11月26日の日記http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20041126に書いた「クライバーが讃え、ショルティが恐れた男」洋泉社刊がオペラック社http://operac.comから届く。
なんとグッドオールは昨日の日記のオットー・クレンペラーが1961年、コヴェントガーデン王立歌劇場に初登場してベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」を上演した際に副指揮者を務めていたのだ。
パラ読みしていたら、いきなり山崎浩太郎さんの以下の文章がキラキラした。
「半可通は《トリスタンとイゾルデ》なんか前奏曲と、<愛の二重唱>と<イゾルデの愛の死>だけ聴けば充分さ、などとしたり顔で言ってのける。
確かにそんな演奏もある。だがグッドオールはそうではない。終幕の後半だけでもいいから、続けて聴いてみるがいい。
トリスタンの高熱と鈍痛に浮かされた夢。船の到着の歓喜。包帯を引きちぎって死んでゆくトリスタン。吹き出る鮮血のその痛み。到着したイゾルデが彼の死体をいだきながら歌う、嘆き。それら、すべてを呑み尽くして、<愛の死>が響きわたる。
この録音(グッドオールの《トリスタンとイゾルデ》)の素晴らしさは、スタジオ録音の精度のたかさと、劇場的興奮の炎とが、奇跡的に両立していることである。」
う〜ん、またしてもぼくが獏と感じていたことを山崎浩太郎さんは見事に文章化している、と思った。