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2015-08-20 私立リリアン女学園日記

[][][]C88、このシンデレラガールズ同人誌が面白い

c88お疲れ様でした。

 

うちのサークルでだした女子制服カレンダー

買ってくださった方に、心から感謝+まだ見てない人は是非読んでね! 

実在の制服めっちゃのせたよ!

2015年関東版、最新だよ!

『女子制服カレンダー きせつのなかのアイドルさん』

メロンブックス委託

コミックZIN委託

とらのあな委託

なにとぞー。

 

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というわけで、その他ぼくが買った中から、これは!と感じたものを紹介していきます。

シリアスもの多め。

 

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ヨガ道場さん『本田さんはアイドル

この本に出会えて本当によかった。この本に会えたから、C88に行ってよかった。

 

6、7話。本田未央のクラスメイトの話です。

といっても「まじかよ本田!」という、未央を囲んだ元気グループじゃない。

教室の隅で、明るくて元気なみんなの人気者・未央を見ながらも、輪に加われない少年の物語。

 

絶対いるんだよ、物語の外側に、幸せになれないやつがさ!

未央のクラスメイトのみんなは、仲良く未央のライブを見に行った。

でも「俺」は、誰にも誘われなかった。それでもこっそり、見に行った。

がんばれ、がんばれ本田未央! 心の中でそう願う、冴えない少年。

しかし、そんな祈りは届くわけもなく、未央はこころに大きなキズを負う。

 

あまり得意じゃないバスケで、シュートが決まった「俺」。

肩を叩いて「ナイシュッ♪」と言ってくれた未央。

だから自分も、落ち込んだ未央を励ませると思った。思ったのに……。

 

『「本田さん」は「アイドル」』というタイトル。

あくまでも、クラスで「俺」に話しかけてくれる「本田さん」であって、仲良しな「本田」じゃない。

彼女は友達や恋人ではない。本田さんは「アイドル」で、すぐとなりにいても全然手が届かない。

 

未央に対して「学校の友人のようだ」と感じているのはぼくだけじゃないようで。

ぼくは本田未央の恋人にはなってはいけない・たまごまごごはん

本田未央というキャラの恐ろしいところは、「未央を見ることで自分がどういう立ち位置なのか思い知らされること」

鏡です。

 

ラストシーン。

エンディングは、グッドでもバッドでもない。

ただ時がすぎ、人間関係も続き、「俺」の知らないところで未央は元気になる。事実がそこにあるだけ。

「俺」ってなんだろう、と考える間もなく、話は終わる。

未央は、笑いながら手を振ってくれる。

やっぱり「本田さん」は「アイドル」。

 

みんながみんな同じ感想を持つ作品じゃないと思います。そこがいいのよ!

ぼくはもう「俺」に完全にシンクロしていたので、何度も何度も何度も読んで、拷問を受ける気持ちで、それでも読んでいました。

「まじかよ本田」視点の人は見え方ころっと変わるでしょうし、未央視点の人はこの「俺」をどう捉えるかが全然違うはず。

 

「アイドル」という言葉は、時に残酷だというのを静かに描いた作品。

あまり文字で感情は書き込みすぎない。大事なシーンでは未央の表情が微細に描かれることで、「俺」の感情まで表現している漫画力のある作品。

「ナイシュッ♪」の未央の顔、二回目読むとめっちゃ刺さるぜグサグサに。

アニメ版6,7話見ていること前提。未央好きな人のみならず「アイドル」って言葉に興味ある人は、なんとかして読んで欲しい。ホント読んで欲しい。

 

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柑橘金貨さん『南条光夏休み合同誌 たいようの娘!』

ナイスコンセプト!! このタイトルでパン!と膝を打ちました。

その手があったか!

 

南条光の夏休みを、絵日記マンガ形式で描いていく合同誌。

7月18日から、8月31日までを、毎日それぞれの作家に預け、漫画+絵日記にしていく、という気が遠くなるような内容。

これ考えた人もすごいし、描いた人もすごいし、まとめた人もすごいよ!

