mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2019-01-23

[]eitoeikoのながさわたかひろ展「オレ新聞 完全版」を見る



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 東京神楽坂ギャラリーeitoeikoでながさわたかひろ展「オレ新聞 完全版」が開かれている(2月2日まで)。ながさわは1972年山形県生まれ、2000年に武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻版画コースを修了している。2010年にart data bankで初個展、その後養清堂画廊、ギャルリー東京ユマニテなどで個展を開き、2010年からは神楽坂のeitoeikoで個展を繰り返している。

 ながさわはヤクルトスワローズの選手や試合を描いてきたが、最近はサッカーや相撲、漫才などにも舞台を広げてきている。今回のタイトルの「オレ新聞」とは、

プロ野球を描き始めておよそ10年にもなると、個展に来られるのはプロ野球ファンの方々ばかり。いつしか「自称・選手としてプロ野球を描く変わった人」としてしか見られなくなってしまいました。このままでは美術家という肩書さえも“自称”になってしまいそうです。こりゃマズい。一度、取り組み方を見直さなくては。そんな思いから日々起こるニュースを描き始めました。

 題して、〈オレ新聞〉です。

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 なるほど、小池知事の姿も見られる。ざっと300枚は展示されているようだ。山形アートフェアに参加したことから山形事物が描かれ、ここeitoeikoの他の作家の個展も描かれている。当然eitoeikoの画廊主の癸生川さんもモデルになっている。じっくり見始めたら1時間では終わらない。とても楽しい空間になっているのだ。

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ながさわたかひろ展「オレ新聞 完全版」

2019年1月12日(土)−2月2日(土)

12:00−19:00(会期中 月曜休廊)

     ・

Eitoeiko

東京都新宿区矢来町32-2

電話03-6873-3830

http://www.eitoeiko.com

神楽坂の矢来公園すぐ近く

2019-01-22

[]森山徹『モノに心はあるのか』を読む



 森山徹『モノに心はあるのか』(新潮選書)を読む。森山は以前『ダンゴムシに心はあるのか』(PHPサイエンス・ワールド新書)でダンゴムシにも心があると主張していた。本書ではさらに進んで石ころにも心があるとびっくりすることを書いている。

 森山は心とは「ヒトにおける知・情・意に代表される精神作用のもと」として広く受け入れられてきた。そして、この精神作用の本質を「個性を生み出す仕組み」として、心がヒトだけでなく、動物にも備わる可能性を指摘する。そこから、

……ヒトや動物が備える「行動決定機構の集合体」のうち、個体に行動を発現させている顕在行動決定機構以外の、活動を自律的に抑制している機構の集合体である「潜在行動決定機構群」が、発現中の行動を質的に修飾する可能性があること、すなわち、「行動に個性を与えうること」を導きました。このような考察から、私は、「潜在行動決定機構が心の実体である」と提唱したのです。

 ところで、私は、以前、拙著『オオグソクムシの謎』の中で、心の実体は「隠れた活動体」であると提唱しました。……

 潜在行動決定機構とは、決定されて顕在化した行動の前に複数の不確かな行動決定機構があり、顕在した同じ行動の陰には様々な行動決定機構があって、それが個体の個性だという。これが心の実体だという。

 さらに石器職人は石の割り方を通して、どこを打てば石が割れるか知っている。石は職人が制御して割れるのではなく、石の隠れた活動体によって割れるのだ、すなわち石にも心があるのだと。

 動物=虫の心も、モノ=石の心もおよそ認められるものではない。これは森山の心の定義に問題があるのだろう。もし心の実体はC(炭素)だと定義すれば石炭にも心があることになる。

 私は『ダンゴムシに心はあるのか』を紹介したとき、

……人間の心を考えた場合、まず意識がある。その下位に無意識がある。さらに下位に内蔵の認知がある。内蔵の認知というのは、食べ物が胃袋に入ったときに消化すべき食べ物だとして消化活動をする胃袋を考えることができる。また黴菌が入ってきたときの白血球の対応を考えてもいい。胃袋も白血球も認知をしているだろう。しかし胃袋も白血球も心を持つとは言わない。

 下等動物の反応は内臓の認知に似ているのではないか。単に先験的にプログラムされたものなのだ。それは決して心の反応というものではない。内臓の認知が発達してそれが無意識にまで進化し、さらに進化して意識を作るのではないか。

 と書いた。モノにも下等動物にも心はないだろう。だが、高等動物、少なくとも犬や猫には心があるのだが。



2019-01-21

[]村上隆『芸術起業論』を読む



 村上隆『芸術起業論』(幻冬舎文庫)が文庫化されたので購入して読んだ。おなじようなことを言葉を変えて何度も言っていて、あまり情報は多くない。加えて頻繁に改行を企てていて必要以上にページを稼いでいる。といっても文庫本で220ページくらいしかない。

