何だかひつこいやうですが、書肆アクセスの閉店について。

mizunowa2007-08-14

【写真】
今月上旬猫庵にて。てんこ盛りコイワシ700円分、安上がりな贅沢。


書肆アクセス閉店について その5……だったかな?】
地方・小出版流通センター通信No.372(2007.8.15)が届いた。書肆アクセスの閉店について、継続すべき、売上不振について、支援の申し出など6社から意見が寄せられた、という。「(前号で)数字を出さずに、単なる経営不振という言葉では説明不足であったと思いますので、この9年間の書肆アクセスの読者販売、書店現金卸販売の推移を表にしました」とある。
それによると、展示売上は年々減少の一途、書店現金卸は2003年をピークに減少に転じている。この9年間の減少率は、展示売上-31.5%、書店現金卸-51.9%に達し、なかでも昨年の落ち込みがひどく、展示売上-18.7%、書店現金卸-44.0%。さらに今年度に入って以降の読者販売の落ち込みがひどく、書肆アクセスを独立採算事業体と見なせば年間500万円ほどの持ち出しになり、もはや「持ち直しは難しい」という結論に至った、ということである。
また、「センター全体の経営での補填という意見もございます。センター全体もぎりぎりの経営状態で(中略)昨今の環境では厳しいものがあります」とある。それは偽らざる実感だらう。今、出版業界で厳しくないところなんて皆無に近いはずだ(ま、景気がエエのは自費出版業者くらいだらうね)。私もまた、「書肆アクセスが赤字であろうとも、センター全体で補填すべき」という意見である。が、本屋は本を売ることでしか経営を立てる方法がない以上、それがままならぬときた日にはどうすればよいのか……。事態がここまで至ればもう不可能とはいえ、それでも今の「書肆アクセス」を継続してほしいというのが変わらぬ願いなのだが、八方塞がりですわな、これぢゃ。


もう一つ、通信には「『書肆アクセス』的空間が神保町にあって欲しいという声が地元の方々からもあり(中略)『本の町・神田神保町を元気にする会』の方々の配慮によって、現状の店舗は閉店しますが、別の神保町の一角に『書肆アクセス』という名前を引き継ぐ『インショップ』形式の店を作る方向で検討していただいています。運営主体は代わることになると思いますが、小売り販売空間としての『書肆アクセス』は継続出来るよう追求していきます」という記述があった。
7月26日付当blogで「ただ単に赤字を理由に書肆アクセスを閉めてそれで問題は解消されるのか、それにかわりうる新たな展開を用意しているのか、といえば地方小は何一つとして提示していない」と批判したが、この点については一歩前進なんだらう。ただ、「インショップ」形式とか「運営主体は代わる」というのが何のことやらようわからんのだが、「何処ぞの書店さんの一角に『書肆アクセス』のコーナーを設置する線で……」という話が一時期流れていたこともあるし、それに近い形なんだらうか? いずれにせよ、現行の書肆アクセスは11月17日を以て閉店、畠中理恵子店長ら書肆アクセスを取り仕切ってきたお三人さんは退社する。これだけは動かしようのない事実。新しい「インショップ」形式の店舗がどんなものになるのか皆目見当がつかないが、少なくとも新しいそのお店には、いつものお三人さんは居ないということ。神保町という〈土地〉であり、地方・小出版という〈棚〉であり、ここに吸い寄せられる〈人〉であり、これら構成する要素すべてが書肆アクセスという〈場〉であった――と思うわけで、それでも「形」を変えてでも「残る」のは喜ばしいことなんだらうが、どうも釈然としない――それもまた本音である。やはり、ひとつの〈場〉が消滅するということ、それで失われるもののあまりの大きさを思って立ち止まってしまう。


――結局のところ経営者の最終判断ですからね。赤字垂れ流してまで続けられんと云われりゃ、私ら外野はいくらぶーぶー文句云うても最後は黙るしかないですワ。
――それ、他人事ちゃいます。朝出勤してきたら、お店のシャッター開けへんかった……なんて話。ウチもいつそうなるかわからんデス。
この間、ある書店員さんとこんな話になった。数日後電話が入った。「知り合いの線からも聞いてみました。書肆アクセス閉店の件は、川上さんも苦渋の選択だったやうです。あんまりケンカ腰にならんでね」と――。それはようわかるんですワ。一応(?)わても経営者ですから。でも、川上さんと私とでは立ち位置が異なる以上、こんなこと書き始めたら批判的な筆致にならざるを得ない。シンドイこっちゃなあ。


さうさう。こんな言い方をした人もいた。「先のことを真剣に考える、ええ機会かもしれませんよ」と。神田村の空洞化やらネット書店の攻勢やら何やら状況が様変わりする中で、地方小の運営が年々苦しさを増してきたのは事実だ。書肆アクセスを切ったところで問題の根本は解決しない。でも、ここまで大鉈振るってしまったからには、これから先どないしたら本が売れるのか、必要とする読者に届けられるのか、そこを何とかしていかんことには先が無くなってしまう。契約版元の売上増は地方小の売上増でもあるのだから、ブックフェアやイベント等様々の売れる仕掛け、本屋に足を運んでもらう仕掛けを、もっとやっていかなアカンのだらうねえ。
書肆アクセス存続を求めての申入書の一つくらい契約版元連名で提出すべきでは、と考えた時期もあるのだが、事ここに至りては現実的ではない気がしてきた。とにかく、それぞれがするべき仕事をするしかないのだらう。



【申し訳ないのだが、「書肆アクセスの本」について引っ掛かったこと】
それと。
書肆アクセスの本を作る会 http://d.hatena.ne.jp/jinbouac/ の「趣意書」と「原稿執筆のお願い」が届いた。で、「作る会」(こういうふうに略したら、一寸びみょーだすなぁ)関係者に知人が多いこともあり、また、献身的に関わっているみなさんには申し訳ないのだが、私は、私自身の思想信条により、執筆もカンパもお断りさせて頂くことにした。
書肆アクセスと自分自身とのかかわりとか思い出を語る、というのはいかにも後ろ向きでイヤなんだな。たとえが妥当か否かわからないが、私の仕事のまわりでいえばこういうことだ。宮本常一が何処の土地でどうしたこうしたどんなええことを云うた、遺品は、遺筆は、手紙は……ということには、実は私は殆ど興味がない。そんなことよりも、宮本がやり残した仕事とは何か、その先の展開はどうなんだと、どうにも「その先」が気になる。だから、この仕事を続けている。
私個人の書肆アクセスへの思いとか関わり合いとか問題意識は、このblogなり地方小の月報(かなりとは云わんけど、そこそこ昔のことだ)なり、目下原稿整理中の某雑誌のインタビュー記事(この話がメインではないデス)なり、彼方此方で書き(云い)散らしてきたのだから、これ以上場を改めて展開する必要はなかろう、と。それもあるけど、私は元々追悼集の類には寄稿しない主義である。私の曲解かもしれないが、「趣意書」「原稿執筆のお願い」を読んでて「追悼集」みたいな印象を受けた。いずれにせよ、私自身がぴんとこない以上、無責任に関わってはいけない。さういうことで……。