総ページ数236。分厚い。

 

色々な作者が、少しずつ変化していく夏の日の中の南条光を描いていく。

一人で描かないからこその面白さを最大限に活かしていて、もうシャッポを脱ぐしかない。

 

というのも、「南条光」というキャラ、パブリック・イメージだと「特撮好き」「ヒーロー願望」で固まりがち。もちろん元のゲームのテキストがそうだからなんですが。

でも、二次創作ってそこを壊すものでしょ。

 

特撮ヒーロー好きとして、夏の一日いっぱいをすごすのも、いい。

でも全く違う遊びだって、彼女はしているはず。

花火もすれば、さんぽもする。戦争について考えることもあれば、お祭りにだっていく。

そこにいるのは、「ヒーロー好き」なだけの南条光ではなく、「一人の女の子」としての南条光。

 

友人関係も、普段はレイナサマと凸凹仲良しコンビなイメージあります。でも、人間関係ってそんなもんじゃない。もっといろんなキャラクターと出会って、会話して、一日を過ごしているはず。

ミリオンライブのキャラクターも交え、南条光の夏休みは明るく彩られていきます。

 

これだけバラバラな人が、独自の色を出しながら描いているのに、最後にはすべて「南条光の想い出」になっている構成は見事。

特に8月26・27日のまとめ方はうまかったなー。

 

どえらい難しい作りの本です。だからこそめちゃくちゃいろんな角度から楽しめます。

南条光というキャラが、どんなものでも受け入れられる純粋な娘だからこその本なのかも。

たいよう、だね。

 

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大作さん『指名手配のモンタージュ

仮説なんですが。

「だりなつ好き」って、本当は女の子としての「木村夏樹」が好きなんじゃないかと思ってる。

 

大作さんは「SF」と言っていたこのマンガ。SFです。いわゆる平行世界の話。

ゲームの中「木村夏樹」と、アニメで描かれている「木村夏樹」は、見ている世界が全然違う。「多田李衣菜」も同じ。

特にゲームでは2人がとても親しく、ゲーム内で特別イベントが組まれたほど。なのにアニメでははじめて出会った程度。

 

このすれ違いのもやもやを、タイトルの通りTHE BLUE HEARTSの「僕の右手」の歌詞と、カット割りを活かした、どちらの記憶かわからないフラッシュバックで表現。

大作さんのマンガは、アクセルを踏んでからのドライブ感がはやい。一瞬でトップギアに入る。

あまり多弁ではないこのマンガは、なつきちがギターで「僕の右手」を弾いた瞬間、平行世界がものすごい勢いで混じり合います。

読者側は考える間もないのね。だって2人の記憶の交錯なんだもの、こっちがどうこう言う暇ないよ。

 

そして、ゆっくりとスピードを落とし、まだ終わりたくない、まだ続いて欲しい……というところで静かにスイッチが落ちる。

フェードアウトせず、カチッと切り替わる手法を取っているのが、もうずるい。

切り替わっちゃうから、こっちが「分からない」状態で、もやもやする。

それ以上に、木村夏樹と多田李衣菜のもやもやは、でかいだろう。

 

多分アニメでは今後、木村夏樹と多田李衣菜の物語が描かれていくと思います。

けれど、それはゲームの中で再三再四見てきた2人とは、やっぱり違う。

キャラにとっては違ったほうがいいし、両方共いい物語。間違いない。

間違いないんだけど、なんだか苦しい。寂しい。

 

「指名手配のモンタージュ 街中に配るよ」という歌詞がどちらにとってのものなのか、何を意味しているのか。

多分、このまんがって、ひとつの鎮魂歌であり、ひとつの誕生を祝う歌、なんだと思う。

 

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22w/藤原とうふさん『ねこはひとりで死ぬ』

こちらも、アニメ版とゲーム版のギャップから、少女たちのあり方を考えた作品。

世界観のズレが、成長の可能性を考えさせてくれます。タイトルかっこいいわ。

 

軸になっているのは、前川みくと多田李衣菜の「アスタリスク」の2人。

自分の個性を伝えるにはどうすればいいのか。

必ずしも「みんななかよく」が答じゃない。

 

ニュージェネ三人のうち、凛は「トライアドプリムス」に参入。未央はソロでデビュー。

これを見てみくが言います。

「そろそろ考え時かもしれないにゃあ。解散」

いつもの解散芸と違う、本気の解散の話。

 

解散芸を持った2人って、今は見ていて楽しいけど、それって「個性」か?と言われると、うーん。

表現としてうまいなと思ったのは、「ロックと猫をかけあわせたら、三味線ができちゃった」という流れ。

それな! ロックでも猫でもなく、三味線お笑いになった。それでいいのか!?

