秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 若者の好きな音楽

若者の好きな音楽

  私が最初にアメリカに行ったころ高校生の間で人気があったのはエルビ
ス・プレスリー、フランキー・アバロン、ファビアン、ニール・セダカ
ポール・アンカなどで、少したってフラザーズ・フォーなどのフォーク・
ソング、そしてビートルズなどが出てきました。
 そのころ音楽は主に、ラジオ七レコードを通して私たちのなかに入ってきました。いく
つかのラジオ局では一日中、レコードをかけディスク・ジョッキーが曲と曲の間をつない
でいました。それを私たちは学校の行き帰りにカー・ラジオで聴き、車を運転しながら、
みんなでどの音楽がいいかについておしゃぺりをし、レコードにあわせて歌う−−そんな
ことが毎目の生活の一部になっていました。
 ライブのコンサートはいまほど手軽には行けませんでした。友だちのなかにはギターや
クラリネット、ピアノ、ドラム、 といった楽器を趣味にしている人も多かったのですが、
私はもっぱら聴く方にまわっています。
 レコードを聴くには、プレーヤーが必要ですが、三〇年前の高校生の間では、ドーナツ
盤をかけられるようなポータブルの機械がふつうでした。家に帰るとすぐ、ドーナツ盤を
十枚くらい重ねてスイッチを入れ、レコードを聴き始めるのです。バックグラウンド・ミ
ュージックなのですが、音は大きいし音楽の趣昧も合わないので親たちにはいやがられま
した。大きな音の出せるパーティーや、他人になにも言われないカー・ラジオに人気があ
ったのもこれが一つの理由です。
 二〇年前にくらべて、一九八〇年代の若者、そして親たちはしあわせだと思います。そ
れは、音楽にたいする世代のギャップがあまりないからです。エルビスビートルズはい
までも人気がありますし、ピーター・ゲーブリエルやスティングの好きな親たちもたくさ
んいます。
 好きな曲のレコード(まだカセット・テープはありませんでした)を買うのは、今も昔も
同じです。でもドーナツ盤一枚で一ドルもするので、本当に好きな曲を見定めたうえで慎
重に買うことになります。
 しばらくして、女の子のほうがポピュラーなレコード収集に熱心なことに気づきました。
理由はいくつかあるのでしょうが、その一つは、パーティーを開くためには、レコードが
たくさん必要だからです。しかも、パーティーを開くのは、女の子の家が多いのです。
 最近では、男女の交際の仕方はもっと自由になって、面倒な規則や習慣が減ってきまし
たが、その当時は女の子が男の子をデートに誘ってはいけない、という不文律がありまし
た。自分の好意を誰かに示したいと思う女の子は、自宅でパーティーを開いて、彼の他に
も何人かの友だちを招待する、という方法をとったのです。もっとも、息子のジミーが小
学校を卒業するとき、式の後にダンス・パーティーを開くべきではないのだろうか、と心
配したのは女の子の親たちでしたから、時代は変ってもパーティーの意昧はそれほど変っ
ていないのかもしれません。


