『見出された時』

自分が書こうとしている小説と、自分に残されている生命の時間と、ヴィクトル・ユゴーの詩を思い浮かべながら、考える語り手だった。
「草は生い茂り、子供らは死なねばならぬ。」
しかし、と語り手は想うのだった、人々があらゆる苦悩をなめつくして死んでこそ、生い茂る草は忘却の草ではなくて、永遠の生命の草なのだと。そして豊饒な作品が鬱蒼と茂る草の上に、後の世代の人々がやってきて、マネの絵のように「草の上の昼食」を陽気に楽しむことになるだろうと。
幼いころ、コンブレーで聞いた鈴の音、あのスワンさんが帰るときの鈴の音を聞いた自分こそがいまゲルマント大公邸の午後の集い(マチネー)にいる自分であり、そのような「時」のなかにこそ、我々はどこまでも際限なく伸びているのだ、と想う語り手だった。

そして…

このゲルマント大公邸での午後の集い(マチネー)の数日後の深夜、静まり返ったパリのアパルトマンの一室で、家政婦のフランソワーズが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、白木の大机に向かって懸命に出筆活動をしている語り手の姿があった。
その原稿はこう書き始められていた。
「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。」