5月の終わり、6月の初め

振り返ると相変わらず仕事ツラ……な日々である。久々の遠足をしたり、紫陽花が咲き、ゲリラ豪雨が始まり、季節がぐんぐん変わっていく。



5月3日(金) 祝日4連休。こんな生活のほうが長いのに、実家が自営業ゆえか未だに不思議な気分。晴れて日差しが強かった。静かな高級住宅街を歩いていたら、家の前のポルシェにスーツケースなどを詰めている男性が「あ、プールの水抜いたっけ?」と家族に声を掛けていて驚いた。こんな言葉ゼッタイ言わない人生だもの・・・



5月4日(土) ウチからは行きやすいもののあまり行かないエリアへ。緑と水が豊かな街はのんびりした時間が流れ、キラキラした光が降り注ぎ、気持ちが良い。立ち寄ったカフェはエントランスの緑が落ち着くクリアな雰囲気で、地元の人がひとりで来て穏やかでささやかな時間を過ごす場として感じられた。入店しているオシャレな集合住宅は店主が祖母の土地を相続し建てたと言っていて驚いたけれど、だからこそ持ちうる余裕のかなとも思えた。



5月5日(日) 久々に水天宮-森下あたりを歩いたら、激増した飲食店がどこも混んでることに驚いたけど、佇まいに資本力を感じる店が多く、平たい地形とあいまってサラッとした雰囲気を感じてしまった。暮らす人々のなかで自然発生的に広がるのではなく、完全にビジネスで落ちてきて広がっている。元工場のリノベや建替したマンションテナントで、広さも家賃もそれなりな感じ。公園や古い商店街でのイベントでは子供たちが随分集っていたのは、昨今近隣にマンションが増えたということだろう。30年後どんな街並みになっているのだろうか。/1日良く晴れたけれど、夕方から風が強くなりちょっと嫌な感じ。柏餅とレコと「島根の神様(民藝玩具)」をお連れして帰宅。 昨日の夜「大河見る〜」と言ってしまったくらいにもはや曜日感覚が無い。



5月6日(月) いつもの平日起床時間に起きて、朝イチで映画館へ。「悪は存在しない」を観た。映像と音楽それぞれの、複雑でシンプルな構造と兼ね合い、ショットの謎めきと決まり具合ゆえに、ストーリーの対立構造と社会問題、思わせぶりなタイトルを安直に捉えちゃいけないよ?と思わせる(そもそも濱口監督作だからして)のだけど、ああいう映像を撮りたいがための舞台設定なのかなと思わんでもない。石橋英子さんのオファーがキッカケの映像で、だからこそ原村がロケ地(小淵沢にスタジオがある)であり、そこから水というキーワードが生まれ広がったのではなかろうか。一番びっくりしたのは、かつて横浜にあったときによく通っていたものの、移転したためにいつか行きたいなと思っている店がロケ地だったこと。こんなかたちで店内を見ることができるなんて……。まあ、ストーリーに触れるならば町長が雇った「何でも屋」なんだろうな。
石橋英子が濱口竜介監督との共作を語る。『悪は存在しない』『GIFT』が生まれた奇跡 | NiEW(ニュー) – 音楽・映画・アート・演劇・ファッションなどのカルチャーメディア
映画館は下北の駅再開発で出来たミニシアター。若い人たちがここで観たことが記憶になる場になればいいな。



5月7日(火) Y氏が散髪したことに気がつかない私ホントひどいな!しかもY氏は「おじさんだもの気がつかなくていいよ」とまで言ってくれて。。。ごめんよ。。。(言い訳としては『在宅勤務の昼休み時間中に近所の床屋に行って帰ってくる』ってすごくないですか・・・)



5月8日(水) 社内メールしたら定時近くに「メールじゃ説明しづらいんで」と電話かかってくるとかなんなの・・・。



5月9日(木) 「スティーヴ・アルビニ」それは良き盤である呪文だった。シェラック、アルバムリリース直前だったのか。もうあの呪文にかかることは無くなってしまった。



5月10日(金) 名護市が庁舎移転へ 県立北部病院や名護商高跡が候補 名建築の現庁舎は一部保存を検討 | 沖縄タイムス+プラス 『一部』保存なんて反対派に対するポーズでしかない。そりゃ維持管理も保存活用も難しいのはわかるけれど。名護市庁舎 – 象設計集団



