『ファッション ファッショ』_Posted at 03:18

ピーコと山田詠美による
「お洒落弾圧対談」を収めた一冊。


いみじくも
橋本治
「恋愛結婚できる人間は進んでいるし、
恋愛結婚できない人間は遅れている―
もう、ほとんどこれは流行のファッションと同じ。
それ着れないでいるのは恥ずかしい、
それ着てる人間は威張ってる。」(p17)と
恋愛論』で
のたまってるように
恋愛とファッションには
共通する傾向があるようだ。

「オシャレする技術っていうのは、
それ(=服とその人の身体)に
合わせて行こうっていう、譲歩能力のこと」
(『恋愛論』p21)
「『オシャレをしたい』っていうのと、
『自分にはこれが似合う』ってのいうのとは、
おのずとまた別」
(『恋愛論』pp43-44)


どうやら服を着る際には
自分の身体を見つめる行為が必要なようです。
もちろんこの本でもふれられていて、
「自分の身体の見たくないところを
見るための鏡」
「全身(=靴を含めた全体像)が映る鏡」(p42)を使い
「鏡を見て、
自分の客観的なイメージを理解する」(p111)ことを
繰り返し勧めています。

「欠点がいちばんの長所になるんだから、
恥ずかしいと思うことを、
優越感に変えられるかどうかで
センスが決まる」(p95)っていうのは、
服を着飾る能力は万人に与えられる天賦のものだとも
受け止められて非常に心強い。
ではあるけれども、
「ブランド品なら『正式』だって思っちゃってる」(p34)
小生には
上で述べている「センス」と
「服を着るということは、
その人のファッション哲学を、
どのように理解して表現するか」(p23)である
ということは
全く別モノにしか思えましぇん。


あ〜あ。理解できん…。
早く全身ユニク○から脱却したいと思う
今日この頃。