 リキテンシュタインとウォーホルについて、おもしろいことを言っている。

 リキテンシュタインの価値はまだ高いのですが、何年後かには消費され終わってしまうのかもしれません。

 ウォーホールの作品は、感動も呼ばないし、インテリジェンスもありません。むしろ感動を呼ばないように細心の注意を払っていたりする……しかし一方でリキテンシュタインはインテリだし作品のクオリティも高いし生前に評価されたわけです。

 ところが死後になると、美術の世界のルールを変えたウォーホールの人気こそがうなぎのぼりなのです。

 そんなふうに、欧米の美術の世界では、ルールとの関係性における「挑戦の痕跡」こそが重んじられるというリアリティがあるのです。欧米におけるアートはルールのあるゲームです。

 そうだろうか。ウォーホルとリキテンシュタイン評価が変わったとしたら、評価軸が大衆のそれに降りてきて、その時大衆は自分たちでも理解できるウォーホルを選んだと考える方が納得できるのではないか。茂木健一郎もウォーホルの大きな作品を見て神の降臨だって言っていたし。それを聞いたとき、美術の世界では茂木も大衆だと思った。

 村上は世界に通じる画家を目指す若者たちを鼓舞する。日本の特性を武器にして欧米と戦えと。それが「アニメ」とか「オタク」とか「カワイイ」とかって、情けなくないだろうか。

 村上は欧米の美術の世界で成功した。だから自分を手本にしろと言っているようだ。彼の工房カイカイキキのスタッフにそう言っているように。だけど村上の欧米での成功はある種のゲテモノとしての成功ではないだろうか。

 あとがきを読むと、編集者たちへの謝辞が連ねられている。幻冬舎の編集者には、4年近くの歳月を費やしたこと、本2冊分をチャラにしてまだ完成させようとしたことを。さらに原稿制作に関わってくださったとして何人かのフリーの編集者の名前があがっている。

 これらのことから、村上が編集者たちを相手に何度も何度も口述し、それをまとめたのが本書だと想像できる。だから構成が甘いし、主張も論理的に一貫していない印象を受ける。

 もっとも私は何も分かっていないのかもしれない。25年以上前に村上が渋谷のマンションの一室でヒロポンファクトリーを開いていた頃から面白いけど変な作家だとかしか見ていなかったし、ロンサムカーボーイを小山富美夫ギャラリーで発表したときも見に行って、小山さんがアメリカ人はこれを300万円で買うんだというのを聞いて、アメリカ人て馬鹿だなあなんて思っていた。その後その作品は転売されて最後は16億円にもなったのだったが。

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

2019-01-20

[]春の花を探す



 NHKの天気予報の時間に代々木公園フクジュソウが咲いている映像が紹介された。それで私も探しに行った。近所の公園ではフクジュソウはまだ蕾だった。それではとフキノトウを探すと小さな蕾が出始めていた。公園だから採るわけにはいかない。

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↑こちらがフクジュソウ、↓がフキノトウ

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 旧中川の土手まで足を延ばした。南向きの斜面にはタンポポが咲き始めている。近くには芝桜が植栽されていて、これも咲き始めていた。

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 近所の団地の庭を見て回ると、オオキバナカタバミが咲いていた。ボケも蕾が膨らんでいる。一体にボケは実止まりが悪く、これだけ蕾を着けても実になるのはやっと数個程度だ。だからボケ酒の材料を集めるのは苦労する。

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2019-01-19

[]吉田秋生海街diary9 行ってくる』を読む



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 吉田秋生海街diary9 行ってくる』(小学館フラワーコミックス)を読む。悲しいことにこれが最終巻だという。2007年から11年かかって9巻が出た。毎回楽しみで手に取ってきた。

 あらすじ、

すずは父の死後、鎌倉に住む母親違いの3人の姉と暮らしているが、サッカー特待生として静岡の高校に進学することを決意。仲間と過ごす最後の夏を迎えた頃、千佳の妊娠が発覚する。浜田は千佳と入籍し、エベレスト登山のためにヒマラヤへと旅立つ。幸と佳乃の恋もそれぞれ進展し、夏が終わろうとしていたが……!?

 最後に番外編「通り雨のあとに」が置かれている。すずが静岡の高校へ旅立って物語が終わってから、おそらく10年後の話だ。すずが13回忌にあたって親の遺骨を鎌倉へ移すために婚約者とともに田舎を訪ねる。すずは25歳くらいだが、その顔は全く描かれない。ただ帽子の陰から輪郭が覗いているばかりだ。

海街diary 9 行ってくる (フラワーコミックス)

海街diary 9 行ってくる (フラワーコミックス)