400mハードルの系譜(その2)

moriyasu11232012-06-25

前回からのつづき…

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗と成長ないし発展の関係は、生物学で説明される原理である個体発生と系統発生の仕組みに似ています。人間の子どもは、母親の胎内で細胞分裂を繰り返し、魚類、両生類、他の哺乳類と同じ状態をプロセスとして通過しながら、最後に、ようやく人間の形にたどり着いて生まれてきます。(…)
この中の魚類、両生類、他の哺乳類に該当する部分は、失敗から生まれる知識に置き換えて考えることができます。つまりは、人類がその長い歴史の中で過去に経験したものでも、一個人が成長する上では、同じプロセスを必ず通過しなければならない「失敗体験」というものがあるという意味です。
(by畑村洋太郎氏)

表彰台に上がり五輪代表に選出された選手、決勝で敗退し五輪代表を逃した選手、予選や準決勝で敗退した選手…それぞれに大小様々な「失敗」があったに違いない。

もし全幅の信頼を置ける、自分の選択よりも常に正しい選択をする人間が指示をしてくれていたら、これは正しい失敗の機会を奪ってしまうことになります。痛い目をみない失敗は、そのほとんどが忘れ去られてしまいます。あまりにこの期間が長くなってしまうと、様々な失敗を、自分が対応できた類と考えず、チームのコーチの、ゆくゆくは組織の問題だという領域に持ち込みがちです。なぜなら自分で選択している感覚が薄れるからです。
(2008年12月9日 為末大オフィシャルサイト「コーチング論」より抜粋)

もちろん選手としては、できるだけ「失敗」を避けたいと思うのが人情である。
しかし、「失敗」を免れた代償に「(失敗は)成功のもと」をつかむ機会を逸したとすれば、これも算盤には合わない。

93年は、春先に大腿部の肉離れを起こし、日本選手権が初レースとなる(5位)。このレースで、斎藤、苅部両氏が、日本人初の48秒台をマークする。結果的に、世界陸上の選考からは漏れるが、秋には自己ベスト記録(49.08秒)をマークする。
94年は、シーズンベスト記録(49.29秒)も前年を下回るなど、『スランプの年』という位置づけとなる。具体的には、『走り方のポイントがよく分からずにバラバラ(…)インターバルで力を出そうと思っても空回りする』感覚だったという。
この時期、国内3番手から脱出したいという思いが強まり(91〜94年の日本ランキングは3位)、トレーニング科学の知見や単身での海外転戦などを取り入れつつ、自身のトレーニングを体系化する試みも開始するなど、パフォーマンス向上に向けて強く動機づけられるようになる。
(拙稿「陸上競技男子400mハードル走における最適レースパターンの創発:一流ハードラーの実践知に関する量的および質的アプローチ」トレーニング科学 第20巻3号より抜粋)

「敗北やスランプ(失敗)」の積み重ねを糧にして、世陸ファイナリストへの道を拓いた陸連ジュニア育成副部長が、世界陸上ベルリン大会の決勝レース後に寄せたコラムを再録する。

短距離種目はそれぞれのレーンを走るから、他の選手と体はぶつからない。それでも、戦う相手は時計ではなく人間だ。「対人競技」と言ってもいい。同じ組で走る選手のリズムに影響されて自分のリズムを崩されれば負けだ。
特に400メートル障害は短距離種目ながら、走り幅跳びの助走を10回繰り返すような側面もあり、非常に微妙だ。同走している相手との間合いを測り損ねて前半で少し狂うと、終盤に大きく影響する。
(2009年8月20日 朝日新聞『短距離だって対人競技(山崎一彦の目)』より抜粋)

