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東京都立大学 大学祭

東京都立大正門前

なんとなく東京都立大学http://www.metro-u.ac.jp/)の大学祭に行ってみた。動機というほど強くなく、理由というほど意思もなく、強いていうなら原因だが、それらを分解すると以下。

土曜から雨が続いていて、今週末は寝て暮らすがよいかんじかなーと納得しつつも微妙に陰鬱でもあったところ、日曜の昼に起き出して窓を開けてみれば曇天まで回復しており、週末どこにも行かないのもなんだしやっぱりここいらでおでかけヒキコモラーをやってみるかと決断。最近は、腰は微妙に重いほうが弾みがつきやすいのかなと思うようになってきた。年齢と共に徐々に重くなってゆく腰と外出頻度の兼ね合いに対する、ここいらへんの自己肯定の仕方のスライドはちょっとおもしろい。

東京在住の地の利に固執するのは馬鹿らしいが、同時にそれを行使しないことにこだわりだすようでも不自然だ。意思の発動としてでなく、なんとなくてきとうにいい具合にひまをつぶす方法として、ひきこもる自力とおでかけの他力ではいろいろと環境差から印象差への落ち着きどころが違うのでその差を確かめてたのしむのもいい。

自転車で池袋駅埼京線で新宿、京王線に乗り換え。京王線に乗ったことがほとんどないことに気付いた。カバーするエリアとしては中央線ってよりは小田急線ってかんじなのか。乗換駅もあるし。ていうか以前町田まで自転車で往復したときに(2003/07/24-25 だった)この高架の下あたりたぶん通ったよなというような箇所も散見。流れていく風景を楽しむ。ああー、ビルがどんどん低くなるよー、この感覚は非常におもしろくて好きだ。東京→帰郷の感覚を短時間バーチャル体験ってかんじ。あくまでバーチャル。同じではなく、ちがう、ただちょっとどこかが似ている。この風景を前提とした精神風土の発生可能性とか、そういうことをぼんやり思いながら向かいの席のおっちゃんの毛髪が、絶望的な撤退戦のなかでも頑として戦線を維持している様子などながめてやはり人間の意思のちからはすごいと思ったりとかする、そりゃ地平の果てまで住宅地で埋まるよ。電車はすすむ。べつに空気とか人の表情とか大して変わるわけでもないのに、みるみる心が和むというか沈むというか落ち着くというかなんというか、どう書いても的確に言い当てることができない気がするのだが、のってるひとの表情がどんどんふつうになってゆくような錯覚。なにかそのひとの持ってる強さの種類が変わっていくような。六角グラフが 15 度ズレるかんじというか。こういう路線の車両内にある表情を観察すると、これは一種のタイムスケールマシンといってもいいのではないかとも思う。新宿から西へ向かう路線独特のものかもしれない。上野から東に向かう路線の感じ方はまたちょっと違う。都心から離れるわけだから群衆ごったがえす大都市感は薄まっていく。だけども帰郷とまったく同じ感覚を味わうことがないのは、住宅地が地平の果てまで延々続いているからだ。どっちにしても境目のわからないほどでかい街には違いない。どこでもかわらず人間は、人間の顔をしている。関東平野はたいらだなあ。おれは田舎山国出身だから、この景色は二重に異常だが、同時にとてもふつうだ。

着いた。都立大はかなりいい環境に見えた。新宿 40 分の静粛な田舎で、駅から徒歩数分、行きがけがショッピングモールになっており、ローカルオサレスタイル、くいもの関係ひととおり、居酒屋、映画館、イトーヨーカドー、そのほか。キャンパスはあんま広くなさそうだったけどもまあ十分(このへん地方大と比べたらいかんのかもしれない)。建物の雰囲気もいい。文句つけるところがあるとすれば駅から大学までの回廊に雨よけガイドがなかったことくらいか。そこそこ遊びつつそこそこ勉強できるかんじ。ううむ。

喫煙所に灰皿がわりの猫車が漠然と置いてあるさまなどはいかにも大学。ステージ企画がドタンバタンやってたけどもそこはスルーして屋台群へ入る。いやーどこもかしこも焼きそばとタコヤキとお好み焼きばっかりやのー。企画提出期限に余裕がなくて、あんまよそがあれやるそうだからうちはーみたいに検討できなかったのかしら。お好み焼きと焼きそばと焼きそばとお好み焼きと焼きそばと焼きそばとタコヤキとシチューを食った。あとビールのんだ。お茶と、あとなんかへんな味のする汁。うむ。おれが大学祭に求めるチープな味わいが体現されている!無数にあるくいものの質と量の黄金比のなかで、大学祭の屋台といえばこんなかんじというあれ。

