大学は学びたい人が来るところ 〜 口之津小の修学旅行は九大で


「パネリストのみなさんは、それぞれが調べてまとめた内容を5分で、みなさんによくわかるように発表してください。その後、パネリスト同士で5分の討論を行い、続く15分で、フロアの聴衆からパネリストへの質問や意見を受け付けます。」


司会児童の明るく子どもらしい声が教室全体に響きわたる。口之津小学校の6年生の教室でおこなわれた「パネルディスカッションのやりかたを理解する」国語の研究授業。担任のF田先生は、そのディスカッションのテーマとして「食」を設定した。


2学期に入り、6年生37名は食に関して調べたいことを話し合い、題材ごとのグループに分かれ、インターネット、本、新聞記事から情報を集めた。約1週間後、児童たちは調べた内容を報告したが、それは、F田先生にとって満足できるものではなかった。


「情報はそれだけだった?」
「それは正しい情報かな?」
「図書室の本や新聞記事を読んで調べてみた?」
「知ってそうな人に訊いてみた?」
「発表を聴く人はみんなが調べた情報だけで納得したり、満足したりするかな?」
「それは、あなたたちがほんとうに心から伝えたいと思えること?」


F田先生からの厳しいコメントをもらった児童たちは、さらに1週間、徹底的に調べ直した。畳6枚分ほどの面積がある教室の間仕切りボードに少しの隙間もなく貼られた、たくさんのカラフルな手書きの取材用紙が、児童たちのおよそ2週間にわたる努力を想起させる。


パネリストは「野菜」「みそ汁」「噛むこと」を調査した3グループ。聴衆は残りの児童と教員、それに私を含めた外部からのゲスト。児童1〜3名ずつが代わる代わる登場しながら説明が流れていく。説明のためのセリフは全て頭の中にある。グループの持ち時間である5分をしっかりと守りながらすべての児童が自分の役割を果たして行く。ボケとつっこみを交えた漫才さながらのやりとりまでもが飛び出し、聴衆の笑いも起こった。


質疑応答が絶え間なく飛び交った全体討議は、時間が足りなくなるほどの盛況ぶりだった。中には、私でさえ知らない専門用語で同級生の質問に応じる児童も。調べた量が豊富だからこそなせることだ。人から聞いた話はすぐに忘れてしまうが、自ら時間をかけて調べたことはなかなか忘れない。この2週間をとおして、確実な成長の糧となる学びの姿勢を児童たちは身を以て学んだ。


終了後、聴衆の反応が気になる児童数名が私のところへやって来て「僕たちの発表、どうでしたか」と感想を求める。「大人が知らないことまでほんとうによく調べてたね。いったい、どれくらい時間がかかったの?」と返した私に「学校で調べる時間が足りなかったので、家でも調べました」と答えた男子児童の顔はとても誇らしげだった。


「4月の時点では、こんなふうに積極的で快活な子どもたちになるとは思えなかったですよ」と、F田先生と児童の成長を記録し続けてきた地元TV局のディレクターN原さんが私に教えてくれた。この半年間で児童たちは目を見張るような進化を遂げてきた。


変わり始めた児童にさらなる進化を促す刺激をもっと与えようと、F田先生は、今まで誰も試したことがない、新しい試みを企てた。来月5〜6日。6年生たちは修学旅行で福岡県内の各地を巡る。F田先生はその旅程の中に九州大学を設定した。単なる観光ではない。九州大学で私の「いのちの授業」を受講し、併せて実施する「弁当の日」をとおして九大生と交流するというプログラムだ。


教育には非日常的な体験も欠かせないと考える校長はこの提案を了承した。この計画を聞いた保護者たちからは「なぜ修学旅行で大学にいくのか?」というような不満の声はひとつも上がることはなかった。逆に、「去年の6年生が受けたあの授業が、九大で受けられるのですか?」という喜びの声が聞かれたとF田先生は言う。


何かを意欲的に学ぼうとする姿勢は人を動かす。その摂理に年齢差は関係はない。「修学旅行で大学を訪問」というF田先生の斬新な提案を私が受け入れない理由は何もなかった。F田先生が育てた口之津小の生徒を、我が大学の学生たちに是非とも会わせたいと私は熱望した。


小中学校の講演で私は生徒たちによく訊ねる。「この中で大学生になりたい人は?」残念ながら手があがることは非常に稀である。「大学は18歳になればとりあえず行くところ」という雰囲気が日本中に蔓延している。


誰かに伝えたいことがたくさんある。もっと調べたいことがある。もっと訊きたいことがある。もっと見たいものがある。もっと体験したいことがある。そんなモチベーションを持った口之津小の児童たちに「九州大学で待ってるよ」と別れ際に声をかけると、「よろしくお願いします!とても楽しみにしてます!」と元気な声が返ってきた。九州大学を訪れた彼らにとって、「大学は是非とも行きたいところ」となるのではないだろうか。