 

多田李衣菜には、木村夏樹というあこがれの存在ができます。

ここで、寂しいとかに軸が揺れない前川みく。

彼女はやっぱり多田李衣菜のことが好きなんだけど、けれど全く依存していない。

一人で歩こうとする前川みくの姿が、とてもすがすがしい。

 

……と見せかけた、島村卯月マンガですよねこれ!?

ニュージェネの凛・未央が自分の道に進み、一人シンデレラプロジェクトの部屋で、何をするでもなく、感情のない笑顔で佇んでいるのよ。

前川みくが頑張っているだけに、これは辛い。

彼女の存在がギャグじゃないのは「いいですよね! 憧れって。私の憧れは「アイドル」だからなあ」というセリフからわかります。

アイドルになって、その次のステップが見つからず、何もすることがなくなってしまったからっぽな島村卯月の姿が、猛烈にキツイ作品。みくマンガなのに島村卯月で苦しくなる作品。

まあ、よく仕込んだものです。しまむらさんの笑顔って、時折コワイんだよね。

 

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肉ネームさん小日向美穂戦国ドラマの姫になる話』

なっつかしいー。ゲーム内コラボで小日向美穂が戦国姫衣装になったアレです。

最近はじめた人だと分かんないネタかもしれません。でもマンガはそこは知らなくても全く問題なし。

 

小日向美穂ってキャラは、とても捉え方の難しい存在だと思ってます。

例えば、緒方智絵里と一見似ている。おとなしくて、優しくて、気が弱くて。

でも全然違う。意外と頑固で、意外と向上心が強くて、意外と前向きで。

そして何より、どんなに緊張しても絶対やりぬこうといつも努力し、常に感謝の気持ちを忘れないのが、小日向美穂。

 

肉ネームさんのとらえた小日向美穂像は、もっと深いもの。

ここは実際読んでみてほしいのです。ある意味パブリック・イメージの「小日向美穂像」を大切にしながら、作者の中にある「小日向美穂はここまでできる」という味付けがされている。

 

あるシーンで小日向美穂が、泣いてしまいます。

演技とか、仕事とかじゃないんです。全く別のことなんです。

それこそが小日向美穂だし、だからこそ彼女はメインヒロインに抜擢された。って思える。

「アイドル」というのがもし、光り輝く存在であると同時に、みんなに笑顔を与える存在という意味ならば。

肉ネームさんの描く小日向美穂は、まごうかたなき「アイドル」です。

 

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哀れなウサギさん『ReMake』

マンガでしかできないネタ、やってくれたよ……。

ちょっと表紙からは想像できない内容ですよこれ。

 

といってもそこは、言ったらネタバレになるので、言えないんですが。

基本的には、佐久間まゆの話です。

ところが、序盤からプロデューサーがまゆを避けている(ヘタしたら嫌っている)」ところからスタート。

確かにまゆは攻めすぎなところあるけれど、あまりの避けっぷりに、読んでいてこっちが滅入るほど。

そこでまゆの心がボッキリ折れてしまい、何をしてももうダメなんじゃないかと悲嘆に暮れます。

 

ある意味これもSF?的な作品。あるいはメタ的というか。

そもそもぼくらが見ている「佐久間まゆ」ってなんなんだろう。

少なくとも、ぼくが見ている「佐久間まゆ」と、あなたが見ている「佐久間まゆ」は、違う。

そして、この作品が描く「佐久間まゆ」も、違う。

 

二回読むと、色々見えてくると思います。

ある意味、「二次創作とはなんなのか」という大きな問いまで引っ掛けてくるマンガ。

 

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キュートビリビリ/安部愛コさん『魚が花に嗤う夜』

ほんとこの作家さんは、「女であることの不安」を描くのが毎回うまい。

多分ぼくが逆立ちしても、絶対出てこない、「女性」の思考がゴリゴリに塗りこまれている。

 

主役になっているのは、新田美波

この子もゲームとアニメで、もう真っ逆さまなんじゃないのってくらい変わりましたね!

だって、ゲームで初めて新田美波を見たファンのつけたアダ名、歩くセックスでしたからね。

それがいまや、ラブライカで純白ですよ。

 

この作者は、両方が「新田美波」の側面であるとして描いています。

序盤から新田美波がゴムなしセックスの最中。

彼女自身がこの行為を、恋愛でも性欲でもなく、承認欲求だとわかっているのが、ものすごく辛い。

 

承認欲求に苦しんで性に転んだ子って、結局は他のところでも承認欲求で悩まされるわけですよ。

彼女が嫉妬してしまうのは、城ヶ崎美嘉。カリスマアイドル。みんなに頼られる存在。

自分はプロジェクトのリーダー。頑張っているし、美嘉は助けてくれる。

それが悔しい。負けた気になる。

 

この承認欲求への依存がどこから来たのか、という過去話がぎょっとする。

かつて高校時代……ああっここは、ここは読んで!