広島ブログ 

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 映画とポップコーン

映画とポップコーン   

私の親友ジョウはバーモント州の小さな大学で教えています。高校生と中学生の二人の女の
子のとてもよい父親ですが、こと映画になると二人にとても甘くなります。未成年に見せて
はいけないことになっている「R印」(<R-Rated>Rはrestroctedつまり制限つきという意
味です)の映画でも、子どもが見たがり、彼が大丈夫だと判断すれば平気で子どもたちに見
せています。息子ジミーの見たがる映画について、私も同じ態度をとってきました。映画好
きのジョウ(そして私自身)が子どものころからつちかってきた鑑賞眼と批判力を私は信頼
しています。それが、こうして父から子へと引き継がれてゆくのです。 ビデオが普及し、
借りられる映画の数がかなり多くなってから、ジョウ一家は映画を見るために、はじめてカ
ラー・テレビを買いました。それでも一家揃って、ひんぱんに町の映画館に出かけます。私
もたまにつきあいます。封切の映画を見るためでもありますが、映画館で映画を見る雰囲気
を味わいに行くのです。
 それは、ポップコーンの味につながっています。映画館に入ると、ロビーの売店で、バレ
ル(樽)と呼ばれるほど大きな紙製のコップに入った、バターつきのポップコーンを買いま
す。映画を見ながら、これを何人かで食べるのですが、手はベトべトになるし音もします。
栄養の点からもあまりよくありません。でも、これが楽しみで映画館に行く人も多いのです。
エルムウッド・パークで見た映画は、ミュージカルの『南太平洋』《South Pacific》やド
タバタ喜劇それに西部劇、とにかくなんでも見に行きました。 
なかでもいちばん印象に残っているのは『渚にて』でしょう。ネビル・シュート作の同名
の小説がベスト・セラーになっており、学校や家でもしばしば話題になっていました。核戦
争によって北半球には人間が住めなくなり、生き残った人々はオーストラリアに逃げるので
すが、そこも放射能に冒され、人類が絶滅する物語です。 音楽の時間に習ったオーストラ
リア民謡『フルツィング・マチルダ』が映画のなかで人間の悲しさを奏で、フレッド・アス
テア演ずる粋な原子物理学者が、絶望の末自殺するシーンでは、疑問を感ずるどころか、あ
こがれの気持さえもちました。しかし、いちばん心に残ったメッセージは最後のシーンに現
れました。人っ子一人いなくなったシドニーの町に救世軍の残した横断幕がはためいていま
す。その幕には“Brother,there is still time.” (「兄弟よ、まだ時間は残されている」
)と書かれていました。救世軍が伝えようとしたのは、罪を悔い改めクリスチャンになれば
、魂は救われ天国に行ける。そのための時間は残されているということでした。しかし、映
画の製作者が伝えたかったのは、いま、私たちが行動を起せば、核兵器による人類の破滅は
避けられる、ということだったにちがいありません。私にもそのメッセージは強く伝わって
きました。 エルムウッド・パークは演劇のずいぶんさかんな町でした。学校の演劇クラブ
の公演が一年間に四回ありました。ミュージカルの『七六のトロンボーン』と『アニーよ、
銃を取れ』が印象的でした。『アニーよ、銃を取れ』のなかには辮髪の中国人の役があるの
ですが、唯一の東洋人だからと、その役を振り当てられました。エルムウッド・パークの大
人のアマチュアの演劇グループの公演を見に行くこともありました。
 でも、劇の会話がわかるようになるまで、ずいぶん時開がかかりました。一つには、映画
にくらべると、戯曲のほうがむずかしいことばを使っているからでしょう。また映画には背
景があり、小道具や大道具も現実に近いので、どういう状況で劇が進行しているのかあまり
想像力やことばに頼らなくても、あるいはアメリカ社会をそれほど知らなくてもわかるよう
にできているからなのかもしれません。
 映画がわかりやすいもう一つの理由は、音楽がついていることです。映画音楽だけを切り
離して味わう人もいるくらいなのですから、音楽が映画の楽しみを幾層倍にもしている点に
はあらためて言及するまでもないでしょう。そして音楽が、ティーンエイジャーの生活と切
っても切れない関係にあることは、日本でもアメリカでも同じです。

広島ブログ 

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 大学入学の準備

大学入学の準備 

まず大学に入り、卒業してから自立する人もずいぶんいます。
アメリカの大学へ入るための手続は日本とはかなりちがいます。まず必要な
のはSATという試験を受けることです。正式にはScholastic Achievement
Testのことで、二つの分野についての能力の試験です。一つは言語的な能力、もう一つは
数学的な能力を調べるテストです。総合点と、言語的な点と、数学的な点と、三つの数字
すべてが意味をもちます。 一年のうちに六回受けることができます。高校三年、つまり卒
業する一年以上前から受けることができるのですが、問題はそれほどむずかしくありませ
ん。この制度でもう一つすばらしいのは、自分がとった最高点を大学に報告することです。
 大学についての情報を集めることも大切です。大学でどういう勉強をしたいのか、その
ためにはどの大学が適しているのか、大学案内を見たり、カウンセラーに相談したり、先
輩の話を聞いたりして、いくつかの大学に的を絞ります。 つぎに、それらの大学から資料
を取り寄せ、夏休みなどを使って、いくつかの大学を訪れます。キャンパスを見たりヽ係
の先生や職員からその大学についていろいろ教えてもらいます。また、試験的にいくつか
の授業を聴くことも可能です。大学側から見ると、これは面接にもなっています。この段
階で優秀だとわかる学生は大学が積極的に「勧誘」します。

