3-1. 成長デフレ(Growth Deflation)

3-1. 成長デフレ(Growth Deflation)

まずは貨幣需要側から考えていこう。貨幣の需要を決める要素の一つは、売り手が市場に供給するモノやサービスの総合計である。すなわち、商品供給の総計はオーストリア経済学で言うところの、通貨に対する「交換需要(exchange demand)」となる。労働原価を含めた上で商品を売ることで、人々は対価としての貨幣を手に入れるからである。市場に対するある商品の提供が増えてくると、その商品生産に対する投資が増加したり、商品生産の技術が進歩したりして、同じ価格でより多くの生産を実現しなければならない状況が生まれてくる。これは過去の歴史を見れば明らかなことである。

結果として、貨幣供給量が一定であれば(商品価格が下落した分)ドルの価値は上昇する。商品を買う側から見ると、これはドル単位で買える商品の量が増えるということである。すなわち、消費者物価でみればデフレが起きたことになる。これは過去30年の家電製品や電卓、ビデオゲーム、パソコン、さらにはDVD等などのハイテク製品をみれば明らかなことである。急速な技術革新と、資本投入が具現化したことで、これらの業界では労働者あたりの生産性が飛躍的に増加し、製品あたりの生産原価は急低下する一方で粗利率は伸びを見せた。家電やハイテク分野の成長率はドル貨幣通貨供給の伸び率を大幅に上回っていたので、ハイテク製品の価格下落は著しいものがあった。結果として、ドルあたりのハイテク製品購買力は大きく上昇した。例えばコンピュータを見てみよう。1970年代に470万ドルもしたメインフレームの20倍も速いパソコンが今では$1000で買えるのである。(訳注: 原文は2002年に書かれている) この製品価格下落によりハイテク産業が弱まることはなかったし、むしろ力強い成長を実現したことに注意したい。80年代に出荷されたパソコンは49万台しかなかったが、99年には4300万台に伸びていたのである。ちなみに性能あたりの単価で見ると、実に90%も価格は下落していた。過去30年にわたって高成長を遂げた産業で生じたような価格デフレは前代未聞のものでもなければ、珍しい出来事でもなかった。歴史的にみても、金本位制のような商品貨幣制度の下では、資本蓄積や技術の進化に伴う製品単価下落により商品供給量が増加し、物価は継続的に下落していくのが普通であった。19世紀から第一次大戦までの工業化諸国では、古典的金本位制度における貨幣供給量よりも、産業の成長率が上回っていたために、穏やかなデフレ傾向が定着していた。アメリカでは1880年から1896年に渡って卸売物価は30%下落した。これは年率1.75%の下落に相当する。一方で実質所得は85%増加した。年率にして5%の伸びである。このデフレ傾向が止まったのは主要な戦争期間中だけである。欧州におけるナポレオン戦争や、米国における南北戦争の間、戦争に関っていた国の政府は不換紙幣の発行をせざるを得なかったのである。

経済成長過程における物価の下落や製造単価の下落が、必ずしも労働単価の下落に結びついていないことに注意しておきたい。労働力供給が一定の場合、「名目上の」賃金は変わらない。一方で、生産性の向上と、消費者物価下落に伴う労働者の購買力増かにより「実質の」賃金は上昇する。

言うまでもないが、成長デフレは経済活動と消費者の資産育成にとって良い結果をもたらす。成長デフレは、資源所有者〜資本家〜企業主と消費者の間での自然な所有権の移転がなされた結果起きる。こうして生じる貨幣の交換は、貨幣価値の自然な増加をもたらし、実質資産の育成と実質収入の増加は、人々のやる気と満足につながっていくのである。

  • 技術進化が育む物価低下が成長デフレ。
  • 成長デフレは良性。