東芝のワンセグGigabeet発売延期……orz


ヨドバシ・ドット・コムをご愛顧いただき、ありがとうございます。
このたびは、東芝のハードディスクオーディオ「MEV30T(K)」を
ご予約注文いただき、誠にありがとうございます。

同商品の発売日について、当初6月下旬予定とご案内しておりましたが、
メーカーより7月中旬予定へ変更との案内がございましたので
取り急ぎご案内申し上げます。

【発売日変更対象商品】
東芝 ハードディスクオーディオ「MEV30T(K)」

変更前: 6月下旬発売予定
 ↓
変更後: 7月中旬発売予定

ご迷惑をおかけいたしますが、商品のお届けまで
いましばらくお時間をいただけますよう、お願い申し上げます。

今後もヨドバシ・ドット・コムをよろしくお願い申し上げます。

WEB進化論について

http://d.hatena.ne.jp/kmd/20060617#p2

>ネットで結構話題になってたので。でも、そんなに目新しいところは、ないような。特に残念だったのは、音楽にしても本にしても、コピー天国と

>なりかねない状況の中で、いかにクリエータの権利を保護していくか、について、「既存の体制がしばらく続く」以上の考察が無かったこと。
>
>GoogleがeBay対抗のサービスを始めるようなので、このへんも実は急激に動くんじゃないかと期待したり。もう、作品の配布にもチープ革命が起き

>てしまっているので、作者にダイレクトに利益が発生する仕組みを作らないとダメだよ。JASRACみたいな寄生虫が、ブイブイ言わせるのではなく。


かまださんも読んだっすね。
自分も前に買って読みました。精読ってわけではないですが……
自分としては、情報の格付けをしていたのは従来は「権威」。たとえば新聞記者とか学者とか評論家とか芸能人とか作家とか。
要するに学識者とか有名人。
だけど、検索エンジンが「客観的」に格付ける仕組みが生まれたせいで、それが一般大衆に広く公開された。
要するにGoogleみたいな検索エンジンが「知の階層構造」に風穴を空けた。
みたいな見方は、なるほどと同意したんです。


ただ、今でも、そういう風潮はもちろんあるけど、以前よりは相対的に弱くなったと。
たとえば個人ニュースサイトの運営者による「情報の格付け」も、ネットが無かったら、検索エンジンが無かったら、
彼(もしくは彼女)の周囲だけが知るだけで、日本中の人がその恩恵に預かることはなかったはずで。


そんなこんなで検索エンジンのおかげで、情報がすぐ見つかるから、ソフト開発者も「すべての資料を書籍としてそろえないでも」
体外なことはネットで調べてすむようになった。昔なら人に聞かないと解らないことも、検索して調べれば(調べられれば)自己解決できる
ようになった。それはネット社会の恩恵と思う。
百科事典もいらないし、辞書ももってなくても、ネットで調べれば解る。ネットを調べる行為が辞書を引くことなので、「辞書すら持ってない」という嘆きは意味が無い。
同様に、「最近の若い者は新聞もとらない」というのもあまり意味が無い。目的は新聞をとることではなく、世の中の動きを知るために新聞をとってるわけで。



そんなこんなで

>作者にダイレクトに利益が発生する仕組みを作らないとダメだよ。JASRACみたいな寄生虫が、ブイブイ言わせるのではなく。
 私もJASRAC寄生虫みたいなものと思うんですが、考えてみたらJASRACだけじゃなくて、
 作家には編集者がいる。音楽にも音楽プロデューサーとか、アニメには上位の企画とかプロデューサーとか。
 もちろんクリエイターと表裏一体でいっしょにやってる面もあると思うんですが、
 以前、日本アニメの問題で、出版社とかTV局とか政策会社とかで「経済学部を出た人間が、アニメを作ってる気分で高給をとってる」
 のに、実際に「絵を描いている真のクリエイター」は、極貧の生活を強いられているというNHKの番組を見たんですが、

 なにもJASRACだけじゃなくて、すべての表現者には非表現者がくっついている構造は同じなのかなと思うんです。
 はっきり言えば、鵜飼と鵜の関係ですよね。鵜飼がどのくらい汗をかいているかの差はあるけど、実質はなんでも同じではないかと。
 でも鵜は貧乏かもしれないけど(メジャー、ユニークな存在になれば別)好きなことをやってるわけで、逆に鵜飼は雑務とか雑用とか、
 つまんない業務もやらないといけない。ま、しかし、あまりに何もしないで上前をはねるだけの、まるで天下りの役員みたいなのは
 やはり許せないというのは然り。 