ただ、ほんのちょっとしたことで相対的に他人からの評価はかわり、承認欲求は満たされる。

たとえそれが、歪んだ行動でも。

 

そのかわり、歪んだ足場の上の承認欲求は、越された時に失われるのも早い。

抜け出すヒントを与えてくれたのは、アーニャ

これもまた、視点をちょっと変えだけのこと。その「ちょっと」が大きい。

 

この作者さんのマンガは、割りとキャラクターがきつい出来事に出会い、きつい行動をすることが多いので、読んでいて重たいのは事実。

それって、キャラクターに血が通って、一人の人間になっているってことなんだよね。

 

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他にもたくさんたくさんシンデレラガールズ本・ミリオンライブ本ありました。

買ってる暇はありませんでした!(売り子だったし!

委託を漁りまくろうと思います。

少なくとも、こういう本に出会えて、ぼくは幸せでした。

 

 

 

 

 

 

終わり。

2015-07-31

[]シンデレラたちの制服な一年! 2015夏コミ「女子制服カレンダー」

夏コミ参加します!

 

(イラスト:イサキウタ)

「女子制服カレンダー きせつのなかのアイドルさん」です!

 

「アイドルマスターシンデレラガールズ」のキャラクターが、学校制服で一年を過ごします。

すべて実際にある学校の制服です。詳細な解説入り。

頒布場所は日曜日 東地区 "ヨ" ブロック 11b「たまご酔拳です。

 

 

その他、

・女子制服の着方

・ガールズたちの通信簿

・マンガ

・壁新聞

などなど、てんこ盛りの内容でお送りいたします。

 

詳細は追って告知いたします。

 

場所は日曜日 東地区 "ヨ" ブロック 11b「たまご酔拳」です。

よろしくお願いします!!

 

2015-07-12 私立リリアン女学園日記

[][]終わらない日常はだいたい嘘で出来ている

がっこうぐらし! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

がっこうぐらし!』が始まり、わーっ!という展開に驚かれている人も多……。

多くないよなー。だよねー。

原作あるし、みんな怪しい怪しいって煽ってるし。構えて見ちゃうよね。

 

ぼくは原作の『がっこうぐらし!』が本当に傑作だと思っていて。

それは「虚構」だから。

実は「虚構でした」じゃなく、「虚構」ありきではじまって、みんながその虚構にすがっていくことで、活路を開いていく。

しかもその上、虚構を崩さぬまま卒業式をちゃんと迎える。(5巻)

あそこまで行ったら、もう「虚構」じゃなくなるんだよ。

(ちなみに「がっこうぐらし!」はコミックスとアニメが全然違うので油断できない。太郎丸があんなに出番が多いのと、みーくんとめぐねえが一緒にいるのは既におかしい)

 

●ウソの上に成り立っている「キルミーベイベー」●

キルミーベイベー (7) (まんがタイムKRコミックス)

ここで思い出すのは、『キルミーベイベー』。

これも虚構の上に成り立つマンガです。

 

一巻。

メインはやすなとソーニャとあぎりの3人しか出てこないという、とんでもなく人数を絞りに絞ったマンガ。

もっといえば、必ず出るのはやすなとソーニャしかいない。

その二人の間で、隠し事がある。

 

やすなとソーニャのバランスを改めて考えてみます。

基本的に、ソーニャは別に誰かと関わりたいわけじゃない。

むしろソロで動いたほうが殺し屋としては動きやすい。

ところが、やすながソーニャのことを気に入ってべったりくっついてくる。

振り払えず、気づいたら腐れ縁みたいになって、思わず構ってしまっている。

 

好きだなーこういうやりとり。

ツッコミしてくれるのわかっている人間のボケ方です。

 

で、気づく。

ああそうか、ソーニャには「やすなの知らない、知り合い」がいるんだ。

組織っていう知り合い。

 

やすなは?

やすなに友達はいるんだろうか?

