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2017-02-23

[]ガレリア・グラフィカbisの田中幹展を見る



 東京銀座ガレリア・グラフィカbisで田中幹展が開かれている(2月25日まで)。鉄で作られた抽象彫刻展だ。田中は1982年神奈川県生まれ。2006年に多摩美術大学美術学部工芸学科を卒業している。2008年にここガレリア・グラフィカbisで初個展、その後横浜ギャラリー四門と青山のGLOSSで個展を行い、今回が4回目となる。

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 田中は鉄の小さなピースを使い、それを溶接して作品を作っている。今回のメインの小山のような形の作品は150kgあり、今までも200kgや250kgの作品を作ってきた。

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 ほかには無言の砦といったような作品が並べられている。9年前の個展の作品をファイルで見せてもらったら、それをよく憶えていた。印象深い作品だったから。

 単純なかたちであるにも関わらず、過去のどこかで出会っているようなある意味決してよそよそしくはないかたち、違和感のない形状をしているのも不思議だった。

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田中幹展

2017年2月20日(月)―2月25日(土)

11:00―19:00(最終日17:00まで)

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ガレリア・グラフィカbis

東京都中央区銀座6-13-4 銀座S2ビル1F

電話03-5550-1336

http://www.gg-bis.com

2017-02-22

[]ギャラリー檜Cの山本圭子展を見る



 東京京橋ギャラリー檜Cで山本圭子展が開かれている(2月25日まで)。山本は1982年静岡県生まれ、2005年に東北芸術工科大学彫刻コースを卒業し、2007年に同大学大学院彫刻領域を修了している。個展は2015年ガレリア・グラフィカbis、昨年のART FOP THOUGTについで3回目となる。2015年の展示を以前ブログに紹介した。そのときの文章を再録する。

今回の目玉作品は正面の壁面を覆うような茶色い顔の作品だった。天地左右がいずれも3mという巨大な顔、これは段ボールでできている。段ボールといっても、顔を構成している面は段ボールの切断面だ。つまり後ろに60cmもの奥行きがあるレリーフ状の作品なのだ。これには本当に驚いてしまった。

 あの作品はどうしたかとたずねると、古紙屋さんで処分してしまったという。もったいない!

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 さて今回は、やはり立体作品で和装の新郎新婦を作っている。単なる立体像ではなく、断面がその形なのだ。奥行きは数10cmはあろうか。今回の展示について山本の書いた文章がある。

時間と量と存在をテーマに制作しています。

日々の積み重ね、生きてきた時間、会った人全てが私に繋がって私は存在している。

柔かく薄い布を重ねていくことで、量になり、作品になる。

この空間で少しでも感じていただければ嬉しいです。

 そのほか、布の断面を重ねて作ったレリーフ状の顔の作品や、丸い円盤状のオブジェの集合などが展示されている。額縁からはみ出している円盤状の作品を見ると。山本の過剰な内面が想像され、主観的にはつらいものがあるかもしれないけれど、作家としては豊かな才能が約束されているのではないかとエールを送りたい気持ちになる。

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山本圭子展

2016年2月20日(月)―2月25日(土)

11:30−19:00(最終日17:30まで)

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ギャラリー檜C

東京都中央区京橋3-9-9 ウィンド京橋ビル2F

電話03-6228-6361

http://hinoki.main.jp

2017-02-21

[]Oギャラリー「選選展」の山田栞子がおもしろい



 東京銀座のOギャラリーで「選選(よりより)展」が開かれている(2月26日まで)。選選展は毎年Oギャラリーのオーナー大野さんが独断で選ぶ新人展だ。今回は創形美術学校の3人の版画家が選ばれている。木版の小山希と小口木版の鈴木智深、それにリトグラフの山田栞子だ。ここでは山田栞子を紹介したい。山田は1995年、東京都神津島生まれ。現在創形美術学校3年に在学している。

 山田の作品は変な動物を描いている。カタツムリタコ、魚、ニワトリだ。それらが複雑な形で覆われているように見える。このうち魚は「スイギョクカン」とタイトルがあり、これは何かとたずねると、山田の造語水族館のような魚だとのこと。

