mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-01-14

[]小谷野敦文章読本X』を読む



 小谷野敦文章読本X』(中央公論新社)を読む。何種もある文章読本のうち、斎藤美奈子がそれらを揶揄して書いた『文章読本さん江』以後、再びこのテーマで書く作家が現れるとは思わなかった。でも小谷野の本はおもしろく、成功していると思った。

 小谷野は先人たちの文章を取り上げる。まず有吉佐和子が厳しく批判されている。

 私が有吉の作品を読んで、文章が純文学だと思ったのは『華岡青洲の妻』くらいである。ほか『和宮様御留』などもまだいいが、『恍惚の人』『紀ノ川』『出雲の阿国』などは、何とも通俗で通読に耐えなかった。それがまた、ほかの大衆作家と言われる人たちに比べても、耐えがたいのである。海音寺潮五郎などの歴史作家はもちろん、石川達三などは読めるが、有吉のものは読めない。

 歴史作家では山岡荘八批判される。

 歴史作家の中で、飛びぬけて文章がひどいのは、山岡荘八である。私はあの長大な『徳川家康』を、大河ドラマになった時も読まずにいたが、何度か山岡に触れた文章を書くうち、一応目を通しておこうと思い、第1巻から読み始めて、あまりの悪文ぶりに驚いた。文章や書きぶりにまるで格調がない。

 隆慶一郎白井喬二も文章がひどいと批判される。そして巧い作家の名前が挙げられる。

 これら(隆、白井)からすると、直木三十五がいかに斬新だったかが分かるし、吉川(英治)、海音寺潮五郎司馬遼太郎が、いかに巧いか分かるのである。海音寺は、直木賞の銓衡委員をしていて、池波正太郎を認めなかったが、実は池波にも、俗臭が漂うようなところがないではない。

 司馬遼太郎の文章は、やはりうまい。最近、江藤新平を描いた『歳月』を読んだが、「司馬のあとに司馬なし」の感を強くした。

 現代日本の通俗作家では、赤川次郎の文章には欠点がないとされる。そのほか谷崎潤一郎の文章や大江健三郎川端康成三島由紀夫などについて具体的な例をあげて評価している。

 170ぺージ未満とわりあい短く、また面白かったので1日で読んでしまった。良い文章の書き方よりも、悪文の見本が具体的に示されていて参考になった気がする。でもそういう実用的な事柄よりもとにかく面白く読んだのだった。


文章読本X

文章読本X

2017-01-13

[][]ギャラリーTS4312で山本弘展が始まった



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 東京四谷三丁目ギャラリーTS4312で山本弘遺作展が始まった。16点が並んでいる。ぜひ見てください。

       ・

山本弘遺作展

2017年1月13日(金)〜1月29日(日)【金土日のみ】

12:00―19:00(最終日17:00まで)

       ・

TS4312

東京都新宿区四谷三丁目12番地 サワノボリビル9階

電話03-3351-8435

http://www.ts4312r.com/

2017-01-12

[]ラカンテレヴィジオン』を読む



  ラカンテレヴィジオン』(講談社学術文庫)を読む。裏表紙惹句から、

……フランス精神分析家1973年に出演したテレヴィ番組の記録。難解を極める著作『エクリ』で知られるラカンに高弟ジャック・アラン・ミレールが問いかける。一般の視聴者に語られる師の答えは、後年まで続く『セミネール』にも見られない比類なき明晰さをそなえている。唯一にして最良のラカン入門!

 「比類なき明晰さ」「最良のラカン入門」とある。本文わずか100ぺージ未満の小著を早速読んでみた。ところがこれが少しも分からない。分からない理由を考えてみた。

1.私の理解力不足

2.内容が難しい

3.訳文の責任

 おそらくこれら3つとも関係するのだろう。訳文にも問題があるのではないかと考えたが、私はフランス語が分からない。だから正確にはそう言い切ってしまうには少々ためらいが残るのだが。凡例にあるが、「訳語には適宜、発音を示すルビを振り、原語を想起するための補助とした」。「ルビを振った訳語は、巻末の「訳語−原語対照表」に収録した」。さらに「訳文中に[9]の形で原書のページ数を付記した」。この最後の凡例は聖書のそれを思わせる。

 それにしてもなぜにここまで原書のページ数や原語に拘るのか。訳文だけで完結させることに何か困難があるのだろうか。過剰なルビは読むのに煩わしい思いをさせられるし、そのルビが発音を示すルビであり、巻末にその訳語−原語対照表を収録されているという七面倒な意図もよく分からない。訳文に自信がなければ小著なのだからいっそのこと対訳形式にすればとも思う。

 本書冒頭を引用する。フランス語のルビが振られている訳文を「 」で囲んで示す。

 [9]わたしはつねに「真理」(ラ・ヴェリテ)を語ります。「すべてではありません」(パ・トゥット)、なぜなら、「真理をすべて語ること」(トゥット・ラ・ディール)、「それはできないこと」(オン・ニ・アリヴ・パ)だからです。「真理をすべて語ること」(ラ・ディール・トゥット)、それは、「素材的に」(マテリエルマン)、「不可能」(アンポシーブル)です。つまり、そのためには、「言葉が不足している」(モマンク)のです。真理が「現実界に由来する」(ティアン・オ・レール)のも、まさにこの不可能によっています。