いるのかもしれない。少なくともこのマンガでは描かれない。

 

ソーニャはやすなのことをある程度知っている。

だけど、やすなはソーニャのことを、ほとんど知らない。

 

●あの子はソーニャのことをまだ何も知らない●

元するめ工場にいった時の話。コラでも2次創作でもなく、本物。

ホラー回だということもあって、おかしな存在が登場したり、オチがバッドエンドだったりと、ある意味キルミーらしい回でしたが、狂気度は今まででダントツに高かった気がします。

 

問題は、上のコマを見た時のやすなの感情。

誰が死んでようとショックは受けると思う。

友人が死んでたら、そりゃショックも受けるだろう。

ただ、これが「オチがある」と楽観視しづらい。

なぜなら、ソーニャは殺し屋であり、いつ殺すか、殺されるか、分からない、ありえるから。

 

昨日、ソーニャに手を振って帰った。

次の日の朝、ソーニャは学校に来なかった。

先生は「急な用事で転校」と言っていた。

やすなが見たソーニャの机には、物一つ残っていない。

 

そんな日が来る可能性は、やすなだってわかっているはず。

だから殺し屋をやめさせようとしているんだし(最近やめさせてないな?)。

 

ただ、やすなとソーニャの日々は、安定していけばいくほど、ソーニャの「虚構」がやすなの「現実」にすり替わっていく。

やすなは、ソーニャのことを何も知らない。

でも、多分だけど。

「知らない」ことは、やすなは「知っている」。

 

●「普通」なんてそもそもない●

何度か紹介している「キルミーベイベー ファンブックアンソロジー」より、今井哲也版キルミー。

ソーニャ側の心理が描かれることは本編ではほぼありません。

だって、それは全部「言ってはいけないこと」だから。

 

やすなとソーニャの暮らす日常は、一見普通に見えます。

でも普通ってなによ。

ソーニャの「普通」は、毎日人を殺すこと。

それは他の人にとって「普通」ではない。

 

人を殺すことはギャグとして描かれる「キルミーベイベー」。

ただ、慣れてはいても、好んではいないんじゃないかな。

 

例えば。

親友と話している時に、相手が嫌いだとわかっている話題は、避けると思う。

それが思いやりだから。仮に軽いウソみたいになっても、いわゆる「方便」。

他にも「聞かれないから言わない」こともある。ウソではない。

でも「内緒」ではある。

 

ソーニャも同じ。わざわざいう必要がないというのもある。

しかしそれ以上に「言ってはいけない」から人殺しの話題は避けている。

それはウソだ。ウソをいうのも仕事だ。

ソーニャがやすなに聞かれないから言わないことは山ほどある。

ただの「内緒」だ。言ったら、もしかしたらソーニャのみならずやすなに被害がいくかもしれない。

 

ソーニャとやすなの日々が保たれるには、「虚構」の「普通」を用意しなければいけない。

 

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近藤るるるの「アリョーシャ!」を思い出します。

アリョーシャ! 01 (ヤングキングコミックス)

彼女も暗殺者。隠して生きています。

とはいっても彼女の使命は「普通(この普通はマスの人間が過ごす普通)の学校生活」を送ること。

しかし狙われる。だから、殺す。それを、他の子は知らない。

 

ここまでくると、吉良吉影とかも「虚構」をもってして静かに暮らしている人間。

吉良吉影が罪だと言って滅せられねばならないのなら、ソーニャもいつか滅せられるんだろうか?

 

殺人というとどうしても大きな話になっちゃうけどね。

でも多くの人が、自分の全てをさらけ出して生きているわけじゃない。

人によって使い分けたり、秘して棺桶まで持っていく思いを抱いていたり。

 

どこかで「虚構」を持つことで、日常は静かに続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

2015-06-14 私立リリアン女学園日記

[]リアルとファンタジーのバランス調整の取り方を、『あの花』から学んでみる

先日は「よもやま語りラジオ『なまたまご。』」聞いてくださった方ありがとうございました。

テーマは『あの花』でした。改めて「岡田麿里祭り」だったなあと感じました。

 

さて、アニメやマンガでは「ここからここまでがリアル・ここからはファンタジー」という線引がだいたいあります。

100%ファンタジー(空想・妄想)というのもあるけどね。

リアルなものを作りたい場合、1割くらい現実的な感覚を喚起させるものを入れると、生々しくなります。

たとえば、「血が出た」という描写で、どばーっと出ているだけならファンタジー寄せ。針が指に食い込んでぷちゅっと血が出る瞬間を描いたら、リアル寄せ。

表現の細かさのみならず、感覚(五感)にくるか否か。

あと、表現が現実かどうかだけではなく、「その世界」において正しいか否か。

 