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 本来気持ちの悪いカタツムリは「ホテルマイマイ」と題されて、親の上に子が載り、子の上に孫が載っている。そしてその身体は小さな花で覆われている。

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 タコの身体も花で覆われ、腹には穴が開いていて、その中にアナゴタツノオトシゴや小魚が住んでいる。腹の上半分は潜水艦のようになっていて、リスが操縦しているようだ。潜望鏡もついている。

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 ニワトリも雄鶏と牝鶏が並んでいて装飾過剰な外観を呈している。

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 やはり花に覆われた魚のスイギョクカンは見事な尾びれと、シダのような装飾的なひれを持っていて、多数の小魚を従えている。

 それらを造形した想像力がすばらしい。紹介しなかった小山と鈴木もなかなか良かった。

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「選選展」

2017年2月20日(月)〜2月26日(日)

12:00〜20:00(日曜日は11:00〜16:00)

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Oギャラリー

東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3F

電話03-3567-7772

http://www4.big.or.jp/~ogallery/

※この画廊は毎日午後8時まで開廊し、時間は短いが日曜も開いている。

2017-02-20

[]『田中克彦自伝』を読む



 『田中克彦自伝』(平凡社)を読む。田中はモンゴル語が専門の言語学者。私の最も好きな言語学者で、田中の本は手に入る限り読んできたつもりだ。モンゴル語が専門ということで、言語学者としては中心には位置していない。中心はやはり英語、フランス語ドイツ語ロシア語スペイン語あたりだろう。しかしモンゴル語のような周縁言語からは世界が見える、以前そのようなブログを書いたことがある。

 中心にあれば自分たちだけを見ていれば済む。それが周縁にあっては、周縁とともに中心を見なければならない。周縁からは世界が見えると言った所以だ。そのことは20年ほど前にパソコンの世界を調べていて分かった。当時日本の主力だったNEC富士通エプソンなどを見ていると自分たちだけにしか関心がなかった。そしてそれで済んでいた。ところが周縁機器メーカーは周縁も見て中心も見なければならなかった。広く世界が分かっていたのは周縁機器メーカーだった。

 田中克彦ともう一人千野栄一が好きだった。千野栄一チェコ語専門家で、やはり周縁に位置する言語学者だ。2人とも言語学に限らず広い分野で発言していた。

 田中克彦自伝は、自伝にありがちな堅苦しさは微塵もなく、読みながら声を出して笑ってしまった。通勤の電車のなかでさえも。田中が書く。最初の記憶は3、4歳のときだった。背中に負われていた祖母から、「あんた、どこから生まれてきたか知っとるか」と聞かれた。「知らん」と答えると、それはなあ、おばあちゃんのこの背中から生まれたんだぞ、と言った。ありえないと思われたが、祖母は近くの桑の木の根元あたりのせみの抜け殻を指した。せみの抜け殻の背中の真ん中には縦に裂け目が入っていた。この説明は実証的で、うむを言わさぬ説というのは説得力あった。ぼくの人生はそこから始まったとある。

 靖国神社をめぐる中国韓国の反発に対しては、日本の神社は必ずしも立派な人だけがまつられているものではなく、時には悪いやつだってまつられていることがある。

 ぼくはこんなことで、ことを荒立てなくてすむように、政治家はひかえ目にすればいいのに、わざわざ8月15日めざして、これ見よとばかりに一斉にお参りするというのも、また「心の行い」としては正しくないと思う。不幸な戦争に果てた人をいたむのなら、ひそかに夜陰にかくれて、こっそりお参りして、さめざめと涙を流した方がいいが、そんな、心のあたたかい政治家がいるとは思われない。

 田中の父は不用意な失敗をぽろりとやってしまう人だった。田中は時々父を困らせてやろうと、きわどい質問を思いついて試みることがあった。ちんちんは外にぶら下がってじゃまになることがある。神様は取り外しができるように人間の身体を作ればよかったのにと父に言った。父は、もし取り外してどこかに置き忘れ、見つからなかったらどうするんだいと答えて、田中はぐうの音も出なかった。

