ペニーアーケードがいたあの頃

ペニーアーケード再発のニュースを先日知って、この辺りのが今の流れで出てくるのは面白いなって思っていたトコロ、メンバーによるインタビューと、当時からゆかりのある方々からのコメントがアップされ、どれどれとクリックしたら・・・
http://kilikilivilla.com/post/140615910239/magazine-20160307-penny-arcade-a-girl-from

沖野俊太郎カジヒデキのあいだにヤマジカズヒデて!て!
最初目にした時、脳味噌が把握できなくて流しちゃって、ん?って指を止めて戻って、ん?…え?……ええええええ!て。
dip the flagのドラマーがペニーアーケードでもやっていたって知りませんでした。そしてコメント4名のそれぞれの人柄が溢れた言葉は、ヴィナペもブリッジもflagも好きな私には、挙動不審で尋問を受けるんじゃないかってほど動揺させられたのでした。

なんだかよくわからんほどに胸がバクバクしながらインタビュー本文を読み進めると、いくつものバンド名やレーベル名にそうそうそうと頷きながら、個人の記憶のなかの「東京のあの頃」が浮かび上がっていて、当時田舎にいた私に時を超えさせてくれたのです。

こうしなきゃいけないってこともなかったし、やりたいことをやったらこうなったと(笑)。私たちにはモデルがなかったので、今ならギター・ポップならこういう感じとかシューゲーザーならこういうスタイルっていう枠の中から出られない、もちろんやっている人たちはそう思ってないでしょうけど。私たちはけっこう自由にやれたのは、そういうところが大きいんじゃないでしょうか。


80年代中頃はアズテックやペイルもいたけど、バニーメンやU2もいたし、キュアーやメリー・チェイン、ニューオーダーデペッシュ・モードもいましたから、実際は様々なスタイルが混在してましたね。


確か友達作りをするためにパステルズのバッジを手作りして(笑)、そしたらやっぱり声かけられて。

なんて言葉にああっ!って目が開きました。

今の特に邦楽シーンは完全にタコツボで、小さな輪のなかでは熱狂的に盛り上がっているものの、「こういうスタイル」って枠からはみ出ることは無いし、バンドもファンもそれぞれのタコツボがリンクしたり混ざることは無いように見えます。ネットによってあらゆる垣根なく繋がるはずなのに、広がる分だけ便宜上の輪っかがあるほうが楽だからでしょうか。その点でオウガの”ロキノンフェスからMerzbowまで”な対バン状況はさすがだな。個人的にはSLOPPY JOEがもっとガシガシ出てくると嬉しいな。
あまりにも取り乱したので、気持ちを抑えるために綴ったエントリであいすみません。