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2011年に放送された『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は、長井龍雪・岡田麿里・田中将賀の『とらドラ!』チームが作ったアニメ。

岡田麿里さんが、人間の「生」のリアルの入れ方のバランスがうまい。人によっては「どぎつい」「シモネタっぽい」という方もいるようです。でもそれは、生々しいって感じるからなんだよねえ。

『とらドラ!』も女の子がどろりとした感情を抱え込み、時に殴り合う、生々しい作品でした。あれはジュブナイルだった。

 

とはいえ、絵がヤスさんでかわいいので、やっぱり「アニメ」ファン向け。

じゃあ「あの花」は? というと、やっぱり作っている対象は「アニメファン」だったようです。

 

今でこそ、オタク・ヤンキー・サブカルが融合している時代です。

『あの花』はアニメを普段見ない層が最初に触れる作品として、よく使われます。

つうても、映画見に行った時はカップル数人、あとオタク、って感じだったけど(初回だったからかな

 

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『あの花』の劇場版で、ぼくが感心したのは、ミニスカートのあなるが、しゃがんだときにスッとパンツ見えないように隠すシーン。

じんたんと二人しかいないし、角度的には見えないけど。

その仕草をとることで「あなるならやるよね!」というリアリティを共有した感覚に陥りました。

実際はしらんよ。でも「この世界におけるリアル」であり「あなるというキャラクター」がそれなんですよ。

こういうのって、細くてもやたら印象に残る。そういうのが多い『あの花』。

 

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たとえばゆきあつの女装の話。

どうしてもギャグにされがちな彼のこのシーンです。でも響く人にはゴリゴリ響くと思うのよ。

なんといっても、彼めんまワンピースにするために、

つるこを買い物に行く時連れて行って、「彼女のため」とか言ってワンピを探していた。

 バレるだろそれ。でもここで言い訳するのが、ゆきあつのキャラを象徴づけています。

 マラソンが「めんまのこと忘れるための枷」みたいな言い訳だったのと同じ。

・めんまの服を着る時はすね毛を剃っている

 涙ぐましい努力すぎる。

 別に「すね毛剃り」の情報なんていらんわけですよ、ストーリー的には。

 けれどこの情報がはいったことで、彼は生身の高校生であり、やるなら完璧派。

 没入して何も見えなくなって迷走している、というリアリティが出ました。

 

じんたんのひきこもり描写もそうですね。うまく調節されている。

放映当初は、人前でしゃべれなくなっちゃうじんたんの表現に、生々しすぎると多くの声があがったものです。

しかし、今あらためて見ると、「引きこもりって、もっと引きこもるよね?」という気がする。

部屋の中もこざっぱりしてるし、一応昼間に買い物に行くし。

 

また、学校に行くことに関しても「すぐには毎日は行けない」「だいぶ慣れてきてもたまに休む」のような絶妙なあたりで調節。

単語に引っ張られた「引きこもり」のテンプレートには乗っかっていません。

「じんたんの精神状態がどのくらいだから、このくらいならできるだろう」という描写。

 

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性の描写バランスはさらに気を使うところでしょうね。

あなるが、援交おじさんに迫られるシーン。

いやあ、ここは攻めに攻めてました。

でもこの援交おじさん慣れてるのかなあ?「真っ黒なんでしょ」とか言って女の子ついてこないやろ。

あ、そうか。あんま慣れてないから誘い方下手だし、ゆきあつきたあとショボショボ帰っていったのか。

彼が何も出来ないままヒョコヒョコ、カラオケに戻るか、家に帰るか考えているシーンを頭に浮かべるとちょっと面白い。

 

そもそも「ラブホテル」自体が、あまりアニメに出てこないというか、タブー視されているとこはあります。

俺妹」みたいな入り方はマレです。

ラブホ自体は、じんたんの「ラブホ顔」発言で、否定はしていない。ここは重要。性的な場所がNGなわけではない。

問題なのは「援交」という行為で、それを象徴する場所としてここではラブホを出さねばいけなかった。

 

じんたんやあなるたちの「秘密基地」の真逆だったんだろうと思います。

「ラブホ」は生々しかった。

「秘密基地」はファンタジー化しつつある。

 

