旧篠ノ井線の廃線敷きを歩いてきた



 昨日の文化の日に、明科の旧篠ノ井線廃線敷きを歩いてきた。
「あづみのシティマップの<わが区の紹介>で私が最も注目したのは、明科の潮沢区だった」と前々回に書いたその旧篠ノ井線廃線敷き。
 あまりに天気が良かったので、午後に、この日を逃すまいと、ワイフとランちゃんとで車で明科へ行き、ハイキングコースの一部を歩いた。最近車で出かけたことが無かったランちゃんは、車の後ろドアを開けると、もう張り切って飛び込み、窓から途中の景色をじっとみつめていた。
 「潮沢区に残る旧篠ノ井線の歴史を後世に残そうと、区民が立ち上がり、この廃線敷を片道6キロメートルの散策路に整備しました。赤レンガ造りの漆久保トンネルや、トンネルを抜けた先に広がる三万本のケヤキ林の景色などに惹かれ、区民だけでなく観光客も訪れています。」
 潮沢区の住民が、旧篠ノ井線の歴史を後世に残そうと動いた。これがすばらしい。安曇野に来てこのことをよく知らず、廃線敷きを歩きもしなかった。なんということだ。
 旧国鉄篠ノ井線は明治35(1902)年に全通した。116年前、松本から長野駅まで蒸気機関車はここを煙を吐きながら走った。昭和45(1970)年、蒸気機関車は姿を消して電化され、昭和63(1988)年に新線が完成して、旧線は86年間の役目を終えた。
 明科駅が全コースのスタート地点だが、木戸から山中へいくらか谷を上がって漆久保トンネルの近くで廃線敷きに入った。この谷には明科から麻績、更埴に抜ける県道が走っている。
 ケヤキが黄色や褐色に色づき、レールのない廃線敷きには落ち葉が降り積もっている。ランちゃんは興奮して、くんくん嗅ぎまわりながら、リードにつながれて歩く。三脚をもって写真を撮りながら歩いている人、夫婦連れ、何人かの散策者と出会った。
 廃線敷きのハイキングコースは山の腹を縫って6キロに及ぶ。この落ち葉の道に昔はレールが敷かれていた、ここを蒸気機関車が客車を引いて走っていた、古ぼけた信号灯がある。
 漆久保トンネルはレンガの壁、中を歩くと天井に煤煙の跡が残っている。トンネルを抜けて脇道に入っていくと、その山道は鉄道がつくまで善光寺に抜けていく参拝者の歩いた道だった。
 三万本のケヤキ林に行った。ケヤキは、山の斜面を覆うようにまっすぐな幹をそろえて生えている。粗末な小屋があって、テーブルとイスが置いてある。人は誰もいない。
30年前まで列車が走っていた、その歴史の跡を、ここを住民たちは「心のウォーキング」の「聖地」にした。なぜ「聖地」という? ぼくの心にそういうものを感じるのだ。観光地にしようとか、多くの人を集めようとか、現代に適合するように整備しようとか、そういうものは一切感じられない。あるがままを維持しながら、時はすぎゆく。普通、景勝の地というと、今の時点の、目の前にある風景を味わう。だがここは、過去からの時の流れの深みをしみじみと感じながら、今の自分を味わう。廃屋には過去の時の流れが漂い、滅びの美がある。春になれば木々は芽吹き、新緑に輝き、夏、ケヤキの森は木陰をもたらし、訪れる人をいやす。命の流れは絶えることはない。