絵のない自画像-3

それは、密やかに進行していた。

ビル・ゲイツの読み方気の遠くなるほどの時をかけて、巨大な大陸が漂流したように、このとき地殻変動が、徐々にしかし確実に進行していたといえよう。
そう。まさにMS-DOSの登場前夜であった。
グリーンサイクルのマリオが卒業した翌年、1981年。DOSはその全貌を現した。抜き身のバージョン1.0である。その誕生の日を「DOS記念日」としたMS.ビル・ゲイツは、和歌を詠んで赤飯を炊き祝ったという。(彼の名誉のためにも念を押しておくが、ビルはSMでもゲイでも決してない。このことは、誰もが知るところであろう)
しかし、当時、浅草でヤクザ映画ばかり観ていたマリオにとって、ドスはその筋の人たちが、親にもらった大切な小指を短くするときに必要な小道具、ぐらいの認識しかなかった。あくまでもコンピュータは、フォートランがベーシックであり、ドスなどは自分からはほど遠い暗黒の世界のお話でしかなかった。暗黒はしかし徐々にその触手を伸ばし、マリオの世界へと侵蝕を始めていた。田舎育ちの純朴さを失っていなかったマリオには想像もつかない絵空事でしかなかった。先を急ごう。

仮の宿

平仮名の映画会社「にっかつ」の助監督(助監)試験を蹴ったマリオは、なぜか東京の23区のはずれ、練馬区大泉にあった東映の撮影所内を走り回っていた。腰には、大工さんが使う布製の袋をさげ、中に軍手とチョークとカチンコを入れていた。なぜか丸めた台本は、ジーパン(注:ジーンズのこと)の尻ポケットに無造作に見えるように突っ込んでもいた。
そう。マリオは試験も受けず、東映大泉でフリーの助監となったのだった。ここに至る経緯を語り出すと、またまた脱線しそうなので、いまは、さらりと「酒の縁」とだけ謎をかけておこう。もしも、どうしても知りたい、そういう映画界を目指す青年がいらっしゃったら、酒の肴に語り明かしてもいい。
それにしても、にっかつでは助監試験に落ちたのに、東映ではフリーとはいえ、助監の仕事にありつけるということは、そのまま、にっかつと東映のブランドの差を表してるといえるのかもしれないが、それは、口が裂けてもいえなかった。
このころ、じつは、予備校や私立中学で理科や数学を教えるという今思うと冷や汗が出るような詐欺行為にもあたるようなことも一方でしでかしていた。世を忍ぶ仮の姿と言うほかない。
ところで、理科系の学部を人よりじっくりと時間をかけ卒業した世間知らずの田舎出マリオにとって、カチンコというものがナンのために必要なのかも、じつは解っていなかった。監督の「よーいスタート」を合図に、カメラが回る。数秒たって、カメラが定速で回り始めたときに、カチンコを鳴らす。撮影が終わってフィルムを編集するときに、このカチンコの鳴る瞬間で、フィルムと音声テープをシンクロナイズさせるのだ。別にだからといってみんなでウォーターボーイズをする必要はない。
このカチンコの「カチン!」の瞬間が、まさにスタートなのである。その音を聞いて、初めて俳優は芝居をするのだ。監督は、その前段階のかけ声をかけるに過ぎない。キャメラマンにも癖があるようで、監督の「よーい…」で、フィルムをスタートさせる人もいたし、「スタート」を聞いてから、回す人もいたようだ。とにかく、監督の「スタート」の声を聞いてから、落ち着いて鳴らせばいい。ただ、あまりに時間をおくと、高価なフィルムがカラカラと音を立てて無駄に回ってしまう。
ところが田舎育ちで貧乏性のマリオは、監督のスタートの大声でびっくりしてしまい、即座にカチンとならしてしまうのだった。高価なフィルムの消費を抑えようと考えていたともいえる。すると、キャメラマンが「まだ回ってないぞ」と怒鳴る。録音技師も、にやりと首を横に振る。「やりなおし」その目が言っていた。
仕方なく、一同最初の位置について、もう一度、ということになる。俳優に同じことをもう一度やってもらうことになる。このとき、助監督マリオが現場の中心だったといえる。言ってみれば、マリオがダメ出ししたことと言い換えることもできるのだった。それにしても、情けないことではあったことだなぁ、いとあはれ。
ストーリーが大詰めを迎え、盛り上がってくると、女優さんのドアップから始まることが多くなる。例えば、目に涙をいっぱいにためて、今にもこぼさんばかりで準備していたりするのだ。カメラがねらっているのは、画面いっぱいの女優さんの顔だ。そんなときには、女優さんの顔のすぐそばにカチンコを構えて、軽くカチンと鳴らさないといけない。チョークの粉が舞い散らないようによくよく落として、顔のすぐそばで待機する。集音マイクもすぐそばにぶら下がっている。もしかして、マリオの鼻息をマイクが拾っているかもしれない、いやきっと盗聴しているに違いない。だから、カチン、と小さな音でいいのだ。大きな音をたててしまうと、女優さんの涙だって引っ込んじゃうかもしれないのだ。
ここまで女優さんの顔に近づくと、なんだか他人とは思えなくなる。長い黒々としたまつげを見つめていると、カチンコで挟んでしまいそうな、恐怖心が押し寄せてくる。いや、いっそ、挟んでしまいたくなるのが不思議だった。
それにしても、綺麗だなぁ。あ、こんなところに、ほくろだ。へー。これが、カラスの足跡ってヤツかな? はー・・・。
嗚呼、息がかかったぞ・・・。あ、目が合っちゃった。まずい、硬直して、手が震えだしちゃった。監督、早く、スタートしてくれないかなぁ。
「よーい。スタート」。きた! 静かに、スマートに鳴らすんだ。
「スカッ」
あれ? 焦っていて、カチンコがかみ合わず音が出なかったのだ。とほほほほ。
こんな失敗、いくらでもあげられるが、全部打ち込んでいたら腱鞘炎になってしまいそうなので、これで打ち止めとしたい。
「おつかれさま」
初日の撮影がこうして無事終わる頃だった。製作のお偉いさんが監督にマリオのことをなにやら言っていた。もしかして、褒めてくれるのかな?ん?「使えない」え? ドキッ。まずい、クビか? たった1日で。
監督がひと言いってくれた。

