お金さえあれば安全は買える。じゃあ買えない人は?

それにつけても金の欲しさよ



震災による原発事故から2年、いまだ福島を覆う放射能の影 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで、あれから二年、であります。
福島原発事故、がん患者増の可能性低い…WHO : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
先日もWHOから「放射性物質飛散による健康被害は(大きく見積もったとしても)小さい」というような報告書が出ていて、まぁその是非はまた別に議論があるとしても、地震にしろ津波にしろ原発にしろ、そろそろ落ち着いたリスク管理の議論が出来る時期に入ってくれればなぁと。0か1か、黒か白か、ではなくてその中間を探る妥協案について。宗教的情熱に燃えた十字軍運動のように「完全排除」を目指してしまうのは、やっぱり不毛な結末にしかならないわけだし。


もちろんその恐怖感をすべて否定することは――また肯定することも出来ませんが、しかしやっぱりそれは感情である以上、やがて時間の経過によって磨耗し上書きされていく類であるわけで。実際私たちはかつて『ダイオキシン』や『環境ホルモン』などなどでも大騒ぎしていましたよね。そしてそれはまぁ現在では以下略となっているわけだし。熱狂していたあの頃。
黄砂、九州から甲信に…PM2・5も飛来の恐れ : 環境 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
そして最近新たな「恐怖」として盛り上がりをみせているのが、中国さんちからやってくる恐怖の『PM2.5と黄砂』であります。ただまぁこの迷惑な贈り物は、ここ数年来ずっと構図としては変わっていないわけで。あの二年前の西日本への大避難が叫ばれた時でさえも、揶揄混じりに「向こうは向こうで中国からの大気汚染でヤバいだろう」とも言われていた。それでも、当時は一部人びとにとっては、原発事故という劇的なイベントに際してそんなものは大したリスクではないと許容されていました。
――しかし良くも悪くも時間は経過していく。翻って現在、あの視界を遮るほどの煙った中国や、そして昨日の日本各地でもあったような「どんよりまっ黄色な空」を目の当たりにして、あちらの方がマシだと絶対の自信をもって言いきれる人はあまり居ないんじゃないでしょうか。


結局のところ、私たち人間は生きている限り何をしようとそのリスクをゼロにはできないのです。何でも解決できる銀の弾丸も、魔法の杖も、そしてドラえもんも存在しない。それでも無理矢理どこか一部をゼロにしようとすれば、必ずそれは別のどこかにしわ寄せがいくことになる。
大抵の場合、その天秤の片方に乗るのは、身も蓋もなく「お金」だったりする。完全な安全を追求すればするほどコストは跳ね上がっていく。素晴らしき等価交換でありますよね。逆説的にその「お金」さえあれば、大抵の安全は買えるという意味でもある。この世界で限りなく万能薬に近いもの。マネーすごい。安全をお金で買える人はそれでいいでしょう。
では、その支払うべき対価に乏しい人は一体どうすれば?


まぁ行き着くのはそういうお話なんですよね。お金があるならばリスク極小でもエコロジーでも環境保護でも好きにしたらいいのです。しかし一方ではほとんどの人にとってはそのお金こそがないわけで。両者の振る舞いの差を決定的に分かつのは「意識の高低」ではなく「預金残高の高低」でしかない。だからこそセレブな人たちほど、その預金残高に比例するように意識もより高く天に昇っていく。
それは多くの中間層を占めるだろう「多少の余裕」程度では全然届かない地平であります。その程度ではまだ現実の優先順位としてはかなり低くなるのが普通でしょう。もちろん長期的には合理的ではないかもしれないけれど、しかしそれを言ったら長期的には個人としての人間は皆死んでいる。最低限の衣食住だけでなく、教育や貯蓄や趣味に回す方が優先される。5年後よりも1年後を、10年後より5年後を、20年後より10年後を気にせざるをえない人びと。
でもそんな彼らを短慮だの浅薄だのと一方的に非難できるかというと、そんなことまったくありませんよね?


もちろん長期的なリスク管理環境保全はとても大事なことです。しかしやっぱりそれにはどこまでいってもお金が掛かる。そしてまぁ世の中にはそれで困っている人の方が、悲しいことに、圧倒的に、多い。
カネさえあれば――愛は買えないかもしれないけれど――安全は買える。
リスクを減らすことはもちろん大事であるけれど、しかしそれには貴重なリソースである『お金』を投入することを大前提に置くべきなのです。つまり優先順位というお話であり、そして対費用効果のお話でもある。それはお金の無い弱者を切り捨てる話ではまったくなくて、むしろお金の無い弱者達を救うためにこそ、最も効率的なところに投入すべきなのです。わざとなのか天然なのか解りませんが、なぜか全く逆の論理に辿りついている人がいっぱいいらっしゃいますけど。
リスクゼロという贅沢品を弱者保護の名の下に追求し、安全だけでなく安心をも買おうとする人びと。ポジショントークだろうと言ってしまってはそれまでですが。


みなさんはいかがお考えでしょうか?