馬来田の嶺ろ




馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろに隠(かく)り居 斯(か)くだにも 
國の遠かば 汝(な)が目欲(ほ)りせむ



 万葉集 巻14−3383



馬来田の山々に隠れていて、こんなにもお前の里が遠くては、ますますお前の顔を見たくなるだろうな。


 

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三浦半島久里浜港から東京湾をフェリーで渡り 房総半島金谷港へ



通りすがりの魚屋さんで、お昼の定食メニューから思い思いに注文。
海沿いならではの新鮮で美味しいお魚が、良心的価格で味わえました。
 

 




JR久留里線 馬来田駅無人駅です。

馬来田は「まくた」ですが、古代の地名は「うまぐた」と云いました。
万葉仮名で宇麻具多。上総国で、今、木更津市富来田町。
東歌に二首、防人の歌が一首、馬来田ゆかりの歌がある万葉のふるさとです。
地区内に七つの万葉歌碑が建立され、「うまくたの路」という、気持ち良く歌碑めぐりが楽しめる道があると聞いたことがあって、かねがね歩いてみたいと思っていたところ、四月末に千葉県の船橋市へ車で出かける事になり、折角なので都心を通らず、内房沿いに走って馬来田にもちょっと寄ってみました。
「馬来田の嶺ろ」は、低い丘陵の連なりで、心が落ち着く長閑な風景が美しい里山でした。春は菜の花、秋にはコスモスが武田川沿いに植えられ、いっせんぼくの湧水や、秋、つりふね草が群生するハンノキ林の湿原といった見どころがあり四季折々に楽しめそうなので、ぜひ再訪したいものです。





馬来田駅前の万葉歌碑

東歌

馬来田の ねろにかくりゐ かくだにも
くにのとほかば ながめほりせむ











小さな道の駅の万葉歌碑         


旅衣 八重着重ねて 寝(い)ぬれども
なほ肌寒し 妹にしあらねば


望陀郡上丁玉作部国忍
(まくだのこほりのかみつよぼろたまつくりべのくにおし)   

万葉集 巻20-4351  防人歌






←武田川

500年ほど前、甲斐武田氏がこの地に真里谷城を築城し
水田の灌漑用水路として切り開いた。













←武田川沿いに建つ万葉歌碑


馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろの篠葉(ささは)の 露霜の  
濡れてわ来なば 汝(な)は恋ふばそも

 万葉集 巻14−3382  東歌












東の 野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ

柿本人麻呂  万葉集 巻1−48


軽皇子が安騎野(奈良県の大宇陀)で狩りをした時の歌なので、この地にゆかりは無いのですが、何となく歌の雰囲気が伝わってくるような場所に建っています。この先には、山上憶良大伴家持山部赤人の歌碑もあるそうですが、ここで引き返しました。





 
 



ブルーベリー  この辺りで多く栽培されているようです。