 こうして、どの大学に応募するかを決め願書を出します。願書のなかには、履歴書の簡
単なものも必要です。しかし、アメリカの受験生にとって、もっともだいじなことは、よ
いエッセーを書くことです。なぜこの大学に入りたいのか、大学でどういう勉強をしたい
のか、その他に大学時代、目的としていることはあるのか、といった内容です。高校時代
に書いたエッセーで、自分を売り込むのにいちばんよいものをいっしょにつけるといった
こともします
 高等学校から成績が送られるのは日本と同じですが、自分をよく知っている先生や年長
者の推薦状も必要です。そうしたものが総合的に判断されて合否が決ります。
 入学許可は、二月ごろから発送されます。大学の側は、どうしても来てほしいと思う受
験生から先に、しかも、奨学金を出すとか、授業料を免除するといったよい条件で許可を
出します。優秀な学生は、いくつかの大学に合格しますから、しばらくして、第二次の入
学許可が出されます、いわば、補欠入学です。しかし、補欠で入ったかどうかが、その後
の大学生活になんの影響もあたえないところは、日本と同じです゜
 大学に入ってからも親の仕送りを受ける大学生は多いので、かならずしも経済的に自立
しているとは言えませんが、親元を離れて生活し、周囲から一人前の大人として扱われる
ことで、ほとんどの大学一年生は、急遠に成長します。
 専門のカウンセラーがいて、学業のことから友人関係、経済的な問題等、ありとあらゆ
る相談に乗ってはくれますが、基本的には、一人の大人として自分で問題を解決して行く
姿勢が要求されます。もっとも、なかには、子どもの成績に文句をつけにくる教育ママも
いることにはいるのですが、大学としては、こうした学生が親から自立できるよう、(親
子双方に)アドバイスをします。
 精神的に独立するためにも、親から独立して日常生活を送ることが大きな意味をもちま
す。母親にとっては子どもが毎日きちんとした食事をしているかどうかが、とても・心配に
なりますが、大学入学後はじめての休暇−十一月のサンクスギビングの休みか、十二月
のクリスマス休暇になります−に帰省した息子や娘を見て、自分の手を離れても立派に
生活して行けることを確認します。それは親にとって、ほっと安心すると同時に、一抹の
寂しさを感じる時でもあります。


