mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-07-25

[]「画廊からの発言−新世代への視点2016」



 今日から始まる「画廊からの発言−新世代への視点2016」は、恒例の13軒の画廊が推薦する40歳以下の若手作家13人の個展だ。現代美術の代表的な貸画廊が選んだ作家たちだから見逃せない重要な企画で、7月25日から2週間開かれる(8月6日まで)。

 13の画廊とそれぞれ取り上げている作家は次のとおり。



ギャラリーなつか:寺井絢香

http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/


・コバヤシ画廊:村上 早

http://www.gallerykobayashi.jp/


・ギャラリイK:内山翔二郎

http://homepage3.nifty.com/galleryk/


ギャラリー現:峯岸千絵

http://g-gen.main.jp/


[・ギャルリー東京ユマニテ:繪畑彩子

http://g-tokyohumanite.jp/


・藍画廊日比野絵美

http://igallery.sakura.ne.jp/


・なびす画廊:佐藤万絵子

http://www.nabis-g.com/


ギャラリーQ:和田裕美

http://www.galleryq.info/


ギャラリー58:松見知明

http://www.gallery-58.com/


・ガルリSOL:松尾玲央奈

http://www005.upp.so-net.ne.jp/SOL/


ギャラリー川船:MIYAKE YURI

http://www.kawafune.jp/


・FUMA Contemporary Tokyo 文京アート:田村吉康

http://bunkyo-art.co.jp/


・gallery21yo-j:水戸部七絵

http://gallery21yo-j.com

       ・

画廊からの発言−新世代への視点2016」

2016年7月25日(月)−8月6日(土)

11:30−19:00(最終日17:00)全画廊日曜休廊

gallery21yo-j〔自由が丘〕のみ会期・時間が異なる

2016年7月26日(火)ー8月6日(土)

13:00ー18:00(最終日18:00まで)

2016-07-24

[]佐野洋子『覚えていない』を読む



 佐野洋子『覚えていない』(マガジンハウス)を読む。主に1990年前後に雑誌等に掲載されたエッセイなどを集めたもの。佐野を読む面白さは、女性の極論的本音を知ることができると思われるからだ。女性の思考が男性とちょっと異なると感じたのは4コママンガの秋月リス『OL進化論』を読んだときだった。OLたちの思いがけない思考が面白かった。それらのなかで今でも一番印象に残っているのは、普段から憧れていた男性から急にデートを誘われたとき、一瞬舞い上がって喜んだものの、今日身につけているのが小母さんパンツだったことを思い出してデートを断ってしまうエピソードだった。私らいいじゃんパンツなんてと思ってしまうのだが、どうやら彼女たちに普遍的な思考らしかった。

 佐野が、テレビのアナウンサーが、年取って容貌がおとろえた事を理由に番組を下ろされ、それを女性差別だと言って訴えて戦っていたことについてコメントしている。

……ちょっと待ちなよ、オバサン。あなたがアナウンサーに採用された時は、あなたの能力のうちに容貌というのもしっかり入っていたのだよ。同じ能力あるいはちょっと上回る能力を持っていたライバルたちをあなたの容貌という武器でけ落として勝ち抜いたのだよ。その時、あなたは、私の容貌が点数のうちに入っていたら、それを差し引いてくれとはたのまなかったはずだ。だったら、年取って能力が低下したんだったら、それはマイナス点になっちゃうんだよ。

 真冬に群馬県の山小屋に友人のさくらさんと行った。雪が降って美しい景色だが退屈なので、ベストセラーになっていた渡辺淳一うたかた』上下2巻を買って、さくらさんと2巻を別々に読み始める。

「ねぇ男がね教えるの。”その先に見えるのが大島だ”」。宿屋でもったいぶって、”大島だ”と教えている男を想像するとおかしい。「キャー大変」私は下巻を読み上げる。「安芸は裾を左右に分かち徐々におしあげると2本の白い肢の彼方に黒々とした叢が見える。安芸はいったん手をとめ、それから懐かしいものに出会ったようにうなずく」「あんなものの前で、うなずいている男って想像できます?」「今度は食べ物よ。何だらかんだら”えんがわが添えられているのも嬉しい”嬉しいのよこの男は。”和食は目でも食べる”この男全部講釈たれるの」「女笑ったりしないの」「しないわよ、”お料理もデザインですね”なんて答えるの」「ちょっと恥しくなってきたわよ、この男、着物着てでかけるわよ、真夏に、銀座四丁目に”白の上布を着て素足に草履を履いて家を出た”やだこんな男と銀座あんた歩ける? やだ女も着物着てきた。(後略)」

