湾岸にて

駅を下りると古い団地と給水塔が見えた。久しぶりに来た。給水塔は水色の地に錆びた茶色が映えている。川を渡ると向かいの岸には超高層マンション群。集合住宅の変貌がありありと。公営住宅も時代が変わればなんとやら。川に挟まれたこちらとあちら、50年後いや30年後、どうなっているのだろう。




こんなキラーンってキメてる空間だけど

ファニーなドラッグストアのロゴがあるのが日本的ね。

住宅というものは時代を反映する流行りモノでもあるなあ。


新旧巨大団地をぐるりと回り次の駅を越えると景色が変わり、倉庫街。


がらん、とした空間。90年代初頭の佐賀町を思い出す空気。



エストニア出身の写真家Alexander Gronskyによる、ロシア郊外の風景を捉えた作品群。広大な大地は色味が薄くて、ロシアの空気が伝わってくるよう。荒涼とした自然の中に忽然と建つ巨大団地とそれを背景に暮らす人々の姿の小ささ。さっきまでいたニッポンの団地との対比。SUBURBIAな風景はもはや全世界共通の感あるけれど、ロシアはさすがにスケールが違うよ!!!「神の眼」といわれるグルスキーとは異なり、フラットだけど情緒が滲み出ていて物語が感じられる。1980年生まれということはソ連崩壊を10歳かそこらで体感した世代なのだなあ。


湾岸の、ただ道があるだけ、な通りを歩く。




随分と高層マンションが増えたけれどまだまだ閑散としているこの風景は、この5年でがらりと変わることだろう。

ゆりかもめに乗る。非日常の風景に感じるこの路線には住めないなとつくづく思う。


続いて向かったのは、野口里佳さんの写真展。先日他界されたお父様が生前に残したネガを焼き直した写真と、遺品であるカメラで野口さんが撮り下ろした写真の二部構成ということを知らなかったら、混乱したかもしれない。前半部の写真。野口さんらしい光がそこにあった。日々の瞬間に潜む見えない「なにか」が表出した光の柔らかなきらめきにじんときて、心の奥が震えた。光のはじっこの瑞々しさと神々しさ。机を隔てて後半部。ちいさなサイズのポートレートに映るのは女の子。服装と纏う空気に現代ではないと思う。そう、これは野口さんの子供の頃の写真だ。父親が撮影した、日常のなにげないヒトコマにいる娘の姿。どうしたって娘への愛情を感じずにはいられない。それをプリントする娘=野口さんの想い。綴込めた時間を浮かび上げる。ふたつの愛情がぐいんと襲ってきて、さっきからの微かな震えがもう止まらなくなってしまった。会場も良かった。天井が高く広いだけではなく、外と繋がっているところが。


高速の脇の暗く殺風景な通りを歩いていくと、ようやく広がりのある通りに出た。

呑み屋が立ち並ぶ中、おでん屋のカウンターで濃い出汁の滲みた大根やがんもをウマーウマーと食べて、また歩き出した。外はすっかり暗かった。





湾岸地帯から歩き始めて気がつけば青山だった。随分歩いたねえ。
古いまま佇むもの新しく変わるもの。入り交じって街になる。