『日本の官能小説』を読む

 永田守弘『日本の官能小説』(朝日新書)を読む。副題が「性表現はどう深化したか」という立派なもの。朝日新聞の書評で三浦しおんが紹介していた(5月24日)。

 終戦直後から現在までのあいだに、官能小説はどのような変遷をたどってきたのか。官能表現の進化および深化、読者の好みの変化、さまざまな作家の持ち味や魅力を紹介する本。
 実際に多数の作品の一節が引用されているので、下心から本書を読みはじめたのだが、「すごい本だ」とすぐに襟を正した。なにしろ1945年から2014年まで、1年単位で社会の動向や情勢や流行が解説され、それを反映し象徴するような官能小説が引用とともに提示されるのだ。官能小説を通して戦後の現代日本を見わたす内容になっており、毎年300編は官能小説を読むという著者にしかできない、大変な労作だ。(中略)
(……)私は、「エロスを味わうなら活字」派なので、「わあ、読んで見たい!」という作品がたくさんあって、いまうれしい困惑のなかにいる。本屋さんや古本屋さんで探さねば!(後略)

 前著『教養としての官能小説入門』(ちくま新書)同様、戦後に猥褻文書であると判決が下された伊藤整訳の「チャタレイ夫人の恋人」から引用される。

彼女の柔く開いた肉體に入つて来るものが剣の一刺しであつたならばそれは彼女を殺したらう。彼女は突然激しい恐怖に襲はれてしがみついた。しかしそれは、太初に世界を造つた重たい原始的な優しさであり、安らぎの入つて来る不思議な感じ、秘密な安らぎの侵入であった。そして彼女の胸の中の恐怖は鎮まつた。彼女の胸は安らぎの中に身を委せた。彼女はすべてを放棄した。彼女はすべてを、彼女のすべてをなるがままにさせた。そして洪水の中に自己を失つた。

 戦後日本の官能小説の作家が一人一人紹介され、そのさわりが掲載される。まさに官能小説のマニエリスムのオンパレードだ。
 北原武夫が登場し、川上宗薫が続く。SM小説の団鬼六が登場する。富島健夫は芥川賞の候補にもなったが、愛と性を描くなかに大胆な性描写を描き込むようになって、青春ポルノの旗手といわれた。泉大八が痴漢ものを得意とし、宇野鴻一郎は女性を主人公としたストーリーを、一人称の文体で展開した。赤松光夫は未亡人ものと熟女ものに特色を見せた。さらに女性官能作家の丸茂ジュン、岡江多紀、中村嘉子等々が紹介される。
 しかし、私も年齢のせいか、どれもみな同工異曲という印象が強い。官能性を追求しつつ変化も求められるので官能小説作家も大変だなあ。
 「おわりに」にその読書歴が披歴されている。

(……)この30年余ほどでは、著者や出版社から送ってくださる年間200冊ぐらいに加えて、自分で購入した本など、年間では約300冊となって、文字通り万巻の書を読んだことになる。生活につながる仕事でもあるが、よほどの好事家と思われても当然といえる。
 この本を書くに当たり、書庫を整理したあとで、近年に刊行された出版物を除いて、古書といえる官能小説をインターネットの書店に引き取ってもらったところ、中型トラックを満杯にするほどだった。(後略)

 うーん、中型トラックが2トン車だとして、文庫本を1冊200グラムと計算すれば1万冊になる。150グラムだったら1万3千冊だ。家の中が広くなったことだろう。


永田の前著『教養としての官能小説案内』(ちくま新書)のレビューは下記参照。
奇書「教養としての官能小説案内」(2010年10月6日)


日本の官能小説 性表現はどう深化したか (朝日新書)

日本の官能小説 性表現はどう深化したか (朝日新書)