5月11日(土) 何年振りか特急に乗り、関東近郊の他県へ遠足。記録はまたあらためて。



5月12日(日) 駅を起点に行って帰って歩き回って。歩行距離16キロ超。帰京する特急から見える緑の木々の輝きとそのグラデーションに、いい遠足だったなあとしみじみ。



5月13日(月) 現部署での業務であらためて気付かされるのは、他部署の人々が課せられた業務を理解せず「ルーティンで代々やっている」から行なっていることだ。「月末にデータを送る」と形だけ残っていて「何のためのデータなのか」すらわかっていない。最終的な目的を知らないから、業務Aと業務Bが繋がっていることも把握していらず、誤った対応をしてしまう・・・。国内の報道に上がる事象はこうやって起こるのだと、実感する。この背筋の寒さを感じないようにみんな仕事をしている。



5月14日(火) 

彼は、レコーディング・スタジオがギターや他の楽器と同じようにアプローチできることを教えてくれた。弾き方を知っているか?そんなことはどうでもいい。表現したいことがある?やってみな!一番大切なのは、バンドであり、作りたい曲だ。
スティーヴ・アルビニの訃報を受け、ジョン・スペンサーが追悼コメント発表 - amass
www.theguardian.com

グッときたわー・・・。いつかdipをプロデュースしてほしかったの・・・。



5月15日(水) 寅子たちの発言をドラマとして掲げ続け「こうあって欲しい現実」へと導こうとする意志はわかる。ネットで不遇を共感しあうのではなく、映画「夜明けのすべて」のような描き方の朝ドラが生まれて欲しい。



5月16日(木) 4月から立て続けに指示された業務がなんとか終わる。これは1大プロジェクトのカケラであって、また違うカケラがやってくるだろうけれど悩みながら進めていくしかない。世の中というものは実にたくさんの細かいパーツで出来ていて、そのパーツのひとつに弊社があり、そのなかにもたくさんの細かいパーツがあり、わたしが携わるのはほんの数ミクロンだ。/ 仕事終わりの空は濃紺で、ああこの色の移り変わりだなあと見惚れていたら冷たく強い風が吹きつけ、まったく季節不詳。



5月17日(金) 人間ドック。血圧がついに110越え。80台だったあの頃・・・歳とったね。視力はまさかの1.5!最近文字がボヤけるねえと思ってたのに。当てずっぽ。/ このあとのご飯は胃に優しいものがいいなあと見つけたお粥屋さんへ。おなかに良し。そこから歩き進めると、この街にはありえなかったオシャレな飲食店がチラチラ増えていて変化の面白さを味わった。若者がその街の歴史を知らずに家賃相場が安いキッカケで始めるのも、それはそれでありなのかな。/ 朝はとても寒くて着込んだけど、昼はとても暑く強い日差しに緑が輝いていた。そんな季節の瞬間を見かけるのは幸せだ。



5月18日(土) 美容院後のいつものパターンを変えてみたら、また楽しい。/ 久しぶりにはてなで長編を書いている。姿勢が悪くて首が痛い。



5月19日(日) 今年始まった東京建築祭にて「パインヒル I」を見学。渋谷から代官山への歩き道でいつもカッコいいなあと思っていたポイントハウスがまさか土浦亀城設計とは!1963年竣工、外壁にクラックは無いし良い管理がされてきたのだなあ。急激な時代変化にも乗らず、在りつづける素晴らしき奇跡。一時期暮らしたアメリカでは各家庭で湯が出たことに衝撃を受け、日本でも必須だと地下ボイラーで全館給湯暖房設備や、公団で導入したばかりのシステムキッチンや作り付けの棚など、公理的で文化的な生活が出来るように誂えた設計。
土浦亀城と白い家
著者:田中厚子さんの説明をお聞きし、お話させていただけてとても嬉しい。このパインヒルが土浦亀城設計と判明したのは昨年!とのこと。管理者の松岡氏(パインヒル!)の意志も素晴らしい。曾祖父の意志が代々継承されているのだろう。