あと日曜ということもあって家族連れというか付近住民のひとというか、子供が多かった。女子はそれほど見なかったけども男子はどこ行っても 3,4 人でたむろってるのが居るというかんじで、そこはもの珍しかった。おれの地元の場合、小学校とか中学校でこの時期になると「近所の○○大学が大学祭期間に入りますので、そのあいだ大学周辺はあぶないので近づかないようにしましょう」とかわりと念入りな注意とかがあったものなんだけど。地方差かな。時代差かな。どっちもかな。この大学の場合地域密着型ってことなのかもしれない。男女比もそう男側に偏差してるかんじではなさそうだし、あんまり無茶な伝統のある荒くれサークルとかもないのか。規模もそんな大きいかんじではないし。ていうかそのへんはあれかもわからんな、東京の場合大学が密集してるので、個々の大学祭はそれほど大きくならないのかも。ほかを見たことないのでなんともわからんけども。

対談&トークセッション「バックラッシュの男性学」

北田暁大氏×張學錬氏(司会:鈴木謙介氏)。

出演者のひとたちの中で北田氏というひとについて、どうも最近微妙にネットで見かける苗字かなと記憶に引っ掛かったので、そのひとがどういうしゃべりかたをするのかにちょっと興味がわいたので参加してみた。どういうことしてるひとなのかとかそういうのは微妙に知らない。微妙にというのは、あまりおれの好きな分野とは直接の縁あるようなひとでなく、しかし間接的には縁がなくもなさそうな気もするというか、おれ自身は知らないんだけどおれの友人知人にはそういう方面の話が好きなひとも居るとかそんなかんじ。

というわけで話している内容自体はぜんぜん知らないことであってよくわからなかったのだが、おもしろかった。

  • 北田氏
    • サイト:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2948/
    • あーいかにもというかんじの、あたまよさそうなおもしろしゃべりのひとで、腰のやわらかい展開が印象的だった。なんというか文化人っぽい。
    • といっても相手にあわせて対応的に振舞うということではなく、どのような話題についても相応の人格を表明しつつ見解を返すというかんじか。打てば響くの大鐘とか、相手を映す鏡とかそっち系ではなくて、わたしはこういう像なのでわたしに光を当てればこういう屈折減衰率でこのように反射して像を返しますよというデータは示しつつ、そのうえで状況に対応して自分の位置と角度を調整すれば、形状は首尾一貫しつつ反応は柔軟にできるという。そういう剛柔の運用法を感じたところに「文化人っぽい」という感想があるのかな。
  • 張氏
    • 弁護士という職業もあり問題の当事者のひとということもあってか現場的なしゃべりかたが印象的。
    • 北田氏・鈴木氏は年代も近くフィールドも近そうなところがあったけど、そこいらへんで張氏は年長でフィールドも違ったから、この場では自分のキャラクタをそのように立てたということかも。
  • 鈴木氏
    • サイト:http://www.asvattha.net/works/
    • このひともおもしろそうだったんだけど、あまり発言の機会が多くなかったので印象を取れず。
  • このセッションだと三者三様の「普段とはちがった余談をしゃべるときのスタンス」しかわからなくて、三者の「普段のしゃべり」をきちんと対比させていかないとズレた印象になってしまうのかなと思った。
  • 北田氏が(意図してのことと思うが)わりと専門語を言い換えたり噛み砕いたりして喋ってるかんじだったのに対して、鈴木氏は素でしゃべってるかんじだったのは印象か。まあこれは司会と出演者のそれぞれの立ち位置をそれぞれが配慮してのこととも取れる。と、それで思い出したが北田氏は「立ち位置系」と呼ばれているそうなのだった。なるほどよくわからないがいわんとするところはわかる呼ばれ方だなあ。

よく知らない話題なので突っ込んだ感想などは特になく、しかし流れ上の感想でいえば、時間がとにかく足りなかった。全体二時間で、最初の一時間はほぼ状況説明だけで終わってしまっていたのは残念。場としてはだから、この問題に関する余談、インターミッション、楽屋話みたいな位置づけなのかな。せっかく事情に詳しいひとや多く語れるひとが居るのにそういうひとたちにしかできない話というところまで十分踏み込む余裕が持てなかったかんじ。張氏にしても北田氏にしても、しゃべるべきことしゃべりたいことたくさんあって、ああこれはもう詰め込みつつきれいにまとめるのは無理だよなと判断したのか、文脈を区別せず流れ上でコメントできることをぶわーっと流してしゃべってたかんじ。起承転結でいうと「起」の途中で承と転と結のピースをばらまきつつ時間が押して終了というか。事情に詳しいひとならそれで問題なくついていけるんだろうけども、最初からよくわかってないひとには最後までよくわからなかったかもなあ。ていうかそれはおれだ。でもまあそれはそれでそのぶん、話題が絶対的な主人公にならず、各キャラクタの持ち味がそれぞれに表現されていたともいえて、気分や空気はよりわかりやすく感じられた。それをたのしみにいったんだからそれでよかった。逆に、よくわかりすぎて内容について深く考えこんでしまうようでもまたそれはおれがやることではないだろうと思った。