聡明な学長ばかりならいいが

(日経「社説」2014/7/30付)
 通常国会で成立した。現行の学校教育法では、教授会の役割を「重要な事項を審議する」とだけ定めている。改正法ではこれを限定し、教授会は「教育研究に関する重要事項」について学長が決定をする際に意見を述べる機関と位置づけた。大学運営などにも影響を及ぼしがちな教授会の権限を縮小し、学長のリーダーシップを確立するのがねらいだ。国立大学法人法の改正では、学長選考基準やプロセスを透明化する規定も盛り込まれている。2つの改正法は来春施行だ。うまく運用できれば思い切った入試改革や教育・研究体制の再編、外部人材の登用などが進むかもしれない。しかし一方で、学長は自らの責任が格段に重くなるのを自覚しなければなるまい。聡明(そうめい)な学長ばかりかどうか心配は残る。ならば今回の改革を機に、大学は学長を「育てる」ことを心がける必要がある。あるいは経営と教育・研究の分離も課題となるはずだ。ひとくちにガバナンス改革というが、いまの大学は極めて多様である。いきなり学長に全責任を押しつけてよしとするのではなく、それぞれの実情に合ったやり方を探る必要もあろう。
(JN) 大学の構成員は、聡明な指導者を選ばねばならない。大学によって、学長の選び方が異なるであろうから、大学構成員では選ぶことができず、思わぬ方が降りてくることもあるかもしれない。そうなると、構成員がいかに確りと学長をコントロールできるのかと、話は展開してしまう。でもそれでは、今回の法改正の趣旨には沿わない組織になってしまう。悪しき官僚主義てきになり、動きが悪くなる。大学と言うところは、自助力が大事である。その能力を自分たちで育て行く機能が備わっていなければならない。ただトップの力を持たせるという法律はナンセンスなのだろう。大学は、自ずから成長し、力が無ければ没落すべきものでなかろうか。国は、結果に口を挟み、制度への介入をすべきでないのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO74952600Q4A730C1EA1000/