5月20日(月) 現係の仕事の進め方に疑問がありすぎる。多数のプロジェクトを同時進行してても管理がまったくされていなくて、心配・・・/ 帰宅するとY氏がずっとヴェルヴェッツ〜ルー・リードをかけていて、なんで?と聞いたら「ポール・オースターを再読してるから」なるほど。



5月21日(火) このCM見るたびに我が家では「間に合わないぃぃ〜〜!」と言い合うんだけど、仕事でマジでこの状況になってこの会社を使うことになったので、心の中で笑ってしまった。
youtu.be



5月22日(水) 帰宅時の空が薄く赤くて、夏に近づいていた。



5月23日(木) 薄曇で暑くはないけど樹木の葉は湿気を蓄えて濃い緑に。会社休んで、ちと離れた街にある店でお昼ごはん、いただいたアスパラガスのスープは美味しかったなあ。2度目の訪問だけど良い店。→ 移動して国立近代美術館「TRIO」展へ。『パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館』のコレクションをテーマでセレクトした企画。なるほどな編集視点だけど、肝心の各テーマがあんまり面白くない・・・。とはいえ好き!と感じる素晴らしい作品にいくつも出会えて嬉しかった。いつもの常設展の今回の内容もまた素晴らしき。館内は海外旅行者が多くて、今までこんな状況なかったから驚いた。鑑賞料2200円はどう感じるのだろうか。私にはさすがにツラい。
art.nikkei.com
ハッシュタグをつかった広告宣伝も、なんかねえ・・・



お次はミランダ・ジュライの個展。会場はなんとプラダ青山!

ヘルツォーク&ド・ムーロン設計のココでやるのは、わかってて敢えての「ザ・ゼロ年代」感なのだろうか。制作ツールが変わっただけで、映像は変わらずまんまだった。6つの映像同時上映の1作品しかないし、この会場でやらなくても……。せめてフロア全体をつかって欲しかった。


db.10plus1.jp
とはいえ中を見れるキッカケが出来て嬉しい。ぽあぽあした電子音なBGMに特注?なブラウン管テレビで"あの頃な"レトロフューチャー感。こんな建築物のなのにプラダ売ってるってなあ・・・。にしても、入口開けたヨーロピアンなドアマンに「展示のご鑑賞ですね」と流暢な日本語で言われるのはある意味屈辱……。見た目で判断された哀しみ・・・。まあ、着てた服の総額でもプラダの服ひとつも買えないしな(ウググ
→ 去年は雨だった。今年は梅雨直前を感じる気候。緑萌る美しい日に生まれて嬉しいと思ってたけれど、もう変わってしまったなあ。



5月24日(金) 会社で「静かに仕事してるね」と同僚に言われて、そういやそうだと気付いた。前の部署では一日中キィイ!とこうるさかったのに。帰りはなんか調子がダメだなあと半目で入った本屋で欲しかった本があったので、目が開いてホクホクと購入。



5月25日(土) Y氏と外出、んまいもの食べてひたすら歩いてウチが近くなったところで急にスイッチがダウンして、速度がトボトボになって帰宅。10キロ。紫陽花が咲いていた。



5月26日(日) 土日のランチで時折伺う店は季節の素材を使ったパスタ1択で、店は間借りだけど、落ち着いた雰囲気が良い。その間借り先が先日変わった。これまではビルの2階にあるカフェでひとり客メインだったけれど、今度は駅を挟んだ反対側の通りに面したリノベ物件。曜日ごとに店主が変わるスタイル、座敷もあり子育て世帯需要が高い場所。ゆえに、ワンオペの店主は今までには無かった配慮を求められ、てんてこ舞いになっていた。メニューと店舗が合わない印象。同じ街でも立地で客層が変わる。/ 朝、耳の上の方だけ熱くなって変だった。夕方は急に怠くなってしばし横になる。



