ビートたけしが立川談志の逝去の報に接して語ったこと。
私は、あまり立川談志さんのことを知りません。
その一番メディアで活躍した時代を知りませんし、落語についても、最近、尾瀬あきらの「どうらく息子」という落語マンガを読んで得ている知識くらいしかない門外漢だからです。
知っているのは、ビートたけし(北野武)さんが、もっとも影響を受けた内の一人である、ということや、爆笑問題の太田光さんが、ビートたけしさんに対するのと同じくらい影響を受け敬愛していたということくらいです。
他にも、ダンカンさんがかつて談志さんの弟子で隣家の植木を盗んで云々という逸話や、思想家・西部邁さんが「もっとも尊敬している人」に談志さんを挙げているとか、時折ワイドショーを賑わしていた(この時は既にいわゆる芸能マスコミでは奇行や危ない発言をする人、というような扱いでした)とか、笑点の初代司会者であり企画者であったことくらいは踏まえていますが、「天才落語家」立川談志としての実像を押さえていたとはとても言えません。
だから、談志さんが亡くなったと聞いたときも、「ああ、亡くなってしまったか。たけしさんや太田さんは悲しんでいるだろうなあ」という受けとめ方でした。
そんな談志さんの逝去を受けて、11/26放送のTBS「情報7daysニュースキャスター」でたけしさんが談志さんのことを語っていました。
談志さんの過去のVTRや、たけしさんについて語っている談志さんの発言(去年の末:「随分長いこと会ってないから顔忘れちゃったよ」「たけしの野郎に130いくら貸しがある。領収書(ママ)ある」「なんでもいいよ、生きてりゃ」「元気に頑張って銭稼いどけ。稼いだ銭、太田にでもやっとけ」等々)が流れた後、カメラがスタジオに戻ると、たけしさんの顔は真っ赤で、目に涙を溜めて、しばし涙を堪えているようでした。
やっぱねえ、談志さん、さっきの、その前のビデオで結構ホントのこと言ったよね。弱気で、とか。あれ、ホントだでえ。んで、この人にねえ、談志さんに頭、俺上がらないのはね、ツービートの頃ね、この人照れ屋だけど、ホントに褒めてくれたのよ。んで「お前ら、売れる」って言ってくれたの。だから、それ以来、俺頭上がらないんだけど、あの130万っていうのはね、俺、稽古代払ってないっていう、落語の稽古代(笑)。だから、俺、稽古ね、俺、一回もつけて(もらって)ないんだけど、本人つけたって言い出してね。毎月十万円だって言われて130万溜まったって言われて(笑)。それで随分怒られて(笑)。
でもね、本人はいらいらしてると思うんだ。自分の落語の世界の立川談志というものを、社会がどういう認識でいるのかっていうことに対してはね、いらついてると思う。だから、志ん生、文楽にはかなわねえって、現代でかなうわけねえだろっていうのは、確かに本人も思ってるんだよね。それで、その談志さんの時代が、時代自体が、古典落語に合う時代でもないっていうのが不幸のはじまりだと思うね。だから本人はすごいいらついていて。で、確かにみんな天才っていうけど、天才から今度は奇才(扱い)になってるね。だから、もの凄い人なんだけど、やっぱり、その、「立川談志をやらせてくれる」時代ではなかったような気がする。それぐらい、この、飛び抜けてんだけどね。
まだまだ語り足りないようでしたが、時間が短かったです。もっと話を聞きたかった……。
ツービートと当時人気絶頂だったセントルイスの漫才の競演の際に、「比べものにならない。ツービートの勝ちだ」と談志さんが言い切ったという逸話は有名です。
上の「随分長いこと会ってない」には、その後があって、爆笑問題のラジオに立川談志さんが出た時、語っていた内容によると、太田光さんが、たけしさんに「談志さんがこの頃、病気で元気がないから、元気付けてあげてくださいよ」とたけしを誘い、太田光さん、たけしさん、そして、談志さんと3人で和気藹々と食事をしたらしいです。それで、談志さんが色紙に放送禁止四文字マークの絵を描いて、その下に、3人でサインをしたものを家宝にして太田光さんが持っているということでした。
遅ればせながら、立川談志さんのご冥福をお祈りいたします。
こうして、時が流れ、ひとりひとり、時代の寵児が消えていく……。
【追記】