 じっくり読んで理解しようという意欲もない。

 訳語−原語対照表が巻末に17ページも掲載されている。いやはや・・・


2017-01-10

[][]ギャラリーTS4312で山本弘展が開かれる



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 東京四谷三丁目ギャラリーTS4312で山本弘遺作展が開かれることは先日ここで紹介した。いよいよその詳細がギャラリーホームページに告知された。まずギャラリーの店主 澤登氏の紹介文。

山本弘は1981年51歳で自死した。以来、山本の教え子である曽根原氏は遺族から作品を預かり管理している。それが今回の企画である。山本の作品には、長谷川利行の影が見え隠れする。ストイックまでに対象を凝視し、喰らいついている。その極端なまでに単純化された形、抑制された色彩。山本の叫びが聞こえてくるようである。実に緊張感がある。(TS4312店主 澤登丈夫)

 ホームページには展示予定作品の全画像が掲載されている。また山本についての経歴や今までの展示歴も簡単ながら紹介されている。その画像を下に添付した。ぜひ多くの方に見に来ていただきたい。

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 ※開廊日は金土日のみなので注意してください。

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山本弘遺作展

2017年1月13日(金)〜1月29日(日)【金土日のみ】

12:00〜19:00(最終日は17:00まで)

       ・

TS4312

東京都新宿区四谷三丁目12番地 サワノボリビル9階

電話03-3351-8435

http://www.ts4312r.com/

2017-01-09

[]『ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』を読む



  デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ『ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』(ちくま学芸文庫)を読む。最初に書いてしまうと、羊頭狗肉だった。ポパーウィトゲンシュタインの大激論とあり、ちくま学芸文庫から出版されているので2人の哲学を論じていると期待してしまった。そうではなかった。著者2人はBBCジャーナリストで、ポパーウィトゲンシュタイン対立をジャーナリスティックに面白おかしく綴っている。まあ、哲学を論じていると思ったから羊頭と考えた私の早とちりなんだけど、初めから犬の肉と思って読めば面白く興味深い読書だった。とくに両者を始めバートランド・ラッセルも含めて、一人の伝記と違って徹底的に相対化している。偉大な哲学者たちが全員その行動面ではなく思想面で相対化されて描かれているというのは新鮮だった。普通伝記では描かれる主人公をときに神格化までする傾向があるのだから。

 1946年ケンブリッジ大学で毎週行われていた哲学の教授と学生の討論会にカール・ポパーが招かれて講演した。議長はウィトゲンシュタインだった。バートランド・ラッセルの顔もあった。ウィトゲンシュタインは当代きっての哲学者と圧倒的な人気があった。ポパーウィトゲンシュタイン論破して英国哲学界に打って出ることを画策していた。ポパーが話し始めて間もなくウィトゲンシュタインが横やりを入れた。2人の激しいやりとりになり、ウィトゲンシュタインが暖炉の火かき棒を手に取って、おそらく発言とともにそれを突き出したりしたのだろう。そのことが後日、「2人がまっ赤に焼けた火かき棒を手にしてたがいに自説を譲らなかった」と噂になった。本書の原題も「ウィトゲンシュタインの火かき棒――2人の大哲学者のあいだでかわされた10分間の議論」となっているという。すぐにウィトゲンシュタインは部屋から立ち去った。そのことを後日ポパーが伝記で勝ち誇って書いているという。しかし、本書の著者たちはウィトゲンシュタインが負けて立ち去ったのではなく、相手にするのを嫌がったのだろうと結論づけている。

 このエピソードがあまりにも面白いので中心に据えられているのだが、本書はウィトゲンシュタインの伝記とポパーの伝記、それに当時のヨーロッパ哲学界の動向とナチス政権を獲得していく過程でのヨーロッパ社会のエピソードたっぷりの歴史が書かれている。ウィトゲンシュタインが大金持ちだったことは知っていたが、ドイツに残った姉2人の安全を確保するために、財産の一部である金1.4トンをナチスに提出したなんて知らなかった。グラム4,000円で換算すれば56億円にもなる。

 ポパー哲学についてはわりあい詳しく触れられているが、さすがにウィトゲンシュタイン哲学については概論にとどまっている。私も20代前半のころ『論理哲学論』を読んでみたがさっぱり分からなかった。

 本書がどんなに面白おかしく書かれているかの例を一つあげる。

 あつまりの晩、H3号室には(プレイスウェイトの2人目の妻が)いたかもしれない。(……)とても風変わりなこの女性は、結婚前の名字でマーガレット・マスターマンとよばれていた。イギリス政府の自由党の閣僚チャールズ・マスターマンの娘で、(……)。モラルサイエンス・クラブの元秘書だったマーガレット・マスターマンは、夫が出席する会合やセミナーには姿を見せる習慣があった。いつも窓際に腰かけるのが習慣だった。ある証人によると、彼女はショーツをはかずにスカート姿でとおすので有名だったという。おそらくこの証人は想像力が過剰なのだろう。彼女が何度も脚を組みかえるので、火かき棒のできごとには注意が散漫になっていたと語っている。

 こんなどうでもいい些末なことが繰り返し語られているので、本書は450ページを超えている。おそらく半分の分量で必要な記述は済んでしまうだろう。でもそれだからこそ、ヨーロッパアメリカベストセラーになったのだろうけど。

 いや、当時の歴史を知るための恰好の歴史書ではあると思う。とても勉強になった。ウィトゲンシュタイン哲学について知りたければ巻末に30冊余の日本語文献が掲載されている。ポパーについてはさほど興味をもてないが。