パチンコ中毒(6)−ギャンブル中毒に関する聖書の見方

ギャンブルとは、金銭や品物などを賭けて偶然の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって金銭や品物の形で物質的益を得ようとする行為の総称です。


パチンコ屋は、玉を客に貸し与え、ゲームの結果をお金ではなく景品に交換しているので、「賭博」に当たらないとされています。しかし、景品を買い取って現金に交換する換金所が、パチンコ店の近くにあります。しかし、パチンコは、偶然に頼って勝負を行いお金や品物を得ようとして行われるギャンブルです。


ネットの情報によると、パチンコでは、最初のうちは客の台が大当たりになるようにされているそうです。昔は、パチンコでかなりお金儲けができていたようです。しかし、最近は、パチンコ台は遠隔操作されているので、儲けることは難しいということです。パチンコ店に足しげく来るようになると裏から操作して、店がもうけを取り戻すようにしていると言われいます。昔パチンコのプロであった人、つまりパチンコで生計を立てていた人がネットでそのように語っているので信憑性があります。




パチンコ遠隔操作




聖書は幸運に頼ることが偶像崇拝であると述べています。聖書は、「幸運の神」や「運命の神」に頼ることは「エホバを捨てる」ことだと述べています。(イザヤ 65:11)


多くの人は、パチンコで、一時的にお金儲けができるとそれに味をしめます。そして、負けが続く中でたまに勝ちを経験するとその経験に執着し、負けが続いていても「負けが続いているのでそろそろ勝つだろう」あるいは「次は絶対に勝てる」と考え、過去の成功パターンを繰り返そうとすると考えられています。


そして、パチンコ店に足しげく通うようになります。しかし、ネットの情報が正しければ、幸運に頼っても、裏で結局損をするように仕組まれています。パチンコ店も商売でやっているのですから、損を出さないようにパチンコ店の客ではなく店がもうけるようにするでしょう。


また、聖書は、「労苦して弱い者たちを援助しなければならない」、また、『受けるより与えるほうが幸福である』と述べています。(使徒20:35)


ですから、「労苦して」働いて他の人を「援助」できますし、お金を他の人のために使うことによって幸福感を得られると述べています。ですから、ただパチンコ台の前に座って苦労をしないで儲けられると考えるのは、現実的ではありません。


また、聖書は「自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める。その者はあらゆる実際的な知恵に逆らって突き進む。」と述べています。(箴言18:1)パチンコは大変孤独な楽しみです。パチンコの楽しみは、パチンコ台の前に座るだけです。パチンコによって、人は他の人との有意義な関係を築くことなく、自分を孤立させています。




Pachinko by amanderson2 (pachinko14)
パチンコは他の人との交流がなく孤立させる楽しみです



パチンコ中毒に陥る人は、実際的な益を度外視してしまいます。それで、パチンコで負けて借金を作ってもそのことを無視するかもしれません。パチンコのような孤独でお金を失い趣味を、他の人との有意義な関係を築く趣味に変える方が賢明です。




Justin Hall from Culver City, USA - Compulsive Cloud Project(circle2)
他の人との有意義な関係を築く趣味を見つけましょう



そして、感情的な不安定を感じる場合は、エホバに祈ることによって自分の思いを注ぎ出すことができます。聖書は、「神はわたしたちの心より大きく,すべてのことを知っておられる」と述べられています。(ヨハネ第一3:20)神は、私たちの心より広い心を持った方であり、「憐れみ深い」方なので、私たちが祈りによって頼る時に、心の平安と問題に対処する「知恵」と助けを与えてくださると述べられています。(ルカ6:36。ヤコブ1:5)




(prayer20)
自分の心をエホバの前に注ぎだしてください−エホバは平安と知恵を与えて下さるでしょう



聖書は、思い煩うのではなく、「事ごとに祈りと祈願をし,・・・請願を神に知っていただくように」することを勧め、そうすれば、「一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,・・・守ってくださる」と述べています。(フィリピ4:6,7)


それで、パチンコに頼ることによって精神的安定を得るのではなく、神に祈ることによって平安を経験するようにしてください。



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