『レナード・コーエン伝』_Posted at 10:55

レナード・コーエン

ロックスター、詩人、アナーキスト
ボヘミアンでありながら、
麻薬を常習し
日々敬虔な禅の修業を積むユダヤ教信者。

「完全なるアウトサイダー」という
表現だけでは
全貌を掴めない彼の姿。
半生を辿れば辿るほど
「実体」から離れて
墓穴を掘ってしまいそうだ。



冒頭にも触れたが、
やはり彼の姿を捉える上で鍵となるのは
禅とユダヤ教の教義や真理だ。

「禅において永続する唯一のもの、
唯一の実体は、純粋で自由な自己である。
それは絶えず脱皮し続けなければならない。」(p8)
「(イザヤ書
幻想を捨てよ、抑圧を拒絶せよ、欺瞞を排除せよ」
(p24)

これらから
どうしたら
「自分自身に対してと同じように
他人に対しても誠実でいられるのか」(p11)
という問いが生まれ
自身の生き方の指針を醸成させた。
結果的には
「しっかり固定された
関係が性に合わないコーエンは、
自分の想像性が制限されるような気がして、
放浪する必要があると」(p327)考え、
フリーセックスというか
数多くの女性と「交わり」を持つことで
創作活動に結びつけていた。
いかにもコーエンらしい。
(麻薬の常習とあいまって
一種の快楽主義と揶揄されかれないけれども…。)



彼は何者をも束縛しないし、
また何者からも束縛されない
「自由」を実践していた。
だからこそ
潔癖といえるほどの勢いで
身を寄せられる縁から
片っ端から別れを告げてきた。

女性関係のみならず
「自由」に横断する姿勢は
文化人との交友関係においても
通じるものがあった。
音楽関係に絞ってみても
ボブ・ディランアル・クーパー
レナード・バーンスタイン、ジュディー・コリンズ、
フィル・スペクターと錚々たる面々だ。
(後年
コンピレーションアルバムが作られると、
その幅はさらに広がるだろう。)


彼にとって
自由を得ることは
「実験することもできるし、
どんなことにも挑戦できるし、
すべてを失うこともできる。」(p120)
ということだ。
「年月は瞬く間に過ぎ去るのに、
私たちはみな、
あれやこれやをするべきかどうか迷って、
多くの時間を無駄にしている。
大事なのは、飛躍すること、挑戦すること、
チャンスに賭けることだ。」(p118)
恋愛論』にも触れたけど、
彼が「美しき独り者」であるからこそ
レナード・コーエンに惚れたのだ。

レナード・コーエン伝

レナード・コーエン伝