より過激で公正な新自由主義、ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』

 いわゆる新自由主義の古典。
 1962年に出版された本でありながら、いまだに色褪せぬ内容があり、論争の的になる本です。
 いまさら内容を詳しく紹介するのもなんなので、フリードマンが挙げる政府が行うべきではない政策の一覧を紹介しておきます。

1,農産物の買取保証価格制度
2,輸入関税または輸出制限
3,農産物の作付面積制限や原油の生産割当てなどの産出規制
4,家賃統制
5,法定の最低賃金や価格上限
6,細部にわたる産業規制
7,連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制
8,現行の社会保障制度、とくに老齢・退職年金制度
9,事業・職業免許制度
10,いわゆる公営住宅および住宅建設を奨励するための補助金制度
11,平時の徴兵制
12,国立公園
13,営利目的での郵便事業の法的禁止
14,公有公営の有料道路

 このような一覧を見ると、昨今の「改革」が基本的にフリードマンの影響下にあることがわかるでしょう。
 基本的には賛成できるものが多いのですが、個人的には過激すぎると思う所もあります。
 例えば、9の職業免許制度に対する批判では、医師免許すらも必要ないといっているのですが、さすがに失敗が取り返しのつかない職業では国の関与も必要かと。確かにフリードマンが言うように、医師免許は参入障壁になっているし、新しい医学の可能性を摘み取っているのかもしれませんが、いくらあとで賠償を取れるからといってもヤブ医者にかかって死んでしまったら終わりですからね。また、病気の治療は緊急を要し、選択し難いという面もあると思います。


 
 ただ、この本をきちんと読むと、フリードマンが「大企業優遇主義」や「完全自己責任主義」でないことがわかります。
 このあたりは、現在の新自由主義的な政策の多くが「大企業優遇」「社会保障の切り捨て」に見えるため、フリードマンこそ、その親玉に思ってる人も多いかもしれませんが、それは誤解です。
 

 まず、「大企業優遇」ですが、フリードマンにとって企業は株主の道具でありそれ以外の価値は全く認めていません。
 確かにフリードマン法人税の廃止を主張しています。これは日本の財界などにとっても心地よい主張でしょう。しかしそれに続く部分は日本の多くの企業経営者が絶対に受け入れたくない部分だと思います。

 法人税は廃止すべきだ。また、法人税を廃止してもしなくても、企業は配当として払い出さなかった利益も株主の所有に帰すべきである。具体的には配当金の小切手を送付するときに、次のような報告書を添付する。「株主の皆様には、一株当たり○○セントのこの配当金に加え、一株当たり××セントの利益がございます。こちらは弊社が再投資いたしました」。報告を受けた株主は、配当金だけでなく、自分のものではあるが配分されなかったこの利益も、所得税の申告に含めなければならない。この仕組みでも企業が再投資するのは自由だが、再投資に回す利益を明言する以上、株主が配当を自分で別途投資するより企業の投資効果の方が高い時しか、再投資できなくなるだろう。(247ー248p)

 この制度の導入と法人税率の据え置きの二者択一なら、日本の企業経営者のほぼすべては法人税率の据え置きを選ぶでしょう。この制度が導入されれば、企業経営者の権力というものは大幅に制限されてしまいますし、企業が必要以上に巨大化していくこともなくなるでしょう。
 フリードマンは「個人」以外の「主体」は認めないというラディカルな個人主義者でもあるのです。


 次にフリードマン社会保障をすべて否定しているわけではありません。フリードマンが強く非難するには裁量的な社会保障です。
 例えば、農民を保護するための農産物価格の維持、劣悪な環境にすむ人びとを救うための公営住宅、さらには高齢者のための年金制度もフリードマンにとっては裁量的です。年を取っているというだけで、何らかの社会保障を受けるのはおかしいし、それが政治を歪めると主張しています。あらゆる裁量的な社会保障は、その範囲や額の拡大を目指して、そこから漏れた少数者を抑圧するのです。
 そうした裁量的な社会保障に代えてフリードマンが主張するのが「負の所得税」です。

 現在、連邦所得税は納税者一人当たり600ドルの基礎控除(および10%の一律控除)がある。所得が基礎控除を100ドル上回る場合、すなわち課税対象所得が100ドルの場合には、言うまでもなくこの分の所得税を払わなければならない。一方、所得が基礎控除を100ドル下回る場合、すなわち課税対象所得がマイナス100ドルの場合には負の所得税を払う。負の所得税を払うとは、補助金を受け取ることである。負の所得税率が50%の場合には、50ドルを受け取る。全然所得がない場合で、他の控除が一切なく所得税率は一律だとすれば、基礎控除を600ドル下回るので、300ドルを受け取ることになる。 <中略> 以上のような仕組みにすれば、どんな場合でも、所得(ここでは当然ながら受け取った補助金を含む)がこれ以下にならないという最低基準を設定することができる。(347ー348p)

 「基準額をどうするか?」「子どもをどうするか?」など詰めなければならない問題は多いですが、これは魅力的なアイディアではないでしょうか?
 特に「豊かな勤労世帯」と「貧しい高齢者」という図式が崩壊し、どういう年齢層が貧しいのかはっきりしなくなった今の日本ではなかなかいい方策にも思えます。


 読んだことのないフリードマンを「悪の親玉」みたいに考えている人、ハイエクなどに比べて「底が浅い」などと考えている人(僕も以前はそうでした)にもぜひ読んでもらいたい本ですね。
 今の改革がある意味でフリードマンの「つまみ食い」にすぎないことがわかりますし、単純ですが明快な論理というものがわかると思います。


資本主義と自由 (NIKKEI BP CLASSICS)
村井 章子
4822246418