広島ブログ 

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 兵役登録 

兵役登録 

さて、現在のアメリカには微兵制はもうないのですが、ここでも登録制度は残っていま
す。十八歳になると、兵役のための登録をして、万一徴兵する必要が生じた場合、つまり
戦争が起って兵隊が必要になった場合には、すぐ十八歳以上の男性がどこにいるかわかる
ようにしておくためです。選挙の場合とちがって、兵役のための登録はアメリカ人の義務
です。
 いまのアメリカの制度は、日本の自衛隊と同じで、軍隊で働きたいと思う人だけが、職
業として軍隊に入る志願兵制度です。そのためアメリカの陸軍、海軍、空軍、海兵隊では、
テレビその他のメディアを使って「軍隊に入るとあなたの将来はすばらしいものになりま
す」という宣伝をしています。
 とくに経済的に苦しい若い人たちにとっては、軍隊に入ることで、自分の手の届かない
教育が受けられる、そして教育を受けることでその後の道も開けてくるわけですから、軍
隊に入ることは、たしかに魅力のある選択なのです。ただし、軍隊に入ると戦争に行く可
能性が生じます。軍隊に入った人すべてが戦場に赴くわけではありませが、軍隊に入れ
ば、常にその可能性はあるのです。それは、人を殺さなければいけない、自分も死ぬかも
しれないという可能性です。それとは別に、国そのものが軍隊をもって戦争をするという
 大前提に疑問をもっている人もいます・こういう人たちにとって、軍隊はとても抵抗の
ある組織です。
 ベトナム戦争は、一九六〇年代のなかごろからエスカレートしてきて、最終的には一九
七三年までつづきましたが、その間、戦争では死にたくないというアメリカの若者たちが
ずいぶん増えました。彼らは、なんとか兵役を逃れようといろいろな手立てを考えました。
 最初のうちは結婚していると兵隊にとられない、つまり優先順位が低かったので、あわ
てて結婚した人もいます。大学で理科系の勉強していると優先順位が低いことが知られて
くると、専攻を理科系に変えた人もいました。あるいは、いろいろなことを全部こころみ
て、それでも徴兵されそうなことがわかったため、隣国のカナダに、あるいはョーロこハ
まで逃げ出した人もいます。
 精神障害のある人、特定の病気にかかっている人も兵役を免除されました。私の友人の
マイクは数学者でしたが、知合いの精神科医に「精神障害がある」旨の診断書を書いても
らって兵役を逃れました。もう一人の友人ボブは、正直に兵隊になりました。数学のゼミ
の部屋から「きょう出発する」と言って出ていった姿は悲しげでしたが、幸い、数年後に
生きて戻ってきました。

広島ブログ 

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 選挙権と登録制度

選挙権と登録制度

 
 免許証は、試験を受けないともらえませんが、ある年齢に達すると自動的に生じる権利
もあります。お酒やタバコを飲む権利もそうですが、一番大切なのは 選挙権と被選挙権
でしょう。選挙権や飲洒・喫煙の権利は最近、各州とも十八歳で得られます。ですから、
十八歳になるとヽ免許証も選挙権もあり、お酒やタバコが飲めるようになって、ほんとう
に大人になったのだといってよいように思います。

 かつて、選挙権を得るのは日本と同じく二〇歳だったのですが、それが十八歳に下げら
れたのには理由があります。以前、アメリカに兵役、徴兵制があったとき、兵隊にとられ
る年齢が十八歳だったからです。十八歳になると、選挙権がなくても兵役の「義務」だけ
は生じたのです。ところが、べトナム戦争反対運動が起って、若者たちが、それに文句を
つけました。われわれは十八歳になると徴兵されて戦場に送られる。そこで死ぬことも多
い。しかしながら、それを決める国政には参加できない。それはおかしい、という意見が
出てきたのです。その結果、一九七〇年ごろから、州ごとに選挙権が十八歳で得られるよ
うになりました。
 ここでアメリカ特有の登録制度を紹介する必要があります。十八歳になると、自動的に
選拳権はもらえるのですが、実際に選挙で一票を投じるためには登録をしなくてはならな
いのです。現在のアメリカにも少しは残っているのですが、この登録のやり方を複雑にし
たり、むずかしくすることで、たとえば黒人が選挙権を行使できなくすることも可能なの
です。事実、一九八〇年の数字では、選挙権を持っている人々のうち、低所得層、ならび
にマイノリティーを中心に、約四〇%、つまり六〇〇〇万の人々は、登録をしていません。


