*ミントの人物伝その16[第185歩・曇]

酒を飲みすぎて良いことはまずありません。
の、はずですが・・・。


ミントの人物伝(その16)
趙匡胤(ちょうきょういん、927-976)
宋の初代皇帝、太祖。


10世紀半ば、中国は五代十国の末期を迎えていた。
後周の皇帝柴栄(さいえい)
天下統一をめざし北伐南征の軍をおこした。


その司令官は河北省固安県出身の趙匡胤
近衛軍の将校である。
高平の戦いでは北漢の軍を破り
南唐征伐では次々と敵の城砦を抜いた優れた武将だった。


ところが世宗柴栄は雄図半ばにして39歳で病没してしまう。
959年のことである。
世宗が死去すると7歳の恭帝が即位した。
するとまだ幼帝であるとして北漢が攻めてきた。
趙匡胤北漢迎撃の軍を率いて進軍した。


960年、陳橋(ちんきょう)でのことである。
陣中、兵士達は言い出した。
「幼帝では戦いに勝つことはできない。われらの皇帝を選ぼう」
「そうだ。司令官になっていただこう」

部下が上司を選ぶ、こんな時代だったのである。


これを伝え聞いた趙匡胤は弟の趙匡義(ちょうきょうぎ)に言った。
「わしは酔っ払っているからな」と。
彼は大酒飲みだった。
飲みだすといつも最後は飲みつぶれて寝てしまう。
河島英五の歌みたいである♪
このときも本当に酔いつぶれてしまった。


そこへ改めてやってきた趙匡義は
「皇帝になっていただかねばなりません。兵士達の総意です」
として、無理やり天子の着る服である「黄袍(おうほう)」を泥酔した兄の肩にかけた。
とたんに兵士達から万歳の声があがる。
こうして趙匡胤は皇帝になった。


不思議な事件である。
酔っ払っているうちに皇帝になったのは世界史上、趙匡胤だけだろう。
なぜ彼はこんなときに酒なんか飲んだのだろうか?


趙匡胤は利口だった。
皇帝の座を望んでいたが
自ら進んで即位するのではなく、部下達から擁立されることを望んだ。
やむを得ず擁立されたことにすれば諸将に借りを作らずにすむ。
そうすれば皇帝となったあと、誰にもはばからず政治ができるというもの。
だから「酔っ払っているうちに擁立される筋書き」を弟と打ち合わせたのだ。
これが作家、陳舜臣の意見である。


でもミントは、この考えは穿(うが)ちすぎだと思う。
趙匡胤はもともと呑み助だったのだから
「これは大変なことになりそうだ。酒がないと落ち着かない」
てなもんで、いつも通り飲んだだけであり、
皇帝擁立については、なにもかも弟のシナリオ通りだった。
これが正解ではないだろうか。


真相は分からないが、いずれにしても面白い。
つまるところ、彼に人徳があったということだろう。


趙匡胤は宋の皇帝となったあと
前代の皇族を大事にして、一切粛清を行なわなかった。
また農業・学問を奨励し、刑罰の軽減に努めただけでなく
少ない兵力で安定した社会を築いたといわれる。
彼は中国史上でも評価の高い君主となった。


ただの呑み助ではなかったんですね。


(参考文献)
 Wikipedia
「小説十八史略」(陳舜臣
  Web 他
 画像はWebから借用いたしました。


鷹取山(以前の写真です)