 モスクワで初めて知り合いになったモンゴルの学者がバダムハタンだった。ソ連崩壊の間際、バダムハタンはレストランでソ連のスパイと取っ組み合いをして勝った。もうソ連はつぶれるというので自信満々に渡り合ったのだ。最後にバダムハタンに会ったのは彼のアパートだった。

 田中さん、おれはつらいんだ。何回結婚しても女は出ていってしまう。娘も近くにいるが、おれとは住まない。外国から国際学会で人がやってきても、自分の家に呼べないんだ。だがあんたのために、おれはこうしてうどんを作るんだ。

 そう言って泣いている間じゅう、鼻みずと涙がぽろぽろと粉の上に落ちるのだから、味つけは全く必要なかった。そして、粉まみれになったエプロンとチョッキを指して、これはママが作ってくれたんだよ、ママが、と言ってなおも鼻みずと涙は粉の上にふりかかって、いっそう味を濃くするばかりだった。(中略)

 それでかれの作った肉うどんを食べながら、かれの人生観を聞かされた。あらゆる人生はドラマだ。ドラマは必ず幕がおりる。おれの人生も間もなく終わる。研究をやめて故郷で羊飼いをやる。友人のところへ行って、そのカミさんが生んだ子の一人はおれの子だ。いい友だちだから、ちゃんと育ててくれた……と言うのだが、どこまでがほんとかわからないけれども、ぼくは全部ほんとだと思う。モンゴルでは、そんなのは特別変わった話ではない。

 開高健の『夏の闇』に登場する佐々木千世子にはボン大学の研究室で会った。彼女は『ようこそ!ヤポンカ』という本を書いていた。ヤポンカとはチェコ語で日本女、日本娘を意味する。ボンで彼女はハルトード家に居候していた。ハルトードの奥さんは日本人の洋子さんで、佐々木は田中の後釜に入ったのだった。洋子さんによると、千世子は毎夜違った色のパンティーを着てハルトードさんの書斎に入っていっては刺戟を与えたという。当時彼女は30から31歳だった。

 居候はそんなに長く続かず、しばらくしてから大学の家族用ゲストハウスに出ていった。この宿舎に、ベトナムからの取材旅行から帰ってきた開高健がころがりこんで、千世さんと二人で、あられもない愛欲の生活をいとなむありさまは、かれの小説『夏の闇』にくわしく描かれている。

 田中の『夏の闇』に対する評価はとてもひどい。

 ぼくは、この小説は俗っぽくてほとんど無内容のくだらない作品だと思う。なぜ俗っぽいか。当時としては稀だった、外国で給費をもらって、博士論文に励むという女を主人公として、その女がかたことのドイツ語で手に入れてくる飲み物や食べ物のことを、まるで通のように引き取って語り、イナカッペ日本人としては比類のないしゃれた生活のように見せびらかして書いているにすぎないからである。この流れは『何となく、クリスタル』などにも引きつがれる商品カタログまがいの、通俗知識の見せびらかしにすぎない。(中略)

 前掲の新聞記事によると、司馬遼太郎は、開高健への弔辞で、「『夏の闇』一作を書くだけで、天が開高健に与えた才能への返礼は十分以上ではないかと思われた」と述べたそうである。(中略)

 文庫本につけられたC・M・ニコルという人の解説も、劣らずひどい、いいかげんなものだ。いわく、「この解説を書くにあたって、私は本書を4回、読みかえした」。本当かい? 「これ迄に私が読んだ日本の小説で、最もすぐれたふたつの作品のうち、その一つが本書だということ、ここで私の言いたいのはこれに尽きる」。――本気かい。日本の小説ってそんなにつまらないものかい、ニコル殿。

