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一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

2017-12-14 「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」

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プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡


最近、なぜかハマっているのが山口百恵。あの当時はダントツで(桜田)淳子ちゃんが大好きだったんだけど、今でも百恵ちゃんの音楽を思い出すんだよね。


「スター誕生!」からデビューし国民的大スターへと成長していった山口百恵の、引退までの全ドキュメント。歌手としての成長、また様々な名曲の誕生秘話を、当時のディレクター川瀬泰雄氏が制作現場の実体験を綴る。全シングル・全アルバムの解説&エピソード満載」そのエッセンスを紹介しよう。


山口百恵が引退してからすでに30年たった。僕は、自分のホームページの中にプロデュースしてきたアーティストの一覧を書いた。そして百恵のページに「エルヴィス・ビートルス・陽水・百恵で僕の音楽の歴史が作られました」と書いた。エルヴィスで音楽に目覚め、ビートルズで音楽を演奏する楽しさを知り、陽水で音楽を作る喜びを知り、百恵でプロデュースの意味と人生の楽しさを知った。今思い出してみると、一人の素晴らしいアーティストの誕生から見事な引き際までを、こんなに間近に見ていられたことは、本当に奇跡的な体験だったと思い知らされる。


宇崎竜童氏、阿木耀子さんとの出会いが一段と百恵を成長させた。百恵の引退が決まって一番ホッとしたのは、数々の名曲を生み出してきた宇崎氏だったのかもしれない。曲が出来上がってくるたびに、我々はキツい手直しを依頼することを繰り返し、円形脱毛症になっていたこともあったほどだった。谷村新司氏やさだまさし氏と百恵の出会いも印象に残るものであった


・僕自身が音楽のジャンルというものにこだわらなくなり、むしろ山口百恵というジャンルを確立していきたいと思い始めてからは、ありとあらゆる音楽にトライした。ポリシーは、良いものは良いというこどだけだった。考えてればそれもビートルズの影響だったかもしれない。


・(萩田光雄自分にとって百恵さんに代わるほどの人が現れてないというか……時々は百恵さんに還ってみたくなる……やっっぱりきっとなんか、代わりになる人はあまりいないんじゃないかな。だから美空ひばりさんや石原裕次郎さんのような日本の特別な存在。そういう限られた存在に百恵さんがなってるってことかな。百恵さんの歌には、歌の他に気配のようなものがあるでしょ。その気配とか空気が、もう歌っていないことによってそのまま残ってる。「気配」っていうの音色や姿やテクニックのまわりにただよっているもの……だからまねたり、つかんだりににくい個性だと思うわ。



「としごろ」「春風のいたずら」「ひと夏の経験」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望」「ありがとう あなた」「白い約束」「愛に走って」「赤い運命」「横須賀ストーリー」「パーツカラーにゆれて」「初恋草紙」「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「秋桜」「最後の頁」「あまりりす」「プレイバックPART2」「プレイバックPART1」「いい日旅立ち」「曼珠沙華」「愛染橋」「さよならの向う側」など。


30年以上の時を経て、聴きたくなるなんて、スゴいアーチストだね。オススメです。(・∀・)


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プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡

2017-12-13 「トンカツの丸かじり 3」(東海林さだお)

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トンカツの丸かじり


ヤバイ……最近、食べることと野球の本しか読んでいないじゃん……。(*´∀`) まあもともと乱読だからいいけどさ!


全作品を読破を目指している東海林さだお氏の「あれも食いたいこれも食いたい」の丸かじりシリーズ。第三弾がこの本!(・∀・)


「人生いろいろ、食い物いろいろ、エッセイも種種雑多。ヘーソクとコントンの世界で「丸かじり」を読める日本人はシアワセだ!貧しい時代を思い出す、でもなつかしいイモのツルを食べてみる、ビアホールにおける“枝豆まじりの人は大したことない”の法則発見、スキヤキの“肉疑惑”を追及する、あこがれの「粋に蕎麦屋で一杯」に挑戦、いまどきの野菜たちを叱る、自家製ナマリ節のうまい作り方教えます……身近な食べ物に対して、著者の飽くなき追求は続く」そのエッセンスを紹介しよう。


