0620 ウォーキングイベント@栃木地区

栃木地区でのウォーキングイベントが終了、薄曇りの天気ではあったが、気持ち良くまちを歩いて回れた。

当イベントの目的は、地域の魅力を再発見する、というものだ。今まで気づかなかった、良いモノ、良いトコロについて、改めて認識を深める機会であり、「新しい眼を持つ」ことの楽しさに気づけるイベントではないだろうか。
文化財とは、指定や登録がされて価値がでるというものではない。その土地に住む人々が、「これは大切だ」と思うものは、すでに文化財と呼びうる価値をもっている、ということであり、まちを歩くことでそういった認識が広がっていくことも期待したい。

個人的には、例幣使街道沿いに建ちながらも、宿場町エリアから外れていて目立たない、染物屋(京染)と水路をセットで見られる風景が気に入っている。この水路の流れを染物に利用したかどうか、ずっと気になっている。Sさん曰く「利用していた」そうなので、店主にもお話しを伺ってみたい。


>染物屋と水路


今回はネットワークとちぎさんの方々にとっては地元開催であり、頼もしいガイドのおかげもあって、いつもよりもさらに一歩踏み込んで、栃木のまち歩きを楽しめた。

まず、効果的なガイドというのは、眼前にある風景には「どんな意味が含まれているか」を引き出しながら話すことだ。
例えば、ちょっと造りの凝った建物があったとして、それはどんな人物が住んでいる(いた)のか、どんな趣向が凝らされているのか、こんなことを2言3言聞くだけでも、見る焦点は定まり易く、その風景を「了解」することにつながる。
また、ガイドの内容は、その土地に精通していなくてもいい、必ずしも歴史を詳しく語らなくていい、勘づいたことから話題をつくりだせばいい、というところまでがんばりたい。


>鏝絵


文化的なものは、固有性だけが全てではない。似ている例はたくさんある。自分のまちの例や見たことのある例でも良いから、知っていることを話し合えばいい。何が眼に映るかは、各々の経験や知識と深く関わっているから、固有の(模範解答的な)情報を知らなくても、そこで各々の経験談の交歓が生まれることも有意義なことだ。それだけでも、漠然と眺めていた風景は、各々が自分のものにできるはずだ。


>左手は例幣使街道、右手は水路を狭めて通された道

>小道の奥行きに引き込まれる


同様に、今歩いている道はいつ頃できた道なのか、ということが予め分かれば、いつの時代の名残りがあるのかと、ある程度予測がつくので、風景を掴まえ易くなる。この道を行くとどこの地区へつながるのか、という話題は、お互いの地区の接点がどこにあるか(生活行動範囲など)、という共感をよぶかもしれない。


>この交差点はかつて丁字路(枡形)だった。正面の道は昭和初期に開通、右手の道は壬生へ通じる旧道、左手は例幣使街道、正面の建物は旧・清水屋旅館か?

>ゆるやかに湾曲する旧道、栃木と壬生をむすんできた

>昭和初期に駅前大通りとして開通、先で例幣使街道と合流する。模型店の隣にある、店先に松を構えた小料理屋は、昭和初期の駅前大通りの雰囲気を残しているのかもしれない


そしてやはり、思い出話を語りながら歩くのは楽しい。生活についての話題は、世代間の差は多少あっても、地域間では大差なく共感できることは多いだろうし、違っていることの驚きを話し合うのも、それこそまた盛り上がる。「今はなくなってしまったもの」そして「今は使われなくなってしまったもの」を話題に取り上げることは、まちの記憶を主観的な物語りに仕立て上げることであり、個人の体験をもとにした即興の物語りには、趣がある。


>子供たちの憧れだったという模型店。ちょっと高級だったため、子供たちでは近寄りがたかったという。入り口上部に掲げられたプロペラ看板が面白い


「今はなくなってしまったもの」を語れば、相像を働かせて補完しようという意識が働いたり、それが基で何か痕跡に気づくかもしれない。加えて、空き地であることから何が読み取れるか、空き地であることから何か生まれたことはないか、と前向きに臨む気持ちもまた必要だ。
大正期の洒落た意匠をもつ栃木病院は、周りが建てこんだ細い道に面して建つが、今は向かいの土地がぽっかり空いていて、栃木病院を正面から眺めることができる。手前には水路が蓋をされているが、水の流れとともに栃木病院を眺められる視点場としたら、魅力的ではないだろうか。


栃木病院を正面から眺められる。ぽっかり空いた、が効いている例


また、「今は使われなくなってしまったもの」は、その場に留まりつつ忘れられているものと、資料館に飾られているのもとでは、やはり存在感が違う。それらが記憶している、過去の生活の匂いを漂わせている。今回、Nさんの発表では、昔のゴミ箱(ゴミ捨て場)や、役所の17時と22時の鐘の音が思い出される風景のお話しは面白かった。また、個人的に好きなものとして、嘉右衛門町にあるお宅の、店先の壁についた古風な蛇口や、みつわ通りにかつてあった映画館(栃木セントラル劇場、とある)の、上映スケジュールの看板などがある。


>水仕事をよく考慮して造られた店先

>栃木セントラル劇場の看板


思い出話として今回は、「模型屋」「映画館」「駄菓子屋」、他には「本屋」「貸本屋」などのお店や施設が、栃木地区内でもあちこちの町内に分散していたことが面白かった。これらは足をのばせる範囲に、バランスよく配されていたのかなと感じた。また、僕自身としては、「蔵の街とちぎ」というまちづくりの「テーマ型コミュニティ」のイメージで歩くから、改めて町内という「地縁型コミュニティ」の数の多さや、栃木地区内にもまだまだ知られていない地域別の情報があり、交歓する必要はまだまだあるのだな、ということが実感できた。

まちの風景は、もっともっと「飼い馴らす」必要がある。たくさんの人たちの、色んな眼で飼い馴らそう。そのためには、もっともっと散歩をしよう。これを習慣づけよう。夕方のちょっとした時間に、散歩しながら会話を楽しむらしい、イタリア人の習慣は良い参考例だろう。