mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-05-22

[]10歳でキャバレーで働いていた女性!



 若い頃、渋谷キャバレー「エンパイア」で働いていたことがあったと以前ここに書いたら、当時働いていた人や客だったという人がコメントを書いてくれた。

 その中に驚くべき体験を書いてくれた女性がいた。そのカオリンさんのコメントを紹介する。

カオリン  

母親が働いていました(^◇^;)

良く連れて行かれたのですごく覚えています、懐かしい。

mmpolo

カオリンさん、当時おいくつだったのですか?

カオリン

私はまだ10歳でした…(^◇^;)

髪の毛が長く大人っぽかったので18と言えと言われてました(^◇^;)

そんなとこ連れて行く親も今じゃ考えられませんね(^◇^;)

久々に渋谷に来て思い出して検索して立ち寄りました、すみません…

mmpolo

カオリンさん、びっくりするような体験ですね。10歳の娘を連れて行ったんだ。

まさか、客席まで行ったわけではないんでしょ。

カオリン

あはは

客席に行きましたよ、頬のこけた背の高いおじさんボーイさんが怖かったのを記憶してます。

そこで働く厚化粧の母親、煌びやかな衣装に照明、バンドの前で踊る大人…

とっても嫌でした。

 当時、おそらく50年近く前だろう。10歳の女の子に接客させていたところがあったんだ! まあ、店側は気づいていなかっただろうが、びっくりする。

 あの頃は本当にいい加減で、18歳未満の女の子でも普通に風俗で働いていたようだし。

 そういえば「五木の子守歌」でも「15でねえやは嫁に行き」と歌っている。数えで15だから満14歳だ。昔祖母が言っていたことを思い出した。誰々さんのところではお嫁さんが小さくて、嫁ってきた当初は毎日毬付きをして遊んでいたんだと。そんな価値観からしたらカオリンさんのお母さんだって特別じゃなかったのかもしれない。

 今では考えられないことだけれど、私の生まれ育った村では、農作業の合間に大人の女の人たちはみな立小便をしていた。詳しいことは憶えていないけれど、畑の隅に行って尻をまくり上げ中腰になって足を開いて器用にしていた。後年、岩波新書かなにかで、京都かどこかの昔の女の人は壁に向かってというか壁に尻を向けて立小便をしていたという記述を読んだことがあった。

 もっとすごいことを読んだことがある。シベリア少数民族の話で、その地方は冬は水がないので住居(掘立小屋のような小さな家)のまんなかに池みたいなのを掘り、それへ家族中でおしっこをして、それを日常の水代わりにして使っているというものだった。あれはなんていう本だったのか。

2017-05-21

[]ツタの葉の形の違い



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 ここに2鉢のツタの小品盆栽がある。どちらも実生から育てたもので、鉢に上げて10年以上になる。同じ種類のツタだが葉の形が違っている。

 左は小さな葉が3枚でひとつの葉を作っている。これは3出複葉といわれるものだろう。

 右は1枚の葉になっている。掌状裂の浅裂ということにになるのではないか。

 こんなにも違うのにこの2つのツタは同一の種類なのだ。なぜこんなことになったのか。実は葉数の違いが葉の形の変異をつくったのだ。右の鉢のツタは枝数が少ない。強選定によって枝が少なくて、その結果、葉数も少なくなっている。右のツタは少ない葉で必要な光合成を行わなければならないために、1枚の葉の面積を大きくしてそれに対応しているのだ。

 だから今後、強剪定を改めて枝数を多くするならば、右の鉢のツタも左のツタの葉のように小葉3枚の形に変わるだろう。

2017-05-20

[]宇フォーラム美術館の「visual-lines」を見る



 東京国立の宇フォーラム美術館で「visual-lines」が開かれている(6月4日まで)。3人の作家のいずれもインスタレーションで、望月厚介、清野耕一、作間敏宏が参加している。望月は1948年静岡県生まれ。清野は1957年東京都目黒区生まれ。作間は1957年宮城県生まれだ。

 1階の暗くしたスペースに望月の作品が置かれている。黄色い箱が9個並べられている。望月によると、自分の手の掌紋を撮影したものを拡大し、シルクスクリーンで刷ってプラスチックの箱に貼り、中から黄色い光を当てている。手前の箱5個が今年撮影した掌紋、奥の4個が10年前のもので、新しいのは模様が薄くなっていて老化がみられるという。棺桶を連想もしたが、同時に神秘的でもあり、コンセプチュアルでありながら美しい作品になっている。撮影しなかったが、壁面には同じシルクスクリーンの平面作品が展示されていた。

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 2階に行くと清野のインスタレーションが部屋いっぱいに展示されていた。傘のようでもありコマにも見えた。3人の中で清野だけが初めて見る作家だった。

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 清野の部屋の横、暗幕の向こうが作間の部屋だった。部屋の中央にたくさんの仄暗い電球が土俵のような形を作って光っている。いや、円を描くように生えるきのこのフェアリーリングによく似ている。正面の壁にはこれまた仄暗い映像が映されていて、これは雨だろうか。暗い夜に降り続ける雨の中で、縄紋人やアイヌ、またはアメリカインディアンとかアボリジニが輪になって座り込んでいる情景が浮かんできた。なんだか部族の行く末を相談しているような、目の前の困難に打ちひしがれて押し黙っているようにも見えた。