【栗の疑心暗鬼


イガをかぶった栗を見ていると、つくづく気の毒に思う。

なんもそんなに世の中を警戒しなくてもいいのにと思う。

そんなものかぶらなくとも、十分その実は守れるではないか。

そう言ってやっても栗は納得しない。

栗は用心の上に用心を重ねている。

過剰防衛とも思える重装備で、身辺を警護しているのである。

いろんなものをかぶろう、かぶろうとする。

まずは渋皮。さらに強固な胴着のような堅い鬼皮。さらにその上に、

イガというトゲつきのアデランスかぶっちゃう。三段トリプル増毛法、じゃなかった

三段防衛を採用しているのである。


【ドックあがりのトンカツ】


人間ドックは、前夜の8時から検査終了の翌日の正午まで、水一滴さえ口にすることなく過ごさなくてはならない。

こうして「16時間飲まず食わず男」というものができあがった。

これはこわい。こういう男は何をするかわからぬ。

徹夜明けとか、官僚あがり、短大出とかいうことばがあるが、まさにこれ。ドックあけであり、ドックあがりであり、ドック出でもあった。

ムショ帰りならぬ、ドック帰りの身分でもあったのだ。「もう、何をしてもいいんだ」「もう、何を食ってもいいんだ」それは「胃にドシンくるもの=トンカツ内定と、早くも内定をもらって、ぼくはトンカツ屋を探し始めた。


確かにあるよねー!(・∀・) やっぱり東海林さだおはオモシロイなー!オススメです。


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トンカツの丸かじり

2017-12-12 「王貞治に学ぶ日本人の生き方」(齋藤孝)

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王貞治に学ぶ日本人の生き方 (生活人新書)


私の永遠のヒーロー、世界のホームラン王、王貞治王さんのホームランにどれだけ感動し、勇気づけられてきたか。これは昭和30、40年代前半を生きてきた少年は同じ感情を持つだろう。


さてこの本。「巨人というチームの屋台骨を支え、常勝というプレッシャーに負けることのなかった王貞治選手。ダイエーという弱小球団を常勝軍団に変身させた王貞治監督。連続出場への誇りと、バッティングに対する技術屋としてのこだわり等から、折れない心を保ち、いくつになってもときめきを忘れなかった人間王貞治の魅力に迫る」そのエッセンスを紹介しよう。


・かねてより、私は王貞治という人物に並々ならぬ興味・関心を抱いてきた。それはたんにファンだからではない。彼ほど「心技体」を最高度に結実されている人物を、他に知らないからだ。身体というものを中核に置いて人間形成し、周囲との人間関係を築いていっく道もある。それをクリアに証明しているのが、王貞治その人なのである。本書は、王さんの足跡を振り返りながら、日本人に何を教えてくれたのかをあらためて考えてみたい。


大リーグでも王貞治を評価してくれたことは感激だった。嬉しかった。有難いと思った。しかし私は、これまであくまでも「日本記録」として受けとめたいと思っている。数の上では、756号以上を打った選手はいないというだけの世界記録だからだ。私は、868という数字よりも、むしろ22年間に巨人軍に在籍して、その試合の97パーセントに出場したということの方を誇りたい。この事実はアメリカと同じ土俵の上で計れると思うからだ」


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一本足打法に関しては、後継者がまるで出てこない。なぜ誰も本気でチャレンジしようとしなかったのか。王貞治にしかできなかった、といってしまえば簡単だが、だとすればなぜ王さんにできたのか。考えられるのは、この打法を可能にする安定感のある下半身、そして猛練習、さらに「技術屋」としての探究心という、心技体すべての要素が揃っていたということだ。


・「基本的にプロっていうのはミスをしちゃいけないんですよ。そう思って取り組んでいかなきゃいけない。人間だからミスはするものだよと思いながらやる人は、絶対にミスするんですよ。またそれも多いんですよ。同じようなミスもするんですよ。だから「オレは人間だ」なんて思っちゃいけないんです。プロは。100回やっても100回、1000回やっても1000回、「絶対オレはちゃんとできる」という強い気持ちを持って臨んで初めてプロなんでね。」


いいなあ…王さんは変わらないなあ。刺激を受けるなあ。大好きだなあ、王さん。オススメです。(・∀・)


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王貞治に学ぶ日本人の生き方 (生活人新書)

2017-12-11 「永遠のPL学園 60年目のゲームセット」(柳川悠二)

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永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット


甲子園春夏通算96勝、全国制覇7回を誇るPL学園野球2016年夏をもって休部に追い込まれたニュースはビックリしたよねえ…。「なぜ、「事実上の廃部」に追い込まれたのか。学園の母体であるパーフェクトリバティー教団意向、監督に野球経験者を据えない学園の判断、「強いPLの復活」を求めるOBの声――様々な事情に翻弄されながら、12人は「ラストゲーム」に臨んだ」そのエッセンスを紹介しよう。


