またしても闘病(苦笑)
耳の事は、一生ついてまわる。
こころの事は、分からない。

補聴器が支給されて、数ヶ月。すっかり私の体の一部だ。
もう片耳も申請出来れば良いのだが、審査を通るかどうかは難しいし、長時間補聴器を着ける事は聴神経に負担がかかるという事…をあらかじめ知っておいて欲しいと、主治医から話された。
とりあえず、来週の診察と補聴器外来次第かもだろう。


そして、メンタル面では減薬をはじめている。
定型うつではない可能性が大きくなってきたからだ。
薬が減ってくれるのなら、それにこした事はないし、医療費も若干浮く。
うまくいきますように……

突発性難聴になってから、3ヶ月ほどが過ぎた。
私はというと、まだ諦めたくなくて、先生に頼み込んで漢方も出してもらっている。
耳鼻科のI先生は表情にこそ出さないが「もうやめたほうが良いのでは」と思っているかなぁ…


それでも。
諦めるわけにはいかないのだ。




耳といえば、補聴器の支給券が市役所から届いた。
手続きには2ヶ月を要した。はー疲れた、というのが今の感想。けれど補聴器の調節やオーダーはこれから始まるので、そうそう気を抜いてもいられない。色は特にないらしく、ごく普通の肌色になる。左耳(とつなんは右耳)につけるから、通常の耳栓で良いかと思っていたら、I先生が「手術・治療による外耳道の変形のため、オーダーを必要とする」……って診断書に書いていた。
借りてきた補聴器がピーピーいうのは、左耳も変形していたからなのか…


しかし正直いって、申請が通るとは思っていなかった。
I先生、左耳の(損失)聴力を、手帳より重たく書いてくれたんである………
いや、手帳作ったときよりも、聴力落ちていても不思議はないけどね。
そのおかげで、市役所へ見積書や診断書を持っていったとき、担当の人に「うーん」という顔をされてしまった。その担当の人が後日、ファックスを送ってくれたのだけれども、 挨拶の言葉とともに「所得を証明出来るものをお持ち下さい」とだけ書いてある。
えーと。誰の所得でしょうか……(滅)
で、さっぱりわからないので、ファックスを何故か病院に持っていく私が居たりした。病院にはM先生という耳鼻科医が在籍しており、書類・事実ともに、この人が私の長年にわたる主治医となっている。
M先生に、訊いてみた。
「この所得って、誰の所得ですかね? うちの親のですかね。実家に居ますから」
「いや、キミの」
……さすがプロは仕事が早いなぁ……




なんて感心していたら、こっぴどい風邪をひいて、2週間療養せざるを得なくなってしまった…40度なんて、何ヶ月ぶりだよオイ。ところが、咳は2週間を過ぎてもひどく、「気管支炎になってないか?」と周囲に心配されるしまつだった。
今でもときどき、咳が出る。検査してもらったほうがいいかもなぁ……


たぶんまた、とつなんの聴力検査とかもされるだろうし。
嗚呼、医療費が飛んでゆく……

点滴生活が、一旦終了を告げた。
今夜から、内服に切り替わる。


経過ははかばかしくない。というよりも、前もその前も、突発性難聴に薬が一気に効いてくれたからだろうか、点滴を6日も打っているのに、と、もどかしい感じがする。今、この文章を書いているのだが、耳鳴りがひどい。この耳鳴りの具合では、遠からずめまいで倒れるだろう。
その前に寝てしまうしかないな…

あなたは、わたしにとって「かなしみをのこしたもの」である。
何故なら、あなたは自分の親より先に、空へかえっていってしまったからだ。

わたしにはわからなかった、当時、親より先に死ぬことが、どれだけ親不孝なことか。

今日。
あなたのお父さんから、短くはあるけれどメッセージをいただいたよ。
その文章は多数の人に向けられたため、定形文ではあったけれど…
あなたが逝ってしまって、もう10年近くになるのに、お父さんはあなたを忘れちゃいない。
かたときも。
それを思ったら、涙がこぼれた。


わたしは。
決して愛されて育った子供ではなかった。
また、わたしの周囲にはそういう人がいたし、今もいるだろう。
甘やかされはしたが、心底愛されていると感じたことはなかった。
――そのことは、今もわたしの心の底に、澱のような憎しみをときおり漂わせる。
今度、それと決別するために、わたしはあることを実行することに決めた。
封じ込めないと、生きていけない。まっすぐ歩けない。そうわたしが判断したゆえに。



わたしの「卒業式」は。
どうやら、ずっとずっと先になりそうだよ。

闘病生活

パキシルの効きも薄れてきた。
というより、はかばかしくない。梅雨のあいだは仕方ないとしても…


お腹が異様にすく。


というわけで、数ヶ月ぶりに薬をチェンジ。
ジェイゾロフト25ミリである。

パキシル離脱症状は人によって異なるが、かなり苦しいときく。

それでも。

ジェイゾロフトが効いてくれるのならば。

何度目か、もう数えると2桁になる入院をする事になった。

そして、19日には手術を控えている。
右耳のオペだ。
連絡をしたが、母親からは返事はない。
母も父もつらいだろう。「何もしてやれる事はないに等しい」と。
私が頑張るしかないのだ。
これは、私の闘いだ。


7つのとき、私は聴覚を失った。鼓膜も失った。耳小骨も失い、神経もいくつかそこなった。


だけど生きている。
生きていられる事以上に、最上のものがあるだろうか。




戦って来ます。