スナイデル国際書道コンクール


 おはようございます。2010年もいよいよ6月ということで、はやくも今年も半ばにさしかかろうとしております。6月といえばついにワールドカップが始りますね。みなさんはサッカーはお好きでしょうか。僕は大好きです。サッカーはやったことはないのですが、テレビでのサッカー観戦は大好きです。先日は韓国、イングランドとたまらない代表戦が続き、もちろん釘付けになりながら熱い視線を注いでおりました(結果は少々アレでしたが)。対イングランド戦は、数年前の対戦同様やはり日本はやりやすそうに見えました。善戦しておりましたね。今野がSBで出てましたが、本番はどうするんでしょう。左の長友はいいとして、右はどうするんでしょう。内田、駒野、今野。。 本田と中村(俊)の使い方も、どうなるんでしょう。。中村(俊)の調子が劇的に回復しないのであれば、若い香川との入れ換えの可能性も最後まで見極めて欲しかったなど。。云々。
 ところでワールドカップ本大会の対戦国、オランダ代表のスナイデル選手ですが、みなさまもご承知のとおり、書道に造詣が深いことでも知られております。昨年末に開催され、欧州の書道ファン、サッカーファンを巻き込み、大盛況のうちに幕を閉じた「スナイデル国際書道コンクール」では、氏のこれまでの作家活動を俯瞰できる一大回顧展も催されました。今回はそこに出品された代表作を中心に、みなさまとともにスナイデル氏の書道活動をふり返りたいと思います。(画像はスナイデル氏の落款)

Wesley Benjamin Sneijder (1984.6.9-)
ヴェスレイ・ベンハミン・スナイデルは、オランダ・ユトレヒト出身の同国代表サッカー選手でポジションはMF。現在はセリエAインテルナツィオナーレ・ミラノ所属。ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄、弟と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。2002年12月22日、18歳にしてプロデビューを対エクセルシオール戦で果たす。そのシーズンではリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。その活躍が当時の代表監督アドフォカートの目に止まり2003年4月30日の対ポルトガル戦でオランダ代表デビューを果たす。翌2003-2004年シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献。このシーズン、オランダ年間若手最優秀選手としてヨハン・クライフ賞を受賞した。2004-2006年シーズンと引き続きアヤックスでのプレーを続け、司令塔としてアヤックスの象徴の1人として奮闘するものの、ライバルであるPSVアイントホーフェンフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-2007シーズン、クラブでエースナンバー背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。2500万ユーロという移籍金でバレンシアとの獲得レースを制したレアル・マドリードリーガ・エスパニョーラ)へ加入。デビッド・ベッカムの着けていた背番号23を受け継ぎリーガ制覇とチャンピオンズリーグ制覇を目指すこととなった。2007-2008シーズン、新監督ベルント・シュスターが標榜する攻撃的なサッカーの中核としてレアル・マドリードのリーガ2連覇に貢献。シーズン終了後にはEURO2008のオランダ代表に選出。ベスト8で敗退してしたものの、大会を通じて高いパフォーマンスを見せ、UEFAの選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。シーズン終了後のレアルの超大型補強などにより放出候補となり、2009年8月インテルへ移籍。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。2010年5月22日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝(バイエルン・ミュンヘン戦)では先制点となるディエゴ・ミリートのゴールをアシストした。








●確認されている最も初期の作品。テレビで偶然目にした日本の書道に魅了され「魂の赴くままに筆を運んだ」と、のちに本人が懐述している。書かれた"433"については諸説あるが、現在では「サッカーのフォーメーションではないか」との見方が有力。国立オランダ中央文化センター所蔵。




●出演したフランスのテレビ番組内にて、共演したサッカー監督ジョゼ・モウリーニョ氏に贈ったとされる一枚。豪快な筆致がいかにもスナイデル氏らしい作風を示しており、氏の代表作と推す声も多い。のちにチャリティオークションに出品され、およそ4万ユーロ(約450万円)で中東の富豪が落札したといわれる。




●まったくの我流で書の道に入り、大胆かつ奔放な作風が広く知られるスナイデル氏だが、2000年代初頭に念願の初来日を果たす。以降、日本の書道家とも積極的な交流を持つようになり、同国の書道への率直なリスペクトを表する向きの作品も手掛けるようになる。これは日本の市井の書道教室にて小学生らに混じり書かれたとされる異色作で「従来のスナイデル氏の書のイメージを覆す一枚」と熱心なコレクターや研究者から注目されている。




●上の「かけ足」と同じく、日本の書道の基本におおむね忠実とされる作品。「一種の習作であり、それほど重要ではない」とする見方も根強く、研究者によってその評価が大きく別れる作品でもある。肯定派はこの作品が手がけられた2009年半ばという時期を特に問題視しており、これは当時のプライベートおよび移籍問題(レアルマドリーからの放出)などでゆれ動くスナイデル氏の心情を初めて生々しく描き出した傑作であり、スナイデル氏の書道の劇的転換を示すマイルストーンであるとの論調に終始している。「ジェシカ」という人物については諸説紛糾しており、現在もなお「スナイデル書道の最も濃い闇」と称されている。


●所属チームの2010年UEFAチャンピオンズリーグ優勝を記念して開催された「第一回スナイデル国際まぐろ丼コンクール」のための作品。気力体力ともに最高度に充実したスナイデル書道の金字塔との呼び声も高い。大会開催を告げる挨拶の壇上「まさに脂が乗り切った快作。まぐろだけに」との発言が波紋を呼び、その後、大会関係者数名が行方不明になるという痛ましい事件も発生した。その背後にマフィア、オイルマネー、漁業権問題など、政治とサッカーの黒い癒着を指摘する評論家が続出。ジャーナリズムに一大旋風を巻き起こした。