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 宇フォーラム美術館へ来たのは今回が初めてだった。以前、国立駅前の画廊を何軒か見たことはあったが、一ツ橋大学の方まで足を延ばしたのは初めてだ。宇フォーラムは一ツ橋大学の裏手にある。途中昔ながらの丸いポストがあって、まだ使われているのかと驚いた。

       ・

「visual-lines」

2017年5月11日(木)−6月4日(日)

12:00−18:00(休館=月・火・水)

入館料=300円

       ・

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宇フォーラム美術館

東京都国立市東4-21-10

電話042-580-1557

http://kunstverein.jp/

JR中央線国立駅南口から徒歩20分

JR南武線谷保駅北口から徒歩15分

2017-05-19

[]金田一春彦『美しい日本語』を読む


 

 金田一春彦『美しい日本語』(角川ソフィア文庫)を読む。2002年に角川oneテーマ新書21として刊行された『日本語を反省してみませんか』を改題したもの。5つの章からなっていて、「『常識度』模擬試験」「周りを引き付ける人の日本語力」「『話せばわかる』日本人の本音」「日本人の心を動かす言葉」「言葉の背景を学ぶ」とある。

 なるほどちょっとハウツーっぽい軽めの新書的な内容だった。さすが言語学の大御所というか大御所の息子というか、教えられるところがたくさんあった。もっとも言語学そのものの話題ではなく、言葉と社会というような切り口だったら先だって読んだ鈴木孝夫の方が鋭く深いだろう。

 最初の「『常識度』模擬試験」はいただけなかった。このあたりは金田一が書いたというよりも、編集部が作ったものに金田一が手を入れたのだろうと思って読んでいたが、あとがきを見ると若い人の話題も取り上げたいと次男金田一秀穂の意見を聞いてまとめたとある。以前サントリー美術館で見た楽家15代の茶碗の展示を思い出した。初代から15代まで時代が下るにしたがって完成度が落ちていった。まあ、茶碗はものだから、先代を超そうと考えたらどうしても奇矯な方向へ走ってしまう。

 ところどころ引用されている和歌などの解釈を読むと、言語学者が必ずしも文学を適切に理解できるわけではないことも分かった。

 言語学者らしいと思ったのは、以前山梨県甲府で起きた誘拐事件の脅迫電話のテープを聞かされたときのことを紹介しているエピソードだ。電話で犯人はほとんど標準語に近い言葉で話しているが、「ちゃんと」という言葉を「ちゃ〜」を高く話している。標準語では「〜んと」が高いのだという。また「持っていく」は東京の人なら「〜ていく」が高いのに、犯人は「持っ〜」を高く言っている。この犯人のアクセントは、山梨県中央部から長野県南部に独特のものだと。私は長野県南部飯田市近郊の出身だが、まさにこの犯人と同じアクセントで今も話している。

 また、女の名前で届いた脅迫状に「〜と踏んで」とあるのを、これは男の言い方だと分析していた。あの言語学者は金田一春彦だったのか。

 いや、親が偉いと子供は苦労するなあと改めて思った。


美しい日本語 (角川ソフィア文庫)

美しい日本語 (角川ソフィア文庫)

2017-05-18

[]黒田龍之介『その他の外国語 エトセトラ』を読む


 

 黒田龍之介『その他の外国語 エトセトラ』(ちくま文庫)を読む。初めてのエッセイ集の由で、4つの章に分かれていて、「33文字の日常」「22の不仕合せ」「海外旅行会話11の法則」「11年目の実践編」からなっている。

 黒田はロシア語から始めて、ウクライナ語やベラルーシ語、さらにさまざまな言語を学び、大学では英語、ロシア語言語学を教えていた。NHKテレビやラジオではロシア語の講師もやっている。さまざまな言語をマスターしているようだが、どこにも留学の経験はない。1か月くらいの滞在はしばしばらしいが。

 最初の「33文字の日常」はロシアをはじめ、東ヨーロッパで主に使われているキリル文字を順番に並べて、その文字から始まる単語を見出しにして短いエッセイを組み立てている。その見出しを拾ってみる。見出しはロシア語で書かれているが、私がここに書けないのでその和訳を載せる。英語、文字、電車の車両、新聞、家で・自宅で、もし、クリスマスツリーetc. 脈絡がないようだが、すべてキリル文字ABC順なのだ。

 2番目の「22の不仕合せ」は、正確には外国語学習22の不仕合せで、見出しを拾うと、「英語もできないくせに」「完璧でなければ」「目指すはバイリンガル」「身近なことから」等々となっている。英語もできないのに他の外国語まで手が回らないという学生に、いろいろな外国語を覗いてみようと薦める。完璧を目指す必要はない。バイリンガルを目指さないで多くの外国語を学んだ方がいい。とにかく会話ができるようになりたいから語学を学ぶという人に、誰と話すつもりか、旅行で使いたいと言ってもそんなのはほとんど必要ないなど過激な主張をしている。「悪いことはいいません。やめておきましょう。/店員やウェイター、ホテルのフロント係のために外国語を学ぼうなんて、ヘンです。(……)/相手にニッコリしてもらいたいんだったら簡単です。お金をいっぱい持っていきましょう」。会話より読む力を高めることを薦めている。

 こんな調子だがなかなか面白かった。黒田のほかの著書もよんでみたい。