1955年創部の野球部は、2009年までに春と夏の甲子園にあわせて37回出場し、歴代二位となる通算96勝。甲子園制覇は春三度、夏四度。卒業後にプロに進んだOBの数も、他校を圧倒する。木戸克彦、西田真次、吉村禎章桑田真澄清原和博立浪和義宮本慎也福留孝介今江敏晃前田健太……総勢81名を数え、球史に名を残す大投手、大打者も多い。門中の名門、全国屈指の伝統校がPL学園だった。


・1978年初の全国制覇から38年、神がかり的な強さをもったPL学園野球の姿は、大きく変わり果てていた。部員はたったの12人、監督は野球素人、かつて当たり前だった特待生は一人もおらず、当然のように試合では大敗を繰り返す。どうして伝統ある野球部が2016年7月15日をもって廃部にならざるをえなかったのか。歯車はどこで狂ってしまったのか。どうしてこんなことになったのか。いったい誰が悪者なのか。



・「野球部の監督人事は学園の母体である教団の辞令によって決められます。かつては教団からの寄付という形で、会員の浄財を野球部に相当つぎ込んでいあした。その寄付も5年前から途絶え、特待生も廃止です」


・ユニフォームの胸の部分を握りしめるPLナインの所作を「おやしきり」と呼ばれる宗教儀式である。心の中で「お・や・し・き・り」と唱え、「普段のん力が発揮できますように」と神に誓う。PLの球児が握りしめているのは、ユニフォームの下のアミュレットと呼ばれる御守だ。中には一万円の寄付で教団のトップである教祖(PLでは教主(おしえおや)がしきった(祈りを込めた)御霊がはいっている。


野球部が有望な部員を集めるのには教団の信者ネットワークが活用され、教団信者の寄付を使って野球部を強化する。一方、その野球部の甲子園での活躍は、教団の知名度を上げ、新規信者獲得に大きく貢献していた。しかしどこからか両者の関係は崩れ始め、その亀裂は決定的なものとなっていく。そしてたどり着いたのが、花園球場でのPL学園最後の日」だった。


PL学園野球の真髄は「神に依る野球」です。神様に対して『今から精一杯やらせていただきますから、練習で積み重ねた実力を充分に発揮できますように』とおやしきりを行って願うことを指します。PLでいう『神』とは教祖のことではなく、大元霊(みおやおおかみ=宇宙全体のこと)です。


「三年神様、二年平民、一年奴隷」という寮生活不文律がある。入学・入寮したばかりの一年生は主将の口からまずどの三年生の付き人になるかが発表される。付き人としての仕事は、同じ三年生の付き人を担当する二年生部員から徹底的に教え込まれるという。しかし、この付き人制度が、あらゆる暴力事件の温床となっていたのも事実だ。


「鉄の掟」

・先輩に対する受け答えは「はい」もしくは「いいえ」のみ。

・笑顔禁止・恋愛禁止。

・外出禁止・電話禁止。両親との連絡手段は手紙のみ。

・朝、目覚まし時計を鳴らすのも禁止。

・風呂では湯船に浸かってはならず、シャンプーの使用も禁止。頭髪は石けんで洗うのみ。

・お菓子禁止。ジュース禁止。

・部屋で過ごす時は体育座り。

教室の窓は締め切っておかなければならない。廊下を通る女子を見てはいけない。

練習中に水を飲むのも禁止。


その他のは一年生は食事の際には調味料を使ってはいけないとか、上級生しか使うことが許されない学校の階段があるとか、ばかばかしい不可解なルールも数多く存在した、だがそれもPLの伝統の一部となってきた。そしてもしそれを破る者が現れたら、連帯責任で一年生全体が文字通り痛い目に遭う。


・「暴力……確かにそれは暴力に違いないんですが、集団で一人を暴行するようなことはなかった。殴るのにも必ず理由があったし、決してイジメの類ではんかあった。あの時代は、一発ぶん殴るだけですべてが片付いたんですよ。ただね、毎日のように暴力があったかというと、そんなことは絶対ない」


「暴力はPLの伝統です」清原和博が逮捕以前、メディアの前でそう語り、大きな話題となった。それを否定するOBは一人もいないだろう。


・(宮本慎也)今の時代にはふさわしくない伝統だとは理解しています。しかし、PLの三年間……というより一年生の一年間を乗り切れたからこそ、社会に出た時にどんな苦境にも耐えられる。いや、社会における理不尽なことなんて楽勝なんですよ(笑)。今の時代にはふさわしくない上下関係ですが、だからといって僕らの時代まで否定してほしくない。