 「華やかな荒野を」という小篇がある。

 私が初めてモリ・ヨーコに会ったのは亀海昌次の恋人としての20歳の娘のモリ・ヨーコだった。20の娘は伊藤雅代というごく平凡な名前を持つ特別な娘だった。

 同じ様な年頃の娘が沢山いたが、シューチョーというニックネームのモリ・ヨーコは、特別だった。

 亀海と婚約して、婚約ハキしたシューチョーが佐野を呼び出したことがあった。「あの時、私は何の役にも立たなかった」と佐野は書く。モリ・ヨーコより2歳年上で結婚していたにも関わらず。それから何年も経って、彼女は佐野の事務所に訪ねて来たことがあった。可愛い混血の女の子を連れて。「その頃、多分彼女が一番つらい時期だったという事を私はずっと。あとになって知る。/その時も、私は何の役にも立たない無能な友人だった。/そして『情事』によってあざやかな小説家モリ・ヨーコが出現した」。

 そうか、モリ・ヨーコは森揺子だったのか! 

 モリ・ヨーコは佐野を香港へ誘う。買物にいかない? おいしいものを食べに行きましょうよ、おしゃれしてパーティーに行きましょうよ、でも佐野はそれらを断った。「多分、六本木のキャンティで私はモリ・ヨーコの世界からそっと捨てられた」。

 1行空けて、佐野は続ける。

 モリ・ヨーコは決して死んだりしない。私が死んでもモリ・ヨーコは決して死んだりしないのだ。

 死がいかに不条理であっても、そんなはずはないとモリ・ヨーコの突然の死を私は受け入れられなかった。(中略)

 女流作家、モリ・ヨーコは全ての人のものだった。

 だから私のものでもあった。

 もしも赤いバラが永久にこの世から失われたら、世界はどんなに淋しいだろう。

 私は私の赤いバラを失った。(中略)

 ごめんね、シューチョー。私はまだまだ時間があると思った。やがて、年老いた時に、何も言わずに、年老いた孤独や生きて来た共感を分かち合えると思っていた。それまで、私は、モリ・ヨーコにせいいっぱいモリ・ヨーコをやって欲しかった。

 もっとやれ、もっとやれってけしかける気分だった。いつまでもけしかけようと思っていた。そして、私は私の場所で待ってるつもりだった。わたし淋しい。

 優れた追悼だ。佐野の気持ちが伝わってきて少し辛い。

覚えていない (新潮文庫)

覚えていない (新潮文庫)

2016-07-23

[]グレッグ・イーガン『TAP』を読む



 グレッグ・イーガン『TAP』(河出文庫)を読む。編訳者の山岸真があとがきで書いている。

……〈SFマガジン〉創刊700号記念のオールタイム・ベスト投票(2014年7月号発表)では、海外作家部門で第1位、海外短篇部門で「しあわせの理由」が第2位になったのをはじめ、長篇・短篇あわせて多くのイーガン作品が上位に名をつらねた。1990年代以降に頭角をあらわした作家としては、テッド・チャンとともに突出した高評価であり、このふたりを現役最高のSF作家とする声もある。ことにハードSFと呼ばれるタイプの作品に関しては、いまやイーガン英語圏での第1人者といっていい。

 本書は10の中短篇からなっている。しかし、上記引用に続いて山岸が書くように、「本書の収録作に、”ガチガチのハードSF”はない」。世にも奇妙な物語とかホラーとかに分類されるような作品が並べられている。イーガン得意のハードSFではないので、これで云々するのは酷な気もするが、表題作の「TAP」では、脳内に埋め込まれたチップによって完全ともいえる表現が可能になる。そのチップ=トータル・アフェクト・プロトコル(TIP)をインプラントした詩人が亡くなり、娘が死因を疑って殺人者を追求しようとする。

 TIPをインプラントするということが何を意味するか、それがどのような社会的影響を及ぼすか、イーガンは詳しく語っている。佐野洋子も言うように「細部のリアリティーを持たねばホラ話は死ぬ」。だから読者としてはうっとうしいが、これを省くことができない。しかも殺人はそのTIPの操作によって起こっていた。

 普通のミステリなら、TIPのような未来社会の小道具(大道具?)なしで話が進められる。なんだか余分な手数がかかっている印象が強い。しかし、SFにとって、このことこそがツボなのだから、我慢して読まねばならない。ということで、私はグレッグ・イーガンをあまり評価できないのだった。そんな大口を叩けるのも、ついスタニスワフ・レムを対照してしまうからだ。大森望も『21世紀SF1000』(ハヤカワ文庫)で言っている。「レム的思考を現在に受け継ぐのがイーガンだけど、さすがに貫禄ではレムにかなわないかも」って。レムは難解な設定を面白く楽しく書いてしまう。レムの泰平ヨンシリーズなんかは、ドタバタ劇でありながら、深遠な哲学が語られているのだから。