 田中によると、佐々木千世子の肖像画をブブノワが石版画に描いていて、それは町田市の国際版画美術館にあり、行けば見られるはずだと。

 田中は東京外語大学に9年間勤めたあと、岡山大学に移る。運転免許証の住所の書き換えのために岡山警察署へ出頭した。受付に20歳を出たばかりの婦人警官が現れたのでその旨を告げた。彼女は免許証を見ると、やおら、こう言った。「かわいそうに、東京でなんぞ悪いことでもしんさったん? 東京にはおられんような」と。

 その後、岡山大学から一橋大学に移る。一橋大学に在籍中、1年間フィンランドへ留学する。一橋大学を定年で辞めたあと中京大学へ就職した。しかし中京大学へ移ってからわずらわしいことが起こったと書くが、それらの詳細については、ここで述べるのはさしひかえたいと書かれて終わっている。

 面白いエピソードばかり拾った。ここには言語学のことや、政治的なこと、あの学生運動の時代のことなども書かれている。腹蔵のない人で、嫌いな学者の名前もフルネームで書いている。金田一春彦に嫌われた話とか、前述の千野栄一と嫌いあっていたこととか、隠すことがない。

 そして「あとがき」で、4、5年たったら、ふたたびこの自伝の執筆に立ちもどり、今回書けなかったことを書きつづけたいと願っていると結んでいる。ぜひその続編も読んでみたい。


田中克彦自伝: あの時代、あの人びと

田中克彦自伝: あの時代、あの人びと

2017-02-19

[]『三島由紀夫レター教室』を読む



 『三島由紀夫レター教室』(新潮社)を読む。達者な三島が手紙形式の小説で、なおかつ手紙のお手本になるような作品を書いた。さすがだなあ。登場人物は5人だけ。その5人の間でのやり取りで、31種類の手紙の見本を示してくれる。そしてそれが小説になっているという優れものなのだ。

 ラブレター、ファンレター、借金の申し込み、同性愛の告白、脅迫状、結婚申し込み、中傷する手紙、身の上相談、病人への見舞状などなど、本当に芸達者な作家だ。

 このうち、「同性への愛の告白」を引用する。炎タケルというのは、23歳の芝居の演出を勉強している大まじめな理屈っぽい青年とある。差出人は、少し禿げあがった肥満体の中年男で云々とある。この「云々」を「でんでん」と呼んだ総理がいたが。

 炎タケル君。

 君はまったくすばらしい。私たちは舞台、映画、テレビの仕事には馴れていますから、色男の2枚目などは、どんなに人気があっても、裏から見ればただのデク人形と思っているので、何の魅力も感じたことはありません。

 もちろん、そんな人たちにファンレターも書いたことはありません。しかし、これは君へのファンレターなのです。

 舞台の上でキビキビと働く若竹のような君の姿、おとなしく分けた髪がパラリと頬にかかる悩ましさ、長い脚に何て汚れたGパンがよく似合うこと。それに、君が舞台端に立って、照明家と打ち合わせして笑ったときの白い歯、……私はこんなに埃まみれになって働く若者の、知的でしかも雄々しい魅力に打たれたことはありませんでした。君の姿を見てから、舞台の上のスターは、みんな吹き飛んでしまいました。それほど君は、先鋭な鋼板のような美しさを持っていたのです。

 ぜひ君とゆっくり話してみたいと思い、人にきいて君の名前を知ると、廊下で大いそぎでこの手紙を書きました。どうか私の気持ちを察してください。3枚目みたいな役をやっていますが、私は根はまじめな男です。明日の初日の晩は、いろいろおつき合いもおありでしょうから、2日目のハネたあと、劇場の裏の2本めの路地の、『セレニテ』というスタンドバアでお待ちしています。

 ぜひ来てください。来てくださるまでは、きっと仕事も手につかないと思います。

 突然よく知らない男からこんな手紙をもらって出かけていく男がいると三島が思っているわけではないだろうが。

 芸達者な作家だと先に書いたが、さすがに企画に無理がある。5人の人物の手紙が十分に書き分けられているとは思えなかった。5人もいればもっと思いがけない文体の手紙があっても不思議ではないと思う。小説の出来も企画の無理がたたって三島としては不出来だった。



三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)