8名中7名がA標準を突破し、表彰台に上がれば五輪代表がほぼ確定する男子400mH決勝は、まさに「対人競技」の様相を呈していた。
400mHにとっての最重要トレーニングは、「自分よりも速い選手と(レースで)競走する」ことに尽きる。
高い緊張感のなかで、内側の選手に追い立てられたり、外側の選手に置いて行かれるという経験を積み重ねることでしか得られない「心技体」がある。
選手達は、1分にも満たない短い時間のレースの中で、それぞれに質の異なる「経験」をし、また質の異なる「壁」にぶつかったに違いない。
しかし、どの「壁」を突き破るにしても、それにぶち当たった「痛み」に真正面から向き合い、より高いレベルで戦いたいという「意志」を持ち続けながら、自身の「可能性」を信じてトレーニングを継続する以外に道がないことだけは、間違いなさそうである。

男子400mH日本歴代10傑
1 47秒89 為末大(法政大学) 2001年8月10日
2 47秒93 成迫健児筑波大学) 2006年5月6日
3 48秒26 山崎一彦デサントTC) 1999年5月8日
4 48秒34 苅部俊二(富士通) 1997年10月5日
5 48秒41 岸本鷹幸(法政大学) 2012年6月9日
6 48秒64 斎藤嘉彦(綜合ガード) 1998年10月4日
7 48秒65 千葉佳裕(順天堂大学) 2001年5月20日
8 48秒66 吉形政衡(三洋信販) 2005年9月19日
9 48秒84 河村英昭(三英社) 2000年9月9日
10 48秒85 吉澤賢(デサントTC) 2004年7月10日

日本の男子400mHは、78年に長尾隆史氏が49秒台に突入して以来、93年の斉藤嘉彦氏と苅部俊二氏による48秒台突入、95年世界陸上イエテボリ大会での山崎一彦氏の決勝進出(7位)、そして為末大選手の01年世界陸上エドモントン大会(47.89秒の日本記録)および05年世界陸上ヘルシンキ大会銅メダルなどをエポックとしながらパフォーマンスを向上させてきた。
第1回の世界陸上が開催された87年から昨年までのおおよそ四半世紀にわたる世界10傑平均を概観すると、88年に初めて47秒台(47.86±0.53秒)に到達して以来、2005年の47.81±0.38秒(この年は成迫選手が48.09秒で6位タイ、為末氏が48.10秒で8位にランクインしている)を最低値として47秒9〜48.2秒台を推移している。
一方、日本10傑平均は、87年が50.61±0.69秒と世界から約3秒もの差を付けられていたものの、93年に初めて50秒を切り(49.91±0.88秒)、05年には49.20±0.73秒(世界10傑平均との差は1.39秒)まで短縮するなど、着実に世界との差を縮めている。
日本人が初めて48秒台に突入した93年は、日本と世界の10傑平均の差も初めて2秒を切るなど、世界大会での決勝進出が現実味を帯びてきた年であり、以降は「世界で戦える種目」に位置づけられてきた。
当時、大学院生だった私は、昨年度まで長らく陸連科学委員長を務められたの指示のもと、この記念すべき93年日本選手権決勝レースを分析して陸上競技マガジンに寄稿することになるが、自分のデータと文章が初めて書店に並んだ感慨は未だに忘れられない。
この約20年間のプロセスを回顧しつつ上記のハードラーの名前を見て想起されるのは、勝利に酔いしれるシーンに倍するスランプや敗北のシーンである。
偉大な先輩ハードラー達がそうであったように、今回ロンドン五輪の代表権獲得に挑んだ選手それぞれの体験も「成長する上では、同じプロセスを必ず通過しなければならない(by畑村氏)」ものとなるに違いない。

(1999年の日本記録更新後)いくつかのアクシデントにも見舞われ、1999年の世界陸上では準決落ち、2000 年のシドニー五輪では予選落ちと、再び世界のファイナリストとなることは叶わなかった。そして、2001 年のスーパー陸上で引退を迎えることになるが、同年の世界陸上エドモントン大会では、それまで山崎氏の背中を追い続けていた為末大選手が、日本人初の短距離種目のメダル獲得という快挙を成し遂げる。引退セレモニーの際、為末選手をはじめとする日本のトップ選手から労いの言葉をかけられている山崎氏の姿を間近にみながら、その「実践知」が確かに次の世代に継承されたことを確信したのである。
(拙稿「陸上競技男子400mハードル走における最適レースパターンの創発:一流ハードラーの実践知に関する量的および質的アプローチ」トレーニング科学 第20巻3号より抜粋)