 現実に帰ると、アニメはDVD販売でペイしている。マンガは単行本販売でペイしている。
 雑誌とかTV放送はタダにできても、けっきょくは物理的な何かに、情報を乗せることで、やっと回っている。
 逆に、その物理的な何かをはずすことはできるのか?
 iTunesみたいなネット販売とか、電子ブック販売とかは、たしかに理論的には存在するだけど、そんなに上手く回っている気がしないんですよね。
 それって、ただのテクノロジの問題でしょうか? 時間が解決するのでしょうか?
 たとえば、食玩で、戦車のおもちゃは、なぜか「誰も食べないラムネ」とセットされて、はじめて流通に乗り、消費者に届く。
 その裏には、消費者の、人間としての心理の問題があるのではないか?


 物理的な何かに乗っていれば、人はお金を払ってきたけど、
 物理的な何かと思ってきたCDそのものが、実は「音楽を流通させるためには本来意味の無いものだった」ということに気づいたから
 音楽CDが売れなくなったという側面があれば、そこに「なにか意識の問題」があるような気がします。
 けっきょく論理的なサービスだけになってしまえば、それは「タダ」じゃないと流通しないのではないか?



 となると、
>者にダイレクトに利益が
 ダイレクトではなくて、広告として利益を間接的に還元するしかないのかな? とか思います。
 ダイレクトに還元できる仕組み、できそうですかね? 将来的に?
 かといって、なんでも広告が前提になると、「広告代理店」という存在もいやな感じがします。
 GoogleAdsenseみたいに「客観性」が売りならばまだ増しかもしれませんが……
 ちょっと電通みたいな感じだと、JASRAC以上に上前をはねている存在に思えますし……


 そう考えると「映画」「演劇」というのは凄いなと。あれは物理的な何かに乗せるわけでもなく、
 「早く、大画面で、体験できます」というサービスに対して、消費者はお金を払ってるわけで、
 単行本とかDVDとかいう「食玩」における誰も食べないラムネを使ってないわけです。
 映画館というインフラはあるけれど、別に無駄な存在ではなくて、そのスペックがコンテンツになってるわけで。
 そう考えると、歌手のコンサートもそうですね。



今、ふと思ったんですが、
 例えば「プログラミングの本を買わずにネットで調べる」とか言うと、「本ぐらい買え」とか怒るひとがいまだにいるんですが、
 逆ですよ。
 本という物理的な何かに乗っている存在を使うから、作家というプロと、消費者というアマチュアという二極分離が生まれるんですよ。
 従来なら本になっていたような情報でも、ネットで、情報が無料公開されていたら、「それに気づいたエンドユーザーは当然ただを選ぶ」
 わざわざCDを買わないでも、レンタルしてMDなりipodなりで聞けば「結果は同じじゃん」と気づいたエンドユーザーと同じく、
 目的は「情報を手に入れる」ことであって、「お金を出して本を、CDを買うことが目的ではない」のです。
 物理的な何かという存在が、「対価」を生んでいるのであって、
 ネットという情報がなんでも乗るインフラがあれば、物理的な何かはいらないから、
 情報はタダになる。
 しかし、それではすべてがボランティアでしか成り立たないわけで……それはそれで問題
 でも、BLOGで子育てマンガを連載していた人の面白さが認められ、本になってベストセラーみたいなのは、
 ネット世界の幸福な一例なのは確かと思う。


SONY BMG、無料のミュージックビデオサイトを立ち上げ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/20/news033.html
こういう動きもありますね。
古い情報は公開しても売り上げには関係ない。
むしろ知らないから買えない人には、ただでも公開すれば、商売が成立する。
でも、それはタダの品質 < 有料の品質 という差が前提条件ですね



Googleにしても、真の客観性はもちろんありえない。そんなものがあれば、それは神だし、形而上学

電撃大王で新連載?

http://d.hatena.ne.jp/shiochin/20060620#p1



>今日は新連載がらみの取材で上野動物園に行きました。
>しかもよつばスタジオ里見英樹さんとあずまきよひこ先生と
>一緒に行ってまいりました!なんかスゲー!!

 おぉー。もしかして、しおや先生、電撃大王へ進出なのだろうか?


しろはたでしおや先生の「チョコレート」が一押しになっていた。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/

しかし、本田さんもすっかりラノベ作家というか、
大活躍ですね……
羨ましいととか言うと失礼ですね。実力ですね……