5月27日(月) 全体像が見えないまま指示された業務を行うものの、わかってないから表面しか出来てない。他の業務と繋げて考え付かなくて、あとから「え?!そうだったの?」と気付かされたり。こんなことが減っていくようにしないとな。



5月28日(火) 一時期あんなに仕事あって半泣きだったのに、今日はやること無くて復習(復讐?)三昧だった。一瞬のしじまだろうね・・・/ 台風1号!が近づく影響で帰宅後雨風が強く叩きつける状況のせいか、急に怠くなり寝てしまった。



5月29日(水) 加賀太胡瓜が近所のスーパーにあったので、生で食べるの数切れと茗荷も入れてお味噌汁でお夕飯。食後にはY氏が買ってくれた麩饅頭(Y氏は若鮎)、夏だねえ・・・ってまだ5月!/ 今日の朝ドラ、敢えてなのはわかるけどとても嫌だった。この役者さんだから軽妙に演じてくれると判断しての、人の心の醜悪さを見せつける手法には違和感。



5月30日(木) この数日平和だなーと思ってたら一気に怒涛の如く複数案件で仕事が降ってきた!にしても、毎年恒例の大型案件がいくつも同時進行してるのにプロジェクトマネジメントが一切なく、すべて長年在籍のAさんが1人で概ね行ない、その進行次第により口頭で下っ端仕事がぽーんとやってくる。係内フォルダに完成形のデータが残ってればマシな状況で、これが出来上がるには何をどうすればいいのか、指示も無いし聞いても口頭でざっくり言う程度でさっぱりわからない。そもそも私に指示された業務は前任者が毎年行なっていたものの、引継書も手順書もなく、"Aさんに聞けばわかるから"だった。これで上層部はDXだなんだ言ってるんだからアホすぎる。



5月31日(金) 台風1号!が近づいた朝、雨風は心配するほどでは無かったけれど5月でコレって嫌だなあ。悲しいなあ・・・/仕事。昨日あんなにドンヨリしたけどなんとか進んでホッとした。綱渡りだよ。ああ、5月が、終わってしまう。



6月1日(土) 9時半ごろ外へ出ると清々しい空気に包まれて、ああ!これがずっと欲しかった! 昼には暑くなり汗ばむなか、通りの紫陽花を眺め、向こうの空の色は薄いけど雲がぐんぐん広がるさまに、また心躍る。/ 「吉田初三郎の世界」府中市美術館 原画を観たのは初めてで、今まで原画の存在を考えたことなかったと気がついた。勿論大変美麗なのだけど絵の具感や白の使い方に人が描いているんだなあとこれまでとは異なる呆然さがあった。データで見るのとは違う凄み。見入ってしまった。現地調査の諸々や下絵のスケッチを見たかったけど、外には御法度なのかもしれぬ。校閲の文字入れにギョッとしたけど、印刷技術の発展に目を輝かせる初三郎の姿も知りたいなあ。
Beautiful Japan 吉田初三郎の世界 東京都府中市ホームページ



6月2日(日) 朝からどんより天気の休日だと、わかりやすく気分が上がらず眠くてぼーっとしてしまい、考えたり決めたりすることができなくなる。ぼーっとしながら入った馴染みの喫茶店でペイルファウンテンズがかかっていて、うわーいい曲ばかりだなーとあらためてしみじみ。大きなスピーカーでガツンと鳴らされる音がドンと胸に入ってくる。こんな久しぶりの聴き方が出来るから、嬉しい。
Pacific Street -Reissue- [Analog]



6月3日(月) 午後激しい雷雨、残業(仕方がなく)してる間に止んで帰宅後、再び更に激しい雷雨。これからが心配 / そして気がついたら口唇ヘルペスがいつものところにピリピリと。うぐぐ。



