 245-249. ぐぐり具合が悪いので,今回の論文をリファレンスとしました.
(*1)他にもいろいろ手続きがあるのですが少し略
(*2)女性の結果は,本文中にもあるようにやや複雑です.
(*3)ここの数値は論文中にないので論文の図3bより推察しました.

今日のお仕事

  • 分散分析型実験
  • 矢印実験分析.これはハズレくじだったかもしれない.潔くあきらめるか?これまでのところを何とかまとめられるだろうか?