宗教年鑑によると、黄金期に約265万人に達していた公称信者数は、1989年には200万人を割り、2000年代に入ると約100万人にまで落ち込んでいた。信者が減少すれば、その子どもたちが通うPL学園の生徒数も減少していく。それゆえ体育コースは廃止となり、研志寮も寮としては機能しなくなった。公称265万人とされた黄金期でも実数は約90万人で、公称90万人とされる現在は「数万人程度」でしょう


・2000年代に入って、度重なる不祥事が発覚。世界平和を謳う宗教団体である以上、「世界平和」の対極にあるような「暴力」事件ばかりを繰り返す野球部が、いつしか「お荷物」という認識に変わったのではないだろうか。二代教祖・御木徳近(みき・とくちか)を慕って入信した信者の二世、三世が信仰から離れ、信者数が激減した。そうした中で教団側が、かつてのように野球部に力を注ぐことが、財政的にも、人材的にも、とうてい困難な状況に陥っていた側面があるのだ。


・最後の主将の梅田ツイッターの感謝の言葉

ありがとう。高校野球

ありがとう。PL学園

ありがとう。応援してくれたみんな。

ありがとうございました。足下の悪い中 足を運んでくださったOBの方々。

ありがとう。両親を含む家族。

ありがとう。俺の高校野球


野球部誕生に「宗教団体同士の対抗意識」があったというのは知らなかったなあ…。まさに時代の変化に対応できなかったんだねえ。悲しいねえ。高校野球ファンならずとも、超オススメです。(・∀・)


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永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット

2017-12-10 「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」(三田完)

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不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む


我が母校・明治大学が産んだ音楽業界の天才といえば、古賀政男宇崎竜童阿木耀子、そして阿久悠」大先生。(・∀・)


作詞家として、また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFOなど5度の日本レコード大賞に輝き、生涯で売り上げたシングル盤の枚数は約7000万枚という歌謡界のモンスター。その阿久さんが生前、26年7カ月間にわたり毎日つけた日記が明治大学駿河台キャンパスにある阿久悠記念館にひっそりと収められている。


2014年秋、阿久さんの身近で長年にわたり仕事をした三田さん、阿久さんのひとり息子の深田太郎さん、明治大学の吉田悦志(国際日本学部)、富澤成實(政治経済学部)両教授、岩波書店OBの井上一夫さんの5人が、この膨大な日記の解読を始めました。その研究の成果をもとにした書き下ろしが、本作品です。1日も休むことのなかった日記には、身辺雑記から仕事のメモ、その日のニュース、本や新聞の情報、ひらめいたアイデアなどが、愛用のペンテルのサインペンでぎっしり書きつらねてあります。戦前、淡路島でうまれた少年はいかにして「阿久悠」になったか。時代をリードし続けた創作の秘密はどこにあったのか。作詩から小説へと軸足を移した『瀬戸内少年野球団』の映画の成功、しかし直木賞をとれない苦悩、晩年に苦しんだがんとの闘病など、これまではうかがいしれなかった、芸能界の巨人の苦悩も初めて明らかになります。NHKディレクターを辞して以降15年、阿久さんとともに過ごした著者だけが知る「歌謡界の巨人」の真実」そのエッセンスを紹介しよう。



なぜ『スター誕生!』の審査関で阿久さんはあんなに険しい顔をしていたのか。後年、尋ねてみたことがある。

「番組をはじめるとき、決意したんだよ。出場者の前で笑顔を見せるのはやめようと。これからプロをめざすひとたちなんだから、子供扱いしちゃいけない。大人に対するのと同じような感想をいわないと失礼だと」つまり、阿久さん自身が『スター誕生!』という番組のなかでは恐い先生に変装していたのである。


阿久さんにとって、知る人ぞ知る重要なアイテムが日記である。昭和56(1981)年から亡くなる半月前の26年7ヶ月、毎日欠かさず書き続けたものだ。一日一ページ、身辺雑記や仕事のメモだけでなく、その日のニュース、本や新聞から得た情報、ひらめいたアイデア、あるいは箴言(しんげん)のたぐいまで多様な記述が横書きで整然とレイアウトされている。ところどころ強調したい文言や重要なメモが赤い文字になっている。


日記を一瞥しただけでも、阿久悠という巨人の日常が描かれた興味深い読み物である。と同時に、昭和の終わりから平成にいたる世相を阿久さんの筆で活写した第一級の史料として後世に伝えるべきものと確信する。日記のどこかに、累計7000万枚ものシングルレコードを売った作詞家の創造の秘密がひそんでいるかもしれない。ふるえるような気持ちで、私は阿久悠日記のページを繰り始めた。阿久さんはどのように変装した時代を見つめていたのか。そして阿久さん自身はどのように変装して人生を送っていたのか…。