2012年の日本10傑平均(今日現在)は49.52±0.45秒であるが、50秒を切らないと10傑に入れない初めての年になることが既に確定している。
11年前とはやや趣の異なるシーンであったが、今大会の予選から決勝までを通して、これまで培われてきた日本400mHの「文化的遺伝子(meme)」が、確かに次の世代に受け継がれていることを確信した。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

たしかに、遊びは勝とうとする意欲を前提としている。禁止行為を守りつつ、自己の持てる力を最大限に発揮しようとするものだ。しかし、もっとも大事なことは、礼儀において敵に立ちまさり、原則として敵を信頼し、敵意なしに戦うことである。さらにまた、思いがけない敗北、不運、宿命といったものをあらかじめ覚悟し、怒ったり自棄になったりせずに、敗北を甘受することである。…実際ゲームが再開されるときは、これはまったくの新規蒔き直しなのだし、何がだめになったわけでもないのだ。だから遊戯者は、相手を咎めたり自分に失望したりするのではなく、一そうの努力をするがいいのである。
(byカイヨワ氏)

ひとつの「遊び(ゲーム)」が終わり、選手達は「新規蒔き直し」を図って「一そうの努力」をしているはずである。
その先にあるものは何か。

哲学者とは何か (ちくま文庫)

哲学者とは何か (ちくま文庫)

「人はいかにして自分自身になるか」
この問いが求めている内容は「本来の自分を取り戻す」とか「人生において本当にやりたい仕事をみつける」とか、巷でささやかれているような浅はかなことではない。それが突きつけているのは「私はいかに生きるべきか」という問いよりさらに手前にある 「私が生きるとはいかなることか」という問いである。(…)
(科学的な問いのように)容易に答えの方向がわかるような問いはワンランク下の問いであり、問う衝動すら起きない問いは深刻な問いではない。
われわれに最も重くのしかかる問いとは、問い続けることはやめられず、しかも答えが見通せない問いである。ではこうした問いにわれわれはいかに対処すべきか。各人が実際に生きて納得する回答をつかむほかないのである。各人が(たぶん)たった一度の人生を生きてみて、そこから学びとるほかはない。
(by九鬼周造氏)

「私」とは何なのか?
「生きる」とはどういうことか?
いずれの答えも『各人がたった一度の人生を生きてみて、そこから学びとるほかはない(by中島氏)』だろう。

挫折にしろ、技術的な伸び止まりにしろ、燃え尽き症候群にしろ、とにかく早い段階でいろんな事を経験し、免疫をつけていく。最後はグラウンドに一人で立つわけですから、こういったフィロソフィーがどれだけ成熟しているかが重要ではないでしょうか。(…)
(この場合)本人の動機にかなり影響されますが、それも才能の一部ですし、もしそのまま動機をもてる選手であれば最後まで貫けるはずです。(…)
結局いったい何が私を支えてきたんだということを(…)考えてきましたが、どうも「技術」の世界ではないのかなと思いました。革新的な技術、いろんな人の真似をしながらこれまで競技を続けてきましたが、流行はみんな去ってしまいました。唯一のこるのはメッキが全部はがれたコアの部分だけです。(…)重要なのはこのコアに向かう動機。これが純粋で濁りがない選手ほど生き残っています。
為末大「400mハードルのトレーニング戦略」スプリント研究 第18巻より抜粋)

『(若手には)特にどんなアドバイスをできるか分からないけど、本当に頑張ってほしいし、楽しんでほしいです。人生を振り返った時、こんなに輝いている時期はアスリートのピークの本当に短い間しかないので、その輝いている時間を精いっぱい楽しんで、自分の実力を出すことに夢中になってほしいと思います(by為末氏)』
大さん、長い間お疲れ様でした。
きっと次の「(人生)ゲーム」でも、得意の“前半型”でガンガン攻めていくのでしょう。
いずれまた「タイム職人」として分析の機会を与えて頂ければ幸いです。
本当にありがとうございました。
400mハードル万歳!