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めんまのキャラクターデザインは、初期は今とずいぶん違うものでした。

アニメスタイルより。

右が、めんまの初期デザインなんですが……これは「少女」だ。少女している。

赤です赤。赤がまずい。エロい。生きているものの色だ。

 

「めんま」というキャラクターはわりと学生がリアルに描かれたあの世界において、お前本当に高校生レベルなのっていう妖精みたいな立ち位置になっています。

幽霊だからとはいえ、幼すぎる。

たとえばこのシーン。

現状の絵だと、めんまが子供のようなので、それほどエロティックではありません。

しかし先程の赤スカートの頭身高いめんまだったら、やべえっすよ。

ワンピースじゃなく、スカートは重めで足が隠れているってのもまたね。

 

岡田麿里さんや田中将賀さんとしては「耐え難いエロス」はアニメ表現でカットしたそうです。

たとえばあなるのビッチ風スタイル。一話ではビッチめいていましたが、二話であっというまにデレた。昔のあなるになった。あれが限界。もっと引っ張ると別の作品になっちゃう。

でも生きている限りエロスはある。そこで「無邪気なエロス」にシフト。

こどもっぽいめんまのはだしや、ぱんつ隠すあなるなどの表現にスライドさせて、リアル(こちらの世界で捉えられる生々しさの方)からうまく乖離させています。

 

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……という話をラジオではしていました。

どの作品でも「どこにリアリティラインをおくか」「そこからどのくらいキャラの位置を調整するか」は行っています。

現実味のあるドラマの方が、その調節は微妙なバランスを有する、んじゃないかなあ。現実そのものを模写するんじゃだめなんだよ。アニメにしないと。

 

たとえば『響け!ユーフォニアム』は、リアルよりドラマ。音はかなり生々しい方向に振り切って(下手は下手、という演奏)、キャラはみどりちゃんたちを軸にして基本アニメっぽくしつつ、ヒロイン久美子に時折毒を垂らして味を出している。すごくうまい。

一方『SHOW BY ROCK』は何もかも「むこうの世界のルール」で動いているので、基本生々しさはない。しかし向こうの世界のルール内での「音楽の上手い・下手」の表現はかなりユニーク。現実味として、ロム兄さんが社会人で働いている、というエッセンス山椒みたいな乗せ方なのですごく好きです。

 

最近はリアリティのバランスがパッと見ても分かりやすくなってきているので、あえて古い作品で、どこまでがファンタジーで、どこにリアルを潜ませているのか、あるいはリアルを隠すことで読者・視聴者をどうだましているのか、探してみたら面白そうです。

 

 

 

 

 

 

終わり

2015-05-25 私立リリアン女学園日記

[]「作る覚悟」と「消費する覚悟」。『げんしけん』初代が描いていた、2つの分かれ目

先日はよもやま語りラジオ『なまたまご。』#03「げんしけん(初代)」聞いてくださった方ありがとうございました。

 

げんしけん(1)

二代目はともかく、初代の頃はブログでの論戦さが大変盛んで、ぼくなんか今更アレコレ言うことはこれっぽっちもないわけですが。

ただ、二代目とテーマを異にする『げんしけん』初代。改めてもう一度見ておきたい。

時代や「オタク」の語のあり方は変わっても、生き方は変わらないわけだから。

 

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ラジオで題材にしたのは「消費者クリエイター」の話です。

具体的に言うと。

 

消費者→斑目、くがぴー、くっちー

クリエイター→コーサカ、笹原、荻上、田中、大野

 

大野さんはどっちかなあと思いつつも、コスプレは表現だと思うので、こちらで。

コーサカ、笹原、荻上、田中は、ものづくりを仕事にしてしまっていますね。

 

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今回比較したいのは、漫画家になるためしがみついて「クリエイターになる覚悟を決めた荻上」と、斑目……じゃなくて、「すっぱりやめて就職し、消費者になったくがぴーの覚悟」

 

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はじまりは、げんしけんが「くじびきアンバランス」の同人誌を作って、コミフェス(コミケみたいの)に出ると決めた時でした。

この時点での荻上とくがぴーの「活動」を比べます。

 

荻上→絵が描ける。そこそこうまい。ただしマンガ類はそこまでガチで描いていない。漫研で騒動を起こし、逃げ出している。

くがぴー→絵が描ける。そこそこうまい。ただし自分の実力を理解していて、趣味の範囲に留めようと考えている。

 

