広島の原爆について、広島市のかたから情報をいただきました

 広島市健康福祉局・原爆被害対策部・調査課のかたから、関連資料をいただきましたので、許諾を得まして転載します。
 資料その1。「第3回国連軍縮特別総会に向けての広島・長崎からの訴え」(昭和63年6月 広島市長崎市)より。

原爆による死亡者数
 
 原爆による死亡者数を考える場合大切なことは、放射線障害の持続性のため、被害が今日まで引き続き残されていることである。従って原爆による死亡者数をいう場合には、いつの時期までの死亡者と限定する必要がある。
 原爆による急性障害がはげしく現れたのは、被爆直後の約5ヶ月間の1945年12月末までで、この間におびただしい数の被爆者が死亡していった(しかも特に最初の2週間の死亡がその90%近い高率を示した)。従って、とくに1945年12月末までの死亡者数が問題である。
 広島市の場合、原爆投下の瞬間にどれだけの人間がいたか、という問題がはなはだ不明瞭である。というのは、多数いたといわれる軍人の数が特に不明瞭なためであるが、おそらく4万人以上の軍人が直接被爆したであろう。軍人を除いた直接被爆者の数は30万〜31万人であったと考えられる。これら全体のなかで、1945年12月末までに約14万人(誤差±1万人)が死亡したと推定され、そのうち軍人の死亡者数は2万人前後と考えられる。これら以外に多数の朝鮮人が直接被爆したと考えられている。当時、日本の植民地であった朝鮮からは多数の朝鮮人が強制的に連行され、防空壕作りなどの労働に従事させられていた。この人々については記憶が乏しく、実態がきわめてあきらかでない。上述の数値の中には所在が明らかであった朝鮮人の一部も含まれているが、それ以外にも非常に多数の朝鮮人が広島の直接被爆で死亡したという推測がある。(56)

 この「(56)」という資料番号の資料は、以下のものです。

佐野直美、飯島宗一:核放射線原爆症日本放送出版協会、東京、1975

 とりあえずこの本を読めば気になるデータも見つかるかな。
 資料その2。平成20年(2008年)版 原爆被爆者対策事業概要 広島市健康福祉局原爆被害対策部 より、死没者奉納数(毎年8月6日現在)。データの入力ミスがありましたらご容赦を。

年次 性別不詳 合計 累計
昭和27年(1952)年 31088 26798 16 57902
28(1953) 169 220 2 391 58293
29(1954) 85 126 1 212 58505
30(1955) 244 279 - 523 59028
31(1956) 328 333 19 680 59708
32(1957) 96 89 - 185 59893
33(1958) 77 96 - 173 60066
34(1959) 102 80 5 187 60253
35(1960) 72 89 - 161 60414
36(1961) 66 73 - 139 60553
37(1962) 57 68 - 125 60678
38(1963) 56 71 - 127 60805
39(1964) 85 84 - 169 60974
40(1965) 239 230 - 469 61443
41(1966) 289 261 - 550 61993
42(1967) 204 226 - 430 62423
43(1968) 518 583 - 1101 63524
44(1969) 5022 4174 15 9211 72735
45(1960) 1712 1892 2 3606 76341
46(1971) 902 843 - 1745 78086
47(1972) 1188 909 - 2097 80183
48(1973) 1437 1213 - 2650 82833
49(1974) 995 975 - 1970 84803
50(1975) 1175 997 - 2172 86975
51(1976) 1161 998 - 2159 89134
52(1977) 1194 1088 - 2282 91416
53(1978) 1185 994 - 2179 93595
54(1979) 1125 965 - 2090 95685
55(1980) 1204 1075 - 2279 97964
56(1981) 1496 1257 - 2753 100717
57(1982) 1650 1410 - 3060 103777
58(1983) 3075 2104 - 5179 108956
59(1984) 2526 1789 - 4315 113271
60(1985) 17009 8410 - 25419 138690
61(1986) 2700(△21) 2241(△19) (△1) 4941(△41) 143590
62(1987) 2677(△14) 1942(△17) (△1) 4619(△32) 148177
63(1988) 2518(△2) 1958(△1) - 4476(△3) 152650
平成元(1989) 2481(△2) 1943(△1) - 4424(△3) 157071
2(1990) 5547(△2) 4628(△1) - 10175(△3) 167243
3(1991) 2672(△3) 2115(△3) - 4787(△6) 172024
4(1992) 2721(△2) 2223(△2) - 4944(△4) 176964
5(1993) 2646(△5) 2232(△1) - 4878(△6) 181836
6(1994) 2811(△1) 2298(△5) 1 5110(△6) 186940
7(1995) 2728(△5) 2366(△9) - 5094(△14) 192020
8(1996) 2759(△2) 2271(△3) - 5030(△5) 197045
9(1997) 2755(△1) 2321(△2) - 5076(△3) 202118
10(1998) 2688 2239 - 4927 207045
11(1999) 2705 2366 - 5071 212116
12(2000) 2625 2396 - 5021 217137
13(2001) 2577 2180(△1) - 4757(△1) 221893
14(2002) 2572 2406 - 4977 226870
15(2003) 2636 2414 - 5050 231920
16(2004) 2631 2511 - 5142 237062
17(2005) 2782 2593 - 5375 242437
18(2006) 2766 2584 - 5350 247787
19(2007) 2604 2617 - 5221 253008