6月4日(火) 異動した日に指示されて引継書も手引書も無いなか対応した案件が漸く終わり、ホッとする瞬間もなく新たな指令が降ってくる、当然のようにやり方不明な状態で。言うまでもなく弊社は「昭和」である。裏係長的な長年いるAさんは指示の伝え方や言葉の使い方に難があり、進め方の説明がほぼ無いので聞いても明確な返答が無い。こういう人なんだなーと諦め、口頭でざっくり指示された後の疑問点は出来る限り調べたり、関係部署の人に聞いたうえで、経過報告と質問をメールでしている。



6月5日(水) そろそろこの記録を〆ないといけないけどちょっとこのままで。/ 今日は仕事が立て込んでたので夜ご飯はべつにしてもらった。となると定時で帰らなきゃってならなくて、一区切りつくまで・・・と続けてしまい、明日楽なようにもう少し・・・と際限なく仕事してしまうのでヤバいと再認識した。既に口唇ヘルペス出来てる。



6月6日(木)  3ピースの音の鳴りがかっこいいねえとシビレル朝の1曲。
youtu.be
今週は毎日残業で、ひ弱な私にはツライ。



6月7日(金) 仕事、例えるならば、まわりに商店ないし料理出来ないし魚捌けない私に「フレンチのフルコースのオードブルの1品つくれ」とか、「メインの魚料理の下拵えしといて」「ナンタラのブルゴーニュ風つくるから材料揃えて、ソースだけ作っといて」と連日無茶振りされる状況である。レシピもなにもないので、調べたり、関連ありそうな他部署の知人に教えてもらい、地道に進めてなんとかなったよ、この1週間。昨日の晩御飯が消化出来ないままヨロヨロな1日だったけどなんとか見通しついて、夕飯は美味しくいただけた。

水戸市民会館はみんなのいえ

水戸駅に降り立ったのも7年ぶりだろうか。北口へ出ると西武跡地はマンション建築中だった。駅前からの大通りは緩やかに上り続ける坂道に商店が並んでいる。記憶のままの店もあれば、マンションに変わった一帯も多々あったしコーヒー店が増えたことに苦笑した。日曜の昼間、人通りは老若男女けっこうあり、昨今当たり前な中心市街地の空洞化はそこまで強くはないと思えた。


水戸芸術館へ行こうとしたところ、向かい側に新しい建物が見えて、なんだろうと考えて、そうだ伊東豊雄設計の市民会館が出来たんだったと思い出した。



落ち着いた外観。
中へ入ると、明るい!そして折しもクラシックの生演奏会中。たくさんの人が鑑賞する館内の雰囲気の心地よさ。
入り口ホールは4層を貫く吹き抜けで広々とした大空間。エントランスでありながら多目的な使用が可能な「広場」として機能していた。


太い木材の柱で組み立てられた構造が印象的で、国立競技場で使えなかった方向性をこちらにという意図をちょっと感じてしまったり。

建物全体が大きな公園のよう。至る所にあるオリジナルデザインのベンチや机には洗練された印象がある。歓談する家族がいれば勉強する高校生もいるし、こどもが靴を脱いで遊ぶスペースもある。いろんな機能を持った全天候型のみんなのひろばとして既に馴染んでいるようだった。ただし、概ね学生の勉強の場になっているのはちょっと勿体なくもあり。




本来はコンサートなどの催しを開催する大ホールが施設概要であり、市民が予約して使う会議室などの従来機能を持ちつつも、多様性を求められる時代ゆえ、具体的な用がなくてもふらりと立ち寄る空間を意識していた。
伊東豊雄は昨今、せんだいメディアテーク(2000年)ぎふメディアコスモス(2015年)など地域のコミュニティスペースを多く手掛け、その背景に行政からの要請=時代の傾向が重くのし掛かるのだけど、都度行政間で問題が発生するなかで、使用者である「市民」は本当は何を望んでいるのかを汲み取りながら、プロジェクトごとに軌道修正を重ねていると感じられた。帰宅後以下のインタビューを読んで、諸々納得。
casabrutus.com





