お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Never Being Dyed(決して染まらない)

 親鸞聖人が言われるように、私の心の中を覗いてみれば、無明煩悩で満ち満ちています。欲や怒り、腹立ち、そねみ、ねたみ等の坩堝(るつぼ)と化しています。でも、そんな中にも、気がつけば、「南無阿弥陀仏」の言葉が満ち満ちているのです。そして口をついて出てきます。                                     
 大峯師や内藤師の言葉を借りれば、「悪や愚痴や嘘ばかりを言っている」汚れた同じ口から、汚れに染まらない「南無阿弥陀仏」が出てくるのです。両師が言われるように、本当に不思議なことだと改めて感じています。                       
 ところで仏教で説かれる、「蓮の五徳」の一つ、「汚泥不染の徳」で教えられているように、泥沼に咲く蓮の花は決して泥に染まることはなく、実に清らかです。このように、私たちが阿弥陀さまから頂く信心の花は泥に染まることはありません。また、蓮如上人は「信心は名号をいただいたすがたである」と言われたことが、『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』(p.52)に書かれています。この言葉からも明らかなように、名号、「南無阿弥陀仏」は煩悩の悪に決して染まることはありません( As it is also evident from St. Rennyo’s words, the Name Namu-amida-butsu is not dyed at
all with evil of our blind passions. )。

 あまりにも汚い私の心を眺めれば、煩悩の泥に染まってしまうのではないかと思ってしまいますが、全くそんなことはないのです。心に満ち、この口から出てくださる「南無阿弥陀仏」は、私たちの想像を絶した阿弥陀さまからの戴き物であります。