参考:1 平和記念公園内の原爆供養塔に、死没者の遺骨が多数収められており、そのうち氏名が判明しながら未だ遺族のわからない遺骨が823柱(平成20年(2008年)6月20日現在)ある。
2 長崎の死没者奉安数は143124人(平成19年(2007年)8月9日現在)である。
3 表中の△は、重複登録が判明したものについて、削除を行った数である。

 ときどき数が増えている年(1969年、1985年など)もありますが、だいたいここ最近は5000人強の勢いで増えている感じです。
 数が増えている年の理由と、最近の死没者の死亡原因が知りたい。他の都市と比較して、ガンなど原爆の影響が考えられる死亡例が、広島の場合は多いかどうか。
 最後に、資料その3として、厚生労働省健康局総務課より転送いただいたもの。

居住国別在外被爆者数(平成20年3月)
被爆者健康手帳所持者数(見込み)
※台帳等を基に都道府県市から報告のあった情報に基づき作成。
都道府県市において死亡や居住国の変更等を把握していない者も含まれている。

国名 居住国別人数
韓国 2928

 以下のデータによると、
被爆者の統計データ

全国の被爆者手帳所持者数は、259556人です(2006年3月末。2005年3月末は266598人)。

 だいたい1/100ぐらいが韓国系(朝鮮系)被爆者手帳所持者、という感じでしょうか。「被爆者手帳」は広島・長崎の両方をあわせた数です。実際の被害者数との違い(比率の違い)があるのかどうかは不明だし、違いがあるとしたらどういう理由なのかも不明なので、参考データ、ということで。
 こちらのデータのほうがいいのか。
被爆者数と朝鮮人の被害状況

 現在、韓国では、原爆被害者協会に登録している人だけで、約2262人。登録していないひとを含めると推定人数13200名(韓国原爆被害者協会99.4月)。毎年登録する人がいる一方で、援助が受けられないまま亡くなるひとも多い。

 ↑は「朝鮮人被爆者5万人説」(爆死者は3万人)。
 ただ、↑のデータだと「被爆者総数」は42万人ですが、以下のデータでは、「241308人」。
広島大学原医研原爆被爆者データベース【数表】
 で、またこのテキスト。
死者はコンピューターの中に

 その後の調査を通じ、現在考えられている推定数は合わせて35万人前後ですが、まだ不明な点を多く残しています。とりわけ朝鮮人被爆者数については、2万5千〜2万8千人、あるいは5万人とする報告もあります。

 と、被爆者の数については24万人〜42万人まで諸説あるのかな。もっと違う説もあるのかも知れず。それぞれの「説」の、これまた根拠が知りたい。