程度の差はあれ、両者実はここではあんまり変わらない。

まあ荻上は家でシャカシャカ描いたり、落書きしたりの時間長いです。その分「上手い」かもしれない。でも「マンガの上達」はしていない。

くがぴーは完全に趣味書き。落書き。そこから「完成」させないので、上手いうまくないの判定にそもそも入りません。

 

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よくある、合同誌空中分解寸前問題。

あるよね。大人になるとさらによくある。

まとめ役が胃をいためても、作家が逃げ出すことは多々ある。

逆にまとめ役が逃げ出すこともある。

 

くがぴーはこの時点で、はっきりと「だから就職活動してる」と、絵を描かない、マンガを描かない宣言をしています。

同人誌を「やろう」と決めた後に、この言い分はズルいのは百も承知です。

ただ、実際に動いた時に彼は悟りました。

「できない」

忙しい。作れない。

自分は、絵を描くのは好きだけど。

漫画家にはなれない。

 

笹原の言い分は全くもって仰るとおりだけど、ちょっときついよね。

 

この問題は、じゃあくがぴーが謝れば済むのかとか、笹原が妥協すればいいのかとか、そういう問題じゃない。

咲ちゃんの制裁で本自体はできました。

そして、くがぴーは趣味も含めて、クリエイターの道を「歩まない」という覚悟が、この瞬間に完全に決まりました。

 

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一方、荻上。

彼女は、4年生じゃないということだけじゃなく、初めての同人誌に情熱を傾けて、本気の「マンガ」を描きました。

だからこそ、彼女は空中分解しそうになった時。

荻上には、泣く権利があった。

「女の涙はずるい」とかそんな問題じゃないんだよ。

彼女は、「クリエイター」として一歩ちゃんと踏み出しているんです、すでに。

それは完成させたから

だから、「完成」させた覚悟を踏みにじられようとしている今、彼女は泣いていい。

この涙は、ただの感情の昂ぶりではない。荻上が「ものを作りたい」「完成させたい」という渇望の現れ。

ただし、まだ「覚悟」までいっていません。

 

「覚悟」の一歩手前にあったのが、トラウマ問題と、自分の心の壁でした。

「表現する」ということは、自分をさらけ出すことです。

(表現活動の全てではないですよ)

荻上は極度に自己肯定力の低い子です。

絵とマンガへの自信はちょっとあるとは思う(だから笹原とケンカする)。

ただ「自分」を表現すること、好きなモノを好きだということに、極度に怯える。

だけど彼女は、嫌われ、叩かれ、潰され、消されても、やめない。

やめられない。

荻上千佳は、気づかないうちに「クリエイター」になる覚悟を決めていました。

 

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「消費者になる覚悟」

「クリエイターになる覚悟」

どちらも、大きな決断です。

絵を描くのが好きで、吃音気味のくがぴー。彼は医療機器メーカーで、よりにもよって営業に回されました。

楽しいわけはない。仕事だ。

もちろんオタク趣味はやめない。好きなモノを買うために、働く。

よくぞ決意したと思いますよ。半端にならなかった。

 

荻上も同様に、半端にはならなかった。

というかなれない体質だった。好きで、描きたくて、止められない。

ぼくは、天性の才能なんて言葉はあんまり信じません。

ただ、天性の「好き」は、呪いのようにあると思う。

 

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二代目の子たちは、明るく楽しく、初代のよどみがほとんどありません。

けれど、波戸くんが卒業し、「クリエイター(女装家として生きる表現者)」になるか、消費者としてたまに遊ぶ程度に留めるのかは、いつか決めないといけない。

 

同人誌も同じです。

同人誌を作り続けている人は、クリエイター。

クリエイターとしてどこまで同人誌を作り続けるんだろうか。

コスプレも同様。

大野さんは「コスプレ」という作品のクリエイターとして、いつまで続けるのだろうか。

コンプレックス・エイジ(4) (モーニング KC)

こっちの話になるよね。4巻最高に酷かった(キャラクターのドロドロが)。

 

大人になって社会人になって、どこまで「好き」を貫けるのか。

コスプレ好きが高じて、仕事にした田中は上手いところに収まったと思います。

大野さんどうするんだろう?

ぼくは「覚悟」できていない彼女が一番心配です。

田中が守ってくれると、言っているとはいえども。

 

「二代目」の話は金曜日のラジオでまたやります。

 

 

 

 

 

 

 

 

終わり。