リンダリンダリンダ/山下敦弘@吉祥寺バウスシアター

makisuke2005-08-05


吉祥寺のバウスで「リンダリンダリンダ」みてきました。まずはスゴクスゴクよかったのです。この監督の持ち味である「間」この映画でも健在でしたし。廃校になる実際の校舎を使って撮影したと聞いたんですけど、それがまた、ヨカッタな。そのまま、まんまどこを切っても学校で、長く続く廊下だとか、廊下から覗ける窓だとか、屋上だとか、体育館だとか、プールだとか、存分に懐かしがらせて貰うことが出来ました。そして生活臭って言うのかな?彼女達の暮らしぶりが(少ししか映らないのに)よく出ていて、嬉しくなってしまいました。携帯電話なんてなかったけれど、私の高校時代みたいだったな。なんて。電話線引っ張ってコソコソ電話してみたり、兄弟達がぞろぞろいる部屋でベースの練習していたり、友達と話しているとおばあちゃんが通り掛かって「上がってもらいなー」って言われちゃったり。そういう細かな書き込みが、この映画を人懐っこく肉感的にしてくれたのだと、思うのですね。

バンドのメンバーを演じる四人のキャラクターもそれぞれよい(クールだけどちょっと料理の味付けは濃いベースのあの子も、練習サボるけど可愛いドラムのあの子も、気分屋で短気だけど優しいギターのあの子も)のだけど、韓国からの留学生、ソンさん役のペ・ドゥナがとにかくよかったな。私の涙の幾分かは彼女に誘われたようにも思う。所在なげな彼女にうっすら貼り付いてる心細さやさみしさや。ブルーハーツを聞いて泣いちゃうトコロとか。人といること触れ合うことが実は嬉しくてたまらなそうなトコロとか。「ガンバッテもイイデスカ?」というストレートさや。緊張して高鳴っていく息遣いだとかに、私はたくさん同調しました。

この映画、決して決して泣くような作りではないと思うんですけど、私はもう最初っからダメで。泣けて泣けて仕方ありませんでした*1。映画の中に登場する彼女達や文化祭や風景や出来事が、私のそれと重なるというわけではないのに、不思議に懐かしくって、確実に「ある」ように思えたし。その「ある」ものが「あり続けない」ってことも、ナゼだかひしひし伝わってきて、それだけでもう、胸がいっぱいで。限られた時間の中を生きている人を眺めるのは、いつでも少し残酷で、彼女達がどこにも行けないような何にもなれないような。そんな風に思えて。一生涯この映画の中に閉じこめられて「青春」という季節に囚われ続けなくっちゃならないような。そしてそれが酷く羨ましくも思えてきてしまって。私の涙はそんな嫉妬の涙でもあるのかもしれないな。とか。とにかく映画の中で彼女達はよくよくよく眠るのだけれど、映画を見ている私も、何処までが眠ってみる夢なのか、夢から覚めて見る夢なのか、だんだん分からなくなってきて。分からなくなってしまいたくなって。この見終わっての気持ちはナンダロウ?淋しいような取り返しがつかないような満足のような足りないような、、、んー、上手く言えないけど。「終わらない歌」を歌う彼女達の歌は、きっと終わらない。「ある」ものは「あり続けない」けれど、この歌は終わらない。ゾンビのように、行く度も蘇って蘇って、ワタシの中で終わるということを知らないままに、死んでいくのだ*2

*1:もちろんおんなじ位笑わせられたけど、カラオケ屋さんのシーンとか、ソンちゃんが告白されるシーンとか、笑って笑って笑ったくせに、ナゼか切なくなったし

*2:追伸、映画「犬猫」のテーマも歌っていた湯川潮音ちゃん。ちょっと出ていて芝居も可愛かったけど、映画の中で歌ってくれた、その声やっぱりとってもヨカッタ。この人のアルバム買ってこよう!

コロッケ祭り


ミュージックステーションにこっこ。久し振りのこっこちゃんでした。裸足で歌う緊張気味の彼女は、昔のまんまの印象でした。バックのコーラスもキレイだったな。夕ごはんはコロッケ祭り。肉じゃがコロッケと南瓜のクリームチーズ入りコロッケを作る。さくさくとパン粉付けしてじゃあじやあ揚げた。千切りキャベツに屋上から取ってきたパセリとトマトを添えました。ド迫力の大きさと数。コロッケをつまみにAさんはビール。私はごはんと漬物。後は何にも作らなかった。リンダリンダリンダの感想書いていたので。ねこは伸びきったまま。ゴロゴロしている。今日は行きつけの本屋さんで「きょうの猫村さん」予約してきました。なんどもタイトルを聞き直されたので、何度も猫村さん猫村さんを連発した。猫村さん待ってます。