この建物は水戸芸術館京成百貨店のあいだに位置している。ハコ前提だとタコツボ化するのが常だけど、この3つ全体を「MitoriO」と名付け、各役割を立たせながらも市として一体化する目的を明示していることが良い。
新市民会館周辺エリアの愛称が「MitoriO」に決定しました(文化交流課) - 水戸市ホームページ
(水戸・トリオでミトリオ!)(何故世の中にはダジャレネーミングが蔓延るのか)




お向かいの水戸芸術館磯崎新設計、1990年竣工がうなづけるポストモダンバリバリの建物。



「アート」というものが一般的には「敷居が高い」時期であり、磯崎さん自体の傾向も相まって「荘厳」なイメージ。


日本を代表する建築家による建物が、竣工時の時代背景を感じさせながら並んでいるというのは、面白い。
https://www.mito-hall.jp/event/pdf/event_2023112901.pdf
こんなイベントをやるくらいに意識的なのも良いことだ。



そういえば。
石岡瑛子展を見た茨城県近代美術館は1988年竣工 吉村順三による設計で荘厳で重厚感ある落ち着いた建物。(写真撮ってなかった・・・)この向かいにあったのは茨城県立県民文化センターで、1966年竣工 芦原義信による設計。現在はネーミングライツで「ザ・ヒロサワ・シティ会館」と呼ばれている。

建物は道路より数段高い場所にあり、広場にはモダニズム建築らしさがある。


茨城県民文化センター−芦原義信建築作品


水戸駅を挟んで南側はモダニズム建築が向かい合い、北側にはポストモダニズム建築が向かい合う街という構造は面白いな。


街並みの美学 (岩波現代文庫 学術 49)
1979年刊行の本作で芦原義信は「都市景観」の重要性について提起し、日本の公共空間の在り方を説いていることを思い出すと、伊東豊雄が近年『これからの公共建築は、機能で分割された空間によって人の活動が制約されるのではなく、「みんなの家」のように利用者主体で考えられ、あらゆる人が、まるで自然の中で過ごすように自由に活動できるものでなくてはならない』と語ることは時代の大きな変遷のなかで辿り着いた、「2024年現時点での着地点」に思え、水戸市民会館で通りすがりに音楽を聴いたり、友達と喋ったり、勉強をする子どもたちに「公共建築はみんなの家である」感覚が染み込まれて大人になった世の中は、今よりもうつくしいのではないか、と希望を持つのだ。
www.arttowermito.or.jp

公共建築は継続使用と維持管理が大切なのはいうまでもなく、その費用捻出は今後一層困難なわけだけど、市民が行政任せではなく「我が家」と思える感覚を持って使うことが当たり前になれば、芦原義信が憂いた日本の都市景観は良い方向へ変わるだろう。
水戸市民会館はハコものではなく、水戸の街の中の「みんなのいえ」なのだ。



storynews.jp

建築家は自身の建築物に込めた思想を裏付ける「言葉も達者」でなければならない。それは公共建築であればコンペを勝ち取り、世間を納得される「誘導」でもある。以前より私がこの場で何度か記していることがある。建築物には時代の流行りや世論が濃厚に反映され、建ったその景色が否応無しに時代を超えた共通認識として人々に刻まれてしまう。「私の暮らす街はどんな街か」「私はこの街の一員でありどう暮らすべきか」が自然と「刷り込まれる」こと、それが建築物。だから建築家はとても責任ある仕事だと思っている。



コロナ禍において外出自粛が叫ばれる中においても、休日は外に出ていたものの、遠方への旅は控えるようになった。それと同時に家族の状況や自分の体調の影響もあり、旅行が選択肢に上がらず、億劫になっていた。
「会いたい人に会おう」とY氏が言ったことがキッカケの久しぶりの旅。生活圏を離れ、特急に乗って数時間の街を歩き、出会うこと気づくこと。帰宅後、旅先で見たものを思い出し、考えること。日々の生活を続ける中で、時折必要な大切なことだなと改めて実感したのだった。


mikk.hatenadiary.jp
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これにて、久しぶりの遠足記録は終了〜。


【おまけのあれこれるるる】

シャッター半開きの電気屋さんで項垂れるビクター犬。