誰も最初からできるやつはいなかった

このひと言でマリオは救われたのだった。この監督、現在も2時間ドラマの巨匠として、ご健在である。火曜サスペンスなどで女優を撮らせたら右に出るものはいないだろう。いまも、ラテ欄でそのお名前を拝見するだけで、思わず手に力が入り、あのときの鳴らなかったカチンコを鳴らそうとするのだった。ただ・・・。撮影や録音のおじさんたちはこう言って慰めてくれた。「カチンコがうまいやつで、いい監督になったやつはいないよなぁ」。一理も二理もありそうだ。まことに、九里よりうまい十三里であることだなぁ。

ドスに出会う

マリオは時代の流れに棹さしながら漂流し続けて、ついには映画の世界からテレビの世界へと流れ着く。助監からディレクターになったのだ。たんに漢字からカタカナになっただけではない。一般には聞き慣れない言葉なので、この変化をわかりやすく言い換えてみよう。
つまり、ひと言でいうならば、

平安京の女官がヒルズのコンパニオンになった

といえば、おわかりいただけるだろうか。たいへんな変化であることに変わりはない。
それは忘れもしない、1990年4月のことだった。ある大手IT企業のビデオを作ることになった。あまりに大手なので、ビックリしないように、ここでは敢えて企業名を伏せておきたい。その大手データ通信会社からのビデオの発注内容は、こうである。
ソ*トウ*ア開*手法*社内*修*ビ*オ。(差し障りがあると困るので、一部伏せ字にした)
つまり、ソフトウェアを開発するときの手法をビデオにまとめ、社内での研修用に使いたいというのである。
ちょっと。これは、もしかして、プロのプロによるプロのためのプログラムなの? しかも、何巻にもなるというのだ。素人のマリオには無理だと思った。だが、研修用だから、教材があるという。それを台本化すればよいとも。ならば、と作ったわけである。
これは、すごかった。すさまじかった。何がなんだかわからないうちに、その翌年、なんと改訂版までこしらえる羽目になった。すごいことではあった。
その、大手IT企業も、素人のマリオに作らせるってのも、冒険であったはずだ。
この作品についてくれたAD(アシスタント・ディレクター)さんは、じつはかつてコンピュータを勉強したことがあったようだった。彼女は、驚いたことに、「バッチファイル」なんて言葉を知っていた。「へー。バッチリだね」。それ以降、彼女のマリオを見る目に尊敬と畏敬の念がかいま見えるような気がしてならなかった。世に言うオヤジギャグのハシリだった。しかし、このAD嬢、年季明けを待たずに、別の会社に行ってしまった。ゲームソフトの会社であった。もちろん、ギャラも大幅にアップしたという風の噂だった。まさに、下克上の時代だった。そういえば、マリオがついたあるチーフ助監督は、現在、とある大手ゲームソフト会社代表取締役である。目眩がしそうだ。
それはともかく。ソフトウェア開発手法の台本を書いていたとき、ついに、あの言葉と出会ったのだ。そう。まさしく、すれ違いの第2段階なのであった。

MS-DOS

ドスがついにマリオの前に立ちはだかったのだ。これを倒して乗り越えなければ、作品は完成しない。マリオは観念した。こうなれば、もろ肌脱いで、対峙するしかない。
ドスの刃紋は優美を極め妖しかった。見つめていると、心を奪われてしまうといわれていた。しかし、目を離すことは、マリオにはできなくなっていた。そのときだった。
確かに、マリオは見た。MS−DOSの隠された魔性を。それは、日本刀の刃と地金との間に煌めく「匂い」とも「にえ」ともいわれるもので、ドスのドスたる所以たるものどすぇ…。
まだ、ウインドウズのかけらもなかった時代であった。
時を同じくして、衝撃的なノートパソコンが登場した。A4ファイルサイズといわれていたが、なぜか昨今のA4ファイルサイズよりも、ずっと大きかったような気がするが、気のせいだろう。その名も、

DynaBook J3100SS 001

金もないのに、マリオの触手が妖しく蠢くのだった。
NEC全盛の時代にあって、世界標準をうたった機種である。キーボード配列も、今の英語版配列とよく似ていた。マリオは、だから今も英語はできないのに、英語版キーボードを使っている。カモのヒナのように刷り込まれてしまったのだろう。初めて使ったキーボードや仮名漢字変換の呪縛からは逃れられないのである。

いよいよ、マリオとドスとの本格的な出会いが始まるのだ。その先に、グリーンサイクルが見えてくるのだ。
それにしても、無駄に長編になるような気がしている。気のせいだといいのだが。

いよいよ全貌が現れそうな、次回をお楽しみに