「昭和が終わって一区切、全てを水に流せると思うのは日本人の考えで、外国人にとっては一区切も水に流すもないのである。心して」


・「今日は何も話したくない。「逆境を好機に変える天才」と云う言葉を信じるのみ」


その他、美空ひばりと同い年の少年」「青春はシネマの闇に」「月光仮面制作中」「深田公之、阿久悠となる」「『スター誕生!』と山口百恵」「直木賞の憂鬱」「無冠の父」「生きっぱなし」「阿久悠色魔など。


歌謡曲」という言葉も死語になったよね。こんな作詞家はもう出ないだろうね。阿久悠記念館」にまた行きたくなりました。オススメです。(・∀・)


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不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む


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不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む


我が母校・明治大学が産んだ音楽業界の天才といえば、古賀政男宇崎竜童阿木耀子、そして阿久悠」大先生。(・∀・)


作詞家として、また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFOなど5度の日本レコード大賞に輝き、生涯で売り上げたシングル盤の枚数は約7000万枚という歌謡界のモンスター。その阿久さんが生前、26年7カ月間にわたり毎日つけた日記が明治大学駿河台キャンパスにある阿久悠記念館にひっそりと収められている。


2014年秋、阿久さんの身近で長年にわたり仕事をした三田さん、阿久さんのひとり息子の深田太郎さん、明治大学の吉田悦志(国際日本学部)、富澤成實(政治経済学部)両教授、岩波書店OBの井上一夫さんの5人が、この膨大な日記の解読を始めました。その研究の成果をもとにした書き下ろしが、本作品です。1日も休むことのなかった日記には、身辺雑記から仕事のメモ、その日のニュース、本や新聞の情報、ひらめいたアイデアなどが、愛用のペンテルのサインペンでぎっしり書きつらねてあります。戦前、淡路島でうまれた少年はいかにして「阿久悠」になったか。時代をリードし続けた創作の秘密はどこにあったのか。作詩から小説へと軸足を移した『瀬戸内少年野球団』の映画の成功、しかし直木賞をとれない苦悩、晩年に苦しんだがんとの闘病など、これまではうかがいしれなかった、芸能界の巨人の苦悩も初めて明らかになります。NHKディレクターを辞して以降15年、阿久さんとともに過ごした著者だけが知る「歌謡界の巨人」の真実」そのエッセンスを紹介しよう。



なぜ『スター誕生!』の審査関で阿久さんはあんなに険しい顔をしていたのか。後年、尋ねてみたことがある。

「番組をはじめるとき、決意したんだよ。出場者の前で笑顔を見せるのはやめようと。これからプロをめざすひとたちなんだから、子供扱いしちゃいけない。大人に対するのと同じような感想をいわないと失礼だと」つまり、阿久さん自身が『スター誕生!』という番組のなかでは恐い先生に変装していたのである。


阿久さんにとって、知る人ぞ知る重要なアイテムが日記である。昭和56(1981)年から亡くなる半月前の26年7ヶ月、毎日欠かさず書き続けたものだ。一日一ページ、身辺雑記や仕事のメモだけでなく、その日のニュース、本や新聞から得た情報、ひらめいたアイデア、あるいは箴言(しんげん)のたぐいまで多様な記述が横書きで整然とレイアウトされている。ところどころ強調したい文言や重要なメモが赤い文字になっている。


日記を一瞥しただけでも、阿久悠という巨人の日常が描かれた興味深い読み物である。と同時に、昭和の終わりから平成にいたる世相を阿久さんの筆で活写した第一級の史料として後世に伝えるべきものと確信する。日記のどこかに、累計7000万枚ものシングルレコードを売った作詞家の創造の秘密がひそんでいるかもしれない。ふるえるような気持ちで、私は阿久悠日記のページを繰り始めた。阿久さんはどのように変装した時代を見つめていたのか。そして阿久さん自身はどのように変装して人生を送っていたのか…。


「昭和が終わって一区切、全てを水に流せると思うのは日本人の考えで、外国人にとっては一区切も水に流すもないのである。心して」


・「今日は何も話したくない。「逆境を好機に変える天才」と云う言葉を信じるのみ」


その他、美空ひばりと同い年の少年」「青春はシネマの闇に」「月光仮面制作中」「深田公之、阿久悠となる」「『スター誕生!』と山口百恵」「直木賞の憂鬱」「無冠の父」「生きっぱなし」「阿久悠色魔など。


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不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む