強風波浪


ここ数年よく熊本に遊びに行った。やまなみハイウェイやミルクロードを借りた車で走った。明るい曇天の日の鏡のような波のない宇城の海や、夕焼けと引き潮が作った曲線模様が見事な宇土の砂浜に行き当たった。南阿蘇の湧き水も訪ねたし、阿蘇神社にもお詣りをした。熊本城へは駅から歩いて行った、その途中、地元の大学だったろうか野球場で試合をしているのをしばらく眺めた。熊本城近くの専門店でデニム生地の緑のポークパイハットを買った。この冬のあいだにも、随分と使ったものだ。喫茶アローの老店主の昔話は人生訓でもあった。橙書店ではなんの本を買ったんだっけ?いつものように、旅先で本を何冊も買ってしまった。阿蘇大橋も何回か渡った。木曜の夜、土曜になったばかりの深夜、熊本で大地震が発生した。臆病な私はここに何か、激励とか提言とかを、早々に書くことなんか出来ない。何を書こうが言おうが、関東にいる、安全地帯にいる、そのことで、そのことだけで口を噤んでしまう。それが良いことではないのかもしれないが、言葉に、少しだとしても暴力が潜みそうで。

十年乗った車を買い替えて、新しい車が土曜にやって来た。雨の日曜日、新しい車を運転して葉山の先の、立石海岸や長者ヶ崎に行ってみた。防風波浪警報が出ていたかもしれない。海からの強風でときどき車が煽られた。大きな波が次々押し寄せていた。長者ヶ崎の駐車場に停めて、海が見渡せる場所を探し、国道のカーヴを歩いていくと向かい風が強烈で真っ直ぐに歩けない。写真になると大きな波が次々と入ってきて、そこに風や雨の音が混ざって、カメラをちゃんと構えて動かないようにしようとしてもそれすらうまく行かない、そんな風なその場のことは伝わらない。大きな波の、その大きさが伝わらない。

帰り道、神奈川県立近代美術館葉山に寄った。その名前すら知らなかった、明治の洋画家、原田直次郎の残した肖像画や少しの風景画を見た。慌ただしく。もっと時間をかけて見たいと思いながらも、ときどき心ここにあらず、字面だけを追って意味を捉えていない読書のように、さっき通りすぎた、あるいは今通りすぎた絵が、どんな絵だったのかがわからない。

雨脚が強くなるなか、新しい車のUSBに繋げたiPodからピアソラを選び、それを聴きながら運転する。平塚の、母が入居しているホームに立ち寄る。ふと思い付いて、スマホのカメラで母の写真を撮ってみる。写真なんかいや、と言ったのに、シャッターが切れる瞬間、たまたまなのか意識してくれたのか、笑顔になった。