2016-07-22

[]佐野洋子『私の息子はサルだった』を読む



 佐野洋子『私の息子はサルだった』(新潮社)を読む。ケンちゃんという男の子の保育園時代から高校生の頃までを書いている。発行が2015年の5月、ちなみに佐野は2010年に亡くなっている。最後に「あとがきのかわり」と題して広瀬弦が書いている。広瀬は佐野の一人息子でイラストレーターをしている。

 僕は何度か佐野洋子の書いたものに登場している。

 それは楽しく、美しいエピソードもあったと思う。でも僕はそれがずっと嫌だった。そこにいるのは僕じゃない。僕の思い出に少しの大袈裟と嘘を好き勝手に散りばめている。

 十代の終わりの頃、知らないおばさんに腕をギュッと掴まれて、

「あら、あなたがげんちゃん? 知ってるわよ、他人のような気がしないのよね」

 と言われたことがあった。僕が知らない人が僕の知らない僕を知っている。怖かった。もしかしたら凄い顔で睨んでしまったかも知れない。

 その後すぐに僕は、佐野洋子に頼むからもう自分のことは書かないでくれと怒った。彼女は不満そうな顔をして渋々それを受け入れた。それからしばらく彼女が書いたものに僕が出てくることはなくなった。

 もしかしたら、この「ケン」の話はその頃に書き溜めていたのかも知れない。(後略)

 息子の拒否を受け入れて佐野は発表を控えたのだろう。しかし亡くなって5年後、息子の広瀬弦は発表することを受け入れた。「私の息子はサルだった」などという題名は佐野ではなく、編集者と息子が作ったのだろう。

 小学校から中学校あたりの男の子ってこんな無茶苦茶な存在だったと思う。小学生の時、ケンちゃんは級友2人と一人の女の子を好きになり、その共通点で「親友同盟」を作った。のちに名古屋に転勤していった彼女の家を皆で訪ねて行って歓迎されたりもしている。

 名門私立中学に入った親友同盟の一人のよっちゃんの台詞、

「おばさん、男子校って悲劇なんだよ。もうオレなんか、道で女見ただけでのぼせ上がるんだぜ。どんなブスが向こうから来てもカーッてなっちゃうの。いいよなあ、ケンは」

 やあ、本当にサルみたいな男の子たちがとてもかわいらしく面白い。もっともっと書いてくれたら良かったのに。

私の息子はサルだった

私の息子はサルだった

2016-07-21

[]「ポンピドゥー・センター傑作展」を見る



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 東京上野東京都美術館で「ポンピドゥー・センター傑作展」が開かれている(9月22日まで)。ポンピドゥー・センター所蔵の美術品71点が都美術館に並べられている。ピカソマティスシャガールカンディンスキーデュシャンジャコメッティなど、錚々たる美術家の作品が並んでいる。リストを見る限り素晴らしい。

 さて会場に行ってみると、通常の展示とちょっと違っている。作家の名前が壁の上部に大きく掲載され、その下に作品と作家の写真が並べられている。そんな展示方法なのは、作品が作家ごとに1点だけなのだ。71人の作家の作品71点が並べられている。なんだか、カタログとか索引を見ているような気分だ。71人の作家だから知らない名前も多々ある。こんな作家がいたのかと、それは参考にもなったが、ピカソとかマティスとかジャコメッティとか、有名な作家の作品もたった1点にすぎない。これは欲求不満を感じさせられた。

 ちらしのキャッチフレーズが「20世紀の巨匠たち、ぞくぞく。」とある。まさにそのとおりで、ピカソマティスの作品を目の前にすることができるのだが、肝心の巨匠たちの作品が少なすぎると思う。まあ、フランスへ行かないで、ポンピドゥー・センターの所蔵作品が見られるのだから良しとすべきなのだろう。

 私なんかもらった招待券で入ったのだから、偉そうなことを言うべきではないだろうが。

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「ポンピドゥー・センター傑作展」

2016年6月11日(土)―9月22日(水)

9:30〜17:30(金曜日は20:00まで)月曜日休館

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東京都美術館

東京都台東区上野公園8−36

電話03−5777−8600(ハローダイヤル)

http://www.pompi.jp