広島ブログ 

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 自立の証明書

自立の証明書 

 高校を中退したり、卒業してすぐ仕事に就いて自立する人もたくさんいま
す。その場合、手になんらかの技術があれぱ役に立ちます。だからこそ高
校での職業教育が大切になるのです。求人広告を見て、自分のレジメ持参で会社なり雇主
を訪れ、簡単な試験と面接を受けて仕事をもらいます。働きながら、資金を貯めて独立す
るケースも多いようです。
 仕事によってはヽ試験に合格したりヽ職能組合に入る必要があります。たとえぱ電気エ
事士になるためにはヽ試験に合格して資格を得る必要がありますし、建設現場で働く場合
には組合に入っていないと雇ってもらえません。また祖合に入っていると、組合を通して
いろいろな仕事を回してもらえるという利点があります。
 私の家の前に住んでいたクリスは、子どもの時からプラマーのお父さんをとても尊敬し
ていました。高校時代から勉強はあまり好きでなかったこともあって、アルバイトにお父
さんの仕事を手伝っていました。ときには、学校が主なのか、アルバイトの合間に学校に
行っているのかわからなくなることもあったようですが、とにかく高校は卒業してヽ本格
的にお父さんの手伝いを始めました。いわば、お師匠さんに弟子入りしたのです。二年ほ
ど修業をして試験に通り、いまではお父さんのよきパートナーとして毎日、仕事に精を出
しています。
 さて、アメリカで自立をするためにだいじなことがもう一つありますーそれは運転免許
証です。
 アメリカでは、どこへ移動するにも車が必要です。しかも、自分で運転できないと、と
ても不便です。ですから、どうしても免許証が必要なのです。また、アメリカには戸籍や
住民登録がありませんから、身分証明書としての免許証の役割も大きいのです。運転免許
証の交付は、州の管轄です。州によって差がありますが、免許証をとるためには、十六、
七歳になっている必要があります。義務教育修了の年齢とだいたい同じです。
 免許証をとること自体はそれほどむずかしいことではありません。ふつうの自動車、そ
れもアメリカではオートマチック車がほとんどなのですが、その運転ができて、交通法規
についての最低限の知識があれぱよいのです。エルムウッド・パーク・ハイ・スクールを
卒業したとき、私の同級生で運転免許証を持っていなかった人は、私の知るかぎりいませ
んでした。つまり運転免許証には、大人の仲間入りをしたんだ、という証明書のような性
格もあるのです。


広島ブログ

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 若者の家出

若者の家出

 しかしヽ大学に入る以前に親とのいさかいが原因で、家を飛び出す高校生も、
アメリカにはひじょうに多いのです。親の暴力的な虐待に耐えられずに家出
するケースもあります。貧しさから抜け出したい場合もあります。両親の仲の悪さに耐え
られない子どももいます。
 家出して、まず頼るのは友だちです。でも、親と同居している友だちは頼れません。少
し年上で、大都市に住んでいるような友人や知人を頼ることが多くなります。だれを頼っ
ていいかわからなくても、ともかく大きな町に飛び出して行くティーンエイジャーもいま
す。野宿したり、車のなかに寝たりという生活をするうちに、悪の道に入るケースもあり
ます。男女とも、麻薬と売春から犯罪にかかわるケースが圧倒的に多くなっています。
 なかには、家出をしても、なんとか仕事を見つけ住むところを見つけて、自立する若者
もいます。しかし、まったく自分の力だけで家出後に自立するのは不可能です。どこかで、
誰かの善意が働いています。ですから、うまくいくケースは十中八、九例外です。
 善意の一例に、ニュー・ョーク市にあるミフナント・ハウスがあります・一九六九年に
カトリックの神父さんが始めた施設ですが、これまでに十万人の家出青少年を受け入れ、
その三分の一が社会復帰しているそうです。私の友人のデボラは心理学者ですか、ボラン
 ティア活動の一部としてヽ家出した若者を一時的に預かって親代りに世話をしています。
自分にも小学生の子どもがいるのですから、家出イコール悪、と考えているのでないこと
はもちろん、本質的に若者たちを信じていることは明らかです。
 実は、私も家出した高校生を預かったことがあります。大学院の学生としてボストンの
近くに住んでいたころの話です。友人のパーティーでたまたまジョアンというユダヤ系の
アメリカ人と知り合いました。それから一週間ほどして、両親と仲違いして家出をした、
と彼女から電話がありました。夜遅く、しかも寝る所がないというので、ルーム・メート
と相談して、数日、居間のソファーを提供しました。二日目からは、話を聞いた他の家出
高校生が、泊めてくれと訪ねてくるようになりました。その間、家に戻るよう脱得をし、
結局、ジョアンは家に戻りました。その後、両親の理解を得ることができて、彼女は高校
を正式に中退し音楽の勉強を本格的に始めました。

広島ブログ